王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

文字の大きさ
上 下
63 / 104
第五章

痛みを抱く獣

しおりを挟む

「ずっとあなたのことが好きでした。どうしても手に入れたかった。ようやくこの手の中に」

 顔貌《かおかたち》だけでなく、声もよく似た相手から囁かれる、偽りの愛の告白。
 指を絡めたまま、敷布に力づくで手を押さえつけられて、ジュディは目を見開く。

「怪我人相手に、何をなさるつもりですか」

 こみ上げる吐き気をこらえて、冷ややかに問いかけた。ふふ、とごく近いところで笑う気配。耳に吐息がかかる。

「大丈夫。あなたの怪我はせいぜい打撲程度です。愛の営みに支障はありません。優しくしますから」

 もう片方の手が、掛布の上からジュディの腰の線を撫でる。
 猛烈な嫌悪感に、ジュディは体を揺すって逃げようとしたが、上から体重をかけて覆いかぶさられて、腰の上に跨《また》がられてしまい、完全に抵抗を封じられた。

「愛なんてありません! 恥を知るなら、すぐに身を引いてください!」

 頭や体の節々が痛いだなんて、もはや言ってられない。この相手は本気だ、と危機感を覚えてジュディは叫ぶように言い返した。
 ジュディを横臥から仰向けの体勢にし、両手首を両手で頭の横で押さえつけた相手は、上から笑顔で見下ろしてくる。

「優しくでは、不満ですか。もしかして、乱暴な方がお好きなのかな。それなら、とことんお付き合い致します。ここはいくら叫んでも誰も来ませんからね。邪魔が入る心配もありません」

 ただの脅しではない、とばかりに手首を押さえつける指に力を加えてくる。みしり、と骨が軋む痛み。ジュディは、声無き悲鳴を上げて顔を歪めた。

「わざと、意味を取り違えるのはやめてください! 私がこんな行為はなにひとつ、望んでいないと知っているでしょう!?」

「あはは、それは少しおもしろいですね、先生。望まないのは、いくらしても子どもができないからと、行為そのものを疎んじているからなのでは? わかりませんよ、相手が変われば孕めるかもしれません。いずれにせよ、あなたの元夫とは当然のこととしてできたことです。私のことも拒絶しないで頂けますか?」

 乾いた笑い声。続く言葉は、どれもこれも露骨に醜悪なずれ方をしている。

(まさか、このひとは、私と閣下の関係性を壊すことを目的としている……?)

 ガウェインのふりをした状態で、ジュディに手ひどいことをする。もしジュディが相手をガウェインと誤認していた場合、信頼は失われて二度と戻らないはず。
 それならば「無駄よ、あなたの正体はわかっている」と言ってしまおうかと考えたが、すぐに打ち消した。

 相手にとっては、それを指摘されても、おそらく何も問題はない。ガウェインではないと知りながらもジュディがその身を暴かれた場合、ガウェインに顔向けできなくなるのは想像に難くないはず。そして関係性は崩れてしまい、元には戻れない。
 どちらに転んでも、相手は構わないのだ。目的さえ達してしまえば。
 ジュディは、とっさに頭に浮かんだことを言い返す。

「そういうことは、正式に愛を誓い、婚姻が成立してからなさるものです」

「本気で言ってます? どうせもう何度もして、慣れたものでしょう? 今更未婚のご令嬢のような可愛いことを言って、どうしたいんですか? 初婚の気分でも味わいたいんですか?」

 うう、とジュディは唇を噛み締めた。

(ものすごく嫌味っぽい……! どういう育ちをすれば、閣下と同じ顔と声でここまで下衆なことを言えるのでしょう……!)

 言われっぱなしのジュディは、男の体の下で悶えながら言い返した。

「あなたのことを好きになるひとは、この世界のどこを探してもいないですよ。そんな意地悪ばかり言っ」

 最後まで言うことがかなわなかった。一瞬にして、空気をがらりと変えた相手が、激昂したようにジュディの首に両手をかけたのだ。
 ぐ、と十本の指が首に食い込む感触。

 その指に、それ以上の力を加えられることはなかった。

 自分の行為に驚いたように、相手はこわばった指を一本ずつ首から外し、自分の左手首を右手で押さえ込む。はぁ、はぁ、と荒い息が静まり返った部屋に響いた。

(殺されるかと思った。思いとどまった、の……?)

 わずかにでも善良な心があったのかと、ジュディはぬか喜びをした。しかし、肩で息を整えた相手は、呪いの言葉を吐き捨てる。

「危うく、殺してしまうところだった。ただ殺すだけなんて生ぬるい。徹底的に犯してボロ雑巾よりも惨めな姿にして、生きたまま東地区に転がしてやる。死ぬまで苦しみ抜いて、あの男を恨みながら息絶えろ」

 極悪方面に、メーターが振り切れていた。
 絶対に踏み抜いてはいけない、彼の中の脆い部分を踏み抜いたのだ。ジュディはしかし、それを悔いたりはしなかった。
 これほどわかりやすい弱点を晒してしまった相手に対し、言葉にならない気持ちが湧き上がっていた。

「そんなに……? あなたは、世界に拒絶されるのが、怖いの?」

「うるさい。俺はお前みたいな女が大っ嫌いなんだ。汚れを知らない、苦労を知らない、ひとの痛みを知らない。何も知らないで、いつも楽しく笑い、些細なことで不機嫌になる。それを指摘しても貴族の女たちはな、『私にだって、あなたの知らない悩みはある』って言い出すんだ。それが傲慢さそのものだと、なぜわからない。飢えて死ぬ、凍えて死ぬ、殴られ犯されて何一つ幸せを知らず死ぬ。その痛みと同列に語れる悩みを持っているなら、見せてもらいたいものだ。知らないなら俺が教えてやる」

 突き動かされたように猛烈にまくし立て、乱暴な手つきでジュディの胸元に手をかける。ずらりとくるみボタンの並んだ実に着脱の面倒くさい意匠で、デコルテラインから首までは厚手のレースで固く覆われている。
 余裕なくかっちりと身を包む張りのある布地に爪を立て、相手は呻き声をもらした。

「ガードが固すぎる。破るのも裂くのも手応えがありすぎて、面倒くさい! なんなんだよ、色気はどうした。そんな服装で王宮に出仕して、まるで仕事にしか興味ないみたいじゃないか……!!」

 いまにも泣き出すんじゃないかというほど悔しげに言われて、ジュディはほんの少しだけ相手が気の毒になってきた。

「地味すぎるとは、閣下にも言われていました。私としては、仕事をしに行っているだけなので別に良かったんですけど……。でも、ここで役に立ったなら私はやっぱり間違えていなかったと思います」

 最終的に自信をもって言い切ると、相手から凄まじい目で睨みつけられた。

「脱がせられる。面倒だけど脱がせられる。いい気になるなよ、こんなことで助かったと思い込むなんて、考えが甘すぎるんだ!」

「それはもう、はい。そうですよね。もっともです」

 その点に関しては異論の挟みようもなく、相手が正しいと納得したので、言い分を全面的に認めた。
 途端、「あああああ」と心底嫌そうに叫ばれてしまった。

「頭がおかしくなる。これだから貴族女は嫌なんだ! いや、言っていることがおかしくても、体の仕組みは人間だ。やることやって痛めつければ泣いて許しを乞うだろう。……泣くよな? お前でも」

 不思議な疑われ方をしていたが、ここまできたら腹を割って話すのが肝心と、ジュディは素直に認めた。

「泣きます。日常的に、私は結構簡単に泣きます。特に、悲しい物語を読んだときなんて身も世もなく号泣しますね。ご存知ですか、少年が愛犬とともに偉大なる画家の名画の前で『疲れたよ』って言いながら天に召される物語を……」

「マジで何言ってんだよ。その頭の中には何が詰まってんだ? ああ、くそ、これ時間稼ぎか。信じらんねぇ、のせられるところだった」

 ジュディの感覚が確かなら、すでにかなり相当のせられて無駄な時間を過ごしていた相手は、そこで気持ちを切り替えたように小さく息を吐く。ジュディの腰に乗り上げたまま、手で掛布をまさぐり、その下のスカートに手をかけてきた。

「どうせ、あの男がここもすぐに嗅ぎつけてくるかもしれないが、その前にぐちゃぐちゃに犯してやるよ。自分の好きな女が汚されたのを見て、苦しめばいい」

 あの男が誰のことかを文脈で察して、ジュディは生真面目に確認した。

「それはつまり、あの方がここに踏み込んだ時点で、私はここに残されているということですか? 東地区までは連れていかない?」

「おまえ」

「待ってください、これはかなり大事なところなので確認させてください」

「だまれ」

 怒りと苛立ちで片言になってしまった相手は、そこで話を打ち切り、ジュディのスカートの裾を思い切りまくりあげて、ほっそりとした太腿を力の強い手で鷲掴む。
 ハッとジュディが身を固くすると、口の端を釣り上げて笑った。

「なんだその反応。処女かよ。まさかな」

 信じられない正確さで事実を言い当て、もう片方の手を胸のふくらみの上に置くと、絞り上げるように強く掴んで呟いた。
 泣き叫べ、と。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

真実の愛は、誰のもの?

ふまさ
恋愛
「……悪いと思っているのなら、く、口付け、してください」  妹のコーリーばかり優先する婚約者のエディに、ミアは震える声で、思い切って願いを口に出してみた。顔を赤くし、目をぎゅっと閉じる。  だが、温かいそれがそっと触れたのは、ミアの額だった。  ミアがまぶたを開け、自分の額に触れた。しゅんと肩を落とし「……また、額」と、ぼやいた。エディはそんなミアの頭を撫でながら、柔やかに笑った。 「はじめての口付けは、もっと、ロマンチックなところでしたいんだ」 「……ロマンチック、ですか……?」 「そう。二人ともに、想い出に残るような」  それは、二人が婚約してから、六年が経とうとしていたときのことだった。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

【完結済】結婚式の夜、突然豹変した夫に白い結婚を言い渡されました

鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
 オールディス侯爵家の娘ティファナは、王太子の婚約者となるべく厳しい教育を耐え抜いてきたが、残念ながら王太子は別の令嬢との婚約が決まってしまった。  その後ティファナは、ヘイワード公爵家のラウルと婚約する。  しかし幼い頃からの顔見知りであるにも関わらず、馬が合わずになかなか親しくなれない二人。いつまでもよそよそしいラウルではあったが、それでもティファナは努力し、どうにかラウルとの距離を縮めていった。  ようやく婚約者らしくなれたと思ったものの、結婚式当日のラウルの様子がおかしい。ティファナに対して突然冷たい態度をとるそっけない彼に疑問を抱きつつも、式は滞りなく終了。しかしその夜、初夜を迎えるはずの寝室で、ラウルはティファナを冷たい目で睨みつけ、こう言った。「この結婚は白い結婚だ。私が君と寝室を共にすることはない。互いの両親が他界するまでの辛抱だと思って、この表面上の結婚生活を乗り切るつもりでいる。時が来れば、離縁しよう」  一体なぜラウルが豹変してしまったのか分からず、悩み続けるティファナ。そんなティファナを心配するそぶりを見せる義妹のサリア。やがてティファナはサリアから衝撃的な事実を知らされることになる────── ※※腹立つ登場人物だらけになっております。溺愛ハッピーエンドを迎えますが、それまでがドロドロ愛憎劇風です。心に優しい物語では決してありませんので、苦手な方はご遠慮ください。 ※※不貞行為の描写があります※※ ※この作品はカクヨム、小説家になろうにも投稿しています。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

処理中です...