王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

文字の大きさ
上 下
14 / 104
第二章

指令書が導く

しおりを挟む
 ――次の休日に、二人で一緒にお茶でもしませんか?


 * * *


「今日は、王宮へ出仕する日だね?」

 朝食の席で父・リンゼイ伯爵から尋ねられて、ジュディは優雅に微笑んだ。まるですべては完璧で、何一つ問題など無いという自信を小指の先にまで漂わせながら。

「家庭教師としてのお勤めも、これで五回目です。殿下には他にもたくさんの教師がついておりますので、毎日ではないのですが、私の授業もそれはもう熱心に取り組んでくださいますの。素晴らしいエクセレント。やりがいがありますわ」

 ティーカップを握る手に力が入る。
 もし万が一その授業内容まで踏み込んで聞かれたら、フィリップスの逃げ足と追いかけるジュディ自身の脚力に触れなければならない。それは避けたい。

(毎回、男装をして走る準備をして王宮に向かい、逃げられれば追う。逃げられなければ激しく意見を戦わせて豚という単語が飛び交っているだなんて)

 実際には豚以外のことも言われているのだが、触れるつもりはないので黙っている。
 もしあのならず者王子に高貴なる者の美徳を何かひとつ見出すとすれば、それは女性であるジュディを、離婚や加齢の件で意地悪くからかわないことだろう。初日こそ「弱い女性」として扱おうとしていたが、今はまったくそんなこともない。
 彼からすると、「何を言っても倍は言い返してくる、暇つぶしには格好の教材」として面白がられている節すらある。ジュディにとってそれはいささか迷惑な興味なのだが、相手にされず話を聞いてもらえないよりは遥かにマシだ。

 おかげで、毎回授業が終わる頃には喉が嗄れている。
 帰る前にお茶は用意してもらえるのだが、ここのところ二回続けて相手はステファン。ガウェインと顔を合わせることはなかった。
 さて、今日こそお目にかかれるのかしら、といったところである。

「なるほどなるほど。離婚からこの方、暇そうにしていたが、お前向きの仕事だったなら良かったじゃないか。宰相閣下の慧眼に恐れ入る、といったところだな」

 折しも、ガウェインの姿を心に思い描いていただけに、父から見透かされたようタイミングでその名を出されてジュディの心臓が跳ねた。
 なるべく、平静を装って微笑む。

「はい。宰相閣下には感謝申し上げております。素晴らしく配慮の行き届いた方で、不慣れな私のことも何かと気にかけてくださいますから」

 これは心の底からの、本音である。

(いまはまだ、あの方が何を考えているかは全然わからないけれど……。私が王宮で問題なく仕事ができるよう、手を回してくださっているのは感じます)

 たとえば王宮勤務の女官たちからして、「特別な仕事」をしているジュディは決して面白くない存在のはずだが、いまのところ鉢合わせをした際に嫌味を言われたことはない。すれ違うことくらいはあるが、会話になりそうなときは、侍従として同道しているステファンが対応してくれる。
 その意味では、快適かつ順調。
 感謝の気持ちは日々ジュディの中で大きく育ちつつある。
 もっとも、その物腰柔らかで優雅な見た目からは考えられない一面がガウェインにはあることを、すでに知ってしまった。彼は荒事慣れをしており、世情にも通じた裏のある人間だ。それがどの程度のものかは測りかねているが、ジュディが彼に気を許すことはない。

 一瞬難しい顔をしたジュディをよそに、ふんふん、と聞いていたリンゼイ伯爵は、何気ない調子で聞いてきた。

「私の目から見ても、彼はできた男だ。再婚相手としては申し分ない」

 何を言い出すのか。
 テーブルをバシンと叩きそうになった手を、なんとか気合いで押さえつけた。

「お父様。それはありえません。閣下は未婚ですが、それは引く手数多でお相手を選びきれないだけではないでしょうか。役立たずとして嫁ぎ先から離縁された私のような女を迎え入れる理由は、ひとつもありません」

 言い終えて、お茶を飲み干し、この話はここまでとするべく席を立つ。

(閣下からお茶に誘われているだなんて、絶対にお父様に知られるわけにはいかないわ。あれはあくまで「作戦会議」のお誘いであって、それ以外の理由なんかあるはずがないんですもの)

 個人的に、女性として誘われたなどと、考えてはいけない。
 仮に、ジュディが未婚であれば父に行っても良いかの確認はしただろう。結婚前のジュディは、一般的な貴族令嬢としての振る舞いをわきまえているつもりだった。父の預かり知らぬところで男性と接近するなど、とんでもない。
 だがいまとなっては、さしあたり再婚の見込みもない出戻り娘だ。やましいこともないので、好きにさせてもらうつもりでいる。

 そのとき、食堂にリンゼイ家の家令エドウィンが姿を見せた。
 折り目正しくお仕着せを着込んだ、銀髪の紳士である。食事中に申し訳有りませんと丁重に断りを入れてから、ジュディへ封書ののったお盆を差し出した。

「王宮から、急ぎの手紙です。差出人は宰相閣下で、お嬢様宛です」
「どうもありがとう」

 子どもの頃からジュディを知るエドウィンは、結婚中は恭しく「アリンガム子爵夫人」と挨拶をしてくれていたが、出戻りのいまとなっては元の呼び名に戻っている。この年齢でお嬢様もどうかしら、と思わないでもないジュディであったが、代案も思い浮かばずにそのままにしていた。
 手紙を手にすると、添えられていたシルバーのペーパーナイフでさっと切り開く。

「噂をすれば、じゃないか。閣下から、デートの誘いかい?」

 リンゼイ伯爵が機嫌良さそうに茶々を入れてきた。内心ではどきりとしながらも、ジュディはそっけなく答える。

「仕事上の連絡だと思います。日程の変更ですとか」

 間違いなく、ガウェインの字だ。几帳面そうに整っていて、流れるように綴られた字には見覚えがある。
 急ぎとは? と逸る気持ちに指を震わせながら、ジュディは手紙に視線をすべらせた。

 “急なお願いで申し訳有りません。手はずはすべて整えていますので、これから駅に向かって頂きます。手紙を届けた際にこちらから差し向けた馬車を、そのまま使ってください。殿下の政治参加のためのには少々時間がかかりますので、その間の授業を考えました。行き先は湖水地方、風光明媚なホテルです。殿下のご尊顔の知られていない地で、労働を経験して頂きます。あなたにもぜひ同行を願いたく。

 追伸・日帰りできる距離ではありませんので、泊りがけの勤務となります。休みは適宜取れるように手配します。私も都合がつけばそちらへ向かいます。

 ガウェイン・ジュール ”


「いまから駅……? 行き先は、えっ、これだけ? 観光地のホテルで労働?」

 透かし文字で暗号でもないかと疑いたくなるほど、簡潔すぎる内容だった。

(庶民の生活を知りたい王子様に、そのものズバリ職業体験をさせるという意味ですか? 宰相閣下、それはいささか手荒すぎませんか)

 そしてそれは家庭教師の仕事ですか? とは思わなくもないが、同時にこれこそジュディ向きの件と深く納得もした。
 ジュディは家庭があるわけでもなく、王宮内の要職についているわけでもない。いきなり僻地に飛ばされても、生活上特に支障のない人材のひとり。
 それにしても、急過ぎる。
 これではたとえ、ガウェインと仕事の休日が合っても、向かい合ってお茶を飲むのは当分先になりそうだ。

 ジュディはすでに、ホテル行きを腹をくくって受け入れていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

真実の愛は、誰のもの?

ふまさ
恋愛
「……悪いと思っているのなら、く、口付け、してください」  妹のコーリーばかり優先する婚約者のエディに、ミアは震える声で、思い切って願いを口に出してみた。顔を赤くし、目をぎゅっと閉じる。  だが、温かいそれがそっと触れたのは、ミアの額だった。  ミアがまぶたを開け、自分の額に触れた。しゅんと肩を落とし「……また、額」と、ぼやいた。エディはそんなミアの頭を撫でながら、柔やかに笑った。 「はじめての口付けは、もっと、ロマンチックなところでしたいんだ」 「……ロマンチック、ですか……?」 「そう。二人ともに、想い出に残るような」  それは、二人が婚約してから、六年が経とうとしていたときのことだった。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

残念ながら、定員オーバーです!お望みなら、次期王妃の座を明け渡しますので、お好きにしてください

mios
恋愛
ここのところ、婚約者の第一王子に付き纏われている。 「ベアトリス、頼む!このとーりだ!」 大袈裟に頭を下げて、どうにか我儘を通そうとなさいますが、何度も言いますが、無理です! 男爵令嬢を側妃にすることはできません。愛妾もすでに埋まってますのよ。 どこに、捻じ込めると言うのですか! ※番外編少し長くなりそうなので、また別作品としてあげることにしました。読んでいただきありがとうございました。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

処理中です...