王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

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第一章

火花散る

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 説得されている場合ですか?

 耳元で、誰かが囁いた。
 それはジュディに対して「あなたはここで終わりですか?」と刺すような厳しさを持っていた。
 フィリップスを前にして、金縛りにあったように呼吸すら止めていたジュディは、そこで息を吹き返した。

(いけない。彼の話術に囚われかけていたわ!)

 ジュディは、囁き声の主を確かめるより先に、フィリップスに強い視線を向ける。その有無を言わさぬ迫力に負けぬよう、断固として異論を展開した。

「私刑はいけません! 罪を裁くのはあなたの手ではないのです!」


 にこり、とフィリップスが場違いなほどに爽やかに微笑んだ。

「もう少しお勉強なさったほうがよろしいのでは? 現行犯を止めるための私刑は合法です」

 それまでと打って変わった丁寧な言葉で告げてから、フィリップスは話が終わるのを待っていた男へと向き直る。
 次の行動が予測できたジュディは「この場は、もう収まっています!」と声を上げたが、フィリップスは意に介さぬまま男へと礼を言った。

「待っててくれてありがとっ」

 戦闘開始。
 にやりと笑った男が、テーブルを蹴飛ばし、派手な破砕音が鳴る。
 わっと場が湧いて、暴力を歓迎する空気が辺りを支配した。
 ジュディは、顔をしかめて歯を食いしばる。

(つい最近まで、公開処刑が娯楽の一種であったと歴史は言うけれど……、怪我なんか百害あって一利もないのよ!)

 荒ぶる気配が、近い。いまにも誰かが手を伸ばして襲いかかってくるのではないかという緊張感の中、ジュディは男と組み合っているフィリップスの元へさらに一歩近づいた。

「怪我をすると、生産性が落ちます!」

 男の拳を避けたフィリップスが、ジュディをひと睨みして早口で悪態をつく。

「お前はいちいち、情緒のかけらもない実利でものを言うんだな!」

 負けじと、言い返す。

「当たり前です! お気持ちに訴えかけるのは、愚策の極みです。それは最後の最後『これは心ある人間同士の問題だ』と双方の合意が得られたときのみ有効なのです。その前の段階での話し合いでは、互いが納得できる実利と数字で交渉をすべきです。いまこの場面では、怪我を未然に防ぐことこそが正義です! 怪我の程度によっては医療費がかかり、回復まで労働ができないことで、暮らし向きが傾くこともあるでしょう。防げるものなら防ぎたいに決まっているではありませんか!」

 途中からフィリップスは聞いている様子もなかったが、ジュディは構わず言い切った。
 激しく立ち回るフィリップスが、がつん、と男の胸に拳を当てた。
 次の瞬間、男がフィリップスの腹を蹴り上げて、弾き飛ばした。

「あーっ!」

 負けたーっ! とジュディは心の中で絶叫をする。相手に怪我をさせてほしくないのは本当だが、自分が仕事上最優先すべきはフィリップスに怪我をさせないことでもあったはずなのに。

(殿下、お怪我は? 立ってください……!)

 倒れたフィリップスに、ジュディは駆け寄ろうとした。だが、その目の前に立ちふさがった男が、にやにやと笑いかけてきた。

「どうもおかしいねえ、あんた。こんなところにいるひとじゃない。王宮勤めのお貴族様だな? もっと面白い話を聞かせてもらおうか?」

 ハッと見回すと、店内で数人の男たちが立ち上がっており、すでに囲まれていた。逃げるのが不可能というのは、火を見るよりも明らかだった。


 * * *


「物知りの姉ちゃん。まず、あんたはいまの政治について、どう考えているって?」

 本当に、話を聞かれた。
 きょとん、とジュディは目を瞬いた。

「政治について、ですか?」

 男の姿をしているとはいえ、私も妙齢の婦女子、これは危険な状況……! と構えたジュディにとっては意外なほどに、意見を求められていた。
 そして、周囲は話を聞く気配である。

(自称文化人の男性たちが集って、詩を朗読したり、意見をぶつけ合うパブがあると、聞いたことがあるけれど……。殿下の行きつけであるここも、そういう場なの?)

 そのとき、倒れていたフィリップスが立ち上がり、ちらっとジュディに忌々しげな視線をくれた。それから男に向き直り、まくしたてる。

「俺の話の方が面白いからよく聞け! いまの政治は、古臭い老害に牛耳られていて、まったく市民の暮らしに目を向けていない。肥えた豚どもは、己の利権を守ることにばかり腐心し、この国の未来を良くしようなどとは考えていないだろう。まずはあの馬鹿どもを一掃するところからだ!」

 初回授業の際にジュディに向かって語っていたように、この国の腐敗、議会を占める大半の老害についての大演説だった。

(また豚ですか。さては豚がお好きですね? 豚は殿下を好きじゃないかもしれませんが)

 状況に緊張していたジュディであるが、聞いているうちに「またか」と溜め息をつきそうになる。
 そして、フィリップスが黙ったタイミングで男から「あんたはどうなんだ」と水を向けられ、ここぞとばかりに火を噴いた。

「先程の彼の発言にはおおいに問題があります。現在の議会を構成する議員たちを老害と切り捨て、あたかも自分がその場にいれば何か劇的な改革ができるかのように主張していますが、そんなことはありません」

 すっと、男の視線が鋭くなった。「なんだって?」と尋ねられ、ジュディは息を吸ってから、淡々と言葉を重ねた。

「そもそも政治における『改革の成功』とは、何をもって言うのでしょうか? それは、議員となり、議会でひとつでも多く、自分が掲げた政策に近い法案を通すことでは? しかし、自分以外の議員たちを見下し、敵に回す発言をしている者と組む議員はいないでしょう。つまり、どんなに素晴らしい法案を通そうとしても、多数派になれなければ反対意見に落とされて、通せない恐れがあります。たとえ議会に参加している身であっても、ひとつも法案を通せなければ、その状況は正しく『何もしていない』といえるでしょう。少なくとも、現状を変えていないのですから」

 ジュディは、口をつぐんで憎しみに近い視線をくれているフィリップスを見据え、さらに続ける。

「これが私たちの国が大切にしてきた歴史ある議会政治です。たとえ国王陛下でも、議会の承認なくして己の思いつきを民に押し付けることはできません。王権の暴走、いわゆる『独裁』を防ぐために、過去から現在に渡って様々な対策が取られてきました。国王とて、議会の承認を得られない法案は通せません」

 息継ぎのタイミングで、すかさずフィリップスが口を挟んだ。

「しかし、新たに提出された法案が素晴らしければ、議員は反対できないはずだ。国民に課した重税を軽くするとか、王の私有財産の制限や貴族たちへの今以上の寄付の義務付けなど、国民に受け入れられやすいものを出せば良い。そして、反対した議員の名をさらせば、議員への信頼は失われ、王権への期待は高まる」

(殿下、それを机上の空論と言うのです)

 ここは譲れないと、ジュディは冷静に言い返す。

「その王権は、遠からず打倒されることでしょう。まず、王家が私有財産を差し出せば、弱体化します。そうすると、同じく財産を大きく削られて不満を持った貴族の一部が民衆を扇動し、王権を潰しにきます」

「なぜ王が民のために通した施策で、民と議員が手を結んで王権を打倒しようなどと思う!?」

 威嚇するように吠えられて、ジュディは「いま申し上げた通りです」と答えた。

「扇動、です。仮にその施策で今より一瞬でも豊かになった感覚が民にあったら、そこで満足ということはありえないからです。もっと豊かになる方法があるのでは? その当たり前の欲につけこみ、反対派の議員たちが『そもそもいま不満があるとすれば、それはこれまで強権を発動して議会を押さえつけ一番暴利を貪ってきた王家が悪いのだ』などと焚き付けて、その気にさせるからです」

 たとえとしてはだいぶ簡略化したが、領地運営をする領主であればある程度感覚的にわかることではある。
 手続きを簡略化して強引に王侯貴族を弱体化させてしまえば、その後の政策を打ち出す前に倒されかねない。弱ったものは食われる、その当然の理屈によって。

(殿下、これは上に立つ者が備えるべき資質です。物事を単純化して、正しいか悪かだけで考えるのではなく、複雑な状況を複雑なまま統制していくのが)

「民の暮らしを知るのは素晴らしい。ですが、民の目線だけで為政者は務まりません。城下で学んだことを活かすためには、王宮での勉強を、むぐ」

 失言に気づいて、ジュディは自分の口を手で覆う。これでは、フィリップスの正体が誰か周囲にバレバレである。
 さらに、辺りを見回せば、剣呑な空気が明らかに先程よりも濃度を増していた。
 そこでようやく、ジュディはここが敵地真っ只中というべき場所であると思い出す。

「なるほど。あんたは、女だてらにずいぶんらしい。何者だい?」

 それまで寛容な話しぶりであった男から、冷ややかな声とともに探るような視線を向けられて、ぞわっと悪寒が走った。
 まずい、何か危険なものを踏んだ、とジュディは唇を噛みしめる。

(ステファンさん……!)

 護衛がてら一緒に来てくれた相手を探そうとしたが、目の前の男から視線を外したら最後、危険が現実のものになりそうで、顔を背けられず、身動きが取れない。
 男が一言、告げた。「その女をやれ」と。
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