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第二章
溢れる思い
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「宰相閣下、どうして今日はここへ? その服装は、変装ですか」
ヒースコートが去った後、ジュディは隣に佇むガウェインを見上げて、気になっていたことを尋ねた。
ガウェインから、ちら、と視線を向けられる。もの言いたげな金色の瞳に見つめられ、あまりにもぶしつけな質問をしてしまったと気づき、がばっと頭を下げた。
「助けて頂き、どうもありがとうございました。すみません、まずは御礼を言わせてください」
いえ、とガウェインが低い声できっぱりと言った。
「顔を上げてください。あなたを危険に晒したのは、私の落ち度です。謝るのは私の方です。助けに入るのも遅かった。申し訳ありません。怪我はないですか? 手首を見せてください」
ガウェインに手を差し出され、ジュディはぱっと自分の手を背に回した。
「大丈夫です。何もありません」
「何もないなら、見せられますね」
「本当に大丈夫ですから、気にしないでください!」
「気にさせてください。なんの償いにもなりませんが」
そう言ったガウェインの表情があまりにも暗くて、ジュディはぎょっとして「大げさですってば!」と言い切る。
視線が、痛い。
まったく納得していない様子のガウェインに、じっと顔をのぞきこまれて、いたたまれない思いが募ってくる。
「償いだなんて。あれは、私が迂闊だっただけです。陳腐ですけど、あんなひとだと思っていなくて。痛い目を見たといえばそうですが、良い勉強になったかと」
ヒースコートに掴まれた手首を無意識にさすりながら、ジュディは早口に言う。さりげなく袖口に指を入れて手首を確認してみると、うっすら赤く痕がついていた。強い力を加えられたのが視覚的に確認できてしまい、後味の悪さに胸まで痛む。
ひそやかに、ガウェインが吐息をした気配があった。
見られたことに気付き、ジュディはぱっと袖をいじるのをやめて「閣下が気になさることではありません」と重ねて言った。
「私がもっとうまく立ち回れば良かっただけです。最初、あの方は私に気づいていないふりをしていたので、私も公爵邸のメイドに徹しようとしたんですが、失敗しました。結局物陰に連れ込まれてしまいまして」
「その瞬間は見えていたんです。ただ、私が間の悪いことに他の方に声をかけられて、すぐに追うことができませんでした。様子がおかしいとわかっていたのに、あなたがたは以前夫婦だったのだから、心配しすぎも良くないかと。特にあなたは、これまであの男を悪く言うこともありませんでしたので」
ひたすら後悔しきりの様子のガウェインに、「以前も暴力を振るわれていましたか?」と真顔で聞かれて、ジュディは慌てて否定した。
「悪口を言うほど、近づくこともなかったんです。あの方は結婚期間中、すでにユーニスさんと懇意にしていまして、私には関心がなく。それでも『仲が悪くて離縁したのではなく、跡継ぎを産めなかったことにより仕方なくという体裁を取り繕いたい』と言われていて、私もあの方の提案に乗ってしまっていたんです」
ガウェインはジュディから目をそらさぬまま、ゆっくりと瞬きをして、首を傾げた。
「どうしてあなたは、そんな提案を受け入れたんですか。あなたにはなんのメリットもないように思います」
それを言われると、ジュディとしても胃が痛い。自分でもよくわかっていることだから。後ろめたいような、誰かに打ち明けてしまいたいような気持ちから、つい言うつもりのないことまで口走ってしまう。
「初夜の……、結婚式の後に顔を合わせたときに言われたんです。そのときは私もびっくりして、怒るとか騒ぐという反応ができませんでした。後から、なんだかあの方にとって都合の良いことばかり言われたようには思ったんですが、それならそれで私も使って良いと言われたお金は使い切って、楽しく過ごそうと。妻として、ユーニスさんとあの方の寵愛を競うつもりもありませんでしたし」
実は白い結婚で、子どもを作る真似事すらしていない、という事情までは言わなかった。それは口外しない約束であったので。
黙って聞いていたガウェインは「そうですか」と、重い口ぶりで呟いた。
「私はあなたのことを、まったくわかっていなかったようです。アリンガム子爵との関係は良好であって、もしかしたらまだ、少しばかり心を残しているかもしれないとすら考えていました」
ひえっと息を呑んで、ジュディは素早く否定をした。
「ありえません。冗談でも言ってはいけません」
「申し訳ありません。二度と言わないと誓います」
ぐずぐず言い訳をすることなくガウェインは謝罪をし、金色の瞳でジュディを見つめた。そのまま話を続けた。
「この際だから、あなたにははっきりと言います。アリンガム子爵には、良からぬ噂があります。金回りがおかしいと言いますか。子爵の亡くなったお兄様は先見の明のある投資家として、名前が通っていました。しかし弟の方はそれほど目立った才はなく……ゆるやかに財産を食い潰しているようでしたが、ここにきて不自然な金の動きがあるようです。おそらく、まともな稼ぎではない」
淡々と告げられ、ジュディも思い当たることがあっただけに、頷いてみせた。
「私もそれは気になっていました。結婚してからわかりましたが、あの方にはそういう器や才覚がなさそうな……、すみませんこれは悪口ですね。それでもいまはユーニスさんを迎えていて、羽振りも悪くないとあらば、どこからお金が出ていることか」
そこまで言ったところで、ガウェインの目つきが恐ろしく厳しいことに気付き、口をつぐむ。
(差し出がましいことを言い過ぎたでしょうか)
聞かれてもいないのにペラペラとしゃべり過ぎたかとガウェインを窺うと、ガウェインがその話を継ぐように続けた。
「離婚したあなたが、アリンガムの裏の仕事に関わっているとは私は考えていなかったのですが、念には念を入れて確認すべきと。離婚したからこそ、自由に動けるという考え方もありますし、そういう観点から見るとあなたはいかにも活動的でしたから。それで、あなたと子爵がここで接触するのを期待してもいました。そのせいで、あなたには辛い思いをさせたことは大変申し訳なく」
打ち明け話らしきものをされて、ジュディはなるほど、とようやく腑に落ちる。
(私がアリンガムに関わっているかもと言ったのはステファンさん? それで、敢えて私が子爵と会話するように仕向けたと。宰相閣下も、その案に同意して私を見張っていたわけね)
それが、思った以上の不仲であるばかりか、暴力沙汰になりかけて痛恨の極みということらしい。
「何もなかったので、気になさらないでください。これで疑いが晴れたのなら、私にとっても良かったです。子爵家とは、いまはもう何もありません」
「それは、ヒースコート個人とも、という意味で間違いありませんね」
「当然です。未練だ心残りだなんて言わないでください。私は何も気にしていないんですから」
ガウェインとしては、自分がジュディを王子の側仕えに抜擢した責任があるから、言質をとらずにはいられないに違いない。ジュディはそう理解し、ガウェインのいささか執念深い確認にも、嫌な顔をすることもなく、律儀に返事をした。
そこでようやく、ガウェインがふっと安堵したように息を吐き出す。どことなく情けなさそうな顔をして、何度目かの謝罪を口にした。
「しつこかったですね、ごめんなさい。私はあなたのことになると、冷静ではないようです」
「殿下の教育係に任命した責任がありますから、それは当然だと思います」
ジュディは即座に同意をして、気にしていませんという意味で笑いかけてみせた。
なぜか、ガウェインは黙り込んでジュディから視線を逸し、遠くの梢を見た。
(何が見えるの?)
また曲者でも見つけたのかと、ジュディもそちらに目を向ける。そのとき、横顔に強い視線を感じて、不思議に思いガウェインを振り仰いだ。
ジュディをじっと見つめていたガウェインは、この上なく真剣な口調で言った。
「俺はあなたより美しいひとを知りません。あの男の汚れた言葉が、あなたの耳に触れたことは許しがたい。すべて忘れて欲しい。この手で忘れさせたい」
大丈夫ですよと笑い飛ばせる空気でもなく、ジュディは返答に迷う。焦りながら、曖昧な笑みを浮かべて、かろうじて「どんな方法がありますか?」と混ぜっ返してみた。
ガウェインは手を持ち上げ、ジュディの耳の辺りまで伸ばし、思いとどまったように止めた。
ゆっくりと握りしめ、触れることはなく言葉で続ける。
「百回でも千回でも一晩中でも、あなたに美しいと言いたいです。俺の言葉で、あなたのすべてを埋め尽くしてしまえたらいいのですが」
ヒースコートが去った後、ジュディは隣に佇むガウェインを見上げて、気になっていたことを尋ねた。
ガウェインから、ちら、と視線を向けられる。もの言いたげな金色の瞳に見つめられ、あまりにもぶしつけな質問をしてしまったと気づき、がばっと頭を下げた。
「助けて頂き、どうもありがとうございました。すみません、まずは御礼を言わせてください」
いえ、とガウェインが低い声できっぱりと言った。
「顔を上げてください。あなたを危険に晒したのは、私の落ち度です。謝るのは私の方です。助けに入るのも遅かった。申し訳ありません。怪我はないですか? 手首を見せてください」
ガウェインに手を差し出され、ジュディはぱっと自分の手を背に回した。
「大丈夫です。何もありません」
「何もないなら、見せられますね」
「本当に大丈夫ですから、気にしないでください!」
「気にさせてください。なんの償いにもなりませんが」
そう言ったガウェインの表情があまりにも暗くて、ジュディはぎょっとして「大げさですってば!」と言い切る。
視線が、痛い。
まったく納得していない様子のガウェインに、じっと顔をのぞきこまれて、いたたまれない思いが募ってくる。
「償いだなんて。あれは、私が迂闊だっただけです。陳腐ですけど、あんなひとだと思っていなくて。痛い目を見たといえばそうですが、良い勉強になったかと」
ヒースコートに掴まれた手首を無意識にさすりながら、ジュディは早口に言う。さりげなく袖口に指を入れて手首を確認してみると、うっすら赤く痕がついていた。強い力を加えられたのが視覚的に確認できてしまい、後味の悪さに胸まで痛む。
ひそやかに、ガウェインが吐息をした気配があった。
見られたことに気付き、ジュディはぱっと袖をいじるのをやめて「閣下が気になさることではありません」と重ねて言った。
「私がもっとうまく立ち回れば良かっただけです。最初、あの方は私に気づいていないふりをしていたので、私も公爵邸のメイドに徹しようとしたんですが、失敗しました。結局物陰に連れ込まれてしまいまして」
「その瞬間は見えていたんです。ただ、私が間の悪いことに他の方に声をかけられて、すぐに追うことができませんでした。様子がおかしいとわかっていたのに、あなたがたは以前夫婦だったのだから、心配しすぎも良くないかと。特にあなたは、これまであの男を悪く言うこともありませんでしたので」
ひたすら後悔しきりの様子のガウェインに、「以前も暴力を振るわれていましたか?」と真顔で聞かれて、ジュディは慌てて否定した。
「悪口を言うほど、近づくこともなかったんです。あの方は結婚期間中、すでにユーニスさんと懇意にしていまして、私には関心がなく。それでも『仲が悪くて離縁したのではなく、跡継ぎを産めなかったことにより仕方なくという体裁を取り繕いたい』と言われていて、私もあの方の提案に乗ってしまっていたんです」
ガウェインはジュディから目をそらさぬまま、ゆっくりと瞬きをして、首を傾げた。
「どうしてあなたは、そんな提案を受け入れたんですか。あなたにはなんのメリットもないように思います」
それを言われると、ジュディとしても胃が痛い。自分でもよくわかっていることだから。後ろめたいような、誰かに打ち明けてしまいたいような気持ちから、つい言うつもりのないことまで口走ってしまう。
「初夜の……、結婚式の後に顔を合わせたときに言われたんです。そのときは私もびっくりして、怒るとか騒ぐという反応ができませんでした。後から、なんだかあの方にとって都合の良いことばかり言われたようには思ったんですが、それならそれで私も使って良いと言われたお金は使い切って、楽しく過ごそうと。妻として、ユーニスさんとあの方の寵愛を競うつもりもありませんでしたし」
実は白い結婚で、子どもを作る真似事すらしていない、という事情までは言わなかった。それは口外しない約束であったので。
黙って聞いていたガウェインは「そうですか」と、重い口ぶりで呟いた。
「私はあなたのことを、まったくわかっていなかったようです。アリンガム子爵との関係は良好であって、もしかしたらまだ、少しばかり心を残しているかもしれないとすら考えていました」
ひえっと息を呑んで、ジュディは素早く否定をした。
「ありえません。冗談でも言ってはいけません」
「申し訳ありません。二度と言わないと誓います」
ぐずぐず言い訳をすることなくガウェインは謝罪をし、金色の瞳でジュディを見つめた。そのまま話を続けた。
「この際だから、あなたにははっきりと言います。アリンガム子爵には、良からぬ噂があります。金回りがおかしいと言いますか。子爵の亡くなったお兄様は先見の明のある投資家として、名前が通っていました。しかし弟の方はそれほど目立った才はなく……ゆるやかに財産を食い潰しているようでしたが、ここにきて不自然な金の動きがあるようです。おそらく、まともな稼ぎではない」
淡々と告げられ、ジュディも思い当たることがあっただけに、頷いてみせた。
「私もそれは気になっていました。結婚してからわかりましたが、あの方にはそういう器や才覚がなさそうな……、すみませんこれは悪口ですね。それでもいまはユーニスさんを迎えていて、羽振りも悪くないとあらば、どこからお金が出ていることか」
そこまで言ったところで、ガウェインの目つきが恐ろしく厳しいことに気付き、口をつぐむ。
(差し出がましいことを言い過ぎたでしょうか)
聞かれてもいないのにペラペラとしゃべり過ぎたかとガウェインを窺うと、ガウェインがその話を継ぐように続けた。
「離婚したあなたが、アリンガムの裏の仕事に関わっているとは私は考えていなかったのですが、念には念を入れて確認すべきと。離婚したからこそ、自由に動けるという考え方もありますし、そういう観点から見るとあなたはいかにも活動的でしたから。それで、あなたと子爵がここで接触するのを期待してもいました。そのせいで、あなたには辛い思いをさせたことは大変申し訳なく」
打ち明け話らしきものをされて、ジュディはなるほど、とようやく腑に落ちる。
(私がアリンガムに関わっているかもと言ったのはステファンさん? それで、敢えて私が子爵と会話するように仕向けたと。宰相閣下も、その案に同意して私を見張っていたわけね)
それが、思った以上の不仲であるばかりか、暴力沙汰になりかけて痛恨の極みということらしい。
「何もなかったので、気になさらないでください。これで疑いが晴れたのなら、私にとっても良かったです。子爵家とは、いまはもう何もありません」
「それは、ヒースコート個人とも、という意味で間違いありませんね」
「当然です。未練だ心残りだなんて言わないでください。私は何も気にしていないんですから」
ガウェインとしては、自分がジュディを王子の側仕えに抜擢した責任があるから、言質をとらずにはいられないに違いない。ジュディはそう理解し、ガウェインのいささか執念深い確認にも、嫌な顔をすることもなく、律儀に返事をした。
そこでようやく、ガウェインがふっと安堵したように息を吐き出す。どことなく情けなさそうな顔をして、何度目かの謝罪を口にした。
「しつこかったですね、ごめんなさい。私はあなたのことになると、冷静ではないようです」
「殿下の教育係に任命した責任がありますから、それは当然だと思います」
ジュディは即座に同意をして、気にしていませんという意味で笑いかけてみせた。
なぜか、ガウェインは黙り込んでジュディから視線を逸し、遠くの梢を見た。
(何が見えるの?)
また曲者でも見つけたのかと、ジュディもそちらに目を向ける。そのとき、横顔に強い視線を感じて、不思議に思いガウェインを振り仰いだ。
ジュディをじっと見つめていたガウェインは、この上なく真剣な口調で言った。
「俺はあなたより美しいひとを知りません。あの男の汚れた言葉が、あなたの耳に触れたことは許しがたい。すべて忘れて欲しい。この手で忘れさせたい」
大丈夫ですよと笑い飛ばせる空気でもなく、ジュディは返答に迷う。焦りながら、曖昧な笑みを浮かべて、かろうじて「どんな方法がありますか?」と混ぜっ返してみた。
ガウェインは手を持ち上げ、ジュディの耳の辺りまで伸ばし、思いとどまったように止めた。
ゆっくりと握りしめ、触れることはなく言葉で続ける。
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