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第二章

一路目的地へ

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 目的の駅は、出発地である王都からするとさすがに鄙《ひな》びていて、駅舎を出れば数百年前から続いているであろう光景をよく保っていた。

 高名な詩人の故郷であり、彼をしてこの国で一番美しい地と言わしめた古都エイヴォン。

 突き抜けた青空の下、緑の木々が日差し浴びて濃密な草いきれを漂わせ、ライムストーンの家々が立ち並ぶ。
 馬車が土埃を巻き上げながら、軽やかに行き過ぎていった。

 日差しの明るさにジュディが目を細めていると、「こちらです」とステファンに呼ばれた。
 迎えの馬車が差し向けられていたらしい。
 いまのところ、不平不満を口にすることもなく落ち着いているフィリップスが、さっと先に乗り込む。ジュディは、手を貸そうとしてくれたステファンに「大丈夫です」と断りを入れ、スカートを持ち上げて乗り込んだ。
 そのときに、馬車の作りをちらっと確認をする。
 普段遣い用と思われるサイズ感であったが、みすぼらしいものではない。貴族の屋敷で使うものとして、妥当だ。

(ステファンさんの説明では、観光地化した公爵家のお城に向かうということだけど……エイヴォンで公爵家と言えば、どう考えてもラングフォード公のマクテブルク・パレス)

 王宮以外で唯一「王宮《パレス》」の名をもつ格式高く豪勢な城として、ジュディももちろんその名前を知っている。
 二百年ほど前、隣国との戦争で指揮官として軍を率いて勝利に導いたラングフォード公爵は、ときの王に功績を認められ、国費で好みの城を建てることを許されたという。
 依頼をされた建築家は、ここが時代を象徴する歴史的建造物となるよう、内装も外装も一切妥協することなく、国費を使い切る勢いで細部にまでこだわり抜いて作り上げたのだとか。
 多少なりとも歴史や地理に触れていて、土地と貴族の名を知っている者なら、誰もが耳にしたことがあるエピソードだ。

 しかし、その時代から今に至るまで、国内貴族の中でも桁違いの権勢を誇っているはずのラングフォード公爵家が、資金繰りの悪化から「パレス」の観光地利用を始めたという件は、ジュディはこのとき始めて知った。

(鉄道の発達で国内旅行需要が今後増えるのは間違いないし、屋敷の解放を実験的に始めた貴族の話は私も聞いていたけれど、まさかマクテブルク・パレスが乗り出すなんて。そこまでは予想していなかったわ。動きが早すぎる)

 家庭教師として、ガウェインに「足」を見込まれ、フィリップスには「物知り」とほめられたジュディであるが、こういった実用的な情報収集は、結婚したときから離婚までの間に必死に続けてきていたのだ。

 なにしろ、「子どもを産めなかった」として結婚を解消されるのが決定的だったので、その後まともな再婚先があるはずがない。

 貴族の娘で家柄もさほど悪くないことを思えば、仕事に生きること、たとえば宮廷女官の道も考えられたが、勤めるからには特技や知識は必須だ。もっとも、その道をジュディは初めから考えないようにしていた。
 なぜなら、要人に近いポジションというのは誰にとっても垂涎の的。現在、王妃の周囲が貴族院議員を夫に持つ貴族の奥様方によって占められているというのが、さもありなん。つまり女官たる者、こぼれた情報を狙うことが期待されているのだ。
 その意味では、独身で宮廷勤めなどすれば、間違いなく数多の望まぬハニートラップが降りかかる、とジュディは危機感を抱いていた。情報を得るためだけに愛想よく近づいてくる男性たちがいるであろう、と。誠に不本意である。

 ならば後は、貴族の家で家庭教師か、いっそ実業家にでもなるしかない――

 そのつもりで、国内の政治経済、産業についても知れる限りの情報を集めていた。これがいま、実際に教育係として役に立っているわけである。
 人づてに頼んで学者の話を聞いたりと、精力的に動いたこともある。それだけにガウェインは「足が」などと言っていたが、もしかしたらどこかでこういったジュディの動きが耳に入っていたのではないか、と最近のジュディは考えている。「街で見かけてから気になった」というより、よほどその方が現実的だ。

(閣下はなかなか本音を話さない方だと思うから、いまは考えても仕方ないわね)

 目裏にガウェインの面影を描きそうになり、ジュディはゆるく首を振って打ち消す。

「行き先はマクテブルク・パレスです。殿下も名前はご存知ですね?」

 フィリップスと並んで座ったステファンが、間をつなぐように話し始めた。
 窓枠にひじをつき、そっぽを向いたまま、フィリップスは億劫そうに答える。

「何年か前に、行ったこともある。売りに出されているとは初めて知ったが」
「売ってはおりませんよ。公爵ご一家はいまもお屋敷で生活をされています。その一部を、観光客相手に解放しているというだけの話です」

 軽く言っているが、フィリップスにはぴんとこなかったらしい。

「そんなことに、耐えられるのか? 庶民が家の中を歩き回り、生活しているところを見られるなど」

 警備や機密保持の観点から、王宮では考えられない金策である。
 フィリップスはそこで、ふと皮肉っぽい笑みを浮かべて、向かいに座ったジュディへと視線を流してきた。悪いことを思いついたような顔だった。

「先生はどう思う?」
「理にかなっていると思います」

 ジュディは即座に答えて、その理由を続けて述べた。

「すでに同様の金策に踏み切った貴族の話を耳にしたことがありますが、ことに観光客として庶民の来館を想定しているのであれば、興味の対象は豪勢過ぎる屋敷内の装飾や美術品ではなく、御一家の日常生活にあると考えられるとのことです」

「つまり?」

 試すような言い方に、ジュディは居住まいを正してここぞとばかりに並べ立てる。

「説明されなければ、それがどれほど値の張る高級品かわからない壺よりも、当主夫人がどこのメーカーの石鹸を使っているのか。歴史的に貴重な絵画とそれにまつわる御託より、セレブの日常品は庶民と同じなのか違うのか――。つまり、観光客は建築家の名前を覚えて帰ろうとしているのではなく、御一家の生活を覗き見したいのだ、とのことです。よって、お屋敷を公開するのであれば、そこには当然ひとが住んでいるべきなのです。その方がより人々の興味をひけるのですよ」

 贅を凝らされた素晴らしい建築物と芸術作品の数々。貴族の感覚からすると、それこそが見学の目的となりそうなものだが、それだけでは来館者の好奇心を満たすことはできないのだという。

「なるほど。金に困った貴族は、自らを見世物とする、か。それはたしかに興味深い。ラングフォード公がいったいどんな顔をしてそんな屈辱に耐えているのか、俄然楽しみになってきた」

 くく、と意地悪そうにフィリップスが笑う。
 その横で、ステファンが一瞬、目を細めて唇の端に笑みを浮かべたのを、ジュディは目撃してしまった。

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