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第一章

そこに何があるのか

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 家庭教師勤務、二回目。
 初っ端から、逃げられる。


 * * *


 王宮に着き、ジュディは時間を作ってまで出迎えてくれたガウェインと、出会い頭に早速会話を交わした。

「あの件に関しては、少しお時間頂きます。殿下のスタート地点に関しては数名で検討している最中で、すぐに結論が出ません。王家の血縁からたどり、殿下を受け入れても問題のない地主階級《ジェントリ》の家の選定からなのです。なおかつ、警備に割く人員の面から、治安的にも安定している地区が望ましい。また、殿下を庶民にするなど、前例のないことではありますが、王家から受け入れ先への『非合法』な手段でゴリ押しではなく、法律の解釈で乗り切れない場合は法案も通して議会の承認を得る形で……」

 現実に解決しなければならない問題が、山積みらしい。
 ジュディはガウェインと肩を並べて、緋色の絨毯の敷かれた廊下を歩きながら「わかりました」と返事をした。エスコートした方が良いのか、いらないのか、うかがい合う空気には気づかなかったふりをして、腕を取らずにすたすたと歩いている。ガウェインも了承したようで、話を続けた。

「なるべく、急ぎます。殿下のに関しては探っていますが、どうにも尻尾を掴めません。相手が上手《うわて》なのか、王宮の情報収集力がたいしたことないのか、そこは触れないで頂けますと幸いなのですが」

 ガウェインは誠実そうな口ぶりに、ほんの少し情けなさを交えて言った。だが、ジュディは「はい」と返事をしつつ内心では違うことを思った。

(言葉通り、真に受けない方が良さそうね。すでに割り出してはいるけど、理由があって泳がせているだけかもしれないわ)

 革命を目論む相手が、文字通り「尻尾」を出す。つまり明確な悪事の証拠が出た場合は、一気に押さえるつもりなのか。それはもちろん、こじつけたようなものではだめだ。無辜の民を革命潰しのためだけに捕らえるなど、絶対にあってはならない。そのときには、フィリップスの中でも民衆の間でもその者は英雄となり、権力への憎しみは正しく固定化されるだろう。
 その意味では、無理に相手とフィリップスを引き離しても、問題は解決しない。もし別れるにしても、自分からその手を離したと本人が納得しない限り、禍根が残る。
 ジュディは脳裏に描いたその考えを口にすることはなく、「まだ相手が見つからない」というガウェインの言い分を、この場では受け入れた。その上で、明るい口調で言った。

「やはり、殿下が王都から離れて、どこか遠くへ行く計画は有効のように思います。物理的に相手と離れられますし、もし相手が追いかけてきて殿下に接触をはかるような場合には、正体がわかりますから」

「あはははは、それはたしかに。しかしその相手が、思ったひとと全然違ったら面白いですよね。庶民の英雄どころか、王宮の重臣とか、貴族の中でも別格の公爵家とか。私とか」

「最後のは冗談のおつもりで言いました? 私は笑った方が良いですか?」

 さらっと付け加えられた一言は、聞き流す場面なのか、うまく受け止めて返すべきなのかわからず、ジュディはにこにこと笑顔で尋ねる。ガウェインはどこか悲しげに笑って「私のような者でも、たまに冗談を言ってみようとするんですけど、どうも面白くないみたいです」と答えた。

「考えようによっては、面白かったです。閣下がすべての黒幕だなんて!」
「冗談というのは、考えてようやく意味がわかるようでは『うけた』ことにはならないですよね。難しいな、私はなかなか女性と話すことがないもので。いや、男性が相手なら爆笑必至というわけでもないのですが」

 独り言めいた呟きを耳にし、ジュディはそっと視線を流してガウェインの横顔をうかがう。

(お部屋に女性の立ち入りを認めないばかりか、女性とあまり話さないだなんて。閣下は女性が苦手なのかしら……? それなら私はいったい、どういう枠で)

 憶測しそうになって、やめた。どういうも何も、離婚出戻りで女性としてはまったく意識しなくて済む、仕事相手だ。
 視線に気付いたように、ガウェインがジュディへと顔を向けてきた。口元には微笑みが浮かんでいる。

「ところで、今日のあなたの装いはとても素敵ですね」

 金色の瞳が、きっちりと結わえた金の髪から薄緑色のジャケット、トラウザーズまでをさっと眺める。およそ女性のする服装ではなく、線の細い男性にしか見えないのは、ジュディも自覚している。
 ジュディもまた、「ありがとうございます」と微笑んだ。

「仕事をするにあたり、走りやすさを重視しました」
「まったく、あなたの聡明さは私の想像以上です。おそらくその先読みの力が、あなたを助けるでしょう」

 言い終える前に、遠くから近づいてくるバタバタという足音がその声に重なる。廊下の先の曲がり角から、三名の兵士が姿を見せた。
 このパターンは以前もあった、とジュディが覚悟したところで先頭の兵が告げた。

「閣下! 殿下が脱走しました」
「早速やられたか」
「やられた、というのは?」

 何人も護衛兵がついていて、どうやって? とジュディが不思議に思って聞き返すと、ガウェインは金色の瞳を瞬かせ、どこかいたずらっぽく答えた。

「王宮の部屋には、すべてではありませんが、隠し通路があるんです。殿下はコツを覚えてしまったようで、最近はどこの部屋でもすぐに見つけるようになってしまいました」

 そういえば、一番最初の日、フィリップスは変なところから現れていた。あれね、とジュディは思い出しながら聞き返す。

「はじめから、殿下を隠し通路のない部屋に閉じ込め、いえ、お待ち頂くことはできないんですか?」

「隠し通路がなぜあるかといいますと、もしものときに逃げるためです。もしものときが、日常において絶対に無いとは言い切れませんので、殿下にはなるべくなら通路のある部屋をお使い頂くのがのぞましい。とはいえ、情報漏洩の危険性もありますから、平時ですし殿下にも護衛たちにも通路への抜け道は教えていないんですが。今日は逃げにくい奥の部屋でお待ち頂いていたのに」

「逃げ出したとすれば、向かう先は城下ですよね」

 ジュディの確認に、ガウェインは頷いてみせた。

「会いたい相手に会いに行くのでしょう。チャンスと言えばチャンスです」

 それがなんのチャンスかは、確認するまでもない。ジュディの肚は決まった。

「わかりました。私が追いかけます。殿下の行きそうな場所を教えてください。すぐお声がけせずに、まずはそのお付き合いについて、探れるだけ探ります」

「あまり危険なことはしないでください」

 思いがけず、心配そうに眉をひそめて言われる。ジュディはガウェインを安心させたい一心で、精一杯の笑顔で答えた。

「気をつけますので、ご心配なく。ですが、興味があるのです。殿下がいったい、庶民のいかなる現状を見て胸を痛め、ご自身のあり方も含めこの国の貴族階級の批判に至ったのか。殿下が胸に抱く王権打倒とおぼしき誓いはいったい、どこからきているのか。まずは私も、殿下と同じものを見たいのです」


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