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第五章

手を伸ばせばそこに

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 実際のところ、とガウェインは何気ない口ぶりでフィリップスに尋ねた。

「似ているんですか? 私とジェラルドは」

 ステファンと笑み交わし、軽口を叩いていたフィリップスは、青い瞳を煌めかせて身を乗り出してきた。

「誘導尋問か。まさか、お前ほどの手練れがまだ尻尾も掴めていないのか? やるなぁ、ジェラルド」

 フィリップスの返答もまた、誘導めいている。まるで知り合いのような口ぶりだが、「知っている」とは口にしていない。互いに手の内を明かさぬまま話す二人。

(殿下は、パレスでアリンガム子爵に近づき、罠を仕掛けていた。暗躍する情報提供者はジェラルドという青年で……、目的は暴利を貪る貴族の駆逐なの? そのジェラルドのお父様は、世間的には亡くなったとされているフローリー公、王弟殿下だとすると)

 おそらく、死亡とされた経緯に大きな問題がある。
 生きていると名乗り出ることをしないまま、王侯貴族の目の届かない東地区に長らく潜伏し、生活の基盤を築いているのだとすれば。そして、生まれた息子に王権への敵意を植え付けて、次期王であるフィリップスと接点を持った……。

(閣下のお父様である前ジュール侯爵とは従兄弟の間柄で、フローリー公の奥様だった方は前侯爵さまと再婚なさっていて……。東地区とは無縁に、貴族の間で成長を遂げた閣下へ、フローリー公はどのような目を向けていらっしゃるのか)

 余計なことを口にして話の腰を折らぬよう、唇を引き結んで黙り込んだままジュディは会話に耳を傾ける。
 肩が触れそうなほど近くに座ったガウェインは、穏やかな口ぶりでフィリップスに語りかけた。

「東地区に関わりのある者として、少なくともアリンガム子爵はジェラルドと面識が無い。私の顔を見て、彼を連想した様子がありませんでした。ただ、あの日ジェラルドは私のすぐそばにいた。パレスには来ていたと踏んでいるんです。私の顔を見て、妙な反応をしたひとたちがいました」

「なんの話だ?」

 鷹揚な口ぶりで聞き返すフィリップスを前に、ガウェインは背筋を伸ばした。さりげない仕草で、ジュディの膝に置かれた手に手を重ねる。その乾いた感触にジュディは何事かと横を見上げてしまったが、ガウェインは前を向いたまま、淡々と話しだした。

「ジュディがアリンガム子爵にさわられたとき、追おうとしたら『今までどこに行っていたんだ?』と捕まって足止めを受けたんです。そのときは、ゲストらしくない服装のせいだと思い、なんとか言い繕ってその場を離れましたが、後から思えば他の誰かと勘違いされていた様子でした。私に似た、何者かと。声をかけてきたのは、あの日ティーガーデンで演奏をしていた楽団です。おそらく、ジェラルドはそこに紛れていた」

 そのときのヒースコートとの一件を思い出したジュディは、心が黒くくもっていくのを感じて、ガウェインの肩にほんの少しだけ肩をぶつける。応えるように、重ねられた手にぎゅっと力が込められた。
 背もたれに背を預けたフィリップスは、「なるほどなぁ」と言いながら天井を仰ぎ見る。

「ジェラルドは、楽団にまぎれて遜色なく演奏できる弦の名手ということか」

 言い終えてから、フィリップスは不意に手のひらで顔を覆った。ガウェインがくすりと笑う。

「弦なんですね、ジェラルドは。教えてくださって、ありがとうございました」

「ああ、いまのは迂闊だった。ジェラルドは音楽に長けていて……、ヴァイオリンが殊の外上手い。思い出したせいで余計なことを言ったな、俺は」

 苦笑いをして、フィリップスは足を組んだ。
 その表情は言葉ほどに悔しそうではなく、ジュディは「あら?」と目を瞬く。

(閣下に打ち明けるタイミングを、探っていたようにも……)

 ガウェインは、この場ではそれ以上の追求をする気がないようで「よくわかりました」と話を切り上げた。

「やはり、フローリー公らしき人物と話す必要がありそうです。もし東地区から内乱を企てているのなら、放ってはおけません」

「ジェラルドはどうする?」

 素早く尋ねられ、ガウェインは黄金色の目を細めると、口の端を吊り上げた。

「俺に会いに来る。近い内に、必ず」

 簡潔にして、自信に満ちた一言だった。
 ジュディは一瞬、意思の強そうなその横顔に見惚れた。フィリップスもステファンも、気圧されたように無言になり、ガウェインに視線を奪われている。
 やがて、フィリップスが呆れたように息を吐き出した。

「そういうところは、似ていると思う。人生とか運命に対して、負けない自信があるように見えるんだ、二人とも。自分は強者であり、最後には勝つと確信している。母親に、こんな汚れた人間は自分の子ではないと言われた俺とは違う」

 自嘲めいた一言には、隠しきれない、隠すのも面倒になったとばかりの生々しい血が染み出していた。
 目に見えていたら、手を当てて血止めができるのに。その傷には、どうしても触れられない。

「殿下は、汚れてなんかいませんよ。とても綺麗です」

「勘弁してくれ。そういう安っぽい慰めは大っ嫌いだ。なんの意味もない」

 思わず声をかけたジュディに対し、フィリップスは嫌そうに顔を向けて吐き捨てるように返事をする。

「意味はないとしても、意味がないだろうからと言わないままで終わらせることはしません。言葉にしなければ、伝わりませんから。私は殿下のお母様ではなく他人で、殿下に求められていないのも知っています。それでも、殿下をとらえて苦しめる呪いの言葉があるなら、何度だって上から書き潰します。いま私の目の前にいるあなたは、美しい方です。いつだって、光をまとっていて」

 考えのすべてが合うわけではなく、豚だと散々言われ、忌々しく思っている面もある。
 同時に、何度も助けられる中で、その正義感と優しさも知った。

(いまこの方を見放してはいけない。捨てられたのだと、少しでも感じさせてはいけない。振り払われても邪険にされても、手を離さないようにしなければ)

 ジュディは完璧に程遠い未熟者だが、フィリップスも道半ばで成長途上だ。ここで諦めて「もうこの方は、この先も変わらない」と言ってしまえば、悪しき未来を引き寄せてしまう。

「……先生は俺を美化しすぎだ。俺は完璧なのかと思い込みそうになる。実際、そうかもな。俺は俺でなかなか良い男だ。だろ?」

 フィリップスは、不意に態度を軟化させた。否定に否定を重ねてもジュディが引かないと気づいて、茶化しにきたのが見え見えの言い様であった。
 ん、と息を呑んでから、ジュディはすぐに前のめりになり、これまで胸の中でくすぶっていたことをここぞとばかりに言う。

「もしかしたら殿下は名君と呼ばれる王になるかもしれません。弱い者にとてもお優しいですから。でも、私いまだに引っかかっていることがあるんです。殿下は、パレスで『中途半端に怪我を負わせるなら殺してしまえ』みたいなこと言ってましたけど、そういう言動には十分気をつけるべきです。まるで、怪我をして体の自由を失った人間はもう、生きる価値がないと言っているようではありませんか」

 怒涛の説教に、フィリップスは途中から目を瞑っていた。聴き流しているのが明白な態度であったが、言う機会をうかがっていたジュディさらに続けようと息を吸い込む。それを聞きつけたフィリップスが「もういい」と遮った。

「先生の言いたいことはよくわかった。気をつけるようにする。世の中には、言ってもいないことまで揚げ足を取るためだけに指摘し、俺がそういう『差別的な考えの持ち主』だと周囲に巧みに印象付け、陥れようとする人間がいる。つまり、そういう話をしたいんだな?」

 片目だけ開けてちらっと視線を投げかけられて、立ち上がらんばかりに身を乗り出していたジュディは、「はい」と返事をしてすとんと座り直した。

(全然真面目に聞いていないようでいて、こういう回転の速さはさすがというか)

 隙を見せない言動を心掛けよと言ったジュディの忠告を、的確に把握して自分の言葉で表現できるセンス。
 それだけのことができるなら、もっと活かせるはずなのに、と思ってしまう。今のフィリップスは、どこかで自分の力を抑圧しているように見える。

 ジュディとフィリップスのやりとりを、なぜかほほえましそうに見ていたガウェインは、そこでようやく、次は自分の番とばかりに口を挟んだ。

「殿下がジュディに懐いているのはとても好ましい光景ですが、節度は大切になさってください。殿下に渡す気はありませんという意味です。ジュディ、この後の時間を少し俺にください。夜会について、一度きちんと打ち合わせをしましょう」








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