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第五章 仮面のない生活
懐かしい記憶
しおりを挟む目を開けると真っ白い世界が広がっていた。
眠りから目が覚めたのだと思って起き上がろうとしたが、力を入れる前にフワフワと体が前傾した。まるで俺の意志に反応しているかのようで、重力なんてものが全くないようだ。
あぁ、これは夢だな。
そう判断するのに十分な現象で、俺は浮遊感に身を任せながらぼーっと前だけを見つめていた。
幸せな夢が見たいと思って眠りについたというのに、やって来たのは白の世界。ふざけんな、とわざと口にする。
しかし、いつまで経っても音はせず、口から空気が漏れていくだけ。
(ふざけんなー!!!)
どんなに叫んでも俺の耳には何も届かない。よくわからない世界に来てしまった。
「……都。春都。お粥を持ってきたよ」
真横から聞き慣れた声が聞こえた。
慌てて振り返ると、そこには会いたくて焦がれていた太一の姿があった。
喜びのあまり抱きつきたい衝動に駆られるが、体は全く反応してくれない。どうやら精神と体の感覚がリンクしていないようだ。
「た、いち?」
「当たり。少しでもいいから食べよ」
「……食欲がない」
「ダメ。治るものも治らなくなるから食べて」
最初は太一の姿だけだったのに、しばらくすると見覚えのある姿が出現した。
銀髪で整った顔をした小柄な少年。それが幼い頃の自分だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
本人が“整った顔”というのも可笑しいが、昔から褒められていれば嫌でも自覚する。当然のことだ。
「……美味しい」
「春都の風邪が早く治るようにって思いながら作ったからね」
「そんなんで味が変わるかよ」
「変わるよ。料理は気持ちだから」
その会話を聞いて真っ先に“懐かしい”と感じた。
両親が海外出張で日本を離れている時に風邪をひいて、太一が家に来て看病をしてくれたんだ。確か小学生の低学年ぐらい……だった気がする。
「……ふぁー……っ」
用意された半分を食したところで、もう一人の俺は欠伸をしながら瞼を擦る。
食事をして眠くなったのだろう。満腹で睡魔が……なんて子供らしいが、目の前にいる俺は子供なのだから仕方がない。
「お皿を片してくるから春都はゆっくり寝てな」
正式に専属執事になったのは中学生になってからだったので、この頃の太一は敬語を使っていない。懐かしさでなのか、心の奥がぎゅっと締め付けられた。
ベッドから離れようとした太一に、子供の俺は手を伸ばす。
あぁ、そうだ。この時なぜか寂しくて、
「側にいて……」
(側にいて)
と口にしたんだった。
若気の至りというかなんというか。10代後半で使う言葉ではないだろうが、この時の自分は本当に幼かった。
今と違って感情に忠実というか、太一に対して素直に自分の気持ちを伝えていた気がする。
「……ふっ。側にいるよ。ずっとね」
そう言って太一は子供の俺にキスをした。もちろん口ではなく額に、だ。
その発言に安心し、すぐ眠りついたのを今でも覚えている。
(ずっといてくれるんじゃないのかよ)
気づけばそう口にしていた。この世界で俺の言葉は音にならないというのに、性懲りも無く呟く。
感情が勝手に溢れ出したという方が正しいかもしれない。
(どうしてお前は隣にいない)
嘆き。
(会いたい)
願望。
(好きだ)
好意。
全ての感情が、思いが、言葉が、無惨にも散っていく。色のない世界に、虚しく。
生暖かいものが頬を伝った。それが涙だと、すぐにわかった。
白の世界から消えていく太一の姿を見て、夢でも現実でも会えないのか。そう思ったら悲しくて、耐えられなかった。
(俺の側から離れるな、太一)
そう口にした瞬間、景色は暗転した。
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