王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

文字の大きさ
上 下
4 / 104
序章

宰相閣下のお茶

しおりを挟む
 この国の王子殿下であるフィリップスは、廊下での大捕物の後、屈強な兵士たちに囲まれて部屋へと連れられて行った。兵たちの肩越しにちらちらと何か言いたげに振り返っていたが、ジュディはその視線をきっぱりと意識の外へと追いやって目もくれなかった。

「それでは、あなたの案内は私が」
「ありがとうございます」

 先に立って歩き出したガウェインににっこりとほほえみ、ジュディはその後ろに続いた。
 そして、目の前の深緑色のジャケットを羽織った、広い背中を見つめた。

(宰相閣下、ジュール侯爵。聞いていた通り、お若いわね)

 ジュディとて、無策で王宮まで乗り込んできたわけではない。
 手がかりのひとつ、ガウェイン・ジュール侯爵に関してはできる限り情報を集めてきた。父や兄、その他には顔を合わせた叔母といった身内に噂を聞いた程度だが。

 三百年もその家系を遡ることができる、この国の生粋の貴族。
 当主である彼は現在三十歳にして、未婚。
 筆頭宰相以下の実務を担当する若き宰相のひとりで、仕事ぶりは実にそつなく優秀とのこと。それこそ、王宮に部屋を与えられ、何日も家に帰らぬこともあるのだとか。
 しかし旧い名家であればこそ、跡継ぎ問題は深刻なはず。仕事に明け暮れたせいでその年齢まで未婚など、あるのだろうか? と不思議に思った。本人に会って、さらに謎が深まった。

(容姿も、悪くない部類よね? 私の感覚がおかしくなければ、彼はハンサムだわ)

 ガウェインは、すらりと背が高く、細身ながら肩幅の広い体つきで、歩く所作からその足の長さが知れた。
 顔立ちは、一見すると無造作に遊ばせた髪や無機質な眼鏡に隠されているが、横顔などに貴族らしく垢抜けた端整さがうかがえる。
 ジュディは、社交界デビューからすぐに婚約と結婚が決まり、以降あまり出歩かなかったこともあって、貴族社会の惚れた腫れたや駆け引きに若干疎い。それでも、彼であればずいぶん女性に懸想されているのではないかと容易に想像がつく。

(何か、大きな問題でもあるのかしら? とんでもない遊び人、という雰囲気ではないわね。ひとは見かけによらないとはいうから、わからないけれど。もしくは、恋人がいても相手が既婚だとか同性だとか身分差があるといった事情があるのか……)

 一瞬だけ、別れた夫を思い出した。兄の婚約者である儚い美女への思慕と執着から、嫁いできたばかりの妻へ白い結婚を言い渡した男である。
 宰相閣下もそんな訳ありだったら嫌だな、との考えがかすめた。事情を抱えたまま結婚していないだけ前夫よりもマシかな、いや完全に他人事なのだし、憶測はやめよう、なるべく立ち入らないようにしよう……。
 テンションが落ちていくジュディに対し、ガウェインは王宮内の私室へと案内してくれてから、まずはゆったりとしたソファをすすめてきた。そして、自分は座らぬまま誠実そうな口ぶりで話し始めた。

「女性と私が二人で部屋に、というわけにはいきませんので、侍女に同席を頼みたいところではあるのですが。申し訳ありません、私の部屋には普段、女性の立ち入りを認めていないんです。ドアを開けておくことを希望されますか?」

 付き従ってきた侍従は、部屋の奥まで立ち入らず、ドアのそばに控えている。ちらりとそちらを確認してから、ジュディは笑顔に余裕を滲ませて答えた。

「結構です。私のために宰相閣下の習慣を変えて頂く必要はありません。私の仕事はフィリップス殿下の教育に関わることと手紙にありましたが、内々の話ですから女の私をここまで通してくださったんですよね? であればいっそあの方にも退室頂いて、二人で話し合うのでも、私はまったく構わないんです」

 問題があるのは承知しているが、気持ちの上ではぜひともそうして欲しい。
 どんなに「これは仕事です」という顔をしていても、侍従にまで内容が聞こえてしまえばなるほどと思われるだろうし、どこかで酔って口を滑らすかもしれない。可能な限り、ジュディは内密に話を進めてほしかった。

(まだ仕事は始まっていませんから。そのときがきたら、やるべきことはやります。でも、目立ちたくも記憶に残りたくもないんです)

 ガウェインはソファのそばからドアへと向かい、侍従に部屋の外へ出るように申し付けた。そして、部屋の隅にあらかじめ準備してあったワゴンをソファのそばまで運んできた。

「お茶とお菓子を用意しておりまして。お口に合うと良いのですが」

 アルコールランプによって加熱していた純銀製《スターリングシルバー》のティーケトルから、同じく純銀製のティーポットに湯を注ぐ。手付きは危なげなく優雅で、ジュディは興味深く見つめてしまった。こんな風に、自分でさっさとお茶を淹れる男性は、初めて見た。
 カップは白磁で、絵付けは緑の単色ながら繊細な花と葉が手描きで絵付けされたもの。なかなか手に入らない、有名なブランド品だ。
 テーブルに置かれたカップからは、ふわりとほの甘く瑞々しい香りが立ち上ってきた。

「カモミールです。変なものが入っていないか気になるでしょうから、ひとつのポットから二人分。私が先に飲みます」

 ローテーブルを挟んで正面に座ったガウェインは、宣言して口をつける。その顔が微かに歪み、「あちっ」という低い呟きが漏れた。猫舌なのだろうか。
 流れるような動作にわずかにほころびが生じ、ジュディはふふっと声を上げて笑った。

「無理なさらないでくださいませ。毒見でしたらもう十分です。特に疑ってもおりませんし。そこのお菓子だって、全部半分に割って食べましょう、なんて言ってられませんでしょう?」

 ワゴンにのった、陶器の蓋付きマフィンディッシュをちらりと見る。「おっと、出しそびれるところだった」と言って、ガウェインは座ったまま腕を伸ばし、皿を取って蓋を開けた。
 中には、一口大の焼き菓子が数種類、二つずつ並んでいた。アイシングのかかったパウンドケーキや、ジャムをのせた小さなタルトがいかにも美味しそうで、ジュディは目を輝かせる。

「とても香ばしい薫りが。素敵だわ」
「皿に取りましょう。何がいいです? 全部?」
「全部!」

 遠慮なく答えてから、ジュディは自分のぶしつけさに気付き、笑顔のまま固まった。今にも手ずから作業を始めそうなガウェインに「待ってください」と声をかける。

「そんなことを、宰相閣下にして頂くわけには」
「いまこの場には、あなたと私しかいません。そして、招いたのは私で、あなたは大切な客人です。つまりこれは、私の仕事です」
「いえいえいえ、侯爵様にそのようなことをして頂くわけには参りません。それならば私が、ではなく、話を進めて頂きたく!」

 すっかりガウェインのペースにのせられていたが、ジュディはここにお茶を飲みにきたわけではない。業務内容を宰相直々に伝えてくれるという、またとない機会ということで足を運んだのだ。時間を大切にしたい。
 ガウェインもまた、ジュディに言われて思い出したようで「ついついもてなしに熱が」と言い訳をしてから、ジュディに向き直って言った。

「良い足をなさっていると、思いまして」

 足? と聞き返す前に。ジュディは両手を膝の上にぽん、と置いてスカートを押さえ込んだ。それから、裾でもまくれ上がっているのかと自分の足元を確認した。
 裾はくるぶしを過ぎて床にふれるほど。どこからも肌は見えてはいない。
 ガウェインはジュディのその動揺には気付いた様子もなく、話を続けた。

「あなたのように、そこがどこで、ご自分がどんな格好をなさっておいてでも、全力で走れる女性というのは、大変貴重なのだと思います。今日の走りにも、実に胸を打たれました」
「走りに? 胸を?」
「王宮内をドレスで全力疾走。そんな女性、他にいますか? いえ、いません」
「いるかもしれません。それはあなたが女性を知らないだけで、こんなの珍しくないかもしれないし、もっとたくさんいるかもしれません」

 大変苦しい言い訳をしてしまった。いるはずがない。
 しかしここは引くに引けないと、ジュディは完璧な微笑を湛えたまま、一切ガウェインから目をそらさずに見つめ続けた。
 ガウェインは、ジュディの見間違えでなければほんのりと色白の頬を染め、視線をさまよわせて、もう一度言った。

「あなたのその足に、惚れたんです。丈夫そうで、速い」
「まだ言いますか。直に生で見たわけでもないのに」
「はい、もちろん見てはいません。ですが、わかります。あなたの足であれば、フィリップス殿下にも追いつけます。実際に、今日は出会い頭の殿下を早速取り押さえましたからね。これからもその調子で、勉強から逃げ出し、自由を求めて王宮の外へと向かう殿下を捕まえてほしいんです」

 ん? とジュディは小首を傾げ、念押しするように確認をした。

「私のお仕事は、殿下の教育係だと聞いておりますが」

 ガウェインはとても晴れ晴れとした笑顔をジュディに向けて、頷いた。

「はい。殿下の家庭教師をしつつ、殿下を取り押さえるのがあなたの仕事です。あなたの優秀さは聞き及んでいますし、なによりこの役目は足の速さが物を言います」
「閨は?」
「閨ですか?」

 思ったままの単語が口から出てしまい、きょとんと聞き返されて、ジュディはカッと顔に血を上らせた。
 聞き返したガウェインもまた、自分が口にした単語が何か思い当たったらしく、ジュディ以上に顔を赤く染め、むせたように何度か咳をした。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

真実の愛は、誰のもの?

ふまさ
恋愛
「……悪いと思っているのなら、く、口付け、してください」  妹のコーリーばかり優先する婚約者のエディに、ミアは震える声で、思い切って願いを口に出してみた。顔を赤くし、目をぎゅっと閉じる。  だが、温かいそれがそっと触れたのは、ミアの額だった。  ミアがまぶたを開け、自分の額に触れた。しゅんと肩を落とし「……また、額」と、ぼやいた。エディはそんなミアの頭を撫でながら、柔やかに笑った。 「はじめての口付けは、もっと、ロマンチックなところでしたいんだ」 「……ロマンチック、ですか……?」 「そう。二人ともに、想い出に残るような」  それは、二人が婚約してから、六年が経とうとしていたときのことだった。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

【完結済】結婚式の夜、突然豹変した夫に白い結婚を言い渡されました

鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
 オールディス侯爵家の娘ティファナは、王太子の婚約者となるべく厳しい教育を耐え抜いてきたが、残念ながら王太子は別の令嬢との婚約が決まってしまった。  その後ティファナは、ヘイワード公爵家のラウルと婚約する。  しかし幼い頃からの顔見知りであるにも関わらず、馬が合わずになかなか親しくなれない二人。いつまでもよそよそしいラウルではあったが、それでもティファナは努力し、どうにかラウルとの距離を縮めていった。  ようやく婚約者らしくなれたと思ったものの、結婚式当日のラウルの様子がおかしい。ティファナに対して突然冷たい態度をとるそっけない彼に疑問を抱きつつも、式は滞りなく終了。しかしその夜、初夜を迎えるはずの寝室で、ラウルはティファナを冷たい目で睨みつけ、こう言った。「この結婚は白い結婚だ。私が君と寝室を共にすることはない。互いの両親が他界するまでの辛抱だと思って、この表面上の結婚生活を乗り切るつもりでいる。時が来れば、離縁しよう」  一体なぜラウルが豹変してしまったのか分からず、悩み続けるティファナ。そんなティファナを心配するそぶりを見せる義妹のサリア。やがてティファナはサリアから衝撃的な事実を知らされることになる────── ※※腹立つ登場人物だらけになっております。溺愛ハッピーエンドを迎えますが、それまでがドロドロ愛憎劇風です。心に優しい物語では決してありませんので、苦手な方はご遠慮ください。 ※※不貞行為の描写があります※※ ※この作品はカクヨム、小説家になろうにも投稿しています。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

処理中です...