壊れそうで壊れない

有沢真尋

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メッセージ

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 連絡先としてメッセージアプリのIDを教えあったのは予想外だったが、単に予想が甘かっただけとも言える。

(お姉さんが欲しかったとして、俺がそこそこ良さげなお姉さんに見えたら、そういうこともあるよな)

 父も里香さんも一瞬戸惑った表情をしたが、そこは俺の方から押し切った。「緊急連絡先のひとつとして、知っておくのは良いね。何かあったら遠慮なく連絡して。何もなくても連絡してくれていいよ」と借り物の和布の籠バッグからスマホを取り出し、画面を開いて素直のスマホに近づけた。ちらっと俺のスマホを見つつ、素直もアプリを立ち上げて、用件のみの短い会話とともに互いのアカウントを登録。
 その日の夜、素直からメッセージが入った。

“今日はありがとうございました。澪さんの着物、可愛かったです”

「見てたのかよ。全然興味なさそうな顔していたくせに」

 風呂上がり。すっかり楽なスウェットを身に着けていた俺は、スマホを片手でいじりながらベッドに腰を下ろす。
 ありがとうで始まる丁寧な一文、予想外の褒め言葉に「素直さん、素直じゃん」と思わずにやついて呟きつつ返事を打ち込んだ。

“褒めてくれてありがとう。茶道を習っているから、着慣れてるんだ”

 送信。
 ぴょこん、と送ってから(ん、「褒める」って小学生読めるか?)と危ぶんでしまったが、すぐに既読になり返事がくる。

“茶道習っているひと、知り合いにいないです。普通に習えるんですか”
“習えるよ、近所にお茶の先生がいて、自宅で教えてくれているんだ”

 俺は土曜日午後のクラス、と続けて書いてから送る寸前に気付いて文章を書き換える。

“平日は学校があるから、私は土曜日の午後のクラスに通ってるよ。個人レッスンは割高なんだけど、土曜日クラスは複数レッスン。みんな集まると十人くらい。小学校に入る少し前から習っているんだけど、私以外は全部年配の女性で、みんな優しい”

(危ない危ない、「俺」は避けないと。「私」って普段使わないけど、これ変な文章じゃないよな? 女に見えるか?)

 文章で性別を偽るより、直に対面した方が勘違いさせやすいだなんて、俺の変装術はなかなかのものだなと自画自賛。画面を見つめていると、ぴょこんとメッセージが表示される。

“どういうきっかけで習い始めたんですか?”
“母親が若い頃からその先生に習っていて。子どもが生まれたら、男でも女でも礼儀作法を身に着けさせるために一緒に通わせるって、決めていたんだって。習い始めてすぐに事故で死んだから、私はほとんど最初からずっと一人で通ってるけど”

 流れで、聞かれてもいない事情まで打ち明けてしまった。既読になってから、間があった。

(母親の話は余計だったな。どうフォローしよう)

 さりげなく話題を変えよう。学校のことでも聞く? いきなり踏み込みすぎか? 共通の話題はお互いの親のことだけど、さすがに今日の今日で何を話し合えと。
 悩みながら文字を入力しはじめたところで、素直からのメッセージが届く。

“私も茶道教室に行ってみたいです”

 シンプルな文面。その一文を送る前に「お母様のこと、ご愁傷さまです」といった内容を書くか書くまいか小学生なりに懊悩にしていたのかもしれない。気を使わせて悪いことをした、と思いながら返事を入力。

“若い子いないからみんな喜ぶと思う。今度都合の良い日おしえて。見学だけでも。お母さんにも言っておいてね”
“はい。また連絡します。ありがとうございました。おやすみなさい”
“おやすみ!”

 そこでやりとりはひとまず終了。交わしたメッセージを最初から見直して、(大丈夫だよな?)と結論付けて、俺はほっと息を吐き出し、ベッドに倒れ込む。
 ふと、(これは素直さんと会う約束をしたってことだよな?)と気付き、片手で顔を覆って「んん~」と呻いてしまった。

(素直さんは俺が「お姉さん」だから、心を開いてくれてるのか? そういうことだよな? 男性不信なんだし。ってことは、この後実は男だってバレたら絶対まずいよな? なんで騙したのかって、怒るだろ。そりゃそうだ、騙した方が悪いからな、この場合。ということは、素直さんとやりとりするときはずっと、俺はお姉さん……)

 乗りかけた船とはいえ、妙なことになってしまった。
 立ち上がって、スマホをベッドに投げ出し、うろうろと部屋の中を歩き回る。クローゼットの戸を開いて、ハンガーにかけたシャツや畳んであるパーカーやジーンズ、私服の類をざっと見てみた。もちろんすべてメンズ。
 身長、百七十六センチ。女性の平均よりはだいぶ大きい。普段通りに振る舞えば、「お姉さん」ではなくそのへんの男子高校生にしか見えないだろう。

(もし今後、素直さんに会うとしたら、女装の準備をしておく必要があるよな……?)

 もう、男だと打ち明けた方が良いんじゃないかという考えがかすめないでもなかったが、この件にはお互いの親も絡んでいる上に、根っこの問題は素直の男性不信にある。そんなセンシティヴな事情を母親が恋人に打ち明けてその息子にまで伝わっていると知ったら、思春期の女子はよく思わないかもしれない。

(さらに言えば、当然の結果として、いま奇跡的に細く繋がりかけた俺と素直さんの関係は、信頼を失ってしまえばすぐに壊れてしまう。子ども同士の関係が壊れたら、ただでさえ子どもに気を使っている親同士の交際も……。もし俺が本当は男だと素直さんに明かすにしても、もう壊れようもないほどに両家の関係が出来上がってからにするのが望ましい。その上で、「素直さんの事情に配慮したから」ではなく、俺自身が女装が趣味でハレの場の盛装には女装しちゃう、くらいのストーリーラインを……? それを信じてもらえるように、俺も素直さんにきちんと向き合って)

 だめだ。今後も素直と顔を合わせ、仲良く付き合っていくつもりならなおさら、あまり複雑な嘘を構築する前に話してしまうべきなのだ。
 理性ではわかる。
 だが、それで親同士の恋仲が破綻してしまったらと思うと、躊躇する。できれば二人にはうまくいってほしいと思っているし、だめになるにしても自分が原因というのは気が重くできれば避けたい。

 ベッドに引き返し、スマホを手にしてみたものの、悩みが深すぎてそのまま額に押し当てた。
 やがて埒が明かないと気づき、画面を光らせてWEBの検索画面を開く。どんな文字を入力しようかまたしばらく悩んでから、「女装」と打ち込んだ。
 立ったまましばらく文字を追い続け、気付いてベッドに座り、寝転がりながら調べ続ける。
 服装、化粧、言葉遣い、仕草。もともと、茶道を習っていたおかげで丁寧な所作は身についているし、今日のような着物姿にもさほど抵抗はない。相談すれば土曜日クラスの「お姉さま方」や茶道の師匠も喜々として協力してくれるはず。やってやれないことはない。

 こうなったら、俺は本当に素直さんの「お姉さん」になってやると、腹をくくった。
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