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【6】

願いはもつれて絡み合い

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 猫にならないんですが?


 * * *


 猫宮は、水をいやがることもなくシャワーを済ませ、なぜかきっちりと服を着込んでバスルームから出てきた。

「これから、どこかに出かけるんですか?」
「そういうわけでは。いつ猫になって、どういったタイミングで人間に戻るかわからないので、くつろぎすぎないように」

(なるほど。本人にも猫になる心積もりはあるんですね。たしかに、いざというときに服を着ておきたいというのはわかります)

 ちらっと、もしかして部下である自分と同室であるため、あまり隙を見せないように配慮しているのかなと思わないでもなかったが。
 それを言うならば猫宮は、このところ毎晩龍子の部屋で野生を失って腹をさらし、コタツでひっくり返って寝ている猫チャンなので、今更である。

「そういえば、連日のコタツ生活で体がバキバキだって言ってませんでしたっけ。せっかくベッドで寝られる機会なんですから、もっとリラックスできる格好で……」
「そうすると裸なんだよな」

(裸族の方でしたか)

「失礼しました。お召し物に関してはお好きになさってください。もう何も口出しなんてしませんとも」

 普段屋敷ではスウェットらしきものを身に着けていたが、あれは猫宮なりに同居女性(※龍子)への配慮だったのだろうか。わからないが、やぶ蛇しないことに決める。

「バスルーム先に使わせてもらってありがとう。どうぞ。俺は適当に寝ているので」
「はい、もう、私のことはお構いなく」

 長い時間をかけてシャワーをすませた後、どういった状態で部屋に戻るか悩みに悩み、結局備え付けのバスローブ風ルームウェアを選択。そっとドアから部屋をうかがうと――
 奥側のベッドで、丸くなって寝ている猫の後ろ姿があった。
 部屋の電気が消えているせいで薄暗かったが、見間違いではない。猫だ。

(猫チャン……! 良かったぁ~……! いや、良かったのかな?)

 せっかく猫化抑止に関するヒントを求めて函館に来たのに、何も進展していないのは痛手だ。間違いなく。
 日中の屋敷訪問で猫宮は何かを摑んでいたようだが、あやかし界隈に疎い龍子には判然としないことばかり。
 ただ、たしかに猫宮が言った通り、屋敷の買い主には再度電話を入れてはみたものの、連絡がつかなかった。「直接家を尋ねても無駄だろう。この屋敷はまだ、取り返せない。いまの持ち主にその気がない」と猫宮がはっきりと言っていた。
 以降、その件には打つ手なし。なし崩しに楽しい観光一色になってしまった。龍子は満喫していたが、若干申し訳ない気持ちもある。

(手記の解読が進めば、別の方法がわかる? いまのところ有効なのは私のキ……だけ)

 バスルームから出て、手前のベッドに乗り上げて膝を抱えて座り、龍子は指で自分の唇に触れた。
 昼間、猫の猫宮からキスをされてしまった。
 猫ならば良いと言っていたのをしっかりと覚えていたようで、「猫だ」と宣言した上で。
 あれだけキスの有効性に自覚があるのなら、毎晩猫になって、朝になると人間に戻っているからくりには気付いていそうなものなのだが。
 本当に、コタツだと思っているのか。

「ねえ、猫さん。そこのところ、どうなんですかね」

 よく寝ている背中に向かって、問いかける。
 すうっとつやつやの毛の腹部がふくらんで、ふう、と息を吐き出すとほんのり沈む。
 すうっ。ふう……。
 繰り返し。やっぱり、よく寝ている。

(人間の社長はイケメン過ぎて別世界のひとだけど、猫のときは可愛いんだよなぁ)

 ちょっとだけ撫でてみよう。なにしろ猫のときは懐いているし、向こうから飛びついてキスしてくるくらいだし、ほんのすこし触るくらいなら。
 ベッドを下りて、隣のベッドへとこそこそ歩み寄る。顔が見えるように反対側まで回り込んで、そっとベッドに乗り上げた。
 顔を近づけて、よく寝ているのを確認して、顎の下を指で撫でてみる。
 ふわふわ。

(くっ……ギャン可愛……! 適度にぬくぬくで、毛が柔らかくてなめらかで。触っても起きないなら、もう少し)

 そーっとそーっと背中を撫でてみる。本当は毛が逆立つほどもふもふもしてみたいが、昼間何か変な恨み言を言われたのを思い出し、耐える。ご先祖様にもふられたとかなんとか。先祖代々猫扱いがなっていないようなことを。

「はーっ……可愛い。好き。猫ってどうしてこんなに可愛いんだろう。好き。一緒に寝ていいですかね。いいですよね。猫と人間なら問題ないですよね?」

 無いことに決めた。
 背中を撫でながら、龍子は三毛猫のそばに体を横たえる。胸の中にうっとりとするような喜びが満ちてきて、堪らずに告白をしてしまった。
 聞かれていないのを、これ幸いと。

「好きですよ、猫の猫宮さん。あなたのことが、すごく好きなんです。人間のときには言えないですけどね」

 ふわふわの毛を指先に感じながら、龍子は目を閉じる。
 明日猫宮より先に起きて、気づかれぬうちにキスをして人間に戻しておけば良い。
 そう考えながら、眠りに落ちていった。

 幸せな夢が見られそうな予感がした。


 * * *


 龍子がすっかり寝た頃合いをみはからって、三毛猫が目を見開いた。
 軽く寝返りを打ちながら、ごく近い位置から龍子の寝顔をのぞきこむ。

「毎晩遅くまで起きてるからな……。あんなに勉強していないで、もっと早く寝れば良いのに。古河さんこそ疲れが溜まってるだろ」

 ぼそぼそと声に出して言ってしまってから、はっと気付いて口を閉ざす。
 ぐっすりと寝息をたてて寝ている龍子に、起きる気配はない。
 ほっと息を吐き出した三毛猫は、すくっと立ち上がって龍子のすぐそばに歩み寄り、触れ合う位置に倒れ込む。体を丸めて、一部を少しだけ接触させる。

(古河さんが、猫と一緒に寝たいって言っていたから)

 誰にともなく言い訳をして、完全な円となり、自分の体に顎を沈めて目を閉ざす。
 そのわずか数秒後。

 ぴこっと三角の耳が立ち上がり、部屋の中の気配を探ってぴくぴくと震えた。その耳が何かを捉えるより先に、三毛猫の体に変化が訪れる。
 金縛りにあったかのように身をこわばらせてから、ぎくしゃくとした動作で立ち上がった。

紗和子さわこ……さん……? それは」

 三毛猫の唇から焦ったような声が漏れるも、動きは止まらず。寝ている龍子の胸元に音もなく飛び乗り、唇に唇を寄せた。
 触れる。
 瞬く間に猫の体が、青年の姿へと変化する。
 自分の体の重みで龍子を潰さぬよう、両脇に両手をついて体を浮かせながら、猫宮は小声で叫んだ。

「だめだ、これはあのひとじゃない。違う、思いを叶える相手じゃ……」

 抵抗しきれなかったように。
 がくりと首を垂れて、今一度龍子の唇に唇を重ねる。
 長い長い口吻の果てに。
 ぐしゃ、と青年の手がシーツを握りしめた。

「わかっただろ。『秋津あきつ』さんじゃない。あのひとはここにはいない。出ていってくれ、紗和子さん。その件はいずれけりをつけるから」

 固い声音で告げてから、龍子の隣に体を投げ出すようにして横たわった。
 右手の甲で目元を覆い、深い溜息をつく。
 体を奪おうとしたものと争ったおかげで、もうそれ以上、指の一本も動かすことができない。

(ここで寝るわけには。せめて隣のベッドに移動しないと。朝起きたときに、古河さんが驚いてしまうから……)

 その思いも虚しく、意識がどろりととけて、深い闇へと落ちていく。
 それ以降、朝を迎えるまで、一度も目を覚ますことはなく。
 ただこんこんと、眠り続けることとなった。

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