壊れそうで壊れない

有沢真尋

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【1】

憧れ

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 真冬。日が落ちるのが早く、夕暮れ時の辺りはすでに薄暗い。

(中に色々重ね着したけど、寒いものは寒い)

 着物の上には真っ赤なウールの羽織り。グレーのマフラーも巻いた。手袋は女性用で合うサイズが見つからず、やむなく普段使いの黒。暗ければよく見えないだろうし、店に入ったら目立たないように脱いでしまおうと決めている。
 待ち合わせの十六時に駅前へと向かった。
 一度しか会っていないので、すぐに素直を見つけられるか少し不安だったけど、素直の方が先に俺に気付いた。
 紺色のダッフルコート姿で、会釈してから近づいてくる。
 目を合わせるような合わせないような微妙な角度で俺を見上げて、口元をほころばせた。

「澪さん、クリスマスっぽい。白い着物がすごく綺麗」

 久しぶりに聞いた声は、ずいぶんと柔らかく響いた。初対面のときとは全然違う。

(この子は俺に懐いているんだ、本当に)

 会わない日々に交わした文字だけのやりとりで、すっかり信用してしまっている。
 体の芯まで寒からしめる冷気だけでなく、ぞくりと身が震えるような思いがあった。

 この信頼を裏切るのは許されないという、覚悟。これほど人懐っこいところのある子が、あれほど心を閉ざした実の父親の件に対しての、ネガティヴな感情。里香さんが心配していた「SNSで知らないひとと仲良くなってしまったら」という心配に対する共感。全部がない混ぜに、押し寄せてくる。

(俺はこの子を、守らなければいけないんだ。家族になることは無いかもしれないけど、もう引き返せないところまで深入りしている)

 心の底で決意が固まるのを感じながら、素直に笑いかけた。

「ありがとう。今日のために、茶道教室の姉さん方に色々借りちゃった。身長があるから、かなり誤魔化しながら着ている」

 ブーツを履いた足で宙を軽く蹴り上げる。短めの裾がひらりと翻った。
 ふと、視線を感じて周囲をぐるりと見回せば、何人かと目が合った。茶道で着物を着るときも道を歩けばそれなりに注目をされるが、今日は女装だからなおさらなのかもしれない。
 化粧をしたとはいえ、顔はそれほどいじっていない。知り合いに会わないと良いな、と思いながら俺は素直に向かって言った。

「素直さんも、そのコート似合う。清楚な色使いがキリッとした美人顔を引き立ててる。ベレー帽もかわいいね。全部かわいい」

 薄暮の弱い光の中だというのに、素直が頬から耳まで赤く染めたのがわかった。

(あれ……? 俺、何か変なこと言った?)

 何しろ、お茶の先生が「稽古ではできれば和装が望ましい」というスタンスなので、普段から着物で通ってくるひとも多く、着物や帯を褒め合うのは日常会話の範疇。そのいつもの感覚で褒めたのだが、何かまずかっただろうか?
 素直は顔を赤らめたまま俯き、聞き取りにくい声でもごもごと呟いた。

「澪さんみたいに、綺麗じゃない……。かわいくない」
「お世辞じゃないよ。ほら、素直さんもさっき着物を褒めてくれたけど、社交辞令なんて思ってないから『ありがとう』って言っちゃった。それじゃだめか?」
「だめじゃないけど、澪さんに褒められると、緊張する。澪さん綺麗だし、頭も良いし、優しくて大人だから……」

(ああああ、憧れのお姉さん像か。う~ん、この期待は裏切れないな。俺はお姉さん、お姉さん……)

 小学生から見ると、高校生はもう大人なんだな、なんて思いながら俺は「とりあえず寒いから、行こう」と声をかけて歩き出した。
 ふと、素直が少し遅れていると気付いて肩越しに振り返ってうかがう。

「普段、駅前で時間潰すとき、すぐそこのカフェでコーヒー飲んでるんだ。いつもの感じで向かってた。素直さん、どこか行きたいところあった?」

 途端、俯き加減だった素直ががばっと顔を上げた。

「その、澪さん行きつけのお店がいいです!!」
「ドトールだよ」
「それで!!」

(そんなに食いつく要素あった? 憧れのお姉さん効果すごいな……)

 反応が良すぎて俺は唖然としてしまっていたけど、素直さんに「そこのドトールに行けば、澪さんと会うこともあるんですか。何曜日が多いとかあります?」と目を輝かせて聞かれて、ハッと気づく。
 一人で行くこともあるが、誰かしら一緒のこともある。いわゆる溜まり場だ。つまり、この時間、知り合いがいる可能性が高い。クリスマスイブなんか関係ない奴しかいないし、関係なさすぎていつも通り集まって茶を飲んでいるなんていかにもありえそうだ。
 女装を冷やかされるくらいならまだしも、素直の前で男だとバレる危険は冒せない。

「友達がいるかも……しれない。やめておこう」

 そのまま方向転換しようとしたのに、素直は真正面に走り込んできて、ぐいぐいと胸元まで寄ってきた。
 身長差をものともしない、迫力。

「友達に会うと困ることがあるんですか? 私が一緒だからですか? 小学生と遊んでいるって思われたくないんですか?」
「そこはべつに。『親戚の子だよ』とかなんとでも言いようがある。嘘でもないし。じゃなくて、今日のの、この格好」
「ものすごく、ものすごーーーーくお綺麗ですけど!?」

(……何故そんなに力が入っているのか。中身はお姉さんじゃなくてお兄さんだぞ。お兄さんだって知っても、綺麗だなんて言えるのか)

 言いたいことはたくさんあったが、飲み込む。そもそも、声もあまり聞かれたくない。いつボロが出るとも知れず、とにかく緊張している。
 なるべく少ない会話でつないでいかないと。慎重に言葉を選びながら、言う。

「それじゃあ、行こう。他をあたっても、どうせどこも混んでるだろうし」

 肩を並べながらアーケードの下を歩く。
 前方から、早足の男が近づいてきた。減速する様子もなく、(危ない)と素直の肩に軽く手を置いて引き寄せた。男は、すれすれの距離で通り過ぎて行った。

「こっち歩きな」

 そのまま、位置を入れ替わり、道路側から店側へと素直を誘導する。されるがままになっていた素直は、ため息とともに言った。

「澪さん、自然にそういう……。そういうことするひと、初めてみた」
「小さな頃から茶会で着物の姉さんたちと出かける機会があったせいじゃないかな。身につくんだ、こういうの」
「茶道習ってるから、ですか」
「素直さんも習い始めてみればわかるかも。そうそう、お姉さんいっぱいできるよ。お姉さんって言っても私の次に若いのが十歳上で、その上はもう、うちの母親が生きていてもまだ年上くらい。母親の若い頃を知ってるくらいだから、いつまでたっても私のことは子ども扱いで」

 適当なところで笑って、話を打ち切る。

(だめだ。話せば話すほど「俺」って言いそう。この後の時間、どこまで乗り切れるだろう)

 そもそも本当にバレてないんだろうか、と思いながら目指すカフェのすぐそばまで来たとき。
 ちょうど、店内から同級生男子三名がドアを押して出て来たところだった。逃げる場所もない道幅で、まっすぐこちらに向かって歩いてきた。
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