1 / 1
本編
しおりを挟む
●1
鋼と鋼がぶつかり合う音、そして爆音。階下の戦闘の音は最上階のここまで届いた。
その音を聞き流し、私は窓際に腰掛けて夜空を見上げる。
今日は新月。星の瞬きも頼りない。
吸血鬼たる私には嬉しくない日。それを狙って、招かれざる客はやってきた。
吸血鬼狩人たる彼らにすれば当然の選択。それはいい。
さらに爆発音、そして屋敷が揺れる。
それはいいんだけれど、この屋敷、廃墟だったものに最低限の生活ができるよう手を入れただけのものなんだから、あまり派手に戦うのはお薦めしないわね。崩れたら君たちも生き埋めよ?
タタタッ……。
と、戦闘の音に紛れて階段を駆け上がる音が近づいてきた。どうやら一人だけ、部下の防衛線を抜けてきたみたい。
多分、遠目に確認できたリーダー格の聖騎士だと思う。
私は窓辺から下り、魔法の準備をする。吸血鬼の耳はいい、相手がここに到達するタイミングはわかる。
「そこっ」
ドゴオォォォォッ!!
相手が扉の前に立つタイミングで、強力な闇魔法、漆黒の魔弾を放つ。
扉どころか周囲の壁すら吹き飛ばし、貫通し、漆黒の魔弾が夜空へと消えていく。
(……当たってない)
確信した瞬間、崩れた壁際から銀のナイフが心臓目がけて飛んできた。正確、だけど遅い。
身をひねってかわすと同時に、銀の全身鎧に身を包んだ聖騎士が室内に飛び込んでくる。
どうやら先制攻撃は読まれていたみたいね。さすがは手練れ。
まあ、今ので死なれたら予定が狂っちゃうんだけれども。
私が体勢を立て直すと同時に相手も身構えた。全身鎧だというのに音がしない。なんらかの加護を受けているようね。
「ようこそ、吸血鬼狩人の聖騎士様。さあ、殺し合いましょう」
「待っ!」
言うなり魔法を撃ち込む。
聖騎士はなにか言いかけたようだけれど気にしない。言葉は通じても会話は成り立たないのは、この十年で身に染みてわかってるし。
ただ、視線が私の胸元に向いたので、言いたかったことは想像できる。
マントの留め具。そこに刻まれているのは、愛と慈悲そして生命を司る女神アマスの紋様なのだ。
聖騎士にしてみれば、これ以上の侮辱もないわよね。
怒っていいのよ。怒って私に……トドメを刺しなさい。
立て続けに魔法を撃ち込みながら、私の脳裏にはマントを手にしたあの日が蘇ってきていた。
●2
「彼の者の魂が迷うことなく、神の許へとたどり着きますように」
小さな墓石に神官が聖水を撒き、祈りを捧げる。私もそれに倣って祈りを捧げた。
参列者は私一人。他には葬儀を依頼した女性神官と、お付らしい見習い神官の少女がいるだけ。
まあ、仕方がないよね。師匠には親しい人などいなかったし。
私は所謂、捨て子というやつだった。
産みの親の顔など知らず、どういう理由で捨てられたのかもわからない。まあ、知ったところでなにをするわけでもないんだけれども。
そして困ったことに、捨て子というものはこの世界では珍しくもなんともないのよね。
ただ、私は多分に運が良かった。だって拾ってくれた人がいたのだから。
それが師匠。
師匠は街のはずれに住む初老の女魔法使いで、街の人々は口をそろえて、
『頑固』『偏屈』『人嫌い』
と吐き捨てた。
決して悪人ではないのだけれど、その性格が災いしてトラブルも多かったわね。
そんな師匠がどうして私を拾って育ててくれたのかは、ついぞ聞くことができなかった。
ちょうど人手が欲しかった、と言っていたけれど、私がそれなりに働けるようになるまで育ててくれた理由にはならないと思う。
幼いながらも、彼女が自分の恩人だと気づいていたので、
「食わせてやった分は働きな」
と言って雑用を押し付けられても嫌だとは思わなかった。
炊事、掃除、洗濯、買い出し。やがて彼女のお手伝い。やることは多かったけれど、充実した毎日だったわ。
やがて私に魔法の素質があるとわかると、その日から彼女は師匠になった。
「私が死んだあとのことは、今からちゃあんと考えておきな」
教育はスパルタだったけれど、私の将来を気にしてくれていた師匠。ずっと元気でいてくれると思っていたけれど、私が駆け出しレベルの魔法を取得し、成人すると同時に、安心したように逝ってしまった。
本当、最後まで勝手な人だったわね……。
祈りながら過ぎた日々を思い返している間に葬儀は終わった。
「どうもありがとうございました」
「いえ、死者の魂の安寧を祈るのは私たちの務めですもの。ところで、あなたはこれからどうするつもりですか?」
「ハンターになろうと思います」
今後のことを話しているうちに見習い神官が道具の片づけを済ませていた。
「先輩、終わりました」
「あら、早わね。ありがとう」
彼女は少女を労い、優しく頭を撫でる。ボッと音がするかと思うほど鮮やかに少女の頬が赤く染まった。
優しい先輩と可愛らしい後輩。
一見、微笑ましく見えるけれど、神官を見上げる少女の瞳が熱く潤んでいる。尊敬とか憧れを超えた熱をその瞳からは感じる。
(あー……、これは)
そういえば噂に聞いたことがあるわね。神職に就く者は性欲を抑制するため、同性のみで集団生活をすることが多いって。だけれどその結果、抑圧された恋愛感情が同性に向けられることがままあると。
つまり……そういうことなんでしょうね。いやー、珍しいものを見させてもらったわ。
二人は私に一礼すると、並んで墓地を出ていった。その後ろ姿だけ見れば仲睦まじい姉妹のよう。
うん、まあ、あの子の思いが届くよう祈ってあげましょうか。
天を仰ぎ、女神アマスに祈りを捧げ、私も墓地を後にした。
◆ ◆ ◆
ハンターギルドは人であふれていた。
危険と縁遠い人々はハンターを指してこう言う。
『定職に就けない落伍者の吹き溜まり』
『犯罪者すれすれのゴロツキ集団』
当たらずも遠からず、か。実際は、金さえ払えば犯罪以外の大抵の仕事は受けてくれる何でも屋だ。
危険も多くて死者も多いが、剣一本で成り上がれる組織であるため、なり手も多くて人手が足りなくなることはないみたい。
基本的に自己責任であるため、たとえ死んでも遺族に見舞金など出ない。安価で使いやすいため、軍を動かしたくない国もよく利用しているとも聞いている。
そんな危険な仕事に就こうとしている私も大概だけど、せっかく師匠の元で身につけた魔法の力、役立てるならここしかないのよね。
ごったがえすロビーを通り過ぎ、受付カウンターへ。愛想のよい受付嬢が私に微笑みかけてくれた。
「いらっしゃいませ、どのようなご用件ですか?」
「ハンター登録をお願いしたいの」
「では、こちらの用紙に記入をお願いします」
差し出された登録用紙に必要事項を記入していく。
特に問題なく登録は終わった。受付嬢が私に鉄製のプレートを差し出す。
鉄を型抜きしただけのような簡素なプレートで、鎖で首から下げるようになっている。表面には私の名前と職業、そしてランクが記載されていた。当然だけれど、最下級のランクが。
「こちらが、ギルドにおいてのあなたの身分証明となります。無くさないように気をつけてください、再登録は面倒ですからね」
「わかりました」
それから依頼やその他、ハンターとしての心構えなどを教えてもらっていると、
「お、お嬢ちゃんは魔法使いか。よければ手を貸してもらえないか」
不意に声をかけられた。
そちらを見れば、筋骨隆々とした、いかにも戦士という男性が立っていた。
魔法使いとしての腕を買われたようなので、そこは素直に嬉しいのだけれど、私はさっきハンター登録したばかりの駆け出しだ。
どうしたものかと受付嬢に視線で助けを求めると、彼女は肩をすくめた。
「いきなり無茶な依頼に連れていってはダメですからね」
「わかってるって」
どうやら話を聞くだけなら問題はなさそうね。
私は受付嬢にお礼を言ってから、戦士の仲間のところへと案内された。
「ゴブリン退治、ですか」
「ああ、やつらはさほど強くはないが、数だけはいるからな。俺たちだけじゃ厳しいんだ」
私を誘ってくれたのは三人のハンター。筋骨隆々の男性戦士と、身軽そうな女性戦士。そして盗賊風の男性だった。
「だから魔法を使える人がほしかったの。ゴブリンなら初級の魔法でも十分対処できるし、頼めないかしら」
女性戦士がハスキーボイスで後を続ける。
師匠は偏屈だったけれど、魔法使いとしては一級だった。指導は厳しかったけれど、お陰で私は駆け出しの中でも一つ上の実力があると自負している。
だから、きっと大丈夫。
腕を買われたからには応えないと。
そう考えた私は、彼らに同行することにした。
●3
「嬢ちゃん、右の通路からくる! 足止め頼む!」
「はいっ。夢魔の霧よ、愚かな者たちを眠りの淵に誘いたまえ!」
ゴブリンの潜む洞窟に突入した私たちは順調にゴブリンを駆逐していった。
敵の気配を盗賊が素早く察知し、戦士二人が先手を打って一刀の下に斬り捨てる。
私の仕事は戦士が討ち漏らした敵のトドメと、敵別働隊を眠りの呪文で無力化すること。
盗賊が的確に指示をくれるので、魔法を使うタイミングに迷うこともなかった。まあ、いつかは自分の判断で動けるようにならないといけないでしょうけどね。
やがて私たちは洞窟からゴブリンを駆逐した。
「彼女、疲労がたまってるわ。少し戻った広場で休みましょう」
ゴブリンの群れを殲滅したと理解した瞬間、恥ずかしながら疲労が一気に押し寄せてきてしまった。脚がガクガクだ。松明の灯りだけが頼りの洞窟で初の戦闘、やっぱり気を張ってたみたい。
女性戦士がすぐに気づいて休憩を言いだしてくれたのが、とても嬉しい。
死臭が漂う洞窟内での休憩は気分がよくないけれど、今は少しでも休みたかった。
「嬢ちゃん、魔法はなにが残ってる?」
「ああ、使い切っちゃいましたね。すみません」
「いや、こっちの指示がマズかったところもあるからな。こっちこそスマン」
盗賊が頭を下げる。
確かに、無駄撃ちした魔法が何回かあったわね。だけどあそこで節約して窮地に陥っても怖いし、こればかりはお互い様じゃないかな。
私はそう思ってた。
そう……私は。
「それじゃあ、そろそろいいか」
「え? なにが……きゃあああっ!?」
視界が反転した。突き飛ばされたと気づいた時には、私は地面に押し倒され、戦士に圧し掛かられていた。
バンザイをするように頭上に伸ばされた腕を、女戦士が素早く縄で結んでしまう。
さすがに身の危険を感じた。こうなったら魔法で……って、使い切ってたんだっ!
「どういうつもりなんですかっ!」
動揺を見せちゃいけない。
声が震えるのを抑え、三人を睨みつける。
だけど私の怒りの視線など、彼らの面の皮を破ることなどできないみたい。三人はゲラゲラ笑った。
「あんた、街はずれの魔法使いのとこの居候だろ?」
「それが……なにか」
「なに、昔、あの魔法使いのババアに酷い目に遭わされてな。いつか復讐してやるつもりだったんだが、呆気なく逝っちまいやがって」
「だからお前で憂さを晴らそうって決めたんだよ」
「恨むんなら自分の師匠を恨むんだな」
そんな勝手な!
ふつふつと怒りが湧いてくる。だけど怒りに任せて事態が好転するわけがない。
冷静に、なんとか冷静に。
自分に言い聞かせていると、ふと先ほどの会話に違和感が。女戦士の声と口調が……。
「あなた、もしかして……」
「あ? 気づいた? あんたが男ばかりのパーティに参加するとは思えなくてな、わからなかっただろ」
ずるりと髪が外れる。カツラだった。
女性を思わせる中性的な顔はそのまま。見た目だけならイケメンなのに、中身は真っ黒とか、なんて残念な。
師匠と彼らの間にどんなトラブルがあったのはか、わからない。だけど、きっと原因は彼らで、自業自得なのだと思えた。師匠はいたずらに魔法を使うような人じゃなかったから。
「なんだあ、その目は!」
知らず、憐れむような目をしていたみたい。
次の瞬間には衝撃があって視界が揺れた。ぐわんぐわんと世界が回り、遅れて頬が痛みを訴えた。
え……殴られた?
「ったく、こんな状況でも生意気な」
「いいじゃねえか、生意気な小娘の心を折って無様に許しを請う姿は興奮するし」
「おい、さっさとヤっちまおうぜ」
「や、やめ……」
ビリリリッ!
乱暴に服を破り捨てられるのがわかる。だけど殴られた衝撃が予想以上に強く、身体に力が入らない。
くっ、こんなやつらに……。
隠されていた悪意にまんまと騙された自身の迂闊さに腹が立つ。
やがて回転する世界が収まり、身体に力が入るようになったけれど……。
「せいぜい良い声で鳴いてくれよな」
焼けるような痛みが私を貫いた。
……………。
………。
……それからどれだけの時間が経ったのかは、わからない。わかりたくもない。
彼らは交代しながら私を蹂躙し、穢し、嘲笑った。
もうなにも考えたくない。このまま心を閉ざして楽になれればいいのに。
「おーおー、ひでえ顔。涙でグシャグシャじゃねえか」
「呻き声も出さなくなったし、そろそろ終わるか?」
「そうだな、終わらせるか」
なにか声が聞こえるけれど、もうどうでもいい。早く楽になりたい。
だけど一つだけ……。
「愉しませてもらったぜ。んじゃ、サヨナラだ」
この三人だけは許せない。
誰でもいい、この三人に罰を────。
「あ……、がはっ」
呼吸が苦しい。なにかが首に巻きついて……。
ゴキリ。
体内に響いた異音を最後に、私の意識は途絶えた。
●4
憎い。
あの三人が憎い。
許せない。
殺してやる。
誰でもいい。
やつらを殺して。
憎い。
あの三人が憎い。
──────
──────
自分がどうなったのか、わからない。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
なにも感じない。
ただ、頭にあるのは、あの三人への怒りだけ。
ああ、神でも悪魔でもいいから。
あの三人をどうか────。
「凄まじい恨みの念を感じて来てみれば、なんとまあ」
誰?
ううん、誰でもいい。
だから、あの三人を殺して。
「……気に入った。我の力を貸してやろうぞ」
………………。
…………。
……。
「はっ!?」
ガバッと身を起こして周囲を見回す。
ここは……ゴブリンが住んでいた洞窟?
こんなところで寝込むなんて、夢でも見ていたのかしら。
……ううん、それはないわね。だって私、裸だし……穢された痕跡が残ってるもの。
痕跡を認識すると同時に吐き気が込み上げてきた。
我慢する間もなく胃の中のものを地面にぶちまけてしまう。酷く惨めだわ。
胃がからっぽになって吐けるものがなくなって、無意識に口元をぬぐうと粘つく感触があった。
「……血?」
半乾きの血がべっとりと手についていた。そして自分の異常に気づかされた。
鉄臭い血の臭いが、今は甘い香りとして感じる。
そしてその血は自分のものではないって、理屈ではなく直感で理解してしまったのよ。
一体……私の身体はどうなってしまったのかしら。
自分の身体が自分でないような違和感を覚えながら、ともかく私は洞窟を出ることにした。私を騙して穢した三人をギルドに告発して罰してもらわないと────。
(……ギルドに任せていいの?)
突然、自分の奥底から三人に対する殺意が炎のように燃え上がった。
そう、そうよ。ギルドなんかに任せておけない。あの三人は私が殺す。
もちろん、簡単には殺さない。じわじわといたぶって命乞いをさせ、最後には自分から殺してくれと言うまで苦しめてから殺してやる。
決意すれば行動あるのみね。
残念ながら私の荷物は見当たらない。三人が持ち去ったんでしょうね。
引き裂かれた服の生地を適当に繋ぎ合わせて大事な部分だけでも隠すと、私は出口に向かって歩き出した。
……なにかに突き動かされるように。
●5
「……やっと陽が落ちるわね」
私は今、洞窟の入り口で膝を抱えている。
あの三人を殺すべく、いざ出発と洞窟から出ようとしたのだけれど、それは叶わなかった。
洞窟内に射し込む陽の光の領域に足を踏み出した瞬間、足の先が煙を噴き上げ、経験したことのない激痛が全身を駆け巡って悲鳴をあげてしまった。
慌てて奥に戻って足を確認すると、炭化したように真っ黒になっていた。
(……ちょっと待って、陽の光を浴びて身体が焼けるとか、まさか、そんな……)
(認めたくない。こんなの絶対っ)
(だけど私、確か死んだはずじゃ……)
頭をかかえ、悶々と葛藤し続ける私に残酷な現実を突きつけてくれたのは、焼けた足だった。
炭化した表面にひびが入り、まるで脱皮するように綺麗な足が内側からこんにちわしてきたら、もうね……。
日光を浴びてダメージを受ける。
強力な再生能力。
今さらだけれど、照明もないのに真っ暗な洞窟内を歩いてこれた夜目。
触れただけでわかるほど、明らかに尖った犬歯。
血の匂いを好ましく思い、しかも口元にべったりと他者の血がついていたとなれば……。
「私、吸血鬼になっちゃったの?」
吸血鬼といえば血を吸った相手を眷属として配下に加えると聞いているけれど、実は眷属を作る方法は二種類あるって師匠に教わった。
まず、吸血。
吸血されて死んだ者は食屍鬼と呼ばれるアンデッドと化して配下に加わる。意志はなく、吸血鬼の指示に従って動く操り人形だけれど。
二つ目は、受血。
吸血鬼の血を飲まされた者は、たとえ死体であっても吸血鬼として死の淵から蘇る。
そして受血の最大の特徴は、蘇った者は自由意志を持ったまま吸血鬼化するということ。
師匠に教えてもらった条件が全て、私に該当してる。なんてこと。
心の奥からは絶えず三人に対する殺意が湧きあがってきて私を追い立てる。気を抜けば、たとえ陽光の下であろうと飛び出して行きかねないほど強力な殺意。
その殺意を抑え込みながら陽が暮れるのを待っていたのが、結果的には幸いだったのかもしれない。少なくとも自分が吸血鬼となった事実は受け入れられたと思うから。
夜の帳が下りたのを確認すると、私は洞窟から出た。
依頼のあった村までは徒歩で半日はかかる。周囲に人工の光は見えない。だというのに、私には昼のように鮮明に景色が見える。目も良くなったのかな、遠くに村の灯りまで確認できるわね。
さて、あの三人は殺す。これは決定。
じゃあ、その後は?
吸血鬼と化した以上、今までのような生活はできない。人類の敵になったのだから当然よね。
だけどまあ、なるようにしかならないわよね。先は考えないようにしましょう。
まずは、あの三人の足取りを追わないと。
私は勢いよく駆け出した。
ゴンッ!!
……痛い。
一歩、地面を蹴っただけなのに十数メートル先の木に激突してしまった。
吸血鬼の身体能力は軽く人間を超えると聞いていたけれど実感したわ。……鼻、潰れてないわよね?
しばらく、この身体に慣れるための練習が必要かしら。
●6
ゴブリン退治に出かけた時は途中まで乗り合い馬車を利用しても五日かかったけれど、私も五日で街に戻ってきた。徒歩、しかも身体を慣らしながら。
うーん、本当に吸血鬼の身体能力は高いわね。アンデッドの貴族と呼ばれるだけはあるわ。
本当はもっと早く到着できたのだろうけれど、日光を避ける場所を探す必要があったので日数がかかってしまった。まあ、その間に吸血鬼としての能力などを確認できたからいいけれど。
街が近くなると三人の残り香を感じた。恐るべき嗅覚ね、本当。
だけど三人の体臭は、私が来た街道とは逆方向に移動しているのがわかった。ギルドに依頼達成と私の死を報告して、すぐに移動したみたいね。
私はすぐに追跡を再開した。
三人は隣街で新しいメンバーを加えて、山の奥へと進んでいったようだった。夜になって追跡を再開すると、山奥にある洞窟に三人の臭いは消えていった。
周囲にはオークの死骸がいくつか。ちょっと既視感?
倒されて間もないオークの体からは新鮮な血液が溢れていて、思わず生唾を飲み込んでしまったけれど、そこはグッと我慢。いくらなんでもオークの血を飲みたいとは思わないし。
いや、本能は必死に「飲めー、飲めー」と訴えてきてはいるのだけれど……。
静かに洞窟に入る。と、
「いやあああああああっ!!」
洞窟に響く女性の悲鳴。
私は闇をものともせず、洞窟の中を音も立てずに駆け抜けた。
いくつもの角を曲がり、いくつものオークの死骸を乗り越えた先に現場はあった。
「やめ……やめてくださいっ」
洞窟の奥で、私はいつか見た、いや、経験した光景に出会った。
あの三人に組み敷かれているのは、どうやら神官みたい。戦闘用の法衣は大きく引き裂かれて、大きな乳房が松明の灯りの中で不安げに揺れている。
……思わず自分の胸元を見てしまったのは……なかったことにしよう。
腰まであるブロンドの髪に碧色の瞳。恐怖に歪む顔には幼さが残り、成人したてなのがわかる。
しかしこの三人、私で味を占めたのかしら。同じ町で獲物を探さなかったのはわかるけれど、日を置かずに次の娘を狙うとか本当に呆れるわ。
「な……なぜ、このようなことを」
「あー? 新人研修ってやつさ」
「そうそう、初めて会った人間にほいほいついて行っちゃダメだからな」
怯える少女に身勝手な理由を語ってゲラゲラ笑う三人。そこに私は口を挟んだ。
「……本当、その通りよね」
「だ、誰だ!?」
「誰だはないでしょ、誰だは」
「なっ!? て、てめえっ!?」
松明の光が届く範囲に顔を出せば、三人の顔が驚愕に歪む。
だけどそれも数瞬、戦士が少女を羽交い絞めにして後ずさり、盗賊とオカマ戦士は武器を抜いて身構える。あら、意外と戦い慣れしてるのね。ゴブリンの洞窟ではまだ未熟さが見えた気がしたけれど、あれは演技だったのかしら。
「お、お前、生きてたのかっ!」
「生きて……るのかなあ?」
「ふざけるな!」
ふざけてないのだけれどねえ。
いきりたつ三人はしかし、すぐにその表情をだらしないものに変えた。いやらしい視線が私の身体を撫で回してくる。
うわあ、気持ち悪い。背筋がぞわぞわするわ。
「へっ……へへっ、そんな格好してよお、誘ってるか?」
「ひょっとして、俺たちとの夜が忘れられなかったかあ?」
そういえば千切れた服を繋ぎ合わせた、下着のような恰好だったわ。さぞ煽情的でしょうね。
まあ、誘うなんてありえないけれどね。忘れていないのは恨みの方だし。
私がなにも言わないのを肯定ととったのか、盗賊が指をわきわきさせながら私の胸元に手を伸ばしてきた。
軽く、その手をはたく。ゴキリと音がして、盗賊の腕が肘のあたりから変な方向にねじ曲がった。
(えっ、そこまで力は入れてなかったはずだけど)
悲鳴は一瞬、遅れた。
「ぎゃああああああっっ! う、腕がぁっ! 俺の腕がぁっ!」
「てめえっ!」
予想以上の力に自分で自分に驚いていると、オカマ戦士が斬りかかってきた。
なかなかいい踏む込みをしているとは思うけれど、その動きは私の目にはひどくスローに映った。
少し体を開いて剣をかわし、手首を打つ。加減したつもりだけれど、簡単に彼の手首は折れてしまった。
相手が悲鳴を上げるより早く落下中の剣を掴むと、素振りのように上へと振り上げる。それだけでオカマ戦士の右腕が肩のあたりから切断される。
うん、加減が難しいわね、この身体。
オカマ戦士は意味不明な叫びを発しながら地面でのたうち回る。肩口からは大量の血液が噴水のように噴き出し、濃い血臭が濁った洞窟内の空気をさらに澱ませる。
だけど血臭は私を興奮させるだけだった。手についた血を舐めとると、ゲスの血だというのに果汁を飲み干した時のように喉が潤う。ああ、これはマズイわね、もっと飲みたくなってきちゃう。だからって血だまりに口をつけて飲みたいとは思わないけれども。
気がつくとオカマ戦士は動かなくなっていた。
「や、やめろ。来るな、来るなぁっ!」
視線を前に向けると、目が合った盗賊が叫びながら無事な左腕を激しく振り回した。その顔は恐怖に歪んでいる。
だけど目は死んでいない。
それを感じ取った時、盗賊の左手が閃いた。手首に仕込んであった投げナイフが私の心臓を目がけて飛んでくる。やはり諦めてはいなかったのね。
距離的に必殺の間合い。だけど私は容易くナイフを指で挟み込んで受け止めると、手首を返して投げ返した。
トスッと軽い音とともにナイフが盗賊の喉に鍔元まで突き刺ささる。
「……! ……!」
ヒューヒューと空気が漏れる音を発しながら、盗賊は虚しく空を掴むようにもがいて……事切れた。
しまった、苦しめるつもりが二人をアッサリと殺してしまったわ。
残る一人は少女を羽交い絞めにしたまま硬直していた。少女も同様に顔色を無くしている。
「う、動くなっ! こ、ここの女がどうなってもいいのかっ!」
視線を向けると我に返った戦士が少女の首筋にナイフを押し当てて恫喝してきた。興奮か怯えか、力加減ができていないために刃先が軽く首筋に食い込み、鮮血が糸をひく。
少女が小さく悲鳴をあげ、可哀そうなくらいに震えだす。同時に、血の匂いに混じって微かな異臭を感じる。視線を下げれば、彼女の法衣のスカート部分に染みが広がり始めていた。見なかったことにしましょう。
しかし、さすがに無関係な少女を巻き込むのは気が進まないわね。
私が動きを止めると、勝ち誇ったように戦士が吠えた。
「そ、そうだ、大人しくしていろ。いいな、そこを動くんじゃないぞっ!」
少女を抱きかかえたままじりじりと、戦士は私を迂回するように移動していく。
私は動かない。動く必要もない。
戦士を殺すための武器は、今ここに大量にあるのだもの。
戦士がオカマ戦士の血だまりを跨ごうとした瞬間、私は血だまりに囁いた。
「刺せ」
「ん!? ……ごぼあああっ!?」
戦士の体が風船のように膨らみ、内側から破裂した。彼にはなにが起きたか知覚する時間もなかったでしょうね。
血だまりから生み出された血の針が、戦士の太腿に突き刺さった。ただそれだけ。
だけど体内に届いた血針は戦士の血液と混じり合い、そこからさらに無数の針を生み出す。全身の血液が針と化し、戦士を内側から身元がわからぬほどズタズタに引き裂いたのだ。
血液を武器とする。それが吸血鬼の能力の一つ。
……だけどこれ、エグいわねえ。吸血鬼になったせいでスプラッタは平気になったけれど、気分は良くないわね、これ。
さて、これで復讐は果たしたわけね。自分の中で沸騰していた三人への殺意が急速に薄れていくのを感じる。
あとは、
「立てる?」
返り血を浴び、気絶寸前の少女に声をかけるけれど、彼女はあっけなく気を失ってしまった。
◆ ◆ ◆
凄惨な殺戮現場────やったのは私だけどさ────に少女を放置しておくにも気が引けて、彼女をおぶって洞窟を後にした。
しかしどうしようかしらね。近くに村はないし……、街道沿いに放置しておけば行商人か乗り合い馬車が拾ってくれるかしら。
……ああ、ダメダメ。悪いやつらが先に見つけたら助けた意味がなくなっちゃう。かといって街まで送るには時間が足りないわね。もうすぐ夜明けだし。
頭を悩ませていると、背中で彼女が身じろぎした。
「ん……」
「あ、起きた?」
「ここは……。────っ!?」
目覚めたばかりでボンヤリしていた彼女はしかし、急に背中で暴れはじめた。痛い痛い、暴れるんじゃないわよ。髪を引っ張らないでっ。
下ろしてあげると、破れた服をかき抱くようにして少女は私から距離をとった。
うん、まあ、普通の反応よね。
彼女のマントの留め金に刻まれているのは、愛と慈悲そして生命を司る女神アマスの紋様。教義上、アンデッドは宿敵なのだから、信者たる彼女は私が人間じゃないって感じ取ってるはず。
「え、あれ? 確か血を……」
「ああ、うん。綺麗にしといたわ」
さすがに頭から戦士の血を浴びてしまった彼女に申し訳なく、血は全部落としておいた。いやほら、私、血液を操れるしね。
戸惑い、警戒している彼女に、私は三人から奪ったプレートを差し出す。
「はい、これ」
「これは、あの人たちの……」
「死んだハンターの身分証は、発見者が持ち帰って死亡報告をするのが義務なのよ。まあ、どう報告するかは好きにしなさい」
少女は受け取ったプレートと私を交互に見つめる。警戒感は薄れ、今は困惑の方が大きいのがよくわかる。
「あなたは……一体」
「そうね、過去のあなたってところかな」
謎かけのような返答だったけれど、すぐに彼女は意味を察したみたい。じわりと目に涙が浮かんだ。
ちょ、ちょっとぉ、どうして貴女がそんな辛そうな顔をするのかしら。
予想外の行動に困惑していると、彼女は姿勢を正し、深々と頭を下げてきた。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
「え、ちょっ、待って待って。あなた、私が人間じゃないって気づいてるよね?」
「はい。かなり強い……アンデッドかと」
「アマスの信者がアンデッドに頭を下げていいわけ?」
いきなり悪霊退散! とかされても不思議じゃないのだけれど。
そう言うと、彼女はわずかにはにかんだ。
「そういうあなたこそ、アンデッドなのにアマスの信者を助けてよいのですか?」
「…………」
「…………」
ぷっ。
二人同時に吹き出した。
「それに、命の恩人に非礼を働くなどありえませんから」
真面目ちゃんか。
「まあ、いい経験になったでしょ。相手を見極められる目を養いなさいな」
「はい。本当に感謝しています」
白み始めた空の下で彼女は微笑んだ。歳相応の可愛らしい笑顔で。
私はふいっと視線を逸らせた。真っ直ぐに好意を向けられて気恥しくなったのだ。
……朱の差した頬と潤んだ瞳は見なかったことにしよう。
「さて、そろそろ陽が昇るから私は退散するわ。助かった命、大切にしなさいね」
「ま、待ってください。せめて……これを!」
背を向けると、慌てて肩になにかがかけられた。マントだった。……女神アマスの信者用の、だ。
「……いくらなんでも、これは問題じゃない?」
「で、でもっ、そんな格好では大変でしょうし」
裸同然の私を気遣うなんて……。自分だって大変な恰好でしょうに。
でも、まあ、悪い気はしないわね。
「わかった。もらっておくわね」
「はい、そうしてください。……あ、そういえばお名前を聞いてませんでしたっ」
敵対する相手の名前を聞いてもしょうがないでしょう。
だから、
「また逢えたら、その時に教えるわ」
「っ……。約束ですよっ!」
名残惜しそうな彼女の声を背中で聴きながら、私は森の奥へと飛び込んでいった。
彼女がどんな目で私を見送っているのか、気づかないようにして。
●7
あれから十年。
それは、私を倒そうとする聖騎士や狩人からの逃亡の十年でもあった。
「本気で戦いなさいよ!」
私は聖騎士に苛立ちを隠せない。
この聖騎士の噂は聞いている。何人もの吸血鬼を倒してきたっていう凄腕の吸血鬼狩人だと。飾り羽のついた銀の兜はその証。
だというのに、まるで殺気を感じない。こちらの攻撃がまともに当たらないから相当な実力があるはずなのに、剣すら向けようとしないのは何故なの。
「いい加減にっ」
苛立ちそのままに放った強力な魔法はしかし、そのまま私の隙になった。好機とみた聖騎士が魔法をかわし、一気に距離を詰めてきた。
ひょっとしてこれを待っていたの?
でも、いいわ。そのまま私を楽に……って、なんで剣を投げ捨ててるのよっ!? なにかのフェイント?
つい、剣に目を向けた瞬間、私は聖騎士に思いっきりタックルをくらってそのまま床に押し倒された。
「って、重いいぃっ! ちょ、どきなさいよっ」
人間+全身鎧の重量が私を押さえつける。さすがに吸血鬼の腕力でも簡単にはどかせられないわ。
聖騎士の奇行はさらに続く。そのまま兜の留め金を外して素顔を晒すという暴挙に出たのだ。
唾でも吐きかけてやろうかと思った私の決意はしかし、現れた聖騎士の素顔を見て霧散してしまった。
兜をかぶるためでしょう、短く切ったブロンドの髪と、碧色の瞳。一瞬、とんでもない美男子だと思ったけれど、体臭で相手が女性だとわかった。
さすがに女性だとは思っていなくて、私は驚きで動きを止めてしまった。
聖騎士は両手で私の顔を愛おしそうに挟み込み、熱い息を吐いた。
「……お会いしたかったです」
「……え?」
私、聖騎士なんかに知り合いがいたかしら。
なんのことかわからない。それが顔に出ていたみたいで、彼女はぷうっと頬を膨らませた。あ、意外と子供っぽいところがあるのね。
「忘れてしまったのですか? ……ずっと会いたいと思ってましたのに」
そう言いながら、いじけるように私のマントの留め具をいじる彼女。
……あ。
まったく唐突に、目の前の聖騎士の顔に、マントをくれた神官の顔が重なった。
「まさか……、あの時助けた神官?」
「思い出してくれたのですか!?」
ぱっと花が咲くように彼女は笑った。歓喜の気配を隠そうともせず、私をギュウッと抱きしめてくる。
って、痛い痛い。それに重いっ。
何度も耳元で怒鳴って、ようやく彼女は私を離してくれた。
下からはまだ戦闘の音が続いているけれど、私たちはもう戦う気分じゃなかった。
「まだ、使ってくれていたのですね」
「あー、うん……」
指差すのは十年前、彼女が私にくれたマントのこと。
このマントは……都合が良かったのよ。
村に住む時だって、女神アマスの信者だと都合よく勘違いされて怪しまれなかったし、夜道でハンターに遭遇しても「巡礼の途中です」と言えば、相手に本当のアマス信者がいない限りはそんなに怪しまれなかった。
この十年、各地を転々としながら潜伏してきたけれど、このマントのお陰で楽をさせてもらったわ。
さすがに十年も経っているのであちこち痛んできてはいるけれど、こんな都合のいい道具、捨てるわけないじゃない。
……ああ、はいはい。わかってる。そんなのは言い訳だって。
人に裏切られて死んでしまった私が、死後に受け取った他者からの好意。それがこのマント。
ひとつだけ残った、人ととの繋がり。
だから捨てられなかった。捨ててしまえば、自分が本当に人ならざるものになってしまう気がしたから。
なんとなく気まずくなって話題を変える。
「そういうあなたこそ、噂の吸血鬼狩人になっちゃってるとか、どういうことなの? 昔は人間の男にさえ勝てなかったのに」
「昔のことは言わないでくださいぃ」
ブンブンと両手を振って恥ずかしがる姿は、とても何人もの吸血鬼を葬ってきた凄腕聖騎士とは思えない。
改めて問うと、彼女は顔をふせ、ちらちらと私を見ながら頬を染めた。
ゾッとするような色気を感じて、一瞬だけれど吸血衝動が湧きあがった。この娘、魅了の魔法でも使えるんじゃないかしら?
「だって……約束ですから」
「約束?」
「う~、忘れるなんてひどいですぅ。また逢えたら名前を教えてくれるって約束したじゃないですか」
言われてみれば、そんな約束をしたようなしなかったような?
って、ちょっと待って。ということは、よ。
「あなた、私の名前を聞くためだけに聖騎士になったってこと?」
「……はい。吸血鬼を追う権利は一般の聖職者には認められていませんから」
恥ずかしそうに微笑む彼女に、私は呆れるしかなかった。
「はぁ……。わかったわよ、教えてあげるから、教えたらさっさとトドメを刺してよね」
「え?」
なぜか驚く彼女に私は自分の名前を教え────。
ドカドカドカッ……。
気がつけば階下からの戦闘音が聞えなくなっていた。代わりに複数の重い足音が近づいてきている。
私は苦笑しながら両手を広げた。
「ほら、お仲間が来るわよ。ひとおもいに────」
「ヤですっ!」
「そう、ヤですって、はあああっ!?」
どうしてそこで拒否するの!?
戸惑う私を彼女は横抱きにした。いわゆるお姫様抱っこってやつを。そしてそのまま、半壊したテラスから身を躍らせた。
って、ここ。三階だよっ!?
全身鎧でやることじゃないでしょっ!
だけど彼女は自棄になっていたわけじゃなかった。地面にぶつかる直前、鎧が光ると急速に速度が落ち、無事に着地できた。
そのまま彼女は走り出す。……私を抱いたまま。
「ちょ、ちょっと!」
「ああ、今のは鎧の加護です。どんなに高いところから落ちても────」
「そうじゃなくって! あなた、なにしてるのよ。邪悪な吸血鬼を仲間から逃がすようなこと────」
「邪悪じゃありません!」
力の入った否定に、私は言葉に詰まる。私を見た彼女の目は真剣そのものだった。
「あなたが本当に邪悪ならば、森のはずれの村があんなに平和なわけがありません」
「…………」
「村の人はみな、口をそろえて言いました。『あの女性は怪しいけど、村人に危害を加えたりはしない』と」
「……油断させようとしただけよ」
「館にいた敵は全部、ゴーレム系の無機物で食屍鬼はいませんでしたよ?」
「…………」
「他の村でも、同じような証言がいくつもありました。どの村も、私たちが駆けつけた時には吸血鬼は逃げたあとでしたけれど」
「…………」
「なのに……、どうして今日は、死のうとするのですか」
「……疲れたのよ」
あ、ダメだ。一度口を開いたら……止まらない。
「もう疲れたのよっ、逃亡の日々に! 村人を助けて住みついたとしても、いつか必ず怪しまれて教会に密告される。人気の無い場所でひっそりと過ごそうとしても、吸血鬼というだけで捜し出されて、執拗に追われ続ける! もう疲れたの、休ませてよおっ!」
いっそ、人類の敵として好き勝手に暴れられたら楽だったと思う。けれども、あの三人を殺した時点で、私の中にあった殺意は綺麗に消えてしまった。そして私も、人類全員に敵意を持てるほど非情になれなかった。
そう、私を蘇らせた吸血鬼は、あの三人を殺すためだけに力を与えてくれたんでしょう。あとのことなど考えずに。
もう、疲れた。
怪しまれることも。
逃げ続けることも。
そして……一人でいることも。
「もう一人は……いやぁ……」
……なあんだ。色々と理由を並べ立てたけれど、最後にこぼれた一言が本音じゃない。
そうだ、私は寂しかったんだ。同じ時間を歩める人がいないのが……どうしようもなく寂しかったのだ。
気がつけば涙が頬を伝っていた。吸血鬼になっても涙が出るのね。
そんな場違いなことを考えていたら、彼女が足を止めた。森の中にぽっかりと開けた場所で。
「……私じゃダメですか」
……え?
見上げれば、強い決意を秘めた瞳が私を見つめている。
「私がずっと……おそばにいます」
「なに……言ってるの。私は吸血鬼で、あなたは聖騎士。相容れない存在なのよ」
「ならば私は、聖騎士をやめます」
キッパリと言い切ると、彼女は私を地面に降ろす。そして鎧を脱ぎ始めた。
私は呆然と見ていることしかできない。彼女の決意がどれほどのものか、判断ができずにいた。
やがて全身鎧をすべて脱ぎ終わると、インナーの鎖帷子すら彼女は脱ぎ捨てた。
下着同然の姿が闇の中に浮かび上がる。もし今宵が満月であったならば、きっと月光に照らされた彼女は美しく輝いたであろう、引き締まった身体をしている。
汗混じりの体臭が風に乗って届くと、自分の心臓が興奮して跳ねた。すぐにでも華奢な首筋に噛みついて生き血を吸いたい衝動に駆られるけれど必死にそれを抑え込む。
今の彼女は悪戯に穢していいものには見えなかったから。
「吸血鬼のために聖騎士をやめるとか……神罰が下るんじゃないの?」
「どうでしょう? でも、きっと大丈夫ですよ、アマス様は愛の女神なのですから」
「は? どうしてそこで愛が……」
彼女の自信の根拠がわからない。いや……わかりたくない。
それを受け止めるだけの自信が、私にはないから。
だから……視線を逸らせてしまった。
まるでその瞬間を待っていたかのように彼女の右手が閃いた。そこに握られていたのは護身用の短刀。
その短刀が彼女の左胸に突き立てられるのを……私は止められなかった。
「ばっ……馬鹿あああぁぁぁっっ! な、なにやってるのよっ!!」
私が動けたのは、彼女が力なく地面に倒れてから。
血を吐く彼女を抱き上げる。短刀は鍔元まで突き刺さり、心臓を貫通しているのは確実だった。
「十年前……」
「喋らないで!」
「十年前……女性としても、人としても……死を覚悟した私の前に現れ、助けてくれたあなたは……私には御伽話の中の王子様に見えた……のですよ」
激しく咳き込み、大量の血を吐く。しかし彼女は話すのをやめない。
「あれから十年。……あなたのことを想わぬ日は、あり、ませんでした……わ。それが初恋だと気づいたのは……少し前でしたけれど」
死の足音を聞いているはずなのに、彼女は不思議と穏やかな顔で話し続ける。血の気がひいているはずなのに、頬を染めて恥ずかしげに告白する彼女は間違いなく恋する乙女だった。
弱々しく差し出された手を強く握る。
「一生……おそばに置いてくださ、いませ……。もう一人にはさせ、ま……」
ストンと。腕から力が抜けた。穏やかに微笑んだまま、彼女は私の腕の中でその命を終えた。
「……馬鹿」
馬鹿よ。大馬鹿だわっ。
いくら命の恩人だからって、初恋の相手だからって、聖騎士になってまで倒すべき吸血鬼を追いかけてきて、職務を放棄して愛に殉じようとか……この大馬鹿者っ!
まだ名前を教えてないでしょうにっ!
あなたの名前だって、まだ聞いて……。
冷たくなっていく彼女を抱きしめて、私はしばらく泣き続けた。
●報告書
モルドールの森にある廃館に住みついた吸血鬼を討伐するため、派遣された第十三聖騎士団はのちに吸血鬼討伐失敗の報告書を提出している。
死亡者無し。
行方不明者一名。
周辺を捜索した聖騎士たちは、館から離れた森の中で脱ぎ捨てられた鎧と血だまりを発見したが、死体は見つからなかったという。
────。
なお、この報告書には、ひとりの聖騎士が目撃したという未確認情報が追記されている。
その騎士によれば、行方不明者の捜索を行っていた際、ふと視線を上げると、頭上に二つの人影を見つけたという。
その人影は互いに手を繋ぎ、まるでワルツを踊るように漆黒の夜空で踊り戯れていたという。
確認のため聖騎士が照明の魔法を飛ばすと、その人影は光を避けるようにして、まるで隼のごとき速さで東の空へと飛んでいってしまったそうだ
鋼と鋼がぶつかり合う音、そして爆音。階下の戦闘の音は最上階のここまで届いた。
その音を聞き流し、私は窓際に腰掛けて夜空を見上げる。
今日は新月。星の瞬きも頼りない。
吸血鬼たる私には嬉しくない日。それを狙って、招かれざる客はやってきた。
吸血鬼狩人たる彼らにすれば当然の選択。それはいい。
さらに爆発音、そして屋敷が揺れる。
それはいいんだけれど、この屋敷、廃墟だったものに最低限の生活ができるよう手を入れただけのものなんだから、あまり派手に戦うのはお薦めしないわね。崩れたら君たちも生き埋めよ?
タタタッ……。
と、戦闘の音に紛れて階段を駆け上がる音が近づいてきた。どうやら一人だけ、部下の防衛線を抜けてきたみたい。
多分、遠目に確認できたリーダー格の聖騎士だと思う。
私は窓辺から下り、魔法の準備をする。吸血鬼の耳はいい、相手がここに到達するタイミングはわかる。
「そこっ」
ドゴオォォォォッ!!
相手が扉の前に立つタイミングで、強力な闇魔法、漆黒の魔弾を放つ。
扉どころか周囲の壁すら吹き飛ばし、貫通し、漆黒の魔弾が夜空へと消えていく。
(……当たってない)
確信した瞬間、崩れた壁際から銀のナイフが心臓目がけて飛んできた。正確、だけど遅い。
身をひねってかわすと同時に、銀の全身鎧に身を包んだ聖騎士が室内に飛び込んでくる。
どうやら先制攻撃は読まれていたみたいね。さすがは手練れ。
まあ、今ので死なれたら予定が狂っちゃうんだけれども。
私が体勢を立て直すと同時に相手も身構えた。全身鎧だというのに音がしない。なんらかの加護を受けているようね。
「ようこそ、吸血鬼狩人の聖騎士様。さあ、殺し合いましょう」
「待っ!」
言うなり魔法を撃ち込む。
聖騎士はなにか言いかけたようだけれど気にしない。言葉は通じても会話は成り立たないのは、この十年で身に染みてわかってるし。
ただ、視線が私の胸元に向いたので、言いたかったことは想像できる。
マントの留め具。そこに刻まれているのは、愛と慈悲そして生命を司る女神アマスの紋様なのだ。
聖騎士にしてみれば、これ以上の侮辱もないわよね。
怒っていいのよ。怒って私に……トドメを刺しなさい。
立て続けに魔法を撃ち込みながら、私の脳裏にはマントを手にしたあの日が蘇ってきていた。
●2
「彼の者の魂が迷うことなく、神の許へとたどり着きますように」
小さな墓石に神官が聖水を撒き、祈りを捧げる。私もそれに倣って祈りを捧げた。
参列者は私一人。他には葬儀を依頼した女性神官と、お付らしい見習い神官の少女がいるだけ。
まあ、仕方がないよね。師匠には親しい人などいなかったし。
私は所謂、捨て子というやつだった。
産みの親の顔など知らず、どういう理由で捨てられたのかもわからない。まあ、知ったところでなにをするわけでもないんだけれども。
そして困ったことに、捨て子というものはこの世界では珍しくもなんともないのよね。
ただ、私は多分に運が良かった。だって拾ってくれた人がいたのだから。
それが師匠。
師匠は街のはずれに住む初老の女魔法使いで、街の人々は口をそろえて、
『頑固』『偏屈』『人嫌い』
と吐き捨てた。
決して悪人ではないのだけれど、その性格が災いしてトラブルも多かったわね。
そんな師匠がどうして私を拾って育ててくれたのかは、ついぞ聞くことができなかった。
ちょうど人手が欲しかった、と言っていたけれど、私がそれなりに働けるようになるまで育ててくれた理由にはならないと思う。
幼いながらも、彼女が自分の恩人だと気づいていたので、
「食わせてやった分は働きな」
と言って雑用を押し付けられても嫌だとは思わなかった。
炊事、掃除、洗濯、買い出し。やがて彼女のお手伝い。やることは多かったけれど、充実した毎日だったわ。
やがて私に魔法の素質があるとわかると、その日から彼女は師匠になった。
「私が死んだあとのことは、今からちゃあんと考えておきな」
教育はスパルタだったけれど、私の将来を気にしてくれていた師匠。ずっと元気でいてくれると思っていたけれど、私が駆け出しレベルの魔法を取得し、成人すると同時に、安心したように逝ってしまった。
本当、最後まで勝手な人だったわね……。
祈りながら過ぎた日々を思い返している間に葬儀は終わった。
「どうもありがとうございました」
「いえ、死者の魂の安寧を祈るのは私たちの務めですもの。ところで、あなたはこれからどうするつもりですか?」
「ハンターになろうと思います」
今後のことを話しているうちに見習い神官が道具の片づけを済ませていた。
「先輩、終わりました」
「あら、早わね。ありがとう」
彼女は少女を労い、優しく頭を撫でる。ボッと音がするかと思うほど鮮やかに少女の頬が赤く染まった。
優しい先輩と可愛らしい後輩。
一見、微笑ましく見えるけれど、神官を見上げる少女の瞳が熱く潤んでいる。尊敬とか憧れを超えた熱をその瞳からは感じる。
(あー……、これは)
そういえば噂に聞いたことがあるわね。神職に就く者は性欲を抑制するため、同性のみで集団生活をすることが多いって。だけれどその結果、抑圧された恋愛感情が同性に向けられることがままあると。
つまり……そういうことなんでしょうね。いやー、珍しいものを見させてもらったわ。
二人は私に一礼すると、並んで墓地を出ていった。その後ろ姿だけ見れば仲睦まじい姉妹のよう。
うん、まあ、あの子の思いが届くよう祈ってあげましょうか。
天を仰ぎ、女神アマスに祈りを捧げ、私も墓地を後にした。
◆ ◆ ◆
ハンターギルドは人であふれていた。
危険と縁遠い人々はハンターを指してこう言う。
『定職に就けない落伍者の吹き溜まり』
『犯罪者すれすれのゴロツキ集団』
当たらずも遠からず、か。実際は、金さえ払えば犯罪以外の大抵の仕事は受けてくれる何でも屋だ。
危険も多くて死者も多いが、剣一本で成り上がれる組織であるため、なり手も多くて人手が足りなくなることはないみたい。
基本的に自己責任であるため、たとえ死んでも遺族に見舞金など出ない。安価で使いやすいため、軍を動かしたくない国もよく利用しているとも聞いている。
そんな危険な仕事に就こうとしている私も大概だけど、せっかく師匠の元で身につけた魔法の力、役立てるならここしかないのよね。
ごったがえすロビーを通り過ぎ、受付カウンターへ。愛想のよい受付嬢が私に微笑みかけてくれた。
「いらっしゃいませ、どのようなご用件ですか?」
「ハンター登録をお願いしたいの」
「では、こちらの用紙に記入をお願いします」
差し出された登録用紙に必要事項を記入していく。
特に問題なく登録は終わった。受付嬢が私に鉄製のプレートを差し出す。
鉄を型抜きしただけのような簡素なプレートで、鎖で首から下げるようになっている。表面には私の名前と職業、そしてランクが記載されていた。当然だけれど、最下級のランクが。
「こちらが、ギルドにおいてのあなたの身分証明となります。無くさないように気をつけてください、再登録は面倒ですからね」
「わかりました」
それから依頼やその他、ハンターとしての心構えなどを教えてもらっていると、
「お、お嬢ちゃんは魔法使いか。よければ手を貸してもらえないか」
不意に声をかけられた。
そちらを見れば、筋骨隆々とした、いかにも戦士という男性が立っていた。
魔法使いとしての腕を買われたようなので、そこは素直に嬉しいのだけれど、私はさっきハンター登録したばかりの駆け出しだ。
どうしたものかと受付嬢に視線で助けを求めると、彼女は肩をすくめた。
「いきなり無茶な依頼に連れていってはダメですからね」
「わかってるって」
どうやら話を聞くだけなら問題はなさそうね。
私は受付嬢にお礼を言ってから、戦士の仲間のところへと案内された。
「ゴブリン退治、ですか」
「ああ、やつらはさほど強くはないが、数だけはいるからな。俺たちだけじゃ厳しいんだ」
私を誘ってくれたのは三人のハンター。筋骨隆々の男性戦士と、身軽そうな女性戦士。そして盗賊風の男性だった。
「だから魔法を使える人がほしかったの。ゴブリンなら初級の魔法でも十分対処できるし、頼めないかしら」
女性戦士がハスキーボイスで後を続ける。
師匠は偏屈だったけれど、魔法使いとしては一級だった。指導は厳しかったけれど、お陰で私は駆け出しの中でも一つ上の実力があると自負している。
だから、きっと大丈夫。
腕を買われたからには応えないと。
そう考えた私は、彼らに同行することにした。
●3
「嬢ちゃん、右の通路からくる! 足止め頼む!」
「はいっ。夢魔の霧よ、愚かな者たちを眠りの淵に誘いたまえ!」
ゴブリンの潜む洞窟に突入した私たちは順調にゴブリンを駆逐していった。
敵の気配を盗賊が素早く察知し、戦士二人が先手を打って一刀の下に斬り捨てる。
私の仕事は戦士が討ち漏らした敵のトドメと、敵別働隊を眠りの呪文で無力化すること。
盗賊が的確に指示をくれるので、魔法を使うタイミングに迷うこともなかった。まあ、いつかは自分の判断で動けるようにならないといけないでしょうけどね。
やがて私たちは洞窟からゴブリンを駆逐した。
「彼女、疲労がたまってるわ。少し戻った広場で休みましょう」
ゴブリンの群れを殲滅したと理解した瞬間、恥ずかしながら疲労が一気に押し寄せてきてしまった。脚がガクガクだ。松明の灯りだけが頼りの洞窟で初の戦闘、やっぱり気を張ってたみたい。
女性戦士がすぐに気づいて休憩を言いだしてくれたのが、とても嬉しい。
死臭が漂う洞窟内での休憩は気分がよくないけれど、今は少しでも休みたかった。
「嬢ちゃん、魔法はなにが残ってる?」
「ああ、使い切っちゃいましたね。すみません」
「いや、こっちの指示がマズかったところもあるからな。こっちこそスマン」
盗賊が頭を下げる。
確かに、無駄撃ちした魔法が何回かあったわね。だけどあそこで節約して窮地に陥っても怖いし、こればかりはお互い様じゃないかな。
私はそう思ってた。
そう……私は。
「それじゃあ、そろそろいいか」
「え? なにが……きゃあああっ!?」
視界が反転した。突き飛ばされたと気づいた時には、私は地面に押し倒され、戦士に圧し掛かられていた。
バンザイをするように頭上に伸ばされた腕を、女戦士が素早く縄で結んでしまう。
さすがに身の危険を感じた。こうなったら魔法で……って、使い切ってたんだっ!
「どういうつもりなんですかっ!」
動揺を見せちゃいけない。
声が震えるのを抑え、三人を睨みつける。
だけど私の怒りの視線など、彼らの面の皮を破ることなどできないみたい。三人はゲラゲラ笑った。
「あんた、街はずれの魔法使いのとこの居候だろ?」
「それが……なにか」
「なに、昔、あの魔法使いのババアに酷い目に遭わされてな。いつか復讐してやるつもりだったんだが、呆気なく逝っちまいやがって」
「だからお前で憂さを晴らそうって決めたんだよ」
「恨むんなら自分の師匠を恨むんだな」
そんな勝手な!
ふつふつと怒りが湧いてくる。だけど怒りに任せて事態が好転するわけがない。
冷静に、なんとか冷静に。
自分に言い聞かせていると、ふと先ほどの会話に違和感が。女戦士の声と口調が……。
「あなた、もしかして……」
「あ? 気づいた? あんたが男ばかりのパーティに参加するとは思えなくてな、わからなかっただろ」
ずるりと髪が外れる。カツラだった。
女性を思わせる中性的な顔はそのまま。見た目だけならイケメンなのに、中身は真っ黒とか、なんて残念な。
師匠と彼らの間にどんなトラブルがあったのはか、わからない。だけど、きっと原因は彼らで、自業自得なのだと思えた。師匠はいたずらに魔法を使うような人じゃなかったから。
「なんだあ、その目は!」
知らず、憐れむような目をしていたみたい。
次の瞬間には衝撃があって視界が揺れた。ぐわんぐわんと世界が回り、遅れて頬が痛みを訴えた。
え……殴られた?
「ったく、こんな状況でも生意気な」
「いいじゃねえか、生意気な小娘の心を折って無様に許しを請う姿は興奮するし」
「おい、さっさとヤっちまおうぜ」
「や、やめ……」
ビリリリッ!
乱暴に服を破り捨てられるのがわかる。だけど殴られた衝撃が予想以上に強く、身体に力が入らない。
くっ、こんなやつらに……。
隠されていた悪意にまんまと騙された自身の迂闊さに腹が立つ。
やがて回転する世界が収まり、身体に力が入るようになったけれど……。
「せいぜい良い声で鳴いてくれよな」
焼けるような痛みが私を貫いた。
……………。
………。
……それからどれだけの時間が経ったのかは、わからない。わかりたくもない。
彼らは交代しながら私を蹂躙し、穢し、嘲笑った。
もうなにも考えたくない。このまま心を閉ざして楽になれればいいのに。
「おーおー、ひでえ顔。涙でグシャグシャじゃねえか」
「呻き声も出さなくなったし、そろそろ終わるか?」
「そうだな、終わらせるか」
なにか声が聞こえるけれど、もうどうでもいい。早く楽になりたい。
だけど一つだけ……。
「愉しませてもらったぜ。んじゃ、サヨナラだ」
この三人だけは許せない。
誰でもいい、この三人に罰を────。
「あ……、がはっ」
呼吸が苦しい。なにかが首に巻きついて……。
ゴキリ。
体内に響いた異音を最後に、私の意識は途絶えた。
●4
憎い。
あの三人が憎い。
許せない。
殺してやる。
誰でもいい。
やつらを殺して。
憎い。
あの三人が憎い。
──────
──────
自分がどうなったのか、わからない。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
なにも感じない。
ただ、頭にあるのは、あの三人への怒りだけ。
ああ、神でも悪魔でもいいから。
あの三人をどうか────。
「凄まじい恨みの念を感じて来てみれば、なんとまあ」
誰?
ううん、誰でもいい。
だから、あの三人を殺して。
「……気に入った。我の力を貸してやろうぞ」
………………。
…………。
……。
「はっ!?」
ガバッと身を起こして周囲を見回す。
ここは……ゴブリンが住んでいた洞窟?
こんなところで寝込むなんて、夢でも見ていたのかしら。
……ううん、それはないわね。だって私、裸だし……穢された痕跡が残ってるもの。
痕跡を認識すると同時に吐き気が込み上げてきた。
我慢する間もなく胃の中のものを地面にぶちまけてしまう。酷く惨めだわ。
胃がからっぽになって吐けるものがなくなって、無意識に口元をぬぐうと粘つく感触があった。
「……血?」
半乾きの血がべっとりと手についていた。そして自分の異常に気づかされた。
鉄臭い血の臭いが、今は甘い香りとして感じる。
そしてその血は自分のものではないって、理屈ではなく直感で理解してしまったのよ。
一体……私の身体はどうなってしまったのかしら。
自分の身体が自分でないような違和感を覚えながら、ともかく私は洞窟を出ることにした。私を騙して穢した三人をギルドに告発して罰してもらわないと────。
(……ギルドに任せていいの?)
突然、自分の奥底から三人に対する殺意が炎のように燃え上がった。
そう、そうよ。ギルドなんかに任せておけない。あの三人は私が殺す。
もちろん、簡単には殺さない。じわじわといたぶって命乞いをさせ、最後には自分から殺してくれと言うまで苦しめてから殺してやる。
決意すれば行動あるのみね。
残念ながら私の荷物は見当たらない。三人が持ち去ったんでしょうね。
引き裂かれた服の生地を適当に繋ぎ合わせて大事な部分だけでも隠すと、私は出口に向かって歩き出した。
……なにかに突き動かされるように。
●5
「……やっと陽が落ちるわね」
私は今、洞窟の入り口で膝を抱えている。
あの三人を殺すべく、いざ出発と洞窟から出ようとしたのだけれど、それは叶わなかった。
洞窟内に射し込む陽の光の領域に足を踏み出した瞬間、足の先が煙を噴き上げ、経験したことのない激痛が全身を駆け巡って悲鳴をあげてしまった。
慌てて奥に戻って足を確認すると、炭化したように真っ黒になっていた。
(……ちょっと待って、陽の光を浴びて身体が焼けるとか、まさか、そんな……)
(認めたくない。こんなの絶対っ)
(だけど私、確か死んだはずじゃ……)
頭をかかえ、悶々と葛藤し続ける私に残酷な現実を突きつけてくれたのは、焼けた足だった。
炭化した表面にひびが入り、まるで脱皮するように綺麗な足が内側からこんにちわしてきたら、もうね……。
日光を浴びてダメージを受ける。
強力な再生能力。
今さらだけれど、照明もないのに真っ暗な洞窟内を歩いてこれた夜目。
触れただけでわかるほど、明らかに尖った犬歯。
血の匂いを好ましく思い、しかも口元にべったりと他者の血がついていたとなれば……。
「私、吸血鬼になっちゃったの?」
吸血鬼といえば血を吸った相手を眷属として配下に加えると聞いているけれど、実は眷属を作る方法は二種類あるって師匠に教わった。
まず、吸血。
吸血されて死んだ者は食屍鬼と呼ばれるアンデッドと化して配下に加わる。意志はなく、吸血鬼の指示に従って動く操り人形だけれど。
二つ目は、受血。
吸血鬼の血を飲まされた者は、たとえ死体であっても吸血鬼として死の淵から蘇る。
そして受血の最大の特徴は、蘇った者は自由意志を持ったまま吸血鬼化するということ。
師匠に教えてもらった条件が全て、私に該当してる。なんてこと。
心の奥からは絶えず三人に対する殺意が湧きあがってきて私を追い立てる。気を抜けば、たとえ陽光の下であろうと飛び出して行きかねないほど強力な殺意。
その殺意を抑え込みながら陽が暮れるのを待っていたのが、結果的には幸いだったのかもしれない。少なくとも自分が吸血鬼となった事実は受け入れられたと思うから。
夜の帳が下りたのを確認すると、私は洞窟から出た。
依頼のあった村までは徒歩で半日はかかる。周囲に人工の光は見えない。だというのに、私には昼のように鮮明に景色が見える。目も良くなったのかな、遠くに村の灯りまで確認できるわね。
さて、あの三人は殺す。これは決定。
じゃあ、その後は?
吸血鬼と化した以上、今までのような生活はできない。人類の敵になったのだから当然よね。
だけどまあ、なるようにしかならないわよね。先は考えないようにしましょう。
まずは、あの三人の足取りを追わないと。
私は勢いよく駆け出した。
ゴンッ!!
……痛い。
一歩、地面を蹴っただけなのに十数メートル先の木に激突してしまった。
吸血鬼の身体能力は軽く人間を超えると聞いていたけれど実感したわ。……鼻、潰れてないわよね?
しばらく、この身体に慣れるための練習が必要かしら。
●6
ゴブリン退治に出かけた時は途中まで乗り合い馬車を利用しても五日かかったけれど、私も五日で街に戻ってきた。徒歩、しかも身体を慣らしながら。
うーん、本当に吸血鬼の身体能力は高いわね。アンデッドの貴族と呼ばれるだけはあるわ。
本当はもっと早く到着できたのだろうけれど、日光を避ける場所を探す必要があったので日数がかかってしまった。まあ、その間に吸血鬼としての能力などを確認できたからいいけれど。
街が近くなると三人の残り香を感じた。恐るべき嗅覚ね、本当。
だけど三人の体臭は、私が来た街道とは逆方向に移動しているのがわかった。ギルドに依頼達成と私の死を報告して、すぐに移動したみたいね。
私はすぐに追跡を再開した。
三人は隣街で新しいメンバーを加えて、山の奥へと進んでいったようだった。夜になって追跡を再開すると、山奥にある洞窟に三人の臭いは消えていった。
周囲にはオークの死骸がいくつか。ちょっと既視感?
倒されて間もないオークの体からは新鮮な血液が溢れていて、思わず生唾を飲み込んでしまったけれど、そこはグッと我慢。いくらなんでもオークの血を飲みたいとは思わないし。
いや、本能は必死に「飲めー、飲めー」と訴えてきてはいるのだけれど……。
静かに洞窟に入る。と、
「いやあああああああっ!!」
洞窟に響く女性の悲鳴。
私は闇をものともせず、洞窟の中を音も立てずに駆け抜けた。
いくつもの角を曲がり、いくつものオークの死骸を乗り越えた先に現場はあった。
「やめ……やめてくださいっ」
洞窟の奥で、私はいつか見た、いや、経験した光景に出会った。
あの三人に組み敷かれているのは、どうやら神官みたい。戦闘用の法衣は大きく引き裂かれて、大きな乳房が松明の灯りの中で不安げに揺れている。
……思わず自分の胸元を見てしまったのは……なかったことにしよう。
腰まであるブロンドの髪に碧色の瞳。恐怖に歪む顔には幼さが残り、成人したてなのがわかる。
しかしこの三人、私で味を占めたのかしら。同じ町で獲物を探さなかったのはわかるけれど、日を置かずに次の娘を狙うとか本当に呆れるわ。
「な……なぜ、このようなことを」
「あー? 新人研修ってやつさ」
「そうそう、初めて会った人間にほいほいついて行っちゃダメだからな」
怯える少女に身勝手な理由を語ってゲラゲラ笑う三人。そこに私は口を挟んだ。
「……本当、その通りよね」
「だ、誰だ!?」
「誰だはないでしょ、誰だは」
「なっ!? て、てめえっ!?」
松明の光が届く範囲に顔を出せば、三人の顔が驚愕に歪む。
だけどそれも数瞬、戦士が少女を羽交い絞めにして後ずさり、盗賊とオカマ戦士は武器を抜いて身構える。あら、意外と戦い慣れしてるのね。ゴブリンの洞窟ではまだ未熟さが見えた気がしたけれど、あれは演技だったのかしら。
「お、お前、生きてたのかっ!」
「生きて……るのかなあ?」
「ふざけるな!」
ふざけてないのだけれどねえ。
いきりたつ三人はしかし、すぐにその表情をだらしないものに変えた。いやらしい視線が私の身体を撫で回してくる。
うわあ、気持ち悪い。背筋がぞわぞわするわ。
「へっ……へへっ、そんな格好してよお、誘ってるか?」
「ひょっとして、俺たちとの夜が忘れられなかったかあ?」
そういえば千切れた服を繋ぎ合わせた、下着のような恰好だったわ。さぞ煽情的でしょうね。
まあ、誘うなんてありえないけれどね。忘れていないのは恨みの方だし。
私がなにも言わないのを肯定ととったのか、盗賊が指をわきわきさせながら私の胸元に手を伸ばしてきた。
軽く、その手をはたく。ゴキリと音がして、盗賊の腕が肘のあたりから変な方向にねじ曲がった。
(えっ、そこまで力は入れてなかったはずだけど)
悲鳴は一瞬、遅れた。
「ぎゃああああああっっ! う、腕がぁっ! 俺の腕がぁっ!」
「てめえっ!」
予想以上の力に自分で自分に驚いていると、オカマ戦士が斬りかかってきた。
なかなかいい踏む込みをしているとは思うけれど、その動きは私の目にはひどくスローに映った。
少し体を開いて剣をかわし、手首を打つ。加減したつもりだけれど、簡単に彼の手首は折れてしまった。
相手が悲鳴を上げるより早く落下中の剣を掴むと、素振りのように上へと振り上げる。それだけでオカマ戦士の右腕が肩のあたりから切断される。
うん、加減が難しいわね、この身体。
オカマ戦士は意味不明な叫びを発しながら地面でのたうち回る。肩口からは大量の血液が噴水のように噴き出し、濃い血臭が濁った洞窟内の空気をさらに澱ませる。
だけど血臭は私を興奮させるだけだった。手についた血を舐めとると、ゲスの血だというのに果汁を飲み干した時のように喉が潤う。ああ、これはマズイわね、もっと飲みたくなってきちゃう。だからって血だまりに口をつけて飲みたいとは思わないけれども。
気がつくとオカマ戦士は動かなくなっていた。
「や、やめろ。来るな、来るなぁっ!」
視線を前に向けると、目が合った盗賊が叫びながら無事な左腕を激しく振り回した。その顔は恐怖に歪んでいる。
だけど目は死んでいない。
それを感じ取った時、盗賊の左手が閃いた。手首に仕込んであった投げナイフが私の心臓を目がけて飛んでくる。やはり諦めてはいなかったのね。
距離的に必殺の間合い。だけど私は容易くナイフを指で挟み込んで受け止めると、手首を返して投げ返した。
トスッと軽い音とともにナイフが盗賊の喉に鍔元まで突き刺ささる。
「……! ……!」
ヒューヒューと空気が漏れる音を発しながら、盗賊は虚しく空を掴むようにもがいて……事切れた。
しまった、苦しめるつもりが二人をアッサリと殺してしまったわ。
残る一人は少女を羽交い絞めにしたまま硬直していた。少女も同様に顔色を無くしている。
「う、動くなっ! こ、ここの女がどうなってもいいのかっ!」
視線を向けると我に返った戦士が少女の首筋にナイフを押し当てて恫喝してきた。興奮か怯えか、力加減ができていないために刃先が軽く首筋に食い込み、鮮血が糸をひく。
少女が小さく悲鳴をあげ、可哀そうなくらいに震えだす。同時に、血の匂いに混じって微かな異臭を感じる。視線を下げれば、彼女の法衣のスカート部分に染みが広がり始めていた。見なかったことにしましょう。
しかし、さすがに無関係な少女を巻き込むのは気が進まないわね。
私が動きを止めると、勝ち誇ったように戦士が吠えた。
「そ、そうだ、大人しくしていろ。いいな、そこを動くんじゃないぞっ!」
少女を抱きかかえたままじりじりと、戦士は私を迂回するように移動していく。
私は動かない。動く必要もない。
戦士を殺すための武器は、今ここに大量にあるのだもの。
戦士がオカマ戦士の血だまりを跨ごうとした瞬間、私は血だまりに囁いた。
「刺せ」
「ん!? ……ごぼあああっ!?」
戦士の体が風船のように膨らみ、内側から破裂した。彼にはなにが起きたか知覚する時間もなかったでしょうね。
血だまりから生み出された血の針が、戦士の太腿に突き刺さった。ただそれだけ。
だけど体内に届いた血針は戦士の血液と混じり合い、そこからさらに無数の針を生み出す。全身の血液が針と化し、戦士を内側から身元がわからぬほどズタズタに引き裂いたのだ。
血液を武器とする。それが吸血鬼の能力の一つ。
……だけどこれ、エグいわねえ。吸血鬼になったせいでスプラッタは平気になったけれど、気分は良くないわね、これ。
さて、これで復讐は果たしたわけね。自分の中で沸騰していた三人への殺意が急速に薄れていくのを感じる。
あとは、
「立てる?」
返り血を浴び、気絶寸前の少女に声をかけるけれど、彼女はあっけなく気を失ってしまった。
◆ ◆ ◆
凄惨な殺戮現場────やったのは私だけどさ────に少女を放置しておくにも気が引けて、彼女をおぶって洞窟を後にした。
しかしどうしようかしらね。近くに村はないし……、街道沿いに放置しておけば行商人か乗り合い馬車が拾ってくれるかしら。
……ああ、ダメダメ。悪いやつらが先に見つけたら助けた意味がなくなっちゃう。かといって街まで送るには時間が足りないわね。もうすぐ夜明けだし。
頭を悩ませていると、背中で彼女が身じろぎした。
「ん……」
「あ、起きた?」
「ここは……。────っ!?」
目覚めたばかりでボンヤリしていた彼女はしかし、急に背中で暴れはじめた。痛い痛い、暴れるんじゃないわよ。髪を引っ張らないでっ。
下ろしてあげると、破れた服をかき抱くようにして少女は私から距離をとった。
うん、まあ、普通の反応よね。
彼女のマントの留め金に刻まれているのは、愛と慈悲そして生命を司る女神アマスの紋様。教義上、アンデッドは宿敵なのだから、信者たる彼女は私が人間じゃないって感じ取ってるはず。
「え、あれ? 確か血を……」
「ああ、うん。綺麗にしといたわ」
さすがに頭から戦士の血を浴びてしまった彼女に申し訳なく、血は全部落としておいた。いやほら、私、血液を操れるしね。
戸惑い、警戒している彼女に、私は三人から奪ったプレートを差し出す。
「はい、これ」
「これは、あの人たちの……」
「死んだハンターの身分証は、発見者が持ち帰って死亡報告をするのが義務なのよ。まあ、どう報告するかは好きにしなさい」
少女は受け取ったプレートと私を交互に見つめる。警戒感は薄れ、今は困惑の方が大きいのがよくわかる。
「あなたは……一体」
「そうね、過去のあなたってところかな」
謎かけのような返答だったけれど、すぐに彼女は意味を察したみたい。じわりと目に涙が浮かんだ。
ちょ、ちょっとぉ、どうして貴女がそんな辛そうな顔をするのかしら。
予想外の行動に困惑していると、彼女は姿勢を正し、深々と頭を下げてきた。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
「え、ちょっ、待って待って。あなた、私が人間じゃないって気づいてるよね?」
「はい。かなり強い……アンデッドかと」
「アマスの信者がアンデッドに頭を下げていいわけ?」
いきなり悪霊退散! とかされても不思議じゃないのだけれど。
そう言うと、彼女はわずかにはにかんだ。
「そういうあなたこそ、アンデッドなのにアマスの信者を助けてよいのですか?」
「…………」
「…………」
ぷっ。
二人同時に吹き出した。
「それに、命の恩人に非礼を働くなどありえませんから」
真面目ちゃんか。
「まあ、いい経験になったでしょ。相手を見極められる目を養いなさいな」
「はい。本当に感謝しています」
白み始めた空の下で彼女は微笑んだ。歳相応の可愛らしい笑顔で。
私はふいっと視線を逸らせた。真っ直ぐに好意を向けられて気恥しくなったのだ。
……朱の差した頬と潤んだ瞳は見なかったことにしよう。
「さて、そろそろ陽が昇るから私は退散するわ。助かった命、大切にしなさいね」
「ま、待ってください。せめて……これを!」
背を向けると、慌てて肩になにかがかけられた。マントだった。……女神アマスの信者用の、だ。
「……いくらなんでも、これは問題じゃない?」
「で、でもっ、そんな格好では大変でしょうし」
裸同然の私を気遣うなんて……。自分だって大変な恰好でしょうに。
でも、まあ、悪い気はしないわね。
「わかった。もらっておくわね」
「はい、そうしてください。……あ、そういえばお名前を聞いてませんでしたっ」
敵対する相手の名前を聞いてもしょうがないでしょう。
だから、
「また逢えたら、その時に教えるわ」
「っ……。約束ですよっ!」
名残惜しそうな彼女の声を背中で聴きながら、私は森の奥へと飛び込んでいった。
彼女がどんな目で私を見送っているのか、気づかないようにして。
●7
あれから十年。
それは、私を倒そうとする聖騎士や狩人からの逃亡の十年でもあった。
「本気で戦いなさいよ!」
私は聖騎士に苛立ちを隠せない。
この聖騎士の噂は聞いている。何人もの吸血鬼を倒してきたっていう凄腕の吸血鬼狩人だと。飾り羽のついた銀の兜はその証。
だというのに、まるで殺気を感じない。こちらの攻撃がまともに当たらないから相当な実力があるはずなのに、剣すら向けようとしないのは何故なの。
「いい加減にっ」
苛立ちそのままに放った強力な魔法はしかし、そのまま私の隙になった。好機とみた聖騎士が魔法をかわし、一気に距離を詰めてきた。
ひょっとしてこれを待っていたの?
でも、いいわ。そのまま私を楽に……って、なんで剣を投げ捨ててるのよっ!? なにかのフェイント?
つい、剣に目を向けた瞬間、私は聖騎士に思いっきりタックルをくらってそのまま床に押し倒された。
「って、重いいぃっ! ちょ、どきなさいよっ」
人間+全身鎧の重量が私を押さえつける。さすがに吸血鬼の腕力でも簡単にはどかせられないわ。
聖騎士の奇行はさらに続く。そのまま兜の留め金を外して素顔を晒すという暴挙に出たのだ。
唾でも吐きかけてやろうかと思った私の決意はしかし、現れた聖騎士の素顔を見て霧散してしまった。
兜をかぶるためでしょう、短く切ったブロンドの髪と、碧色の瞳。一瞬、とんでもない美男子だと思ったけれど、体臭で相手が女性だとわかった。
さすがに女性だとは思っていなくて、私は驚きで動きを止めてしまった。
聖騎士は両手で私の顔を愛おしそうに挟み込み、熱い息を吐いた。
「……お会いしたかったです」
「……え?」
私、聖騎士なんかに知り合いがいたかしら。
なんのことかわからない。それが顔に出ていたみたいで、彼女はぷうっと頬を膨らませた。あ、意外と子供っぽいところがあるのね。
「忘れてしまったのですか? ……ずっと会いたいと思ってましたのに」
そう言いながら、いじけるように私のマントの留め具をいじる彼女。
……あ。
まったく唐突に、目の前の聖騎士の顔に、マントをくれた神官の顔が重なった。
「まさか……、あの時助けた神官?」
「思い出してくれたのですか!?」
ぱっと花が咲くように彼女は笑った。歓喜の気配を隠そうともせず、私をギュウッと抱きしめてくる。
って、痛い痛い。それに重いっ。
何度も耳元で怒鳴って、ようやく彼女は私を離してくれた。
下からはまだ戦闘の音が続いているけれど、私たちはもう戦う気分じゃなかった。
「まだ、使ってくれていたのですね」
「あー、うん……」
指差すのは十年前、彼女が私にくれたマントのこと。
このマントは……都合が良かったのよ。
村に住む時だって、女神アマスの信者だと都合よく勘違いされて怪しまれなかったし、夜道でハンターに遭遇しても「巡礼の途中です」と言えば、相手に本当のアマス信者がいない限りはそんなに怪しまれなかった。
この十年、各地を転々としながら潜伏してきたけれど、このマントのお陰で楽をさせてもらったわ。
さすがに十年も経っているのであちこち痛んできてはいるけれど、こんな都合のいい道具、捨てるわけないじゃない。
……ああ、はいはい。わかってる。そんなのは言い訳だって。
人に裏切られて死んでしまった私が、死後に受け取った他者からの好意。それがこのマント。
ひとつだけ残った、人ととの繋がり。
だから捨てられなかった。捨ててしまえば、自分が本当に人ならざるものになってしまう気がしたから。
なんとなく気まずくなって話題を変える。
「そういうあなたこそ、噂の吸血鬼狩人になっちゃってるとか、どういうことなの? 昔は人間の男にさえ勝てなかったのに」
「昔のことは言わないでくださいぃ」
ブンブンと両手を振って恥ずかしがる姿は、とても何人もの吸血鬼を葬ってきた凄腕聖騎士とは思えない。
改めて問うと、彼女は顔をふせ、ちらちらと私を見ながら頬を染めた。
ゾッとするような色気を感じて、一瞬だけれど吸血衝動が湧きあがった。この娘、魅了の魔法でも使えるんじゃないかしら?
「だって……約束ですから」
「約束?」
「う~、忘れるなんてひどいですぅ。また逢えたら名前を教えてくれるって約束したじゃないですか」
言われてみれば、そんな約束をしたようなしなかったような?
って、ちょっと待って。ということは、よ。
「あなた、私の名前を聞くためだけに聖騎士になったってこと?」
「……はい。吸血鬼を追う権利は一般の聖職者には認められていませんから」
恥ずかしそうに微笑む彼女に、私は呆れるしかなかった。
「はぁ……。わかったわよ、教えてあげるから、教えたらさっさとトドメを刺してよね」
「え?」
なぜか驚く彼女に私は自分の名前を教え────。
ドカドカドカッ……。
気がつけば階下からの戦闘音が聞えなくなっていた。代わりに複数の重い足音が近づいてきている。
私は苦笑しながら両手を広げた。
「ほら、お仲間が来るわよ。ひとおもいに────」
「ヤですっ!」
「そう、ヤですって、はあああっ!?」
どうしてそこで拒否するの!?
戸惑う私を彼女は横抱きにした。いわゆるお姫様抱っこってやつを。そしてそのまま、半壊したテラスから身を躍らせた。
って、ここ。三階だよっ!?
全身鎧でやることじゃないでしょっ!
だけど彼女は自棄になっていたわけじゃなかった。地面にぶつかる直前、鎧が光ると急速に速度が落ち、無事に着地できた。
そのまま彼女は走り出す。……私を抱いたまま。
「ちょ、ちょっと!」
「ああ、今のは鎧の加護です。どんなに高いところから落ちても────」
「そうじゃなくって! あなた、なにしてるのよ。邪悪な吸血鬼を仲間から逃がすようなこと────」
「邪悪じゃありません!」
力の入った否定に、私は言葉に詰まる。私を見た彼女の目は真剣そのものだった。
「あなたが本当に邪悪ならば、森のはずれの村があんなに平和なわけがありません」
「…………」
「村の人はみな、口をそろえて言いました。『あの女性は怪しいけど、村人に危害を加えたりはしない』と」
「……油断させようとしただけよ」
「館にいた敵は全部、ゴーレム系の無機物で食屍鬼はいませんでしたよ?」
「…………」
「他の村でも、同じような証言がいくつもありました。どの村も、私たちが駆けつけた時には吸血鬼は逃げたあとでしたけれど」
「…………」
「なのに……、どうして今日は、死のうとするのですか」
「……疲れたのよ」
あ、ダメだ。一度口を開いたら……止まらない。
「もう疲れたのよっ、逃亡の日々に! 村人を助けて住みついたとしても、いつか必ず怪しまれて教会に密告される。人気の無い場所でひっそりと過ごそうとしても、吸血鬼というだけで捜し出されて、執拗に追われ続ける! もう疲れたの、休ませてよおっ!」
いっそ、人類の敵として好き勝手に暴れられたら楽だったと思う。けれども、あの三人を殺した時点で、私の中にあった殺意は綺麗に消えてしまった。そして私も、人類全員に敵意を持てるほど非情になれなかった。
そう、私を蘇らせた吸血鬼は、あの三人を殺すためだけに力を与えてくれたんでしょう。あとのことなど考えずに。
もう、疲れた。
怪しまれることも。
逃げ続けることも。
そして……一人でいることも。
「もう一人は……いやぁ……」
……なあんだ。色々と理由を並べ立てたけれど、最後にこぼれた一言が本音じゃない。
そうだ、私は寂しかったんだ。同じ時間を歩める人がいないのが……どうしようもなく寂しかったのだ。
気がつけば涙が頬を伝っていた。吸血鬼になっても涙が出るのね。
そんな場違いなことを考えていたら、彼女が足を止めた。森の中にぽっかりと開けた場所で。
「……私じゃダメですか」
……え?
見上げれば、強い決意を秘めた瞳が私を見つめている。
「私がずっと……おそばにいます」
「なに……言ってるの。私は吸血鬼で、あなたは聖騎士。相容れない存在なのよ」
「ならば私は、聖騎士をやめます」
キッパリと言い切ると、彼女は私を地面に降ろす。そして鎧を脱ぎ始めた。
私は呆然と見ていることしかできない。彼女の決意がどれほどのものか、判断ができずにいた。
やがて全身鎧をすべて脱ぎ終わると、インナーの鎖帷子すら彼女は脱ぎ捨てた。
下着同然の姿が闇の中に浮かび上がる。もし今宵が満月であったならば、きっと月光に照らされた彼女は美しく輝いたであろう、引き締まった身体をしている。
汗混じりの体臭が風に乗って届くと、自分の心臓が興奮して跳ねた。すぐにでも華奢な首筋に噛みついて生き血を吸いたい衝動に駆られるけれど必死にそれを抑え込む。
今の彼女は悪戯に穢していいものには見えなかったから。
「吸血鬼のために聖騎士をやめるとか……神罰が下るんじゃないの?」
「どうでしょう? でも、きっと大丈夫ですよ、アマス様は愛の女神なのですから」
「は? どうしてそこで愛が……」
彼女の自信の根拠がわからない。いや……わかりたくない。
それを受け止めるだけの自信が、私にはないから。
だから……視線を逸らせてしまった。
まるでその瞬間を待っていたかのように彼女の右手が閃いた。そこに握られていたのは護身用の短刀。
その短刀が彼女の左胸に突き立てられるのを……私は止められなかった。
「ばっ……馬鹿あああぁぁぁっっ! な、なにやってるのよっ!!」
私が動けたのは、彼女が力なく地面に倒れてから。
血を吐く彼女を抱き上げる。短刀は鍔元まで突き刺さり、心臓を貫通しているのは確実だった。
「十年前……」
「喋らないで!」
「十年前……女性としても、人としても……死を覚悟した私の前に現れ、助けてくれたあなたは……私には御伽話の中の王子様に見えた……のですよ」
激しく咳き込み、大量の血を吐く。しかし彼女は話すのをやめない。
「あれから十年。……あなたのことを想わぬ日は、あり、ませんでした……わ。それが初恋だと気づいたのは……少し前でしたけれど」
死の足音を聞いているはずなのに、彼女は不思議と穏やかな顔で話し続ける。血の気がひいているはずなのに、頬を染めて恥ずかしげに告白する彼女は間違いなく恋する乙女だった。
弱々しく差し出された手を強く握る。
「一生……おそばに置いてくださ、いませ……。もう一人にはさせ、ま……」
ストンと。腕から力が抜けた。穏やかに微笑んだまま、彼女は私の腕の中でその命を終えた。
「……馬鹿」
馬鹿よ。大馬鹿だわっ。
いくら命の恩人だからって、初恋の相手だからって、聖騎士になってまで倒すべき吸血鬼を追いかけてきて、職務を放棄して愛に殉じようとか……この大馬鹿者っ!
まだ名前を教えてないでしょうにっ!
あなたの名前だって、まだ聞いて……。
冷たくなっていく彼女を抱きしめて、私はしばらく泣き続けた。
●報告書
モルドールの森にある廃館に住みついた吸血鬼を討伐するため、派遣された第十三聖騎士団はのちに吸血鬼討伐失敗の報告書を提出している。
死亡者無し。
行方不明者一名。
周辺を捜索した聖騎士たちは、館から離れた森の中で脱ぎ捨てられた鎧と血だまりを発見したが、死体は見つからなかったという。
────。
なお、この報告書には、ひとりの聖騎士が目撃したという未確認情報が追記されている。
その騎士によれば、行方不明者の捜索を行っていた際、ふと視線を上げると、頭上に二つの人影を見つけたという。
その人影は互いに手を繋ぎ、まるでワルツを踊るように漆黒の夜空で踊り戯れていたという。
確認のため聖騎士が照明の魔法を飛ばすと、その人影は光を避けるようにして、まるで隼のごとき速さで東の空へと飛んでいってしまったそうだ
0
お気に入りに追加
4
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
おぉ、面白かったです!
可哀想な人生かもしれませんが、最後は幸せになれたのですよね!
お名前が気になりますw
ラストのシーンが綺麗で好きでしたー!
返事が遅れて申し訳ありません。感想の通知って設定しないとダメなんですねー。
読んでいただき、ありがとうございます(ダイマしといてなんですがw)。少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
ラストはあえてはっきり描写せず、でも読者には想像がつくようにしました。どこか二人で静かに暮らしていることでしょう。