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第二章

冷めたお茶の効用

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 開始時間に近づき、ゲストが徐々に集まり始めた。

「ハリソン・リース子爵ご夫妻がお着きになりました!」

 ティーハウスぎりぎりまで木立の間の道を進んできた馬車が止まり、降りてきたゲストには駆け寄った従僕たちが対応をする。そのまま先導して案内をしながら、ティーハウスで立ち働くスタッフにもわかるように、ゲストの名を高らかに告げていた。
 先に着いたゲストたちは、正式な茶会向けの服装に身を包み、きらきらとした日差しの下でそれぞれ何人かで集まり歓談をしていて、新たに場に姿を見せたゲストへとちらりと視線を向けて微笑みかけていた。

 楽団の演奏は始まっていなかったが、目立たぬ木陰でひとり、ヴァイオリン一本でやわらかな音色を奏でている楽団員がいる。
 伸びやかに澄んで、青空へと向かう音。
 ゲストが到着するたびにドキッとするジュディであったが、あまり気にしても仕方ない、と優しいカノンの調べに耳を澄ませて深呼吸をする。
 そして、準備をしているメイドたちの間に紛れ込んだ。
 まだ何か運ぶものがあるかとキッチンに顔を出せば、この土壇場で何やら揉めている。

「来たひとからお茶を配るって聞いていたのに、皆さん『まだいい。他のゲストが来てから』ってお断りになるんですけど……!」

 慌てたメイドが、年配のコックらしい女性に訴えかけている。それに対し、コックはレードルを振りかざし、呆れたように顔を歪めて言い放った。

「そんなの無理に決まってるだろ。どうやって一杯ずつこの人数分淹れるっていうんだい。運ぶ頃には最初の一杯は冷めてるよ!」

「冷めたお茶を出すわけにはいきません!」

 横で聞いていた別のメイドが口をはさみ、コックにぎろりと睨みつけられて固まる。
 その会話を耳にしたジュディは、差し出がましいと思いながらも、意を決してその場に割って入った。

「冷めても大丈夫、だと思います。お茶は熱々のお湯で淹れるのが鉄則ですが、手元で冷めても飲めますよね? それに、合わせる食べ物によっては、常温程度に冷ました方がお料理も引き立つんです。そういう趣向だと皆様にご説明しながらお出しすれば、問題ないと思います」

 しん、と辺りが静まり返ってしまった。明らかに、何を言っているのか、という目で見られている。冷めたお茶、という言葉はそれだけありえないのだ。
 その圧を肌でひしひしと感じつつ、ジュディは敢えて明るい表情で説明を続けた。

「今日は、このまま気温が高くなると思いますが、ティーガーデンイベントとして酒類の提供はありませんでしょう? 皆様、内心では熱いお茶よりも水やお酒のように常温で召し上がれる飲み物の方が嬉しいのではありませんか? お料理と一緒なら、なおさらそうお考えになるでしょう。ですから、作り置きをしてしまえば良いんです。お茶を」

 ひぃっ、と声にならない悲鳴がそこかしこで上がった。
 公爵家の威信にかけて、冷めたお茶をゲストに提供するなどありえない、という拒絶の空気である。

(そうよね、そんなことやれと言われて、できることではないわ。使用人たちが手を抜いたとみなされたら、公爵様の面目を潰してしまうことになる。主の信用をそれで失うことにもなるし……)

 説得が難しい、とジュデイが考えを巡らせていたところで、ふっと風が吹いた。
 横に現れた背の高い人物が、穏やかな声で話し始める。

「良いお考えだと思いますよ。いまのジュディの発案で、公爵閣下にも話を通しましょう。ご理解頂けると思います。暑い中で熱いお茶を飲めというよりは、よほどもてなしとして理にかなっている。むしろ、さすがの発想だとゲストの間で公爵閣下の評判が高まるのは間違いない。いずれ王都でも流行るかもしれません。さしずめ、アイス・ティーという名で」

 耳に馴染む声で流れるように言ったのは、ステファン。
 華やかな顔立ちに、借り物のお仕着せを身に着けていてさえ王都から来た青年らしく垢抜けた雰囲気があり、メイドたちが目を奪われている。
 明らかに、空気が変わった。

(同じことを言っているのに、ステファンさんだと説得力が全然違う……!)

 悔しいとまでは言わないが、達者だなと思う。ジュディがくじけかけた難しい交渉を、こうもあっさり引き継いで、周りを納得させてしまうとは。

「そりゃまぁ、たしかにね。淹れるときに手を抜かなければ、冷めたお茶だって十分美味しいよ。だけどねぇ」

 コックの女性はなおも食い下がったが、先程よりも語勢が弱い。そこに、ステファンが笑顔でたたみかけた。

「逆に、冷めたお茶でも美味しいとなれば、それこそ公爵閣下の功績となります。お客様には飲みやすいお茶をお待たせせずに提供できて、キッチンでは作り置きもできるから作業はスムーズ、そして公爵閣下のためになるとあらば、悪い部分がない。大丈夫ですよ、ゲストに提供するときに私も一言添えますから。『これが流行の最先端です』と。公爵閣下が新規事業に意欲的なことは皆様御存知ですから、変わった趣向でも皆さん納得されることでしょう」

 そこで流れが変わり、コックやメイドたちの間で「丁寧に淹れて、冷ましたお茶を鍋いっぱいに作っておこう」という話になる。
 その様子を見ながら、ステファンがジュディを見下ろして笑いかけてきた。こっそりと、ひそめた声で話しかけてくる。

「面白いことを考えますね。冷めたお茶を出すだなんて、斬新というか、大胆というか。しかも公爵閣下主催のイベントで」

 持ち上げるようなことを言われて、ジュディは苦笑を浮かべた。

「そんな『初耳です』みたいなことを言わないでください。アイス・ティーなんてぴったりの呼び方があるということは、すでにある飲み方なのではありませんか。ただの思いつきを言った私とは違って、説得力がありました……」

 とっさの機転のように振る舞った自分が恥ずかしい。ジュディは本心からそう言ったが、ステファンはけろっとした調子で「いいえ」と答える。

「それこそ適当ですよ。どう考えてもジュディさんの案が良いと思いましたので、合わせてその場で言っただけです。アイス・ティーなんて聞いたこともありません。さて、では公爵閣下の元へ参りましょう」

 言い終えて笑い出し、キッチンを後にするように背を向ける。
 この場は抜けても問題ないとすばやく辺りを見回してから、ジュディはステファンの後を追い、廊下からホールへと向かった。
 その間「適当だなんて、あんなに自信満々に」とジュディが言えば「あなたこそ、よくも伝統に真っ向から逆らうようなことを」と混ぜっ返される。二人で言い合うように歩いているところで、外から従僕がゲストの到着を告げる声が響いた。

「ヒースコート・アリンガム子爵ご夫妻がお着きです!」

 浮ついた気分に冷水を浴びせかけられたように、ジュディは声もなく顔を歪めた。

(来た。来るわよね。ああ、顔を合わせないですみますように!)

 儚い望みをかけて、心の中で強く願った。




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