上 下
6 / 13

危機一髪からの、名案

しおりを挟む
 アリーナは、ドアの影に隠れてそうっと周囲を窺った。
 モンスターの気配はない。

(今のうちに……!)

 単身出ていくと決めた以上、ラインハルトに引き止められたくなかったので、素早く迷宮に足を踏み入れて後ろ手でドアを閉ざした。
 周囲は薄く発光しており、遠くが見通せるほどではないが、近くを見る分に明るさに不足はない。綺麗に整えられた壁に囲まれた細い通路が、左右と正面に伸びていた。
 いきなり、道がわからない。
 何しろアリーナにとっては初めての外出であり、ここは迷宮なのだ。仕方ない。

「迷宮で迷ったときは、左手を壁について進め、だっけ。この場合左手を壁につくと……、素直に左に進めばいいの? それとも、正面に手を伸ばして壁を伝って行くの?」

 生半可な知識を持ち出してみても、わからないものはわからない。もうこうなっては前進あるのみ、とアリーナは正面の道を進むことにした。

 ゴォォォォォ

 遠くで、唸り声。空気がかすかに震えたが、前日にキマイラと対面したときに比べれば、全然なんてことはない。かなり遠くにいる。恐れることはない。

(大丈夫、大丈夫。いざとなったら「アリアドネの糸」を使う。無茶なんかしない。何度でも挑戦すれば良いのよ……)

 念じながら歩き続けると、またもや左右の道と交わる交差点に到達してしまった。ここは下手に曲がったりせず、今日のところはまっすぐ進むことに集中しようと決めてさらに進む。

 オオオオオオオォォ

(……近くなってきた? この先にいる? 引き返す? でもまだ姿が見えないし、これだけ道が入り組んでいるんだから、遭遇しない可能性もある。怯えてばかりではいられない……)

 緊張でガチガチになりながら進んでいたそのとき。
 しゅるり、という聞き慣れない音に続き、ボタン、と肩に不自然な重みを感じた。天井から、何かが落ちてきて、肩に引っかかったのだ。
 しゅるるるる、とひそやかな音は耳のすぐそばで鳴り続けている。
 歩みを止めたアリーナは、ゆっくりと首を巡らせてそれを見た。

 黒と黄色のまだら模様。ぬめりのあるうろこ状の肌。鎌首をもたげた頭から伸びる、細くて真っ赤な舌。

(へび)

 蛇だった。重いはずだ、という特大の蛇が肩に乗り上げて、アリーナの頬に向かって舌を伸ばしていた。
 真っ黒の瞳と目が合った。
 唇が震え、呪文の詠唱どころではない。ここぞというときの「アリアドネの糸」が使えない……!

「い……や……」

 たったそれだけ言ったところで、蛇がぶつからんばかりに勢いよく、顔を近づけてきた。
 舌先が頬をかすめる。

(避けられない……!!)

 逃げたいのに手足のどこも動かぬまま。
 声なき悲鳴を上げたアリーナの腕を、誰かの手が強くひいた。
 そのまま、体の大きなその人に抱き込まれて、かばわれる。
 標的を失った蛇は、どん、と床に落ちたもののすぐに顔の方向を変えてぎょろりとした目でアリーナを見てきた。
 その頭を、ブーツを履いた男の足が蹴りつけ、あらぬ方を向かせた。

「俺を誰だと思っている。迷宮の主だ。逆らったら無事では済まないぞ。さっさとこの場を立ち去れ」

 アリーナを抱きとめたまま、淡々としながらもよく響く声で男が言う。
 首をもたげたまま、蛇は数度しゅるしゅると舌を出し入れしていたが、すうっと横を向くと床に臥せ、存外に早い動きで這って去った。
 硬直が解けた後から震えっぱなしだったアリーナは、無意識のうちに自分をかばった腕にしがみついていた。
 背にしているのは固くあたたかな胸。包み込んで、かばってくれた。

(ラインハルトさま、来てくれた……。また神通力を使わせてしまったのでは。お役に立ちたいのに、私はこの方の消滅を早めるようなことばかりしてしまっている)

 忸怩たる思いでいたが、そんなアリーナにラインハルトが実直そうな声で告げた。

「俺の態度が悪かったのは認める。昨日、君はキマイラを見ていたし、攻撃系の魔法は無いと言っていたから、まさか出ていくとは思わなかったんだ。追いついて良かったが、怖い思いをさせてしまった」

「いいえ、いいえ。私が自分で決めてしたことなので、そのように申し訳無さそうにしないでください。無茶をするつもりなんてなかったんです。私は『アリアドネの糸』が使えますから、大丈夫だと思っていました」

「アリアドネの糸? なんだそれは」

 アリーナが告げると、ラインハルトは不思議そうに聞き返してきた。
 何か言い間違えただろうか? とアリーナは顔を上げてラインハルトと視線を合わせる。それはアリーナの世界では、誰でも知っている下級魔法だ。

「ダンジョン脱出魔法です。アリアドネの糸というのは」
「脱出魔法? 君の世界には、そんな便利な魔法があるのか」

 驚いた顔で見返されて、アリーナは目を瞬く。

(まさかこの世界には「アリアドネの糸」が存在していないの? 迷宮と関わりの深い仕組みがあるというのなら、必要不可欠な魔法のはず……)

「脱出地点はダンジョンに入った場所に固定されるので、中間地点に戻るなどの細かい調整はできませんが……。ためしに使ってみましょうか? 事務室に戻るはずです」

 アリーナから申し出ると、ラインハルトはそれまでとは打って変わって別人のように若々しく口の端を吊り上げ、興味津々といった様子で瞳を輝かせて頷いた。

「やってみてほしい」
「では……、私から離れないでこのままで。アリアドネの糸よ、私達をお導きください……」

 魔法の効果範囲から外れないよう、アリーナが身を寄せると、ラインハルトが片腕を回してぎゅっと抱きしめてきた。その、感触。たとえば、鍛え抜かれた冒険者の筋肉質な肉体とは、こういうものではないだろうか。それまで一度も触れたことのない男性そのものの体にアリーナがドキドキする間もなく、二人は会社の事務室へと戻っていた。
 着いた、とアリーナはラインハルトから離れようとした。
 そのアリーナの体をさらに強く抱き寄せ、ラインハルトが興奮した様子で言った。

「すごい魔法だな……!! 本当にここへ戻ってきた!! この魔法効果を持つアイテムがあれば、世界中の冒険者がこの迷宮に押し寄せるだろう!! こんな画期的な魔法がこの世に出現したなんて」

「絶対に必要ですよね? どうして今まで無かったんですか?」

「わからない。おそらく、古き神々の定めたなんらかの規則によって制限されているんだと思う。その魔法を作ろうとした者は過去にもいたはずだが、この世界では成立しなかった。異世界人の君だからこそ、規則の網目をすり抜けて持ち込めたのかもしれない」

 目の輝きも、声の張りも今までとは別神。
 どうしたことかと驚き目を見開くアリーナを抱き寄せながら、ラインハルトは勢い込んで言った。

「君のその魔法を、俺の力でなにかの形代に込めて、この迷宮のレアアイテムとしよう。奥まで来なくても入り口付近の宝箱に入れたり、低級モンスターからドロップする仕様にする。そのアイテムさえあれば、無茶な迷宮踏破に挑戦して命を落とす冒険者も減るだろう」

(無茶な迷宮踏破で命を落とす……。もしかして社長が迷宮造成に意欲的ではなかったのは、冒険者に無理をさせたくなかったから?)

 不意に、ハッと息を呑んだラインハルトが、アリーナの両肩に手をおき、密着していた体をひっぺがした。
 顔を真赤に染めながら「その……、喜びのあまり我を失っていた。すまない」ともごもごと謝ってくる。
 その百面相ぶりがおかしくて、アリーナは思わず吹き出し、思う存分笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】魔王様、溺愛しすぎです!

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
「パパと結婚する!」  8万年近い長きにわたり、最強の名を冠する魔王。勇者を退け続ける彼の居城である『魔王城』の城門に、人族と思われる赤子が捨てられた。その子を拾った魔王は自ら育てると言い出し!? しかも溺愛しすぎて、周囲が大混乱!  拾われた子は幼女となり、やがて育て親を喜ばせる最強の一言を放った。魔王は素直にその言葉を受け止め、嫁にすると宣言する。  シリアスなようでコメディな軽いドタバタ喜劇(?)です。 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう 【表紙イラスト】しょうが様(https://www.pixiv.net/users/291264) 挿絵★あり 【完結】2021/12/02 ※2022/08/16 第3回HJ小説大賞前期「小説家になろう」部門 一次審査通過 ※2021/12/16 第1回 一二三書房WEB小説大賞、一次審査通過 ※2021/12/03 「小説家になろう」ハイファンタジー日間94位 ※2021/08/16、「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過作品 ※2020年8月「エブリスタ」ファンタジーカテゴリー1位(8/20〜24) ※2019年11月「ツギクル」第4回ツギクル大賞、最終選考作品 ※2019年10月「ノベルアップ+」第1回小説大賞、一次選考通過作品 ※2019年9月「マグネット」ヤンデレ特集掲載作品

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

目立ちたくない召喚勇者の、スローライフな(こっそり)恩返し

gari
ファンタジー
 突然、異世界の村に転移したカズキは、村長父娘に保護された。  知らない間に脳内に寄生していた自称大魔法使いから、自分が召喚勇者であることを知るが、庶民の彼は勇者として生きるつもりはない。  正体がバレないようギルドには登録せず一般人としてひっそり生活を始めたら、固有スキル『蚊奪取』で得た規格外の能力と(この世界の)常識に疎い行動で逆に目立ったり、村長の娘と徐々に親しくなったり。  過疎化に悩む村の窮状を知り、恩返しのために温泉を開発すると見事大当たり! でも、その弊害で恩人父娘が窮地に陥ってしまう。  一方、とある国では、召喚した勇者(カズキ)の捜索が密かに行われていた。  父娘と村を守るため、武闘大会に出場しよう!  地域限定土産の開発や冒険者ギルドの誘致等々、召喚勇者の村おこしは、従魔や息子(?)や役人や騎士や冒険者も加わり順調に進んでいたが……  ついに、居場所が特定されて大ピンチ!!  どうする? どうなる? 召喚勇者。  ※ 基本は主人公視点。時折、第三者視点が入ります。  

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

システムバグで輪廻の輪から外れましたが、便利グッズ詰め合わせ付きで他の星に転生しました。

大国 鹿児
ファンタジー
輪廻転生のシステムのバグで輪廻の輪から外れちゃった! でも神様から便利なチートグッズ(笑)の詰め合わせをもらって、 他の星に転生しました!特に使命も無いなら自由気ままに生きてみよう! 主人公はチート無双するのか!? それともハーレムか!? はたまた、壮大なファンタジーが始まるのか!? いえ、実は単なる趣味全開の主人公です。 色々な秘密がだんだん明らかになりますので、ゆっくりとお楽しみください。 *** 作品について *** この作品は、真面目なチート物ではありません。 コメディーやギャグ要素やネタの多い作品となっております 重厚な世界観や派手な戦闘描写、ざまあ展開などをお求めの方は、 この作品をスルーして下さい。 *カクヨム様,小説家になろう様でも、別PNで先行して投稿しております。

【完結】平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています

空月
ファンタジー
この世界には『善い魔法使い』と『悪い魔法使い』がいる。 『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。 「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」 「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」 そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。 ◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)

処理中です...