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第三章

【3】婚約者の思惑

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 長い船旅の間、男装。
 学校生活、制服。
 時間外、仕事の為に男装。

(ふ、服がないです……! 友達と一緒にお出かけの時に着る服が、本当にありません……!)

 寮の自室にて、すかすかのクローゼットを開け放ったまま、エルトゥールは頭を抱えていた。

 国を離れての学生生活で、油断していた。
 自分ではさほど意識していなかったが、周りからはっきり「お姫様」として注目されているとわかった以上、プライベートとはいえ妙な服装では出歩けない。

(遊びも人付き合いもしていなかったから、見過ごしていました。これからは、貴族や裕福な家庭の生徒たちに、お招きやお誘いを受けるようなこともあるかもしれないです。このままというわけにはいきませんね)

 さらに言うならば、昼間、アーノルドには「公的な場であれば」などと自分から申し出たはいいものの、いざそんな機会を作られても全然対応できないことにまで、気付いてしまった。

(万が一ということもありますし、お姉さまに連絡をしておこう。身だしなみを整えるのは、贅沢ではなく、王族として国の名に傷をつけないためにも、社交の場に招いてくれた相手を尊重する意味でも必要なこと。取り急ぎ、ティム商会に相談して、何か用意していただいたほうが良さそうです)

 先の見通しはさておき、いま直面している「今日出かけるための服がない」問題自体は、解決するわけではない。
 ひとまずレベッカに何か借りられないかと考えてはみたものの、その考えをすぐに打ち消した。
 男装をすれば男というはったりがきくエルトゥールと、やや小柄なレベッカでは身長や体格が違う。体に合わせて仕立てている服は、借りることができてもおそらくエルトゥールにはまったく似合わない。

「制服で夜遊びするわけにもいかないし……」

 悩み抜いていたところで、コン、コン、とノックの音が響いた。

「エルトゥール姫、部屋に帰ってる?」
「ジャスティーン様? いま開けます」

 思わぬ訪問者に、慌ててドアまで駆け寄り、鍵を外してドアを開け放った。
 いつもながらの眩いばかりの美貌に笑みを浮かべたジャスティーンは「少し話せる?」と優し気な声で言う。

「どうぞ、中へ。この後外に出る用事があるんですが、時間はまだありますので」
「それなんだけど、私は普段他の女子学生の部屋には入らないようにしているんだ。特に、二人きりにならないように気を付けている。コモン・ルームまで付き合ってもらっていいかな」

(ジャスティーン様に対して、本気で恋焦がれている女生徒は多いから、友人関係でも気を付けているってことでしょうか)

 連れ立って、寮の生徒たちが自由に使える共用空間に出向く。
 ソファやテーブルがいくつも配置されているが、時間帯のせいかあまり人の姿はない。数名の女生徒が話に花を咲かせているだけ。
 そこから離れたソファに並んで腰を下ろすと、ジャスティーンが口火を切った。

「最近、アーノルド様とあまり話していない? 何かあった?」
「その件ですか。何かあったわけではないんですが……、何かあるわけにもいかないですし。ジャスティーン様から聞いてくださるというのは、その……」

 “あまり自分のことは気にしないで、遠慮しないで”

 その意図がありそうだとは思いつつ、エルトゥールとしては素直に受け入れられない。
 言葉に詰まったエルトゥールに対し、ジャスティーンは溜息混じりに言った。

「エルトゥール姫の立場が難しいのは、わかる。アーノルド様もそこは理解している。けど、傍で見ている身としては、気になってね。これまでは、アーノルド様も特定の女性を気に掛けることもなかったから。ここまで自分が殿下の行動の障害になるというのも、心苦しいものがあって」

「そこは、ジャスティーン様が申し訳なく思うようなところではありません。御婚約者同士であるお二人が仲睦まじく過ごされているのが一番です。私は編入当初の右も左もわからない頃、殿下に心を砕いて頂いたことには感謝しておりますが、これ以上は」

(むしろ、ジャスティーン様に、私がアーノルド殿下が気にかけている「特定の女性」扱いをされると、ものすごく罪悪感が……)

 まるで自分が来るまで、二人の間にはなんの問題もなかったと言われているようなもので、ひたすら申し訳がない。

「姫は……、アーノルド様のこと……、いや、この質問に姫が答えられないことはわかっている。やめよう。ままならないものだね。私が、いくら気にしないで欲しいと言っても、姫はそういうわけにはいかないのだろうから」

(殿下がただの学友であれば、私も悩むことがなかったのは確かですね。だけど、私は彼が「アル」であることも知っているから……)
 
 シェラザードで顔を合わせる仕事仲間のアルには、思い入れがある。アルがいるから、仕事を続けていられる、そのくらいの恩義を感じている。
 その感情を、「アーノルド殿下」に向けてはならないと、自分に強く言い聞かせているのだ。いつも。

「私は、お二人の間に割り込んで、関係を乱すことを望んでいません。少しでもそんな兆候があれば、即刻留学を切り上げて帰国します。ご理解ください、それが私の偽らざる本心です。ジャスティーン様は殿下の正式な婚約者なのです。いかに私が他国の王族とはいえ、気を遣って頂く必要はありません」

「うん。姫の言うことはわかる。心の底から言っているということもわかっている。本当にどうしたものか……」

 恐ろしく難しい顔をして、ジャスティーンは腕を組んで考え込んでしまう。

(男女だからといって、すぐに危うい関係になるわけではなくて。ごく普通に友情をはぐくんでほしいというのがジャスティーン様のお考えかもしれません。ですが、周りも同じように考えるわけではないですし、何かあったときには関わった全員が傷つくわけですから、譲れません)

 特に、アーノルドが今まで他の女性とさほど関わってこなかったとなれば、なおさらだ。
 何かのはずみで「エルトゥール姫は特別のようだ」と誰かが言い出せば、すぐにあることないこと広まって、既成事実として語られてしまうだろう。

「最後に、これだけは誤魔化さないで答えて欲しい。姫は、アーノルド様のこと、嫌いだから避けているわけじゃないんだよね?」
「はい。嫌う理由は、ありません。私のこの返答は、ジャスティーン様の信頼にお応えすべく、嘘は言っていません。ですが、以後言葉を変えて質問を繰り返すのはやめてください」

 好意を引き出そうとされても困ります、と暗に伝える。

「わかった。ありがとう。無理を言って本当に申し訳ない」

 ジャスティーンが、会話の幕引きをした。
 表情はすっきりしたものではなく、いまだ何か悩んでいる様子であったが、エルトゥールからはどうにも手出しができない。

(ジャスティーン様は、アーノルド様のことを一番に考えているのですね。今の状況を変えたいのでしょう。でも、私にはこれ以上どうにも……)

 後味の悪さを感じながら、ジャスティーンとともにソファから立ち上がった。

「姫は、何か用事があるんだったね。時間をもらって悪かった」
「あ……、ああ、そうです。服が」

 水を向けられた拍子に、懸念事項が口をついて出てしまった。
 きょとんとしたジャスティーンに聞き返されて、エルトゥールは正直に打ち明ける。
 真面目な顔をして聞いていたジャスティーンは、エルトゥールが話し終えると破顔一笑して言った。

「それなら、任せて。私の手持ちなら姫も着られるはずだ。引き留めたお詫びにもならないけど、何か見繕ってくるよ」
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