王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

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第六章

花の貴公子ともつれた糸

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「殿下の誘拐に関しては、わからないことが多いんです」

 翌日、ジュール侯爵邸を訪れたステファンが、疑問でいっぱいのジュディに対してそう切り出した。

「だいぶ前のことだから、調べようが無いということですか」

「それもありますが、隠蔽されています。俺も閣下に言われて調べてみたんですが、もともと非公表の事件ですし、関わった人間の記録もなく。殿下に確認しようにも、いらぬ傷を暴いてしまいそうで」

 聞くに聞けないということだった。それはジュディにもよくわかる。
 朝に意識を取り戻したフィリップスには、前日の件を聞くことすら、憚《はばか》られたのだ。

 フィリップスの表情はぼんやりとしていて、瞳はここではないどこか遠くを見ているようだった。
 話し言葉も頼りなく、スプーンの握り方までいつもと違い、一時的に幼児退行をしたかのような素振りがあった。
 ガウェインは当たり障りのない会話を交わしてから、後をジュディに任せて王宮へと向かった。

 前夜王妃に激烈に歯向かった経緯はあるものの、ガウェインはジェラルドによって摂政に任ずると告げられている。「俺が逃げ隠れする必要はない。王宮に居場所があるなら、仕事をしに行くだけだ」と。
 罠が張り巡らされ、茨と棘が行く手に敷き詰められていようとも、ガウェインは昂然と顔を上げてその道を進むのだろう。

 代わりにステファンが、護衛がてら屋敷に常駐するべく訪れたのだ。
 ジュディは、フィリップスが眠ったのを確認してから、ステファンに対して「知っていることを教えてください」と願い出た。

 なお、話し声が聞こえないように、しかしフィリップスから離れすぎないようにと二人が移動したのは隣室であるジュディの部屋。

 ステファンは美しい調度品が揃えられた室内を見渡し、天蓋付きベッドに目を留め「愛の巣」と呟いた。普段なら、すかさず「やめてください」と言うジュディが言葉もなく真っ赤になって俯いてしまったので、ステファンは丁重に謝罪をした。
 そして、改めて肘掛け椅子とソファに分かれて座り、話し合いとなったのであった。

「王妃様の企《くわだ》てにより、世継ぎの王子が別人になってしまった、というのは異常事態です。が、スキャンダルとして騒ぎ立てるはずの新聞各紙は沈黙。王権の押さえがきいているとすれば、思った以上に王家はまだ力を持っている。しかも、最近国内最大有力紙『パブリッシュ』をハートレイ公爵が買収しています。この方は王妃様の実兄にあたりますので、今後は都合の良い記事を出してくることでしょう」

「では、十年以上前の誘拐事件を公表し、取り違えがあったこと、真の王子が見つかったことを劇的な記事に仕立てて国民の関心を煽り、すげ替えを完了させることも考えられると」

「記事は、早ければ明日にも出るかもしれません。閣下を摂政に任命したのは、失脚させるより取り込んだ方が良いとお考えだからでしょう。今後フィリップス様の復帰が難しい場合は、王権を維持するために閣下は政治家としての判断でジェラルドにつく。おそらく、そう考えているんです。王妃様もジェラルドも」

 さらりと今後の展望を告げられ、ジュディは唇を引き結んで考え込んだ。
 ガウェインがフィリップスを見捨てることはない。だが、「復帰が難しい場合」の一言が、あまりにも重い。

(フィリップス様は、精神的に不安定になっている。再び表舞台に立たせ重責を担わせるよりは、無理をさせないことを優先し、ジェラルドの即位を認める可能性はあるのかもしれない)

 そのときに、ガウェインはフィリップスとともに身を引くという判断はしない。
 今日、王宮に向かったのがその良い例だ。自分がその場にいなければ、守るものも守れないと考えるはずだ。
 ジェラルドがこのまま即位をするというなら、国内が混乱しないようその治世を支えようとすらするかもしれない。
 それはフィリップスを裏切ることではないが、フィリップスがどう考えるかは別問題だ。

「さらわれた子が、取り違えられて王宮に戻ってきたという王妃様の主張……、なぜ王妃様はフィリップス様をそこまで否定するのでしょう。ジェラルドこそが本当の王子だというのでしょうか」

 ジュディの疑問に対し、ステファンは目を瞑り、眉を寄せた。
 やがて目を開くと、苦々しい口調で話し始めた。

「王弟殿下であるフローリー公は初め、オリアーナ様、つまり現在の王妃様と婚約するという噂があったそうです。実際に婚約から結婚までなさったのは、王妃様の妹にあたるアルシア様。前ジュール侯爵と再婚なさった、ガウェイン様のお母様です。何があってそうなったか、詳しいことは当事者にしかわからないかと思いますが……。オリアーナ様はフローリー公にかなり入れあげていたらしく、結婚後のアルシア様とはものの見事に断絶したそうです。アルシア様の結婚の方がオリアーナ様より後にもかかわらずこの仕打ちでは、ご自身が王妃になってからもいまだフローリー公に心があると喧伝《けんでん》したようなもの」

 ステファンは、そこで片眉を跳ね上げて「ジュディ先生、大丈夫ですか?」と言った。ジュディはお腹いっぱい、という顔で頭を抱えていたが「大丈夫です、続けてください」とかすれ声で先を促した。

「やがてオリアーナ様は王子をお生みになられました。フィリップス様の兄にあたる方です。生まれてすぐお亡くなりになっていまして、表向きは病没とされていますが、この死にフローリー公が絡んでいる。王家のご一家とフローリー公ご夫妻が公的な行事でともに出かけたピクニックで、王子が川に落ち、フローリー公が助けに入った。そして二人とも、懸命な捜索がなされたものの死体が見つからないまま、死亡と発表されることになった」

「私が知らないことばかりなんですが……」

 ジュディもガウェインと知り合って以降、フィリップスやその周辺について自分で調べようとしたことはあるが、そこまでの事実は出てこなかったのだ。
 ステファンは少しばかりシニカルな笑みを浮かべて「噂話の収集は得意分野なんです。閣下にそうあれと言われました。その方が便利なので」と答えた。どういった手法で、誰から聞き出しているのかの追求を、ジュディはしないでおくと決めた。

「ここで、王宮でその後長く語られる噂話が生まれるわけです。『フローリー公はなぜ、己の命を賭してまで、王子を救おうとしたのか? 王子は、オリアーナ様との不義の子だったのではないか?』『アルシア様が一向に妊娠なさらないのは、オリアーナ様と通じているフローリー公が、床を共にしていないからではないか?』この憶測は無数のパターンに派生します。あの事故は、『フローリー公と不義の子を疎んだ陛下によるもの』だとか『不義密通の証拠を王子ごと消したいオリアーナ様の企てだった』のだとか。『自分を愛さない夫と、自分を苛め抜く姉の子に対するアルシア様の復讐なのだ』もあります。すべては謎です。動かしがたい事実はひとつ

 聞いているだけでずきずきと痛む胸をおさえて、ジュディは無言で頷いてみせた。

(アルシア様まで、白い結婚説があるだなんて……。そこからの再婚でガウェイン様をお生みになられているだなんて、どうしましょう、私とても親近感が。そんな場合ではないのですが)

 ステファンは淡々と、説明を続ける。

「そのうちに、フローリー公が東地区で生きているという噂が広まりました。そこに、亡くなったとされる王子がいるかどうかまではわかりません。なにしろ、王子は幼いうちに姿を消しているので、成長したお姿は誰も知りません。ただ、その噂を聞きつけたオリアーナ様が何をお考えになったのか――『あのとき死んだ子は、愛しいフローリー公とともに東地区で生きているのでないか?』ここからは閣下と俺の憶測に過ぎませんが、そう考えるとフィリップス様のことを『この子ではない』と言い張る理屈は一応わかるんです。王妃様が探し求めているのはひとりめの王子であり、フィリップス様ではない、と」

「東地区から連れ帰った王子ならば、それはひとりめの王子であるはずだ、ですか? でも、フィリップス様とはご年齢がずいぶん違いますよね?」

「そうです。ガウェイン様が連れ帰ったのは、間違いなくフィリップス様なんです。ただ、王妃様の中では混乱が生じていて、ひとりめの王子が帰ってくると思い込んでいた。なぜそこまで執着しているのか。その王子こそが、愛しいフローリー公の子だからなのか。それを陛下が黙認しているのはなぜかといえば……『罪の意識』。陛下がフローリー公と王子を川に突き落としたのであれば、それによって王妃が精神に変調きたしたことが長く陛下を苦しめ、今回の暴走も止めなかった、と」

 すべて憶測ですよ、とステファンは付け足した。
 胸を押さえながら聞いていたジュディは、頭の中でつながった事実を吟味しながら、重い口を開いた。

「誘拐されたフィリップス様ではなく『消えた王子様が自分の元に帰ってくるはずだ』という誤解はなぜ生まれたのでしょう。それは、王妃様が……東地区から王子が帰ってくると、誰かに聞かされていたのではないかと、私は考えてしまいますね。何かの交換条件によって」

 いけない、と思いながら口をつぐむ。

(完全な憶測だわ。口にして良いものではない。「フィリップス様を東地区に引き渡すことを条件に、ひとりめの王子様を返してもらう手はずになっていたのでは」なんて)

 厳重に守られていたであろう王子が、さらわれて東地区に捨てられる。そんなことあるのだろうか? という、ずっとくすぶっていた疑問。
 王宮で誰かが手引をしたのではないか。
 その誰かは、見つかって裁きを受けているのか?

 憶測でしかないことを、真実のように信じ込むのはやめよう。もっと大きな視点から物事をとらえよう。
 そう思いながらも、考えずにはいられなかった。
 かつて幼いフィリップスを東地区に捨てたのは、王妃オリアーナなのではないか、と。



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