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第五章

騎士あるいは

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「リンゼイ家の屋敷のある三日月《クレセント》・広場《スクエア》のすぐ近く、スクエア・ビレッジに誘拐犯と想定される人物の潜伏先があります」

 王宮の廊下を走りながら、ガウェインはアルフォンスに最小限の説明をする。思い出したように、眼鏡を片手で剥ぎ取ると投げ捨てた。

「乗り込むんだな!?」

 止まれないため、アルフォンスは怒鳴るような声量でガウェインに尋ねる。
 速度を落として角を曲がり、ガウェインは短い言葉で答えた。

「当然」

 そして、続けざまに「馬で出ます。お義兄《にい》さまは」と付け足すように確認してきた。

「乗馬は得意だ!」
「わかりました。飛ばしますので、ついてきても事故を起こさぬようご注意を」

 用件のみの会話を交わし、王宮を後にする。


 * * *


 三日月《クレセント》・広場《スクエア》は、王宮の北側に位置し、馬車で移動すれば小一時間ほどかかる。百年ほど前までは王室専用の狩猟場だった土地を、ときの王太子肝入りで新たに開発された高級住宅街であった。

 プラタナスと芝生で田園風景のように作られた三日月型の公園を、化粧漆喰《スタッコ》仕立てで古典様式の宮殿風の建物がずらりと囲んでいて、典雅な雰囲気を作り出している。主に貴族の邸宅であり、この区画の中までは無関係な人間は入り込めない空気が漂っているエリアだ。

 一方で、さらに北東には中流階級向けの小規模な戸建てが不規則に配置された「スクエア・ビレッジ」と呼ばれるエリアがある。ここでは、富裕層には届かないものの比較的余裕のある市民が生活を営んでいる。

 目指すのはそこだと、目的地だけを告げ、王宮を馬で出たガウェイン。その背に続くステファンとアルフォンス。

(他に誰も!? この二人で!?)

 宰相の立場にある人物が自ら飛び出していく光景に、アルフォンスは意表を突かれていた。よほど何か言いたいのだが、口をきけば舌を噛むような速度で、言葉をかけることもできない。
 ガウェインの手綱さばきは、神業だった。
 通りを歩く人や馬車と事故を起こさぬよう気をつければ、アルフォンスはそれほどのスピードを出すことができず、いくらもしないうちに突き放されてしまう。

「見失ったぞ!?」

 横を走る、ステファンと名乗った青年にアルフォンスが叫ぶと、「大丈夫です」とおそろしく平坦な声で返答があった。

「閣下は狂戦士《バーサーカー》です。ひとりで十分なんです。同行者は足手まといとしか考えていません」

 およそ従者とも思えぬ言い様で、この青年は何者なのだと、別の意味で戦慄が走る。
 すれ違う馬車に注意を払い、速度を緩めながらステファンはさらに説明を続けた。

「閣下が緊急に飛び出したことで、近衛隊には一報が入っているはず。向かう先は目星をつけていた建物で一部には情報を共有していたので、今頃連絡は行き渡っていることでしょう。じきに、応援が来ます。ブラックモア子爵は、リンゼイ家のお屋敷でお待ち頂けますか」

「断る。ジュディの危機に、兄として手をこまねているわけには!」

「左様ですか」

 熱い決意は、飄々と流された。その手応えのなさに調子を乱されつつ、アルフォンスは「君も乗り込むのか」と重ねて問いかける。

「……仕事が残っているとは思いませんが、閣下がヘマする可能性もゼロではないので」

 答えつつ、角を曲がって直線道路を走りながら、前方にガウェインの影も形もないのを見極めたステファンは「閣下、近道使ってる」と呟く。

「どこだ?」

「わかりません。おそらく道ではありません。どなたかの敷地を突っ切って行きました。私とあなたは安全第一で行きましょう」

 そんなに暢気《のんき》でいいのか!? と喉元まで出かかった言葉を、アルフォンスは飲み込んだ。無駄口を叩く余裕はなかったし、聞いても「何か問題が?」と返されるだけに違いない。
 兎にも角にも、できうる限りの速さで後を追うのみだった。
 消えてしまった背中を思いながら、汗を拭う間もなくアルフォンスは深く思い知る。

(閣下はこの時代に、まるで騎士のような……。強くて、物騒な男だな)

 差し当たり、いまは味方なので心強い。
 敵に回していけない相手なのだと、直感が告げていた。


 * * *


 王都が都市としてめざましく発達し、人も富も集中する段階に至って、この国の富裕層は「田舎らしさ」を都市空間に再現することに価値を見出した。

 都市開発の過程で各所に配置された庭園広場《ガーデン・スクエア》に田園風景を模した景色が作られ、貴族の邸宅から眺められるようにしたのもその現れである。

 そういった貴族趣味の仕上げに添えるように作られたスクエア・ビレッジは、田園的な住環境の再現を目指して作られていて、家の周りに塀の囲いはなく、あたかも田舎の戸建てのように家が不規則に配置された作りをしていた。

 ガウェインが目指したのは、プラタナスの木に囲われた、鱗屋根の一軒家。
 馬で乗り付けたときには家の前に五人の男がいた。思い思いの場所で立ったり座ったりしながら話していたが、ガウェインの顔に目を向け、さっと緊張が走る。

 優雅な仕草で馬からひらりと降りたガウェインは、紐で木にくくることもなく馬に「待ってて。何かあったら逃げてよし」と囁いてから、男たちに向き直った。

 眼鏡を取り払い、髪を結んでいるので顔立ちがはっきり見える。
 ジャケットはとうに脱ぎ捨ててていたが、シルクのシャツにトラウザーズの上品な装いで、顔には親しげな笑みが浮かんでいた。場違いなまでに麗々しい、荒事などには向かぬ貴族の青年といった雰囲気である。

「お前……」

 男の一人が、声を発した。
 ガウェインは「Hiハイ」と親しげに挨拶をしながら、すたすたと歩いて近づく。そして、もう手が届くという近さで、やにわに足を振り上げて目の前の男の腹部を蹴り飛ばした。
 ごふ、と嫌な息を吐きだしながら男は建物の壁際までふっ飛ばされて、背中から地面に落ちる。
 男たちは色めきたち、怒号を上げながらガウェインを取り囲もうとしたが、すべてが遅かった。

 人数の差をものともしない、異常なまでの瞬発力。蹴るのも殴るのも一切躊躇しない判断力。骨が折れる感触にも、噴き出す血にも顔色を変えず、刃物を出されれば奪って相手を斬りつける容赦のなさ。
 またたく間に全員を叩き伏せた後は、振り返らぬままドアを開けて、家の中へと進んで行った。
 薄暗い中で軽く辺りを見回し、人の気配を探る動きをする。

 そのとき、二階から女性の悲鳴が上がった。
 ガウェインは即座に階段に向かって駆け上がり、廊下の突き当りの部屋を睨みつけて立ち止まらぬまま走った。
 目指すドアの前に立ち、ノブに手をかける。鍵の手応えに阻まれるも、中からは明らかにひとの揉み合う物音と、悲鳴が響いていた。

 すぐさま、ガウェインは廊下のサッシュ窓に手をかけ、開け放つ。体が通る幅はないと確認をすると、飛び上がって足で蹴破り、窓枠から屋根に飛び乗った。
 そして、目当ての部屋の上にたどり着くと、ためらうことなく屋根から飛び降りて、窓ガラスを足で蹴破りながら部屋の中へと飛び込んだ。

 ベッドの上で、もつれ合う男と女。
 二人の姿を視界におさめて、ガウェインは無表情のまま「Hi」と呼びかけた。











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