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第五章
痛みを抱く獣
しおりを挟む「ずっとあなたのことが好きでした。どうしても手に入れたかった。ようやくこの手の中に」
顔貌《かおかたち》だけでなく、声もよく似た相手から囁かれる、偽りの愛の告白。
指を絡めたまま、敷布に力づくで手を押さえつけられて、ジュディは目を見開く。
「怪我人相手に、何をなさるつもりですか」
こみ上げる吐き気をこらえて、冷ややかに問いかけた。ふふ、とごく近いところで笑う気配。耳に吐息がかかる。
「大丈夫。あなたの怪我はせいぜい打撲程度です。愛の営みに支障はありません。優しくしますから」
もう片方の手が、掛布の上からジュディの腰の線を撫でる。
猛烈な嫌悪感に、ジュディは体を揺すって逃げようとしたが、上から体重をかけて覆いかぶさられて、腰の上に跨《また》がられてしまい、完全に抵抗を封じられた。
「愛なんてありません! 恥を知るなら、すぐに身を引いてください!」
頭や体の節々が痛いだなんて、もはや言ってられない。この相手は本気だ、と危機感を覚えてジュディは叫ぶように言い返した。
ジュディを横臥から仰向けの体勢にし、両手首を両手で頭の横で押さえつけた相手は、上から笑顔で見下ろしてくる。
「優しくでは、不満ですか。もしかして、乱暴な方がお好きなのかな。それなら、とことんお付き合い致します。ここはいくら叫んでも誰も来ませんからね。邪魔が入る心配もありません」
ただの脅しではない、とばかりに手首を押さえつける指に力を加えてくる。みしり、と骨が軋む痛み。ジュディは、声無き悲鳴を上げて顔を歪めた。
「わざと、意味を取り違えるのはやめてください! 私がこんな行為はなにひとつ、望んでいないと知っているでしょう!?」
「あはは、それは少しおもしろいですね、先生。望まないのは、いくらしても子どもができないからと、行為そのものを疎んじているからなのでは? わかりませんよ、相手が変われば孕めるかもしれません。いずれにせよ、あなたの元夫とは当然のこととしてできたことです。私のことも拒絶しないで頂けますか?」
乾いた笑い声。続く言葉は、どれもこれも露骨に醜悪なずれ方をしている。
(まさか、このひとは、私と閣下の関係性を壊すことを目的としている……?)
ガウェインのふりをした状態で、ジュディに手ひどいことをする。もしジュディが相手をガウェインと誤認していた場合、信頼は失われて二度と戻らないはず。
それならば「無駄よ、あなたの正体はわかっている」と言ってしまおうかと考えたが、すぐに打ち消した。
相手にとっては、それを指摘されても、おそらく何も問題はない。ガウェインではないと知りながらもジュディがその身を暴かれた場合、ガウェインに顔向けできなくなるのは想像に難くないはず。そして関係性は崩れてしまい、元には戻れない。
どちらに転んでも、相手は構わないのだ。目的さえ達してしまえば。
ジュディは、とっさに頭に浮かんだことを言い返す。
「そういうことは、正式に愛を誓い、婚姻が成立してからなさるものです」
「本気で言ってます? どうせもう何度もして、慣れたものでしょう? 今更未婚のご令嬢のような可愛いことを言って、どうしたいんですか? 初婚の気分でも味わいたいんですか?」
うう、とジュディは唇を噛み締めた。
(ものすごく嫌味っぽい……! どういう育ちをすれば、閣下と同じ顔と声でここまで下衆なことを言えるのでしょう……!)
言われっぱなしのジュディは、男の体の下で悶えながら言い返した。
「あなたのことを好きになるひとは、この世界のどこを探してもいないですよ。そんな意地悪ばかり言っ」
最後まで言うことがかなわなかった。一瞬にして、空気をがらりと変えた相手が、激昂したようにジュディの首に両手をかけたのだ。
ぐ、と十本の指が首に食い込む感触。
その指に、それ以上の力を加えられることはなかった。
自分の行為に驚いたように、相手はこわばった指を一本ずつ首から外し、自分の左手首を右手で押さえ込む。はぁ、はぁ、と荒い息が静まり返った部屋に響いた。
(殺されるかと思った。思いとどまった、の……?)
わずかにでも善良な心があったのかと、ジュディはぬか喜びをした。しかし、肩で息を整えた相手は、呪いの言葉を吐き捨てる。
「危うく、殺してしまうところだった。ただ殺すだけなんて生ぬるい。徹底的に犯してボロ雑巾よりも惨めな姿にして、生きたまま東地区に転がしてやる。死ぬまで苦しみ抜いて、あの男を恨みながら息絶えろ」
極悪方面に、メーターが振り切れていた。
絶対に踏み抜いてはいけない、彼の中の脆い部分を踏み抜いたのだ。ジュディはしかし、それを悔いたりはしなかった。
これほどわかりやすい弱点を晒してしまった相手に対し、言葉にならない気持ちが湧き上がっていた。
「そんなに……? あなたは、世界に拒絶されるのが、怖いの?」
「うるさい。俺はお前みたいな女が大っ嫌いなんだ。汚れを知らない、苦労を知らない、ひとの痛みを知らない。何も知らないで、いつも楽しく笑い、些細なことで不機嫌になる。それを指摘しても貴族の女たちはな、『私にだって、あなたの知らない悩みはある』って言い出すんだ。それが傲慢さそのものだと、なぜわからない。飢えて死ぬ、凍えて死ぬ、殴られ犯されて何一つ幸せを知らず死ぬ。その痛みと同列に語れる悩みを持っているなら、見せてもらいたいものだ。知らないなら俺が教えてやる」
突き動かされたように猛烈にまくし立て、乱暴な手つきでジュディの胸元に手をかける。ずらりとくるみボタンの並んだ実に着脱の面倒くさい意匠で、デコルテラインから首までは厚手のレースで固く覆われている。
余裕なくかっちりと身を包む張りのある布地に爪を立て、相手は呻き声をもらした。
「ガードが固すぎる。破るのも裂くのも手応えがありすぎて、面倒くさい! なんなんだよ、色気はどうした。そんな服装で王宮に出仕して、まるで仕事にしか興味ないみたいじゃないか……!!」
いまにも泣き出すんじゃないかというほど悔しげに言われて、ジュディはほんの少しだけ相手が気の毒になってきた。
「地味すぎるとは、閣下にも言われていました。私としては、仕事をしに行っているだけなので別に良かったんですけど……。でも、ここで役に立ったなら私はやっぱり間違えていなかったと思います」
最終的に自信をもって言い切ると、相手から凄まじい目で睨みつけられた。
「脱がせられる。面倒だけど脱がせられる。いい気になるなよ、こんなことで助かったと思い込むなんて、考えが甘すぎるんだ!」
「それはもう、はい。そうですよね。もっともです」
その点に関しては異論の挟みようもなく、相手が正しいと納得したので、言い分を全面的に認めた。
途端、「あああああ」と心底嫌そうに叫ばれてしまった。
「頭がおかしくなる。これだから貴族女は嫌なんだ! いや、言っていることがおかしくても、体の仕組みは人間だ。やることやって痛めつければ泣いて許しを乞うだろう。……泣くよな? お前でも」
不思議な疑われ方をしていたが、ここまできたら腹を割って話すのが肝心と、ジュディは素直に認めた。
「泣きます。日常的に、私は結構簡単に泣きます。特に、悲しい物語を読んだときなんて身も世もなく号泣しますね。ご存知ですか、少年が愛犬とともに偉大なる画家の名画の前で『疲れたよ』って言いながら天に召される物語を……」
「マジで何言ってんだよ。その頭の中には何が詰まってんだ? ああ、くそ、これ時間稼ぎか。信じらんねぇ、のせられるところだった」
ジュディの感覚が確かなら、すでにかなり相当のせられて無駄な時間を過ごしていた相手は、そこで気持ちを切り替えたように小さく息を吐く。ジュディの腰に乗り上げたまま、手で掛布をまさぐり、その下のスカートに手をかけてきた。
「どうせ、あの男がここもすぐに嗅ぎつけてくるかもしれないが、その前にぐちゃぐちゃに犯してやるよ。自分の好きな女が汚されたのを見て、苦しめばいい」
あの男が誰のことかを文脈で察して、ジュディは生真面目に確認した。
「それはつまり、あの方がここに踏み込んだ時点で、私はここに残されているということですか? 東地区までは連れていかない?」
「おまえ」
「待ってください、これはかなり大事なところなので確認させてください」
「だまれ」
怒りと苛立ちで片言になってしまった相手は、そこで話を打ち切り、ジュディのスカートの裾を思い切りまくりあげて、ほっそりとした太腿を力の強い手で鷲掴む。
ハッとジュディが身を固くすると、口の端を釣り上げて笑った。
「なんだその反応。処女かよ。まさかな」
信じられない正確さで事実を言い当て、もう片方の手を胸のふくらみの上に置くと、絞り上げるように強く掴んで呟いた。
泣き叫べ、と。
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