6 / 14
【前日譚】
出会いが出会いでしたので。
しおりを挟む
侯爵の再婚が五年前。当時アルスニ十歳、ミシュレ十二歳。
思えば、初めて顔を合わせたタイミングが悪すぎた。
アルスは「子どもたちも含めた顔合わせをする」と、遠方に出かけていたところを呼び戻され、転移魔法を連続使用して一目散に帰ってきたということだが、日程を勘違いしていた。
侯爵家に、予定の前日に現れてしまったのだ。
しかも、目測を誤ったということで、現れたのが厩舎の中。
そのときミシュレは、およそ侯爵令嬢らしからぬほぼ男装に近いシャツにズボン姿で、厩舎の自分の馬の世話をしていた。
アルスはその眼前に突然出現してしまったのである。
ミシュレは手にしていた桶を取り落しながら、後ろの藁山に倒れ込んでしまった。
「悪い、小僧。怪我はなかったか?」
アルスはミシュレに気さくに手を差し伸べて、爽やかに言った。
(小僧)
たしかにミシュレはやや長身で、体つきに女性らしい特徴があまり見られず、顔に泥汚れまでつけていた。
かたやアルスはといえば、つややかな黒髪で水も滴るような美形。
深い群青の瞳を細め、藍色のロングコートが汚れるのも厭わず地面に片膝をつき、反応の鈍いミシュレを覗き込んできた。
「驚いて腰が抜けた? それとも、怪我でもしたのか。外傷なら俺の魔法で治せる。立てないようなら、……失礼」
あっさりと、アルスはミシュレをその腕に抱き上げた。
よく鍛え上げられた腕と固い胸の感触。「男の人に抱かれている」という事実に動転して、ミシュレは絶句し、もはや何も言えない。
「軽いな。骨ばってごつごつしている。ちょっと野暮用があるんだが、あとで迎えに来る。なんか食いに行こう。育ち盛りのガキが痩せているのは見るに堪えん」
少女を抱いているとは気付いていない様子のアルスは、ミシュレを見下ろして思いの外優しく言った。
それまで口がきけないでいたミシュレだが、そんな場合ではないと、ようやく声を絞り出す。
「私はミシュレと申しまして、その」
「ミシュレ? どこかで聞いた名前だな。たしか母の再婚相手の侯爵家の娘がそういう……」
訝しむような目で見つめられて、いたたまれない思いを抱きつつミシュレは正直に告げた。
「はい。この屋敷の娘です。見た目がこうですので、少年と間違えても無理からぬことですが」
「貴族の娘がこんなところで何をしていたんだ?」
「馬の世話を……。もちろん自分でする必要はないのですが、私はしたいのです。身の回りのことくらいは自分で」
「どうして。何不自由なく暮らしているんだろ」
本当に不思議そうに尋ねられて、ミシュレもつい本音で答えた。
「そうは言っても、一人で服を満足に着替えることもできないような大人にはなりたくありません。どこへ行くのも、何をするのも、自分で決められる人間になりたいのです」
「……それは、俺が今まで会ったことある令嬢とは少し違う気がする。母の再婚にはさほど興味がなかったが、娘がこうなら、父親も悪くない相手かもしれないな」
アルスは不意に、瞳を輝かせて破顔した。
ぼうっと見つめてしまってから、近すぎる距離に気づいてミシュレはようやく慌てだす。
「怪我をしたわけではないので、下ろしていただけますか」
「そうだな、悪かった。てっきり男だと思って、気安く抱えてしまった。失礼」
体を傾け、足が厩舎の土の床についてから、アルスはそうっと背にまわしていた腕を離した。
(この方が私の「お義兄様」……)
一人娘で兄弟のいなかったミシュレにとって、新たに「兄」が家族に加わるというのはまったく現実感のない出来事であったが。
初対面で気取らない会話をしたせいか、思いがけず心の距離が縮んだような気がしていた。
アルスもまたそれは同じだったのか、はにかむように笑って言った。
「それはそうと、痩せすぎだ。本当に男かと思ったんだ。俺はけっこう美味い店を知っている。侯爵の許しを得られるなら、今度案内するから一緒に飯でも食おう」
「嬉しいです。私も街を歩きたいとは思っていたんですが、なかなか許可が下りなくて。でも『お義兄様』が一緒ならもしかしたら……」
願ってもない申し出に、ミシュレも頬を染めて頷いた。
新たに兄妹となった二人の願いは、この後侯爵にあっさり許されることになる。
かくして、アルスは激務の合間をぬってはいそいそとミシュレに会いにくるようになった。
街で評判になっているパンケーキの店や、串焼き肉等の屋台にミシュレを連れ出しては、「たくさん食べるように」と何かと世話を焼く。格式張った店ではなくB級グルメを好む傾向があり、これがまたミシュレとも絶妙に趣味が合っていた。
恋人ではなく「兄妹」という気楽さ。
(さらに言えば、そもそも兄の目に私は「女」として映っていないので、「兄弟」の感覚に近いのではないでしょうか)
アルスとミシュレは相性の良さもあって急速に仲を深めていったが、それは義兄妹としてというより「評判の店を食べ歩きたい仲間」としての面が大きかった。
(アルスお兄様との仲が成立しているのは、私が「女」として見られていないから。この一線は絶対に守らねばならない……)
出会いのときよりミシュレは頑なにそう信じ続けてきたのだ。
だから、自分がアルスを「男」として見ることも、もちろんもってのほか。
(ですよね、お義兄様)
家族思いで親切な、血のつながらない兄。
いつかアルスがどこかの誰かと恋仲になって結婚するということがあっても、自分は真心こめて祝福する。
そう心に決めているのだ。
思えば、初めて顔を合わせたタイミングが悪すぎた。
アルスは「子どもたちも含めた顔合わせをする」と、遠方に出かけていたところを呼び戻され、転移魔法を連続使用して一目散に帰ってきたということだが、日程を勘違いしていた。
侯爵家に、予定の前日に現れてしまったのだ。
しかも、目測を誤ったということで、現れたのが厩舎の中。
そのときミシュレは、およそ侯爵令嬢らしからぬほぼ男装に近いシャツにズボン姿で、厩舎の自分の馬の世話をしていた。
アルスはその眼前に突然出現してしまったのである。
ミシュレは手にしていた桶を取り落しながら、後ろの藁山に倒れ込んでしまった。
「悪い、小僧。怪我はなかったか?」
アルスはミシュレに気さくに手を差し伸べて、爽やかに言った。
(小僧)
たしかにミシュレはやや長身で、体つきに女性らしい特徴があまり見られず、顔に泥汚れまでつけていた。
かたやアルスはといえば、つややかな黒髪で水も滴るような美形。
深い群青の瞳を細め、藍色のロングコートが汚れるのも厭わず地面に片膝をつき、反応の鈍いミシュレを覗き込んできた。
「驚いて腰が抜けた? それとも、怪我でもしたのか。外傷なら俺の魔法で治せる。立てないようなら、……失礼」
あっさりと、アルスはミシュレをその腕に抱き上げた。
よく鍛え上げられた腕と固い胸の感触。「男の人に抱かれている」という事実に動転して、ミシュレは絶句し、もはや何も言えない。
「軽いな。骨ばってごつごつしている。ちょっと野暮用があるんだが、あとで迎えに来る。なんか食いに行こう。育ち盛りのガキが痩せているのは見るに堪えん」
少女を抱いているとは気付いていない様子のアルスは、ミシュレを見下ろして思いの外優しく言った。
それまで口がきけないでいたミシュレだが、そんな場合ではないと、ようやく声を絞り出す。
「私はミシュレと申しまして、その」
「ミシュレ? どこかで聞いた名前だな。たしか母の再婚相手の侯爵家の娘がそういう……」
訝しむような目で見つめられて、いたたまれない思いを抱きつつミシュレは正直に告げた。
「はい。この屋敷の娘です。見た目がこうですので、少年と間違えても無理からぬことですが」
「貴族の娘がこんなところで何をしていたんだ?」
「馬の世話を……。もちろん自分でする必要はないのですが、私はしたいのです。身の回りのことくらいは自分で」
「どうして。何不自由なく暮らしているんだろ」
本当に不思議そうに尋ねられて、ミシュレもつい本音で答えた。
「そうは言っても、一人で服を満足に着替えることもできないような大人にはなりたくありません。どこへ行くのも、何をするのも、自分で決められる人間になりたいのです」
「……それは、俺が今まで会ったことある令嬢とは少し違う気がする。母の再婚にはさほど興味がなかったが、娘がこうなら、父親も悪くない相手かもしれないな」
アルスは不意に、瞳を輝かせて破顔した。
ぼうっと見つめてしまってから、近すぎる距離に気づいてミシュレはようやく慌てだす。
「怪我をしたわけではないので、下ろしていただけますか」
「そうだな、悪かった。てっきり男だと思って、気安く抱えてしまった。失礼」
体を傾け、足が厩舎の土の床についてから、アルスはそうっと背にまわしていた腕を離した。
(この方が私の「お義兄様」……)
一人娘で兄弟のいなかったミシュレにとって、新たに「兄」が家族に加わるというのはまったく現実感のない出来事であったが。
初対面で気取らない会話をしたせいか、思いがけず心の距離が縮んだような気がしていた。
アルスもまたそれは同じだったのか、はにかむように笑って言った。
「それはそうと、痩せすぎだ。本当に男かと思ったんだ。俺はけっこう美味い店を知っている。侯爵の許しを得られるなら、今度案内するから一緒に飯でも食おう」
「嬉しいです。私も街を歩きたいとは思っていたんですが、なかなか許可が下りなくて。でも『お義兄様』が一緒ならもしかしたら……」
願ってもない申し出に、ミシュレも頬を染めて頷いた。
新たに兄妹となった二人の願いは、この後侯爵にあっさり許されることになる。
かくして、アルスは激務の合間をぬってはいそいそとミシュレに会いにくるようになった。
街で評判になっているパンケーキの店や、串焼き肉等の屋台にミシュレを連れ出しては、「たくさん食べるように」と何かと世話を焼く。格式張った店ではなくB級グルメを好む傾向があり、これがまたミシュレとも絶妙に趣味が合っていた。
恋人ではなく「兄妹」という気楽さ。
(さらに言えば、そもそも兄の目に私は「女」として映っていないので、「兄弟」の感覚に近いのではないでしょうか)
アルスとミシュレは相性の良さもあって急速に仲を深めていったが、それは義兄妹としてというより「評判の店を食べ歩きたい仲間」としての面が大きかった。
(アルスお兄様との仲が成立しているのは、私が「女」として見られていないから。この一線は絶対に守らねばならない……)
出会いのときよりミシュレは頑なにそう信じ続けてきたのだ。
だから、自分がアルスを「男」として見ることも、もちろんもってのほか。
(ですよね、お義兄様)
家族思いで親切な、血のつながらない兄。
いつかアルスがどこかの誰かと恋仲になって結婚するということがあっても、自分は真心こめて祝福する。
そう心に決めているのだ。
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
転生先が羞恥心的な意味で地獄なんだけどっ!!
高福あさひ
恋愛
とある日、自分が乙女ゲームの世界に転生したことを知ってしまったユーフェミア。そこは前世でハマっていたとはいえ、実際に生きるのにはとんでもなく痛々しい設定がモリモリな世界で羞恥心的な意味で地獄だった!!そんな世界で羞恥心さえ我慢すればモブとして平穏無事に生活できると思っていたのだけれど…?※カクヨム様、ムーンライトノベルズ様でも公開しています。不定期更新です。タイトル回収はだいぶ後半になると思います。前半はただのシリアスです。
軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら
夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。
それは極度の面食いということ。
そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
甘すぎ旦那様の溺愛の理由(※ただし旦那様は、冷酷陛下です!?)
夕立悠理
恋愛
伯爵令嬢ミレシアは、恐れ多すぎる婚約に震えていた。
父が結んできた婚約の相手は、なんと冷酷と謳われている隣国の皇帝陛下だったのだ。
何かやらかして、殺されてしまう未来しか見えない……。
不安に思いながらも、隣国へ嫁ぐミレシア。
そこで待っていたのは、麗しの冷酷皇帝陛下。
ぞっとするほど美しい顔で、彼はミレシアに言った。
「あなたをずっと待っていました」
「……え?」
「だって、下僕が主を待つのは当然でしょう?」
下僕。誰が、誰の。
「過去も未来も。永久に俺の主はあなただけ」
「!?!?!?!?!?!?」
そういって、本当にミレシアの前では冷酷どころか、甘すぎるふるまいをする皇帝ルクシナード。
果たして、ルクシナードがミレシアを溺愛する理由は――。
猛禽令嬢は王太子の溺愛を知らない
高遠すばる
恋愛
幼い頃、婚約者を庇って負った怪我のせいで目つきの悪い猛禽令嬢こと侯爵令嬢アリアナ・カレンデュラは、ある日、この世界は前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム「マジカル・愛ラブユー」の世界で、自分はそのゲームの悪役令嬢だと気が付いた。
王太子であり婚約者でもあるフリードリヒ・ヴァン・アレンドロを心から愛しているアリアナは、それが破滅を呼ぶと分かっていてもヒロインをいじめることをやめられなかった。
最近ではフリードリヒとの仲もギクシャクして、目すら合わせてもらえない。
あとは断罪を待つばかりのアリアナに、フリードリヒが告げた言葉とはーー……!
積み重なった誤解が織りなす、溺愛・激重感情ラブコメディ!
※王太子の愛が重いです。
記憶を失くした代わりに攻略対象の婚約者だったことを思い出しました
冬野月子
恋愛
ある日目覚めると記憶をなくしていた伯爵令嬢のアレクシア。
家族の事も思い出せず、けれどアレクシアではない別の人物らしき記憶がうっすらと残っている。
過保護な弟と仲が悪かったはずの婚約者に大事にされながら、やがて戻った学園である少女と出会い、ここが前世で遊んでいた「乙女ゲーム」の世界だと思い出し、自分は攻略対象の婚約者でありながらゲームにはほとんど出てこないモブだと知る。
関係のないはずのゲームとの関わり、そして自身への疑問。
記憶と共に隠された真実とは———
※小説家になろうでも投稿しています。
完 モブ専転生悪役令嬢は婚約を破棄したい!!
水鳥楓椛
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢、ベアトリス・ブラックウェルに転生したのは、なんと前世モブ専の女子高生だった!?
「イケメン断絶!!優男断絶!!キザなクソボケも断絶!!来い!平々凡々なモブ顔男!!」
天才で天災な破天荒主人公は、転生ヒロインと協力して、イケメン婚約者と婚約破棄を目指す!!
「さあこい!攻略対象!!婚約破棄してやるわー!!」
~~~これは、王子を誤って攻略してしまったことに気がついていない、モブ専転生悪役令嬢が、諦めて王子のものになるまでのお話であり、王子が最オシ転生ヒロインとモブ専悪役令嬢が一生懸命共同前線を張って見事に敗北する、そんなお話でもある。~~~
イラストは友人のしーなさんに描いていただきました!!
【完結】なぜか悪役令嬢に転生していたので、推しの攻略対象を溺愛します
楠結衣
恋愛
魔獣に襲われたアリアは、前世の記憶を思い出す。 この世界は、前世でプレイした乙女ゲーム。しかも、私は攻略対象者にトラウマを与える悪役令嬢だと気づいてしまう。 攻略対象者で幼馴染のロベルトは、私の推し。 愛しい推しにひどいことをするなんて無理なので、シナリオを無視してロベルトを愛でまくることに。 その結果、ヒロインの好感度が上がると発生するイベントや、台詞が私に向けられていき── ルートを無視した二人の恋は大暴走! 天才魔術師でチートしまくりの幼馴染ロベルトと、推しに愛情を爆発させるアリアの、一途な恋のハッピーエンドストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる