短編集

有沢真尋

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「時の薔薇」

【2】

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 夕食はひとりであった。
 足を引きずって広い食堂に向かってはみたものの、肝心要の『女嫌い』侯爵は顔を見せることもない。
 はじめから、そうなることはわかっていたので、ディアドラも何一つ期待しないようにしていたが、使用人たちの慇懃な態度とあいまって、何もかもが寒々しい印象であった。

 夜、ようやくベッドに入る頃には心身ともに疲弊しきっていた。
 それでいて、頭は妙に冴えて眠れなかった。

 女嫌いのランズバーン侯爵は、御年二十九歳。ディアドラより十一歳も上。
 幼少時に家同士の取り決めで婚約していた令嬢がいたが、相手が国外留学を機に、亡命。その後、異国で伴侶を得たという。なし崩しに婚約は破棄となる。社交界を揺るがしたこのスキャンダルにより、「独り身」として注目を浴びた侯爵には、縁談がそれこそ「土砂降り」レベルに降りそそいだらしいが、そのすべてを一律拒否。
 それが十年前の出来事で、そのままずっと独り身を貫き通してきた。が、ここにきてついに逃げ切れない縁談を押し付けられることになる。

 き遅れの末姫、ディアドラ。幼少時の事故により足を引きずるせいで、ダンスを踊ることもできず、成長した今となっても滅多に人前に姿を現すことすらない。とはいえ、足のことは秘されており、腹違いの姉姫たちが面白おかしく「醜女ブスなのよ」と噂を流すせいで、興味本位にその姿を見ようという若君すらいないまま。政略結婚の駒にすら使えない、とまるで存在そのものが恥であるかのように扱われてきた。

 そんな厄介者をなぜランズバーン侯爵が押し付けられることになったのか。
 なんのことはない、ディアドラの兄王子と侯爵が懇意にしており、「このままだと、ずっと年上の貴族の後妻のような形で嫁がせることになるだろうが、王家の姫にそれはあまりではないか」と泣きついたらしい、と聞いている。もともと誰とも結婚する気のなかった侯爵がなぜかこの話にはほだされて、それならばと名目上の結婚に応じたのだとか。
 王宮内の噂話とて、自分の悪評以外は極端に届きにくいディアドラには、真相など知るすべもなく。

(おそらく、わたくしには知り得ない裏があるのでしょうけれど。侯爵がお金に困っていて、王家からたくさんの持参金がもたらされた、だとか)

 厄介払いの「白い結婚」。利点といえば、足のこと。女嫌いの侯爵には都合が良かったのかもしれない。どこにも連れていく必要が無い。妻帯していてさえ、独り身のように身軽に振舞えることだろう。お飾りにすらなれない妻。
 構わない。息を殺して「ただ生きる」ことなど慣れている。

 用意されていた部屋は、趣味の良い調度品が揃えられた居心地の良い空間だった。誰が選んでくれたかはわからないが、今の時期は使うこともない暖炉の上まで飾り棚に見立てて、瀟洒なガラス細工のオルゴールなどが並べられていた。どんな音がするのだろうとは思ったものの、杖を手放すことができない身では、片手で持つこともできず、そばで見るだけであったが。誰かに動かしてくれるよう頼むのも億劫だった。
 ひとと口をきくのがそもそも嫌だ。
(侯爵家の使用人たちは、筋金入りの引きこもり姫の、社交性のなさを思い知ればいいんだわ)
 わがままを言うことすら「面倒」。誰も彼もが聞こえないふりをして、軽んじてくる。それならそうで、心の無い人形として生きようと努めてきた。

 眠れないまま、寝返りを打つ。豪奢な四柱式天蓋付きベッド。暗さに目が慣れてくると、天井部分に絵が描かれていることに気付いた。
 緑なす山や森、古代神殿テンプルを模した廃墟ルーインズ洞窟グロットー、流れる水。理想郷アルカディアを描いた風景画。さすがに暗がりでは彩色までよくわからなかったが、花園もあるようだ。
 そういった様式の庭園がずいぶん前から流行りと聞いたことがあるが、肌の色が蝋のように白く透き通るまで屋内に引きこもっていたディアドラには、縁のない光景であった。

 いつか本物の薔薇園の中を、歩いてみたい。茶器を運び込んでお茶会をしたり、バスケットいっぱいに焼菓子やパンやワインを詰めて遊びに出かけてみたい。
 叶うはずのない。
(寝ましょう、無意味な明日のために。わたくしは、死ぬまで生きねばならないの)
 ディアドラは瞼を閉じた。涙が一粒頬を伝って落ちた。
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