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【1】
連続する危機
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さすがに、近くで顔を合わせれば一人くらいは気づく。
アーケード内とはいえ、咄嗟に飛び込める店もなければ、通り過ぎるまで見ているふりのできるショーウィンドウも無い。
すぐに、お互いをはっきり視認できる距離。俺と変わらない身長で茶髪に眼鏡、キャメルのコートを着た一人と視線がぶつかる。
(遥……!)
幼なじみで俺が茶道を習っていることは知っていて、俺の着物姿には驚かないとしても、今日のコーディネートは女性用ということくらいは、わかるはず。
遥は、眼鏡の奥の瞳を訝しげに細め、唇の動きだけで名前を呼んできた。
澪?
俺は目を合わせたまま、小刻みに首を振る。今はまずいからやめてお願い、と。アイコンタクト。
遥は軽く顎をしゃくって俺に「顔をそらせ、後ろを向け」みたいな合図をくれてから、横目を流して話に夢中の連れの二人を見る。すれ違う少し前に体をずらすようにして俺が目立たないように背にかばい、通り過ぎる。
(遥の察しが良くて、助かっ……)
ほっと息を吐きだそうとしたところで、知らない声が響いた。
「素直」
大人の、男の声。
たった一言なのに、強い違和感。殴られたような幻の鈍痛が胸にはしる。
澪さん、と掠れた素直の声。羽織の袖を手袋をした小さな手に弱く掴まれる。時間にしてほんの数秒の出来事、それだけで俺は何が起きているか漠然とでも想像がついてしまった。
素直を背にかばって、辺りに視線をすべらせれば、道の真ん中で立っている中年の男が目に入る。
白髪交じりの髪に、深く皺の刻まれた顔。年齢はわからないが、そこまで年を重ねているわけではなさそうだとあたりをつける。ただ、そういう疲れが顔に出るような生き方をしているのだろう、と。
「前の家、引っ越してしまってから、会えなくて。どこに行ったのかと探していたけど、市内に住んでいるのか? それとも、クリスマスだから遊びに来たの? 里香は?」
(素直の親父だな。男性不信の元凶)
唾を飲み込む。できる限り相手の視界を遮ろうと、腕を伸ばして素直を袖に隠す。相手から目をそらさないまま。
いま言われた内容はつまり、母子は引っ越ししてこの男から逃げて、関係を絶とうとしてきたという意味だ。ここで会話を長引かせ、余計な情報を与えるのはまずい。
何より、素直の精神状態が心配だ。
「話すことは無い。このままどこかへ行ってくれ」
「ずいぶん年上の友達だね。誰? 着物なんて珍しい。良いところのお嬢さんかな」
俺の言葉など、何も聞こえていないかのようだ。話が噛み合わないまま愛想よく微笑まれて、無性に苛立った。猫なで声。懐柔すればできると信じて疑っていないような……。
(あっ、これ、俺、女だと思われてる!?)
多少素直と年齢は開いているが、完全に「女友達」だと思われているのかもしれない。その結果、舐められている。女であれば脅威には当たらないと、最初から決めてかかっている態度。
男だと見破られなかったのは良かったが、男か女かで態度を決めるような奴を相手にする場合、厄介だ。
俺は目に力を込め、睨みつける。
「しつこくするようなら、警察を呼ぶ」
「何を警戒しているのか知らないが、俺はその後ろの子の父親だよ。親が子どもに話しかけるだけで、警察を呼ばれても。だいたい、君はうちの娘とどういう関係なんだ?」
(いま素直が頼れるのは俺だけだから。俺が素直を守らないと)
「この子は、私の妹だ。人違いをしている」
「そんなわけがない。君では話にならないな。ちょっと、娘と話をさせてくれ。寒い中で立ち話もなんだ、そこの店にでも入って。それか、タクシーつかまえてどこかへ」
話にならないのは、この男の方だ。わざとなのか、それとも他人の言う事など聞く耳を持たないのか。まったく会話が噛み合わない。
何か実力行使でもされたら。素直は真っ先に逃さないと。こんなとき着物は動きにくい、とこの先の最悪の展開をいくつも予想して思い描いたとき。
「澪。どうした」
知った声が聞こえて、横に俺と変わらない身長の遥が立った。
その向こう側に、連れの二人の姿もある。俺と目が合うとなぜか会釈してきた。俺だと気付いてない? そんなわけないよな? 遥へと視線を戻せば、眼鏡の奥から冷静そのものの目で見返された。俺が何を言う間もなく、なぜか俺の前に立つ。まるで、背中にかばうように。
(遥?)
遥は、素直の親父と対峙して、いやにはっきりとした声で言い切った。
「俺の彼女に、何か用ですか?」
アーケード内とはいえ、咄嗟に飛び込める店もなければ、通り過ぎるまで見ているふりのできるショーウィンドウも無い。
すぐに、お互いをはっきり視認できる距離。俺と変わらない身長で茶髪に眼鏡、キャメルのコートを着た一人と視線がぶつかる。
(遥……!)
幼なじみで俺が茶道を習っていることは知っていて、俺の着物姿には驚かないとしても、今日のコーディネートは女性用ということくらいは、わかるはず。
遥は、眼鏡の奥の瞳を訝しげに細め、唇の動きだけで名前を呼んできた。
澪?
俺は目を合わせたまま、小刻みに首を振る。今はまずいからやめてお願い、と。アイコンタクト。
遥は軽く顎をしゃくって俺に「顔をそらせ、後ろを向け」みたいな合図をくれてから、横目を流して話に夢中の連れの二人を見る。すれ違う少し前に体をずらすようにして俺が目立たないように背にかばい、通り過ぎる。
(遥の察しが良くて、助かっ……)
ほっと息を吐きだそうとしたところで、知らない声が響いた。
「素直」
大人の、男の声。
たった一言なのに、強い違和感。殴られたような幻の鈍痛が胸にはしる。
澪さん、と掠れた素直の声。羽織の袖を手袋をした小さな手に弱く掴まれる。時間にしてほんの数秒の出来事、それだけで俺は何が起きているか漠然とでも想像がついてしまった。
素直を背にかばって、辺りに視線をすべらせれば、道の真ん中で立っている中年の男が目に入る。
白髪交じりの髪に、深く皺の刻まれた顔。年齢はわからないが、そこまで年を重ねているわけではなさそうだとあたりをつける。ただ、そういう疲れが顔に出るような生き方をしているのだろう、と。
「前の家、引っ越してしまってから、会えなくて。どこに行ったのかと探していたけど、市内に住んでいるのか? それとも、クリスマスだから遊びに来たの? 里香は?」
(素直の親父だな。男性不信の元凶)
唾を飲み込む。できる限り相手の視界を遮ろうと、腕を伸ばして素直を袖に隠す。相手から目をそらさないまま。
いま言われた内容はつまり、母子は引っ越ししてこの男から逃げて、関係を絶とうとしてきたという意味だ。ここで会話を長引かせ、余計な情報を与えるのはまずい。
何より、素直の精神状態が心配だ。
「話すことは無い。このままどこかへ行ってくれ」
「ずいぶん年上の友達だね。誰? 着物なんて珍しい。良いところのお嬢さんかな」
俺の言葉など、何も聞こえていないかのようだ。話が噛み合わないまま愛想よく微笑まれて、無性に苛立った。猫なで声。懐柔すればできると信じて疑っていないような……。
(あっ、これ、俺、女だと思われてる!?)
多少素直と年齢は開いているが、完全に「女友達」だと思われているのかもしれない。その結果、舐められている。女であれば脅威には当たらないと、最初から決めてかかっている態度。
男だと見破られなかったのは良かったが、男か女かで態度を決めるような奴を相手にする場合、厄介だ。
俺は目に力を込め、睨みつける。
「しつこくするようなら、警察を呼ぶ」
「何を警戒しているのか知らないが、俺はその後ろの子の父親だよ。親が子どもに話しかけるだけで、警察を呼ばれても。だいたい、君はうちの娘とどういう関係なんだ?」
(いま素直が頼れるのは俺だけだから。俺が素直を守らないと)
「この子は、私の妹だ。人違いをしている」
「そんなわけがない。君では話にならないな。ちょっと、娘と話をさせてくれ。寒い中で立ち話もなんだ、そこの店にでも入って。それか、タクシーつかまえてどこかへ」
話にならないのは、この男の方だ。わざとなのか、それとも他人の言う事など聞く耳を持たないのか。まったく会話が噛み合わない。
何か実力行使でもされたら。素直は真っ先に逃さないと。こんなとき着物は動きにくい、とこの先の最悪の展開をいくつも予想して思い描いたとき。
「澪。どうした」
知った声が聞こえて、横に俺と変わらない身長の遥が立った。
その向こう側に、連れの二人の姿もある。俺と目が合うとなぜか会釈してきた。俺だと気付いてない? そんなわけないよな? 遥へと視線を戻せば、眼鏡の奥から冷静そのものの目で見返された。俺が何を言う間もなく、なぜか俺の前に立つ。まるで、背中にかばうように。
(遥?)
遥は、素直の親父と対峙して、いやにはっきりとした声で言い切った。
「俺の彼女に、何か用ですか?」
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