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第三章

真夜中の二人

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 ひと悶着があった。

 ガウェインが「今日はこれ以上できることはないから、引き上げてきました」と告げたことで、「夜も遅いからこの辺で解散して各自休みましょう」とステファンが提案をし、全員が賛成した。
 そこまでは良かったが「まだ銃を持って窓から逃げた犯人が見つかったわけではないので」と、ステファンはフィリップスの側《そば》についていると主張。そして、ジュディにはガウェインがついているべきだと言い出したのである。「解散ではなくて?」とジュディは聞き返した。

「さっき閣下が言ってましたよね。『今日はまだそんなに疲れていません』って。一晩中でも寝ずの番をしてくれるから大丈夫ですよ。先生は閣下にすべておまかせして、安心してお休みください」

 しれっと提案をされたが、その文章通りならば、ジュディとガウェインは同室で一夜を共にする流れになっている。さすがにそれはいけない。ガウェイン(未婚)にとっても、この後のっぴきならないことになりかねないのではないだろうか。主に世間の目が。断固として、断らねば。

「閣下は明日もお忙しいでしょうから、私に構わず寝るべきです」

「なるほど。では、同じ部屋で一緒に寝れば良いでしょう。閣下は何か不審な気配や物音があれば、すぐにでも起きますから大丈夫ですよ。寝てても番ができます」

 できる子です、と言わんばかりにステファンから力強く推されたが、そういう問題ではないのだ。

「たしかに、私は元・アリンガム子爵夫人でパレスに滞在していることも相手方に知られていて、しかも夫婦同伴でお越しになっている他のゲストと違い、ひとりで部屋で過ごしているとすれば無防備この上ないですが。でも、だからといって」

 そこまで言って、男性三人とも静まり返っていることに気づく。

(悪条件が揃いすぎている……!! ひとりでいたら絶対危ない上に、何かあったときに対処する能力、私には全然ないわ……!!)

 認めざるを得なかった。ここで意地を張っても、無駄な議論が長引くだけで全員に余計な疲労を味わわせるだけということに。そして、もしガウェインを首尾よく断ったとして、自分の体面は守られるかもしれないが、命を落とす危険性はあるのだ。
 パレスでこれ以上事件を起こすのも公爵に対して申し訳なく、自分が事件の被害者になるのも御免であった。
 ジュディは覚悟を決めて、提案を受け入れることにした。

「わかりました。お願いしようと思います。ですが、これだけは言わせてください。私が最初にお断りしたのは、閣下と過ごすのが嫌だからではありません。その上で、私と閣下はあくまで仕事上の関係で、節度ある仲であり、今回はやむを得ない事情であることもよくお含みおきください。場合によっては、証言をお願い致します。そうでなくては、離婚出戻りの私はともかく、未婚の閣下に悪い噂が立ってしまいます」

 この上なく真剣に、偽らざる心情を告げたのである。だが、相変わらず全員静まり返ったままであるのが、大変居心地が悪い。ちらっとベッドのフィリップスに目を向けると、ほほえみ返された。

「悪女気取りか?」

 イラッとしたのと、「殿下はこうでなくては」という気持ちが半々で、複雑な安心感を得た。処女《まっさら》扱いより、よほど適切な気もした。

「構わないんじゃないですかね、噂が立っても。未婚ですけど、閣下はもう良い年齢ですよ。周りもかえって安心するかもしれません」

 ステファンはといえば、全面的にガウェインの体面を切り捨てていた。それは気の毒では、とジュディは言い返してしまう。

「もっと実のあるお付き合いをすればいいのに、と言われるだけですわ。跡継ぎを産めないで離縁された女なんて、閣下のお立場からすれば、遊び以外にありえませんもの」

 ド正論を言ったのに、また辺りが静まり返ってしまった。とてもいたたまれない空気になっている。ジュディとしても、それはどういう態度なのかと、頭を抱えたい心境である。
 場をとりなしたのは、当事者であるガウェイン。いつも通りのおっとりとした穏やかな調子で言った。

「こういった状況ですから、ひとりにならない方が良いです。私は部屋のお邪魔にならないところにいますので、気にしないで休んでください」

 そこで、この問題はひとまずの結論を得た形となった。


 * * *


 部屋に戻ると、騒動で休めていない屋敷のメイドが、公爵の指示でバスルームに湯を用意してくれていた。ジュディは精一杯の労《ねぎら》いとともに「ここはもう大丈夫です」と告げてひとまずメイドを帰す。

(心遣いはとてもありがたいのだけれど……)

 疲れ切った一日の終わり、汗を流したかったし、せっかくの湯を無駄にしたくなくて、ジュディはどうしたものかとバスルームの扉を見つめた。
 その気持ちはガウェインもわかってくれているようで、「私のことは気にしないでください。私はバスルームの安全だけ確認をしたら、部屋の方で待っていますから」と断りを入れて、ドアの向こうのバスルームを一通り見てから戻ってきた。

 ジュディは、ドア一枚隔てたところに男性がいる状態で、湯浴みをした経験などない。何気ない態度をとりつつも、緊張しながら尋ねた。

「閣下はどうなさいますか」
「私はティーガーデンの後にパレスに戻ったときに、着替えと湯浴みを済ませています。どうぞごゆっくりと」

 そう言って、ガウェインはソファに腰を落ち着けていた。ジュディはなおももじもじとしながら、結論を先延ばしするように、ぐずぐずと言う。

「もしお疲れでしたら、遠慮せずに休んでいてくださいね。あっ、さっきメイドにはもう今晩は良いとお伝えしてしまったんですけど、お茶でもお願いした方が良かったでしょうか」

 長い脚を組んで、背もたれに背を預けていたガウェインは、くす、と笑った。その笑顔を目にした瞬間、彼がこのときもまだ、眼鏡をしていないことに気付く。
 普段の少しとぼけた雰囲気はなりをひそめ、どの角度から見ても見目麗しい青年である。細められた瞳には、甘く柔らかな光が宿っていた。

「いいえ。呼び戻すには及びませんよ。必要であれば、この部屋の備えで自分でできます。今日は皆さんもうお疲れでしょうから、休ませた方が良いと私も思います」
 
 自分ではなく、屋敷の使用人に向けられた優しさであるとわかってはいても、間近で目にしてしまえば胸が苦しくなるような笑顔だった。

(私が恋に恋する独身の頃に出会っていたら、子爵との結婚は承諾しなかったかも)

 その結婚相手であり、元夫であるヒースコートは、悪運の強さと言うべきか銃弾を逃れて無事であったとのこと。撃たれたのは彼の手下の方であり、フィリップスがあのとき語ったのは、ハッタリではなく事実だったのである。

 助かったと聞いても、いろいろありすぎて感情が飽和しているせいか、心があまり動かない。良かったとも悪かったとも言いにくい。ヒースコートが助かっても、撃たれて亡くなったひとがいるのだ。

 そもそもが、良い思い出がないどころか、今日はっきり嫌な思い出に塗り替えられたばかりの相手でもある。その事情をガウェインが把握しているおかげで「気になりますか、会いますか」などと煩わしいことを言われないのは、不幸中の幸いであった。会いたくはない。

「それでは、失礼して湯浴みを済ませてきます。色々とありがとうございます」

 ジュディは深々とお辞儀をした。
 ソファにゆったりと腰掛けたまま、ガウェインは「顔を上げて」と低い声で言った。

「以前、休日にお茶をとお誘い申し上げていたんですが、こんなことになってしまって申し訳ない。後で私がお茶をいれましょうか。お疲れでしょうから、何か落ち着くような」

 顔を上げて見れば、本当にガウェインは申し訳無さそうな顔をしていて、肩の力の抜けたジュディは、ふふ、と笑ってしまった。

「閣下もお疲れででしょうに、お気遣いありがとうございます。私はまず、バスタブで寝ないようにしますね」

「それは大変だ。冗談ではなく、溺れてしまいますからね。あまりに遅いようでしたら、お声がけしますよ」

 心配げに眉をひそめて言われて、ジュディは「はい」と答えてバスルームに向かった。
 そのときは、ほんの冗談のつもりだったのだ。
 だが、前日から蓄積していた疲れは思った以上に深刻だったらしい。

 猫脚で陶器のバスタブは、泡と心地よい湯に満たされていて、身を沈ませてみたらじわりと体から疲労が溶け出して心地よさに、ジュディは思わず目を閉ざした。

 そこで、意識を失ってしまったらしい。

 夢現に、ガウェインが自分の名を叫んでいるのを聞いた気もする。
 瞼が重くて、どうしても目を開けることができなかった。
 朝まで。

 



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