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第五章
そこまで
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「いいい、痛い痛い、痛いです!!」
胸を掴まれるなど初めての経験で、ジュディは驚きのままに叫んだ。
ドレスの生地に張りがあってしっかりしている上に、内側にはコルセットを着込んでいるので、言うほど指の感触が伝わったわけではない。だが、とにかくありえないことをされている、という恐怖感が強かった。
「痛くしているんだよ。俺 は、あいつのすべてが気に入らない。あいつのものなら、なんだって奪って、めちゃくちゃにぶち壊してやりたいんだ」
もはやガウェインの真似などかなぐり捨て、本性むき出しに敵意と悪意をみなぎらせている相手に対し、ジュディも余裕などどこにもなかった。
頭がぐらぐらするだとか、全身が痛いだなんて言っていられない。
「すっごく嫌です! 嫌いな『あいつ』がいるなら、本人と直接やり合うべきです! なんで周りを巻き込むんですか!?」
「その方があいつにダメージだからだよ! 自分が傷つくよりも、大切なものを傷つけられる方が辛いからな!」
悪党の割に、感覚がまっとうで、ジュディは叫びながら言い返してしまう。
「それはあなたの辛さです! 他の人もきっと同じように辛いと思えるなら、そこできっとわかりあえますよ! まずは話し合ってみては!?」
風を切る素早さで、拳が振りかざされた。
ジュディは、顔を殴られると覚悟して、目を閉ざす。
衝撃は訪れず、恐る恐る片目を開けて見れば、相手は拳を空中で止めてジュディを睨みつけていた。
殴ろうとはしたが、葛藤があって思いとどまった。その苦悩が濃く滲んだ顔。
(この方は、悪ぶっているけれど、もしかしたら――)
そこまで悪い人間ではないのではないか、そう直感して「あの、お話が」と呼びかける。
その瞬間、廊下でおかしな物音がした。生木を裂き、叩き割るような。
ジュディに乗り上げた男が、素早くドアへと目を向ける。その間にも、屋根の上を何者かが走る音が響いて、耳をつんざく派手な破砕音とともに窓ガラスが打ち破られた。
飛び散る破片。
ほぼ同時に、男はジュディに覆いかぶさってくる。破片から守る動きだった。
かばうことに、躊躇いがなかった。ジュディを敵や物として粗雑に扱っているなら、まずとらない行動だった。
「あの、あなたは!」
悪い人ではないのでは!?
言いかけながら、ジュディは窓辺へと目を向けた。
パキリ、と床に落ちたガラス片を踏みしめる音。
髪を乱した、無表情のガウェイン・ジュールがそこに立っていた。自分によく似た男に視線を定め「Hi」と気さくさすら感じさせる声で挨拶までしてくる。
「閣下、この方は、ですね!」
たぶんそこまで悪い人間ではなくて、話せばわかる方なんです。
ジュディはもごもごと身動きしながら、そういった内容のことを、言おうとした。
ガウェインは、動きを止めることなく近づいてきた。男は、ほんのわずかに躊躇った。おそらく、ジュディを押さえているだけに、いつでも人質にしてガウェインを制止できるという油断があったのだろう。ジュディでさえ、その意図はわかった。二人は、まず会話をするはずと素朴に信じていた。
しかし、考えが交錯するその一秒にも満たぬ間を見逃すほど、ガウェインは甘くない。
どのタイミングで加速したのか、まったく目で捉えることができなかった。ただ、窓際にいたはずのガウェインが、気づいたらすぐそばまで走り込んできていて、強烈な蹴りで男をジュディの上からふっとばした。
男もとっさに防御はしただろうが、ガウェインの暴力はそれを軽く凌駕した。
ジュディの上から、男の重みが消えると同時に、男が近くのテーブルセットに叩きつけられる。椅子がひっく返って壊れる、惨い音が空気を振動させた。
「話し合いを……なさらない?」
一言も、耳を貸さなかった。
(たぶん、根っからの悪党ではないわ、彼は)
めまいを感じてジュディが尋ねると、ガウェインは硬質でよく通る声でそっけなく答えた。
「事情など知る必要はありません。悪事を働くに至った理由など、聞いてどうしますか。同じような境遇で、同じように悩み苦しんでも、他人を傷つけない道を探す者もいる。傷つける道を選んだ人間に耳を貸す必要なんてどこにもないですよ。己が選んだ道の報いを、受け取らせます」
崩れ落ちた男を見つめるガウェインからは、まぎれもない殺気が漂っていた。武の達人ではないジュディでさえ、本能的にわかってしまう。その怒りを。
「閣下、ですがこれだけはリマインドの意味で言わせてください。閣下は、その方と会ったら、まずは話してみたいと言っていたはずです! 監獄塔で何徹でもいけるって! 殺してしまったら、話すも何も……」
ジュディに目を向けることなく、ガウェインは冷めきった声で答える。
「目の前の相手を脅威と認めたとき、『話してみたい』という好奇心に負けて中途半端に生かすのは危険です。犯罪者の思考など、知らなくても生きてはいける。知ろうとして自分や誰かを危険に晒すくらいなら、さっさと潰す。迅速な制圧こそが、被害を最小限にするんです」
打ちどころが悪かったのか、男はぴくりとも動かない。それがジュディの胸に嫌な寂寥感を呼び込み、軋むような痛みをもたらす。
(彼はたしかに、悪人ではある。事故に遭った私を、さらった。事故も、彼の仕業だったのかもしれない。だけどきっと、それだけの人間じゃない。閣下と話せば)
割り切れない思いから、声に非難がましさが滲む。
「過剰防衛では」
そこでようやく、ガウェインはジュディへと目を向けた。黄金色の瞳でジュディをじっと見つめ、はっきりと言う。
「俺の振る舞いが過剰かどうかは、いまこの場ではわかりません。こちらは一人であること、相手が何人で、どんな奥の手を持っているかわからないこと。それがすべてであり、状況的には手加減の余地など無い。必勝必殺。これ以上の被害を食い止めるためです。結果は、後日の検証に任せるしか無いでしょう」
理路整然として、すべてにおいて明快な答えを持つガウェインである。暴力はいけません、という余地はどこにもなかった。
本当の暴力というのは、ここまで無駄がないのだと、ジュディはこの日思い知った。
ジュディが口をつぐんだところで、ガウェインは男の元へと一歩進んだ。
「起きているな? 俺に隙は無い。仕掛けてくる気ならさっさと来い。地獄を見せてやる」
閣下、それでは完全に悪役ですよとジュディは胸の中だけで呟く。地獄を見せる、とは。
よろよろと体を起こした男は、床に尻をついた体勢でわめいた。
「こっちには、人質がいたんだぞ……! 危ないだろ!」
言われたガウェインは、「ああ」と気のない様子で返事をする。
次の瞬間には、あまりの物騒さに泣く子も黙るほどの怒気が、その身から溢れ出していた。
「よくもジュディを傷つけたな。一発じゃ足りない。正当防衛の言い訳のために、お前からかかって来い。反撃でころ」
ガチャン、とドアが外から開かれた。
身を滑り込ませてきたのはステファンで、ため息まじりにガウェインに向かって言い放つ。
「閣下、そこまでです。先生が傷つけられて暴走したのはわかりますが、一度落ち着いてください。間もなく応援が来ますので『多勢に無勢だから、やられる前にやった』が成り立たなくなります。どうぞ……その拳をおろして」
そう口にしたステファン自身が、拳を下ろしただけではまったく安心できないとわかりきっているような顔をしていた。
なにしろ、ガウェインの主要攻撃は拳ではなく足なのだ。
本当に、足癖悪いですよね、とステファンはぼやくように付け足した。
胸を掴まれるなど初めての経験で、ジュディは驚きのままに叫んだ。
ドレスの生地に張りがあってしっかりしている上に、内側にはコルセットを着込んでいるので、言うほど指の感触が伝わったわけではない。だが、とにかくありえないことをされている、という恐怖感が強かった。
「痛くしているんだよ。俺 は、あいつのすべてが気に入らない。あいつのものなら、なんだって奪って、めちゃくちゃにぶち壊してやりたいんだ」
もはやガウェインの真似などかなぐり捨て、本性むき出しに敵意と悪意をみなぎらせている相手に対し、ジュディも余裕などどこにもなかった。
頭がぐらぐらするだとか、全身が痛いだなんて言っていられない。
「すっごく嫌です! 嫌いな『あいつ』がいるなら、本人と直接やり合うべきです! なんで周りを巻き込むんですか!?」
「その方があいつにダメージだからだよ! 自分が傷つくよりも、大切なものを傷つけられる方が辛いからな!」
悪党の割に、感覚がまっとうで、ジュディは叫びながら言い返してしまう。
「それはあなたの辛さです! 他の人もきっと同じように辛いと思えるなら、そこできっとわかりあえますよ! まずは話し合ってみては!?」
風を切る素早さで、拳が振りかざされた。
ジュディは、顔を殴られると覚悟して、目を閉ざす。
衝撃は訪れず、恐る恐る片目を開けて見れば、相手は拳を空中で止めてジュディを睨みつけていた。
殴ろうとはしたが、葛藤があって思いとどまった。その苦悩が濃く滲んだ顔。
(この方は、悪ぶっているけれど、もしかしたら――)
そこまで悪い人間ではないのではないか、そう直感して「あの、お話が」と呼びかける。
その瞬間、廊下でおかしな物音がした。生木を裂き、叩き割るような。
ジュディに乗り上げた男が、素早くドアへと目を向ける。その間にも、屋根の上を何者かが走る音が響いて、耳をつんざく派手な破砕音とともに窓ガラスが打ち破られた。
飛び散る破片。
ほぼ同時に、男はジュディに覆いかぶさってくる。破片から守る動きだった。
かばうことに、躊躇いがなかった。ジュディを敵や物として粗雑に扱っているなら、まずとらない行動だった。
「あの、あなたは!」
悪い人ではないのでは!?
言いかけながら、ジュディは窓辺へと目を向けた。
パキリ、と床に落ちたガラス片を踏みしめる音。
髪を乱した、無表情のガウェイン・ジュールがそこに立っていた。自分によく似た男に視線を定め「Hi」と気さくさすら感じさせる声で挨拶までしてくる。
「閣下、この方は、ですね!」
たぶんそこまで悪い人間ではなくて、話せばわかる方なんです。
ジュディはもごもごと身動きしながら、そういった内容のことを、言おうとした。
ガウェインは、動きを止めることなく近づいてきた。男は、ほんのわずかに躊躇った。おそらく、ジュディを押さえているだけに、いつでも人質にしてガウェインを制止できるという油断があったのだろう。ジュディでさえ、その意図はわかった。二人は、まず会話をするはずと素朴に信じていた。
しかし、考えが交錯するその一秒にも満たぬ間を見逃すほど、ガウェインは甘くない。
どのタイミングで加速したのか、まったく目で捉えることができなかった。ただ、窓際にいたはずのガウェインが、気づいたらすぐそばまで走り込んできていて、強烈な蹴りで男をジュディの上からふっとばした。
男もとっさに防御はしただろうが、ガウェインの暴力はそれを軽く凌駕した。
ジュディの上から、男の重みが消えると同時に、男が近くのテーブルセットに叩きつけられる。椅子がひっく返って壊れる、惨い音が空気を振動させた。
「話し合いを……なさらない?」
一言も、耳を貸さなかった。
(たぶん、根っからの悪党ではないわ、彼は)
めまいを感じてジュディが尋ねると、ガウェインは硬質でよく通る声でそっけなく答えた。
「事情など知る必要はありません。悪事を働くに至った理由など、聞いてどうしますか。同じような境遇で、同じように悩み苦しんでも、他人を傷つけない道を探す者もいる。傷つける道を選んだ人間に耳を貸す必要なんてどこにもないですよ。己が選んだ道の報いを、受け取らせます」
崩れ落ちた男を見つめるガウェインからは、まぎれもない殺気が漂っていた。武の達人ではないジュディでさえ、本能的にわかってしまう。その怒りを。
「閣下、ですがこれだけはリマインドの意味で言わせてください。閣下は、その方と会ったら、まずは話してみたいと言っていたはずです! 監獄塔で何徹でもいけるって! 殺してしまったら、話すも何も……」
ジュディに目を向けることなく、ガウェインは冷めきった声で答える。
「目の前の相手を脅威と認めたとき、『話してみたい』という好奇心に負けて中途半端に生かすのは危険です。犯罪者の思考など、知らなくても生きてはいける。知ろうとして自分や誰かを危険に晒すくらいなら、さっさと潰す。迅速な制圧こそが、被害を最小限にするんです」
打ちどころが悪かったのか、男はぴくりとも動かない。それがジュディの胸に嫌な寂寥感を呼び込み、軋むような痛みをもたらす。
(彼はたしかに、悪人ではある。事故に遭った私を、さらった。事故も、彼の仕業だったのかもしれない。だけどきっと、それだけの人間じゃない。閣下と話せば)
割り切れない思いから、声に非難がましさが滲む。
「過剰防衛では」
そこでようやく、ガウェインはジュディへと目を向けた。黄金色の瞳でジュディをじっと見つめ、はっきりと言う。
「俺の振る舞いが過剰かどうかは、いまこの場ではわかりません。こちらは一人であること、相手が何人で、どんな奥の手を持っているかわからないこと。それがすべてであり、状況的には手加減の余地など無い。必勝必殺。これ以上の被害を食い止めるためです。結果は、後日の検証に任せるしか無いでしょう」
理路整然として、すべてにおいて明快な答えを持つガウェインである。暴力はいけません、という余地はどこにもなかった。
本当の暴力というのは、ここまで無駄がないのだと、ジュディはこの日思い知った。
ジュディが口をつぐんだところで、ガウェインは男の元へと一歩進んだ。
「起きているな? 俺に隙は無い。仕掛けてくる気ならさっさと来い。地獄を見せてやる」
閣下、それでは完全に悪役ですよとジュディは胸の中だけで呟く。地獄を見せる、とは。
よろよろと体を起こした男は、床に尻をついた体勢でわめいた。
「こっちには、人質がいたんだぞ……! 危ないだろ!」
言われたガウェインは、「ああ」と気のない様子で返事をする。
次の瞬間には、あまりの物騒さに泣く子も黙るほどの怒気が、その身から溢れ出していた。
「よくもジュディを傷つけたな。一発じゃ足りない。正当防衛の言い訳のために、お前からかかって来い。反撃でころ」
ガチャン、とドアが外から開かれた。
身を滑り込ませてきたのはステファンで、ため息まじりにガウェインに向かって言い放つ。
「閣下、そこまでです。先生が傷つけられて暴走したのはわかりますが、一度落ち着いてください。間もなく応援が来ますので『多勢に無勢だから、やられる前にやった』が成り立たなくなります。どうぞ……その拳をおろして」
そう口にしたステファン自身が、拳を下ろしただけではまったく安心できないとわかりきっているような顔をしていた。
なにしろ、ガウェインの主要攻撃は拳ではなく足なのだ。
本当に、足癖悪いですよね、とステファンはぼやくように付け足した。
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