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第二章
パレスの主
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国費を惜しみなく投入にして築かれたマクテブルク・パレスは、道のりからしてすでに、パレスの名にふさわしい権勢を見せつけていた。
田舎道を馬車で走り、小川にかかった重厚な石の橋を渡ったところでステファンが「ここはもうパレスの敷地です」と発言したが、そこから正門までも、正門からパレスまでも、徒歩では日が暮れそうなほどの距離感があった。
敷地内には他にも川が流れ、気持ちよさそうな並木道やこんもりと茂った森すらあって、誰かが住み着いても気づかれないのでは、という広大さであった。
その道を抜けて開けた空間に出ると、青空の下、目の前にはまさに王宮と呼ぶにふさわしい壮麗な外観の城が建っていた。
「近づくと全容が見えにくいので……」
パレスが視界いっぱいに見えるように、ステファンは一度馬車を止める指示を出し、ドアが正面を向くようにして開いて見せてくれた。ジュディは、遠慮なく身を乗り出して道の先の光景を見た。
パレスの正面は少し奥まった作りで、古代神殿の柱列を模したような石造りの柱が、屋根を押し上げるようにして威風堂々と立ち並んでいる。
左右両翼は視界にいちどきに収まらぬほど広がっていて、前庭を抱え込むようにせり出してきていた。数カ所、ポイントごとに高い塔が空へと伸びていて、登ってみたらどれほど見晴らしが良いのだろう、ジュディは大いに興味をそそられた。
「正面ぎりぎりまで馬車を寄せます。迎えが出ていますので、ぜひご挨拶を」
ステファンの言う通り、馬車はファサードまで近づいてからもう一度止まった。
最初に降りたのはステファンで、フィリップスが勢いよく飛び降り、ジュディも続く。そのとき、すっと横から手を出してきた紳士がいて、あら? とジュディは目を見開いた。
「ようこそ! こんなに綺麗な御婦人が最後に出ていらっしゃるとは。あなたのような方を我が城に迎えることができて私はとても嬉しい!」
舞台上のコメディアンのような陽気な口ぶりであるが、その見た目はまさしく紳士の中の紳士。
よく整えられた茶色の髪に、榛《はしばみ》色の瞳。顔立ちは渋く整っていて落ち着きが感じられるものの、肌艶がいかにも若々しく、ひとめ見ただけでは年齢不詳だ。ガウェインよりは年上、といったところだろうか。服装は黒のフロックコートに、白色系の生地にうっすらと銀色がかった模様が透けるダブルブレストのウエストコート。とても品物が良いのがわかる。
紳士の手をとりながら、ジュディは素早くそれだけ見て取って、微笑みつつも緊張に頬をこわばらせた。
(……気の所為ではないわよね。「我が城」と言ったわ、この方)
まさか領主の膝下で、そんなことを口にする従僕がいるとは思えない。そもそも、服装にしても話しぶりにしても、ただの出迎えなどではないのを、ひしひしと感じる。
導き出される答えは、ひとつ。
「ラングフォード公爵閣下。ご丁寧にお出迎え、ありがとうございます」
それまで発言を控えていたステファンが、実に如才ない笑顔でそのひとの名を呼んだ。
フィリップスが青い目を細めて、剣呑な調子でステファンを睨みつける。その気持が、ジュディはわかってしまった。
(公爵閣下自ら出迎えですって……? 相手が殿下だから?)
王族が来るとあらば、そのくらいのことをするということだろうか? とジュディは辺りを見回した。他に数人、家令や侍女らしきものの姿もある。彼らに任せることなく当主自ら手を差し出したのは、フィリップス一行だからだ、とジュディは戸惑いつつも納得しようとした。
その理解を打ち砕くかのように、ステファンが爽やかに解説をしてくれた。
「公爵閣下は、お客様からパレス見学のご予約を頂くと、率先してお出迎えと館内案内をなさっているとのことです。相手が王侯貴族であれ、庶民であれ分け隔てなく」
「閣下がですか?」
ジュディは、いささかどころか相当ぶしつけな質問を、誰からも発言の許可を得る前に目の前の紳士にぶつけてしまった。言ってしまってからハッと息を呑んだが、取り消せるものではない。
ステファンの紹介が冗談ではなければ、パレスの主でラングフォード公爵本人であるその紳士は、愛想よく笑いながら「その通りです!」と言った。
「今日のお客様は、見学ではなく仕事の手伝いと聞いておりましたが。いや、非常にありがたい。猫の手も借りたいほどの忙しさでして」
「マクテブルク・パレスがですか!?」
耳を疑う発言に、ジュディは重ねて質問をしてしまった。
こういった振る舞いは慎むべきものであるし、いまはフィリップスの前でもある。教育者のメンツにかけて品行方正かくあるべしと手本を心がけねばならなかったのに、真っ先に食いついてしまうとは。
(だって、閣下が「猫の手も借りたい」なんて言葉を口にするだなんて思わないでしょう!)
名誉に生き、名誉に死ぬと揶揄されるこの国の貴族の中にあっても「別格」の公爵で、国内最高峰の「パレス」の主が、まるで使用人が残らずいなくなった後の貧乏貴族のように振る舞うだなんて。
「よほど困窮しているのか?」
ずばりと問い質《ただ》したのは、フィリップスである。
まったく、ひとさまに注意できる自分ではないと知りつつも、教育係の使命を思い出したジュディはすかさず言った。
「失礼ですよ、殿下。そういったことはあけすけと聞くものではありません」
「お前もよほど失礼だな、思っても本人の前で『聞いてはならぬことを口にした』ととらえられかねないことを言うべきではない」
ひと呼吸も置かず。最速で揚げ足を取ってジュディを黙らせてから、フィリップスはにやりと笑った。
「働きに来たのに、雇い主が給料未払いで夜逃げでもしたら大変だ。支払い能力の有無くらい、最初に確認するだろう。おや、ジュディ先生はしていないのか? 給料はきちんと出ているか?」
最後のひとことにはなぜか同情しているような響きがあり、ジュディは「もちろん、宿泊込のお仕事とあらば特別手当も要求するつもりですわ!」と勢いだけで言い返した。結果的に「そっか、つもりか。ということは、ガウェインと事前に話し合いは持っていないのか。迂闊だな」と言い捨てられた。
二人のやりとりがフィリップス優勢で終わったタイミングで、ステファンが取りなすように口をはさむ。
「まずは、中へ通して頂きましょう。仕事内容の説明と、今後の生活についてお話ししたいと存じます」
その言葉が聞こえていないはずがないだろうに、フィリップスはラングフォード公爵の正面に立ち、まっすぐにその目を見て問いかけた。
「なぜこんなことをしている?」
押さえつけるような強い物言いをする若造に対し、公爵は余裕綽々の笑みで答える。
「『なぜ他の者にやらせない?』という意味なら、これが一番宣伝効果があり、当館を訪れたお客さまが喜ぶアトラクションだと、気付いたからです。つまり、私を見世物にすると、誰もがぜひ来たいと言うのですよ」
「なんだって? 公爵たるものが、それで良いのか?」
その問いに対し、公爵はきっぱりと答えた。
「良いも悪いも、これが私の考えるこれからの貴族の生き方です」
田舎道を馬車で走り、小川にかかった重厚な石の橋を渡ったところでステファンが「ここはもうパレスの敷地です」と発言したが、そこから正門までも、正門からパレスまでも、徒歩では日が暮れそうなほどの距離感があった。
敷地内には他にも川が流れ、気持ちよさそうな並木道やこんもりと茂った森すらあって、誰かが住み着いても気づかれないのでは、という広大さであった。
その道を抜けて開けた空間に出ると、青空の下、目の前にはまさに王宮と呼ぶにふさわしい壮麗な外観の城が建っていた。
「近づくと全容が見えにくいので……」
パレスが視界いっぱいに見えるように、ステファンは一度馬車を止める指示を出し、ドアが正面を向くようにして開いて見せてくれた。ジュディは、遠慮なく身を乗り出して道の先の光景を見た。
パレスの正面は少し奥まった作りで、古代神殿の柱列を模したような石造りの柱が、屋根を押し上げるようにして威風堂々と立ち並んでいる。
左右両翼は視界にいちどきに収まらぬほど広がっていて、前庭を抱え込むようにせり出してきていた。数カ所、ポイントごとに高い塔が空へと伸びていて、登ってみたらどれほど見晴らしが良いのだろう、ジュディは大いに興味をそそられた。
「正面ぎりぎりまで馬車を寄せます。迎えが出ていますので、ぜひご挨拶を」
ステファンの言う通り、馬車はファサードまで近づいてからもう一度止まった。
最初に降りたのはステファンで、フィリップスが勢いよく飛び降り、ジュディも続く。そのとき、すっと横から手を出してきた紳士がいて、あら? とジュディは目を見開いた。
「ようこそ! こんなに綺麗な御婦人が最後に出ていらっしゃるとは。あなたのような方を我が城に迎えることができて私はとても嬉しい!」
舞台上のコメディアンのような陽気な口ぶりであるが、その見た目はまさしく紳士の中の紳士。
よく整えられた茶色の髪に、榛《はしばみ》色の瞳。顔立ちは渋く整っていて落ち着きが感じられるものの、肌艶がいかにも若々しく、ひとめ見ただけでは年齢不詳だ。ガウェインよりは年上、といったところだろうか。服装は黒のフロックコートに、白色系の生地にうっすらと銀色がかった模様が透けるダブルブレストのウエストコート。とても品物が良いのがわかる。
紳士の手をとりながら、ジュディは素早くそれだけ見て取って、微笑みつつも緊張に頬をこわばらせた。
(……気の所為ではないわよね。「我が城」と言ったわ、この方)
まさか領主の膝下で、そんなことを口にする従僕がいるとは思えない。そもそも、服装にしても話しぶりにしても、ただの出迎えなどではないのを、ひしひしと感じる。
導き出される答えは、ひとつ。
「ラングフォード公爵閣下。ご丁寧にお出迎え、ありがとうございます」
それまで発言を控えていたステファンが、実に如才ない笑顔でそのひとの名を呼んだ。
フィリップスが青い目を細めて、剣呑な調子でステファンを睨みつける。その気持が、ジュディはわかってしまった。
(公爵閣下自ら出迎えですって……? 相手が殿下だから?)
王族が来るとあらば、そのくらいのことをするということだろうか? とジュディは辺りを見回した。他に数人、家令や侍女らしきものの姿もある。彼らに任せることなく当主自ら手を差し出したのは、フィリップス一行だからだ、とジュディは戸惑いつつも納得しようとした。
その理解を打ち砕くかのように、ステファンが爽やかに解説をしてくれた。
「公爵閣下は、お客様からパレス見学のご予約を頂くと、率先してお出迎えと館内案内をなさっているとのことです。相手が王侯貴族であれ、庶民であれ分け隔てなく」
「閣下がですか?」
ジュディは、いささかどころか相当ぶしつけな質問を、誰からも発言の許可を得る前に目の前の紳士にぶつけてしまった。言ってしまってからハッと息を呑んだが、取り消せるものではない。
ステファンの紹介が冗談ではなければ、パレスの主でラングフォード公爵本人であるその紳士は、愛想よく笑いながら「その通りです!」と言った。
「今日のお客様は、見学ではなく仕事の手伝いと聞いておりましたが。いや、非常にありがたい。猫の手も借りたいほどの忙しさでして」
「マクテブルク・パレスがですか!?」
耳を疑う発言に、ジュディは重ねて質問をしてしまった。
こういった振る舞いは慎むべきものであるし、いまはフィリップスの前でもある。教育者のメンツにかけて品行方正かくあるべしと手本を心がけねばならなかったのに、真っ先に食いついてしまうとは。
(だって、閣下が「猫の手も借りたい」なんて言葉を口にするだなんて思わないでしょう!)
名誉に生き、名誉に死ぬと揶揄されるこの国の貴族の中にあっても「別格」の公爵で、国内最高峰の「パレス」の主が、まるで使用人が残らずいなくなった後の貧乏貴族のように振る舞うだなんて。
「よほど困窮しているのか?」
ずばりと問い質《ただ》したのは、フィリップスである。
まったく、ひとさまに注意できる自分ではないと知りつつも、教育係の使命を思い出したジュディはすかさず言った。
「失礼ですよ、殿下。そういったことはあけすけと聞くものではありません」
「お前もよほど失礼だな、思っても本人の前で『聞いてはならぬことを口にした』ととらえられかねないことを言うべきではない」
ひと呼吸も置かず。最速で揚げ足を取ってジュディを黙らせてから、フィリップスはにやりと笑った。
「働きに来たのに、雇い主が給料未払いで夜逃げでもしたら大変だ。支払い能力の有無くらい、最初に確認するだろう。おや、ジュディ先生はしていないのか? 給料はきちんと出ているか?」
最後のひとことにはなぜか同情しているような響きがあり、ジュディは「もちろん、宿泊込のお仕事とあらば特別手当も要求するつもりですわ!」と勢いだけで言い返した。結果的に「そっか、つもりか。ということは、ガウェインと事前に話し合いは持っていないのか。迂闊だな」と言い捨てられた。
二人のやりとりがフィリップス優勢で終わったタイミングで、ステファンが取りなすように口をはさむ。
「まずは、中へ通して頂きましょう。仕事内容の説明と、今後の生活についてお話ししたいと存じます」
その言葉が聞こえていないはずがないだろうに、フィリップスはラングフォード公爵の正面に立ち、まっすぐにその目を見て問いかけた。
「なぜこんなことをしている?」
押さえつけるような強い物言いをする若造に対し、公爵は余裕綽々の笑みで答える。
「『なぜ他の者にやらせない?』という意味なら、これが一番宣伝効果があり、当館を訪れたお客さまが喜ぶアトラクションだと、気付いたからです。つまり、私を見世物にすると、誰もがぜひ来たいと言うのですよ」
「なんだって? 公爵たるものが、それで良いのか?」
その問いに対し、公爵はきっぱりと答えた。
「良いも悪いも、これが私の考えるこれからの貴族の生き方です」
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