あやかし猫社長は契約花嫁を逃さない

有沢真尋

文字の大きさ
上 下
14 / 26
【4】

好奇心は猫をも殺す

しおりを挟む
 書庫のドアが開く音。
 アンティークのコンソールテーブルに古めかしい手記を並べ、そばに寄せた一人がけソファに座って革表紙の日記に目を通していた犬島は、風の動きを感じて顔を上げた。

「おかえりなさい、颯司そうじさん。やっぱり引き止められたみたいですね。食事もお済みですか」

 ゴルフ帰り。家について着替えを済ませた猫宮が、微苦笑を浮かべて「ただいま」と答える。
 犬島の手元に視線を投げかけながら、軽い口ぶりで答えた。

あかねお嬢さんも来ていて、帰れなかった。榛原はいばらさん、俺とお嬢さんの婚約の件まだ諦めてないらしくて。もう、あからさまにお嬢さんゴリ押し。ゴルフの最中もコースに置き去りにされかけた。冬山でスキーだったら遭難して死んでる」
「秋のゴルフ場なので生還できたんですね。おめでとうございます。お嬢さんゴリ押しに関してはまあ、そうなるでしょう。榛原家も由緒正しきあやかしの力を持つ一族。お二人の結婚で家同士のつながりが今より強くなるのは、悲願でしょうから」

 淡々と応じて、犬島はソファの背にもたれかかる。足を組んで、手にしていた日記をテーブルに置いた。
 猫宮としては、それ以上ゴルフの話題を続けるつもりはなかったか、すぐに話を切り替える。

「調べ物の件、休日まで悪かったな。何か進展は」
「普段は会社があるので、進まなかったですからね。猫宮家の若様に猫化の力があること自体は異常でもなんでもないので、後回しになってしまっていましたが。今日はちょうど良かったです。やはり、一族で最後の猫化が確認された女性、紗和子さんが鍵だと思います。いま、紗和子さわこさんの日記を追っていました。なかなかおもしろいですよ」
「若い頃は猫化できたらしいが、あるときを境にできなくなって、それきりだったらしいというのは聞いたことがある。それを話してくれた祖父も故人で、紗和子さん本人が詳しいことをどこかに書き記していないことには……」

 犬島が立ち上がり、猫宮と連れ立って歩き出す。
 まるで切り出すタイミングをうかがっていたように、そわそわとした調子で猫宮が尋ねた。

「古河さんは?」

 退室がてら、リモコンで書庫の明かりを落とし、犬島はのんびりと答える。

「どうでしょう。引っ越しに時間がかかりそうなので、遅くなるようなら食事は済ませてから帰ると昼過ぎに連絡がありました。もう帰っているんじゃないでしょうかね」
「セキュリティを確認したが、出入りのログは残っていた。直接部屋に帰ったかな。今日のところは俺も猫にならなかったから、べつに用事は無いんだが。休日に上司の顔も見たくないだろうし、休んでいるならそれで」

 二人で並んで廊下を進み、分かれ道で犬島は「それじゃ、帰ります」と玄関の方角へと歩き出す。その背を見送ってから、猫宮は反対方向に歩き出した。
 ふと、廊下の先にドアが軽く開いたままの部屋があることに気づく。
 隙間から、細く光が漏れていた。
 出入りのログに、他の家族の帰宅の形跡がなかった以上、いま屋敷の中にいるのは他に古河龍子のみ。

「古河さん?」

 ノックをしようにもドアが開いていたので、猫宮はひとまず声をかけながら部屋の中へと足を踏み入れた。

 * * *

 猫にそそのかされてしまった。

 龍子が三毛猫に連れていかれたのは、前日の朝出会った応接間らしき部屋。
 窓際にダイニングテーブルが置かれていて、食事に利用したことから、ここは食堂以外の気分のときに家族で寛ぐ用途の部屋なのかもしれない。
 内装は華美ではないが、贅が凝らされている。
 大理石のマントルピースに本物の暖炉、その上にはのびのびとした筆致で描かれた風景画。
 いくつものテーブルや椅子はすべて由来のありそうなアンティーク調で、壁際には年代物の豪奢なサイドボード。
 三毛猫の狙いはまさにそこで、正面まで走り込んでから龍子を振り返って言った。

〈あの戸棚に、私のおもちゃをしまわれてしまったのよ。そのまま忘れてしまったみたいなの、この家の住人ってば、抜けているものだから〉
「おもちゃ?」

 にゃあにゃあと説明されて、龍子は思わず聞き返す。

(このお猫さま、おもちゃで遊ぶんですか。この貫禄で)

 途端、三毛猫はその心の声が聞こえたとばかりにギロリと龍子を睨みつけた。

〈いくつになっても猫は猫です。遊び心こそ猫の猫たるゆえん〉
「ははぁ、なるほど。だというのに、もうお猫さまがおもちゃでは遊ばないと決めつけた人間が、戸棚に猫じゃらしをしまいこんでしまったと」
〈猫じゃらしとは言ってませんが、まあそういうことです〉

 妙にしおらしい態度になった三毛猫の話しぶりは気にならないでもなかったが、龍子は(よほどそのおもちゃに愛着が)と勝手に了解した。

「このサイドボードの、どのへんです? 私、この家の人間ではないので、極力家探しのような真似はしたくなくてですね」

 下段部分は優美な彫りの刻まれた木製扉がついていたが、上段部分はガラス扉になっていて、中の様子が見える。一番近くのソファに飛び乗り、背の細い部分を危なげなく歩きながら、三毛猫はサイドボードの一番上を見て興奮したように声を上げる。

〈あれよ、あの木の棒〉
「あー、あのどこにでもありそうな棒ですか? たしかに、なんであんなところに隠すみたいに……」

 高級そうなグラスの並びに、なぜか木の棒が投げ込まれている。明らかに浮いているそれは、ちょうど遊んでいた猫から取り上げて放り込んだようにも見えた。
 にゃあにゃあ、と猫に急かされて、龍子は恐る恐るガラス戸に手をかけた。

(ここを開けたらセキュリティに引っかかる……なんてことはないかな。怖いな~)

 ドキドキしながらも、そっとガラス戸を開けて、木の棒を取り出す。
 シュッ。
 次の瞬間には、豪速で飛んできた猫に、棒を奪われていた。

「はわっ!? 猫さんなんですかいまの……!」

 叫んだが、すでに猫は棒をくわえて遠くのソファに降り立っていた。そのまま、棒を四つ足で抱え込み、興奮のままに足で蹴りながらカッと目を見開いてふがふがと噛みついている。
 その合間に、もごもごと独り言だけが聞こえてきた。

「にゃあああああああ」〈こ、これよ! 禁断のマ・タ・タ・ビ……! はぁ~たまらないわ〉
「猫さんまさか。それはいけない」

〈▲×◎♯Å◆⊿ll∟+¥\※∵¢-$×⌘……〉
「もう酔っ払ってる……!? 即効過ぎない……?」

 止める間もなかった。
 三毛猫はにゃう、にゃう、ごろごろごろごろ……と鳴いたり喉を鳴らしたりとご機嫌な様子で転げ回った後、木の棒を放り出してふらふらとどこかへと歩き出した。

「これは、取り上げられるはずだわ。悪いことしちゃった……。猫さん大丈夫かな」

 またたびの常習性はわからなかったが、麻薬のような反応を見ていると怖い。せめて二度と触らないように元の位置に戻しておこう、と龍子はその場まで歩み寄り、投げ出された棒を手にした。

 魔が差した。

 それはあまりにも「何の変哲もない」棒そのもので、いったい何がそこまで猫に効くのかと気になってしまったのである。
 匂いを嗅いでも、顔に乗せてみても何も感じない。
 龍子は、猫を真似してそーっと口に運んで小さくひと噛みしてみた。

 昔のひとは言った――

“Curiosity killed the cat”(好奇心は猫をも殺す)

 足から力が抜けて、ふらりとソファに倒れ込んだ。
 全身が重怠く、思考が鈍っていく。
 まるで深酒をしたときのように、龍子はそのまま眠りについてしまった。


「古河さん?」

 夢現で名を呼ばれた。
 その声に、龍子はついに返事をすることができなかった。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

誰も知らない幽霊カフェで、癒しのティータイムを。【完結】

双葉
キャラ文芸
【本作のキーワード】 ・幽霊カフェでお仕事 ・イケメン店主に翻弄される恋 ・岐阜県~愛知県が舞台 ・数々の人間ドラマ ・紅茶/除霊/西洋絵画 +++  人生に疲れ果てた璃乃が辿り着いたのは、幽霊の浄化を目的としたカフェだった。  カフェを運営するのは(見た目だけなら王子様の)蒼唯&(不器用だけど優しい)朔也。そんな特殊カフェで、璃乃のアルバイト生活が始まる――。  舞台は岐阜県の田舎町。  様々な出会いと別れを描くヒューマンドラマ。 ※実在の地名・施設などが登場しますが、本作の内容はフィクションです。

闇に堕つとも君を愛す

咲屋安希
キャラ文芸
 『とらわれの華は恋にひらく』の第三部、最終話です。  正体不明の敵『滅亡の魔物』に御乙神一族は追い詰められていき、とうとう半数にまで数を減らしてしまった。若き宗主、御乙神輝は生き残った者達を集め、最後の作戦を伝え準備に入る。  千早は明に、御乙神一族への恨みを捨て輝に協力してほしいと頼む。未来は莫大な力を持つ神刀・星覇の使い手である明の、心ひとつにかかっていると先代宗主・輝明も遺書に書き残していた。  けれど明は了承しない。けれど内心では、愛する母親を殺された恨みと、自分を親身になって育ててくれた御乙神一族の人々への親愛に板ばさみになり苦悩していた。  そして明は千早を突き放す。それは千早を大切に思うゆえの行動だったが、明に想いを寄せる千早は傷つく。  そんな二人の様子に気付き、輝はある決断を下す。理屈としては正しい行動だったが、輝にとっては、つらく苦しい決断だった。

ねこの湯、営業中です! 函館あやかし銭湯物語

南野雪花
キャラ文芸
祖父の葬儀のため生まれ故郷である函館に戻ってきた「みゆり」は、なんとそこで8年前に死んだ愛猫の「さくら」と再会する。 猫又となってみゆりの元へと帰ってきたさくらは、祖父の遺産である銭湯をなくさないで欲しいと頼み込んできた。 その銭湯は、あやかしたちが霊力を回復するための「霊泉」だったのである。 しかし銭湯というのは、消えゆく産業の代表格だ。 みゆりはさくらとともに、なんとか銭湯を再建しようと試みる。 そこにアイヌのあやかしが助けを求めてきて……。 ※完結しました! ※道南に存在するお店などが実名で登場します。(許可をいただいております)

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

「お節介鬼神とタヌキ娘のほっこり喫茶店~お疲れ心にお茶を一杯~」

GOM
キャラ文芸
  ここは四国のど真ん中、お大師様の力に守られた地。  そこに住まう、お節介焼きなあやかし達と人々の物語。  GOMがお送りします地元ファンタジー物語。  アルファポリス初登場です。 イラスト:鷲羽さん  

千切れた心臓は扉を開く

綾坂キョウ
キャラ文芸
「貴様を迎えに来た」――幼い頃「神隠し」にあった女子高生・美邑の前に突然現れたのは、鬼面の男だった。「君は鬼になる。もう、決まっていることなんだよ」切なくも愛しい、あやかし現代ファンタジー。

日給10万の結婚〜性悪男の嫁になりました〜

橘しづき
恋愛
 服部舞香は弟と二人で暮らす二十五歳の看護師だ。両親は共に蒸発している。弟の進学費用のために働き、貧乏生活をしながら貯蓄を頑張っていた。  そんなある日、付き合っていた彼氏には二股掛けられていたことが判明し振られる。意気消沈しながら帰宅すれば、身に覚えのない借金を回収しにガラの悪い男たちが居座っていた。どうやら、蒸発した父親が借金を作ったらしかった。     その額、三千万。    到底払えそうにない額に、身を売ることを決意した途端、見知らぬ男が現れ借金の肩代わりを申し出る。    だがその男は、とんでもない仕事を舞香に提案してきて……  

花好きカムイがもたらす『しあわせ』~サフォークの丘 スミレ・ガーデンの片隅で~

市來茉莉(茉莉恵)
キャラ文芸
【私にしか見えない彼は、アイヌの置き土産。急に店が繁盛していく】 父が経営している北国ガーデンカフェ。ガーデナーの舞は庭の手入れを担当しているが、いまにも閉店しそうな毎日…… ある日、黒髪が虹色に光るミステリアスな男性が森から現れる。なのに彼が見えるのは舞だけのよう? でも彼が遊びに来るたびに、不思議と店が繁盛していく 繁盛すればトラブルもつきもの。 庭で不思議なことが巻き起こる この人は幽霊? 森の精霊? それとも……? 徐々にアイヌとカムイの真相へと近づいていきます ★第四回キャラ文芸大賞 奨励賞 いただきました★ ※舞の仕事はガーデナー、札幌の公園『花のコタン』の園芸職人。 自立した人生を目指す日々。 ある日、父が突然、ガーデンカフェを経営すると言い出した。 男手ひとつで育ててくれた父を放っておけない舞は仕事を辞め、都市札幌から羊ばかりの士別市へ。父の店にあるメドウガーデンの手入れをすることになる。 ※アイヌの叙事詩 神様の物語を伝えるカムイ・ユーカラの内容については、専門の書籍を参照にしている部分もあります。

処理中です...