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はるばる来まして、函館

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「いや~、やってきましたよ秋晴れの函館! 空気が美味しい! そして食べ物ももちろん最ッ高に美味しい。景色も綺麗で目にも美味しい。そして忘れちゃいけない夜景。すべてにおいてパーフェクトシティ、それが函館!」

 空港を出るなり、大きく息を吸い込んで龍子、力説。
 青い空。
 白い雲。
 目に染みる緑。

「帰ってきましたねえ……、北の大地。飛行機だとあっという間だけど、久しぶりです」

 という地元民の感動をよそに、猫宮は「元気そうだな」と笑って、さっさとレンタカーを借りに行ってしまった。
 そのすらりとした後ろ姿を見送り、龍子は悩ましく眉を寄せてしまう。

 犬島の手配してくれた飛行機はビジネス席。エコノミーよりい幾分ゆったりとした座席に座った猫宮は、何気ない口ぶりで言っていた。

 ――最近、コタツで寝ているせいか体がバッキバキなんだよな。さすがに毎日というのは良くないな。

(その話題……!)

 ひやりとしたものを感じつつ、薄氷を踏み抜かぬよう注意を払って、龍子は何気なく返す。

 ――サイズ感も合ってないですもんね。朝になると、手足がはみ出ていますし高さも足りていないっていうか。
 ――そうなんだよ。買い替えた方が良いかな。最近自分でも探しているんだけど、ちゃぶ台型じゃなくてダイニングテーブル型の高さのあるコタツもあるんだよな。

 そこで客室乗務員がブランケットを持ってきて、会話が途絶えた。正直なところ、助かった。

(買い替えというか、そもそもコタツで寝ないのが一番だと思うんですけどね!? だいたい、その買い替えたコタツをどこに置くつもりなんでしょうか。ご自分のお部屋ですか。それとも)

 聞けない。
 そもそも、猫宮が毎晩猫になってしまうのがいけない。
 猫になると、スマホの操作もドアの開閉もできない。その状況で、たとえば地震など予期せぬことが起きたときに、逃げそびれて命に関わる――といった危機管理の問題を考えれば、ひとがそばにいた方が良いのは間違いない。何しろ、か弱き猫そのものなのだから。
 そういった言い訳をいくつも重ねながら、一緒の部屋で寝るのが習慣となってしまったのだ。

 猫の猫宮は寝付きが良く、こたつ布団の上で丸くなるとすぐに寝てしまう。
 それを見計らって、龍子は資格試験に向けての勉強をしたり、メイクの動画を見たりと時間を過ごし、真夜中になってから猫にキスをする。
 人間に戻った猫宮の体の上に、コタツをのせてから自分はベッドに入って就寝。

 どのタイミングで猫から人間に戻っているのか。猫宮から聞かれたことはない。龍子も、聞かれるまでは答えないで乗り切るつもりだ。今しばらくはこのままで。

 車寄せをうろうろしていたところ、青色の普通車が近寄ってきた。
 ひとまず助手席に乗り込みながら、龍子は「地元なので運転を任せて頂いても」と控えめに申し出る。
 猫宮はくすっと笑みをもらした。

「古河さんペーパーだろ。ナビでわからない道だけ隣で教えてくれればいいよ」
「そ、それはそうですね。道はわかりますけど、運転が得意なわけではないので……」

 しおしおと引き下がる。
 猫宮こそ、いつもは犬島に任せているくせにと思わないでもなかったが、朝に家を出てから空港までの運転も、実に危なげないものであった。龍子よりはよほど慣れている。素直に任せておこう、とシートベルトを締めた。

「それにしても高級車じゃない社長、新鮮ですね……! ふつうの二十代みたいです」
「俺はもともと、走れればそこまでこだわりはないんだが。『高級車は乗り心地が悪い』と古河さんは遠慮なく言うし」
「すみませんでした。それに、この車で良かったです。実家に『話を聞かせてほしい』とは言ってありますけど、まさか若社長をお連れするとは言っていないので。突然、なんかごつい車で乗り付けたら、両親もびっくりするでしょうし」
「『ふつうの二十代』の男と一緒に帰省したら、それはそれでご両親はびっくりしないのか?」
「えぇと……、あああっ」

 それはどういう意味で、と聞き返そうとしたところで、その言葉の意味するところを正確に悟り、龍子は目を白黒させた。
 今の今まで、(社長を連れて行くって言ったらびっくりするよなぁ。異動の話もしていないし)としか考えていなかった自分を呪いたい。
 ダメ押しのように、猫宮が笑いながら言った。

「そういえば、ご両親に引っ越しの件は話しているんだろうか。荷物を送ったりのやりとりがあるなら、きちんと伝えておけよ。俺と同じ住所になってるってこと」
「社長~~」

(事実だけど、一緒に暮らしているけど、毎日一緒の部屋で寝ているけど、そういうんじゃないというか! 彼氏じゃないし、今日は仕事の出張で……! 二人きりで泊りがけの)

 事実の陳列だけで、アウトだった。
 事前に両親に根回ししておかなかったことが悔やまれる。「会社の先輩と一緒で、出張だから実家には泊まらずに、ホテルを取る」とは言っていたが、よもや実家にこんなイケメンを連れ帰ったら、両親も動揺しないわけがない。
 いかにして差し障りのない紹介をすべきか。いざというときに龍子がぐずぐずしてしまえば、猫宮が先程のように「龍子さんとは一緒に暮らしていまして」なんて言い出しかねない。それはいけない。
 頭を悩ませる龍子をよそに、車は滑るように函館の街へと走り出した。


 * * *


 急な帰省ということもあり、龍子の両親は午前中に用事が入っていたとのこと。午後に実家訪問の予定で、午前中はひとまずフリー。

「先に函館山の麓の屋敷を確認してくるか。売りに出ていないことまではわかっているが、現状が気になる」
「そうですね。立ち入りしないで外から確認するくらいなら」

 猫宮は、函館に来るに当たり、龍子が買い戻そうとしている祖父母の屋敷の存在をずいぶん気にかけていた。
 地元の不動産会社に問い合わせてはみたものの、売りに出ている形跡なし。龍子の実家に「元の持ち主の縁者として確認したいことがあるから」と売り主の連絡先を聞いたが、電話の呼び出し音は鳴るもののつながっていない。
 結局、連絡がつかないまま函館まで来ることになった。
 龍子の両親も売り主に関して詳しい情報は知らないようで、場合によっては直接住所を訪ねるつもりでいる。
 少なくとも、猫宮はそこまでするつもりのようだ。

(いずれ自分で、そうしようとは思っていたけど……。うちの親が売ったときの値段も聞いているから、そのくらいお金が貯まってから)

 お金を用意できる目処のない段階で接触し、下手に足元を見られて値段を釣り上げられても、という懸念があったのだ。不動産屋などの仲介が入ればまた違うが、少なくとも今現在は売りに出していない以上、手放す気はないのかもしれない。そこに頼み込むとあれば、ふっかけられるおそれは十分にある。すべては相手次第であるが。
 もともと現場の叩き上げでもある猫宮は、その辺の交渉において自信はあるだろう。資産的にも問題ないはず。運用するという建前で、個人で買い上げるのではなく会社預かりとすることもできるのかもしれない。
 龍子としては、みすみすそれを容認して良いのか、という迷いはあった。

(今回は調査の名目で立ち入りの許可だけをもらって……。できれば買い戻すのは私が自分でしたい。社長の出方を見て、そこは口出しするか決めよう)

 龍子が屋敷を買い戻したいのはひとえに、「祖父母の思い出が~」という、いわばセンチメンタルな理由が大半を占めている。だが、猫宮の場合は「猫化の抑止や解呪につながる、なんらかの情報が欲しい」という切実な理由があるのだ。ここまで来てしまった以上、いくら元の所有者と縁続きの龍子でも、おいそれと邪魔できない。

「そういえば、古河さんは用事以外でどこか、行きたいところはあるのか? さしあたり、函館山に向かう途中で寄りたいところや食べたいものがあるなら、言ってくれれば」

 猫宮に声をかけられた瞬間、それまでの悩みが一気に吹き飛んだ。
 龍子は目を輝かせて、「ぜひご案内させてください!」と前のめりに運転席の方まで身を乗り出してしまい、猫宮に「事故るからやめるように。危ない」と冷たく注意をされることとなった。


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