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第二章

二話 神隠しの村 その三

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「どういうことだ!」

 張弦は犬の後を追いかける淑に声をかける。しかし、淑は歩みを止めようとしない。そのうち、ふたりはさっき通った沿道に出て岩場へ向かう。先ほど降りてきた崖からそう遠くない。そして淑の前を行く、むくむくとした毛の長い犬がちらりとこちらを見た。

「そういうことか」

 張弦はひとりつぶやいた。

 あの犬が野犬でないとしたら?

 人の匂いを嗅ぐだけだったのは人馴れしているということだ。人馴れしているということは誰かに飼われている犬かもしれない。となれば、どこかに人里があるということだろう。あの皇子はそれに気づいたのだ。

 たいした皇子だ……

 張弦は微笑んだ。張弦にとっては辛い理由とはいえ、苑国の第三皇子は十歳で山に篭ったことにより、宮廷で外を知らず育っていては得られない知恵を授かっているようだった。

「張殿、こちらです」

 そんなことを考えている張弦に、淑が手まねきする。崖にちょうどひとひとり通れるすき間が開いている。犬はもう先にその中へ入ったようで、淑も続いて中に入っていく。

 感心している暇はない……

 犬と少年を見失わないよう、張弦も、慌ててそのあとを追う。岩の隙間をくぐると、長い回廊のような道があった。あかりも岩の隙間から入るわずかな光だけだ。張弦は背に背負った荷から小さなたいまつを取り出したが、どれぐらい空気があるかもわからず、火をつけるのを躊躇する。その間にも、犬は一目散に向こう側へと駆けていく。淑もあかりなど構わずその後を追いかけていく。

 いつまで続くのか……

 張弦がそう思ったその時、いきなり目の前が開けた。

「うわっ……」

 張弦は思わず声をあげた。そこはあの断崖絶壁の底であった。それだけではない。点々と家が立ち並んでいる。家だけでなく人影や畑もあり、家畜もいるようだ。

「こんなところに村が……」

 淑も動けないで、谷底の村を見つめている。

「一、二年でこれだけの家が作れるとは思えない」

 張弦の言葉に、淑がきっぱりと答える。

「乱は十年近く続いた、その頃からすでにこのような場所に逃げこむものがいたのだろう」

「なるほど」

 淑の言葉に張弦はうなずいた。十も年上の張弦が悔しく思うほどに、この少年はこの国のことがわかっている。いや想像することができる。張弦はふと思う。

 林皇后が死を賜った時、この皇子だけは残したのはこのせいか?
 
 その時だった。

 ふんっ!

 ここまでふたりを連れてきた毛の長い犬が鼻を鳴らす。何をしているのだと言わんばかりだ。

「わかった、わかった、どこに連れていきたいのだい?」

 淑が笑いながら犬に声をかけると、犬は岩場から飛び降り、一目散に走り出した。

 *

「おや」

 犬を追いながら、淑が小さく声をあげる。

 ふたりが村に入った途端、さっきまであった人影が一気に消えたからだ。家畜も何処かに引き入れたのか、急に村が静かになる。

「俺たちがよそ者だから、警戒しているのだろう」

 張弦はそう言い、村を観察した。村の家は農家らしく土壁でできたものだったが、それらはかなり古く、ところどころ壁が剥げている。何よりこの村を一、二年で作れたとは思えない。もしかしたらこの村は、東方の乱よりももっと以前、もしかすれば、苑国ができる前の動乱の際に逃げたものたちが作ったものかもしれなかった。

 また、大きな戦があれば、働き手であり子を成すべき若者が兵に盗られ結局は住むものがいなくなる村もあったと聞いている。そんな一度は誰もいなくなった村を隠れ里にするという話は聞いたことがある。

 それだけ庶民は国に為政者によって翻弄されてきた……

 張弦はちらりと淑を見た。同じように感じているのか、あの美しい顔が曇っている。すると、犬がある家の前で立ち止まった。そして、カリカリと戸を掻く。がらりと戸が開き、十歳ほどの少女が飛び出してきた。その子がこちらを見る。するとその目が大きく開かれた。

「叔父上!来てくれたのですね!」

 そのままその子が自分に向かって駆けてくる。

「……生きていたか」

 そう言いながら、張弦は両手を広げた。涙がほおを伝うのを感じる。満面の笑みで張弦に抱きついたのは、張弦の亡き兄の子であり、姪の鈴花リンファであった。
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