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ここはどこ、俺は誰?
いろいろ準備はいい?
しおりを挟む三日以内と伝えてあった謁見の場は、キッチリ三日後で。
鈴木のおじさんからの確認がちょいちょい入ってきて、謁見の場にどの程度の立場の者が同席するかとか、その時に話すことについての前相談などもあり。
言える範囲のことを返すだけで、特に細かい話はしなかった俺。
謁見当日の早朝に、のんびり風呂に入って、嵐が去った青空を眺めながら目を閉じた。
エアーバリアを四方を囲むものだけを残し、天井にあたる部分は解除して。自然の風がふわりと頬を撫でていく。
謁見の場は、午後一。
昼前の一時間前に、イチさんとナナさんはナンバーズとして先に王城へと向かってしまう。
その前に、あの返事を出来れば聞きたかったんだけど…。
「切り出しにくい…」
そう呟き、うなだれた。
俺の寝室は平屋だった時の名残りで、一階のまま。
3人は二階の部屋にそれぞれ好きなように寝てねって言っておいたら、いつの間にやら部屋割りが決まっていた。それと、カムイさんだけはベッドじゃなくてあのクッションがいいと譲らず。
なので、ひとまずベッドはインベントリに収納の後、人がダメになるクッションっぽいやつを出して寝てもらっているわけで。
ホーンラビットの時でも人型の時でも、あのクッションで眠るカムイさんは気持ちよさげにニコニコして寝ている。普段の目つきの悪さがどこかで迷子になってるんじゃないかと思えるほど、どっ…こにも見当たらない。
パチッと目を開け、空を仰ぎ、浴槽のお湯を手のひらですくって顔を洗うようにパシャッとかけた。
「…ぷは」
腰を浮かせ、浴槽の縁に腰かける。足湯のような格好でいれば、ふ…と大きな鏡に自分の姿が映って見えた。
「…………いいよね? 元の場所で生きてた自分を遺しても」
あの時見た元の世界での状態からいけば、俺は死んだんじゃなくて転移しただけな気がする。映像を思い出して冷静に分析してみれば、そうじゃないかと思えてきたわけで。
なら、アッチに俺の姿がどこにもなくっても、ココに遺すのは許されたいと思ってしまった。
俺がこの姿で生きていたことを嘘だったとか夢だったとか、なかったことになっちゃうとか…俺が俺でいた時間がいらなくなったと誰かに言われてしまいそうで怖かったのも、この姿を選んだ理由だったのかもしれない。
なんとなくって感じでこの姿を無意識で、けれどどこか何かを意識して選んでた。よくわからない感情が胸の中に、シミのように滲んでるって感じだ。
三日という時間をおいてみれば、俺自身もいろいろと冷静に考えられる時間を持てたと思う。その中で考え至ったのが、そういうこと…で。
結局のところ、こっちに召喚されたのがよかったこともあれば、(悪かったというよりも)嫌だったことがあったということ。その後者が、大月水兎っていうこの姿の俺がゼロになっちゃうようなのが、ずっと引っかかってたんだなって…。
昨日のあの時間にたどり着くまで、不思議なことに名字が何だったかが出てこなかった。猫の齋藤さんが俺の名前を呼んだ時、俺の顔写真付きの書類を見せてくれた時、どっちも下の名前だけだった。
俺自身も、名字をなぜか思い出せずに…。なんでなんだと違和感を抱いても、思い出すキッカケも見つけられずにここまできていた。
ようするに、だ。なんらかのフラグ待ちで、名字が思い出されたってことだ。俺が、3人に自分のことを明かすタイミングで、まるで名字を憶えていたかのようにスラスラと出てきたもんな。
ただ、名前について思い出せないことが一つ…残ってる。
水兎←コッチの世界じゃ使われることがないとはいえ、どうして兎の文字を使っているのか…を幼い時に学校の宿題で両親に聞いたはずなのに、それが思い出せないでいる。
水の兎。水色の兎。どういう由来なんだろうな。と同時に、両親の下の名前もいまだに思い出せないでいることに、たった今気づいた。
「俺って、薄情者なのか? 両親についての記憶が少なすぎないか?」
亡くなったのは高校の時だったはず。小学生とか保育園児の時とかだったら記憶が薄いのはわかるけど、高校生の時に亡くなっててそれで記憶があまりないって、さすがにひどくないか? 俺。
鏡の中の俺は、多分だけど召喚される前よりは肉付きがよくなった気がする。しっかり食べて思ったよりもしっかり眠れてるってことが、俺をどんどん健康にしてくれている。しかも、いろいろ魔法を試したり、元の世界の食事をこっちでも食べられているっていう、ストレスがかなり少ない生活なのが大きいんじゃないか?
それになにより、大賢者云々無関係で、俺のそばにいてくれるカムイさんがいて、返事次第じゃイチさんとナナさんが俺のそばにいてくれる。まだ、(仮)だけど。
(…いてほしいなぁ、2人ともに)
鏡の中の黒髪の俺が、湯気で少しずつその姿が見えなくなっていく。
「俺の髪色がこのままでも、一緒にいてくれたらなぁ」
ゴムを外してみると、思ったよりも髪が長い。だらしなく見えるかな。ハーフアップじゃなく、他の髪型のほうがいいかな。
「……お洒落に興味持たなさ過ぎたもんな。…みつあみって、どうやりゃいいんだっけ。みつあみとか、ポニーテールでもすればいいのか? 男でもそういう髪型ってしていいもんなのか?」
指先ですくいとり、毛先を摘まんで頬のあたりまで持ってきてはプラプラさせて。
「いっそのこと、切っちゃおうかな。思いきり。ズバーッ! とか、シャキーッて感じで」
手のひらを上に向け、ウエイトレスがトレイを持っている時みたいな手にして。
ひゅうっ…っと小さな音をたてて、風の塊を作る。その中にかまいたちみたいな刃のイメージを作り、あの採掘の時っぽくすれば髪が切れるんじゃないかと反対の手で摘まんだ髪の毛先を、その魔法に近づけようとした俺。
「ちょ! 何してんすか!」
背後から俺を止めたのは、ナナさんの声。
「髪、切っちゃった方がいいのかなって思って」
「な、なんで?」
「なんていうか、だらしないっていうかさ、結ぶのも面倒って思ったし。別に俺の髪くらい、どうでもいいかなって」
「どうでも…って、なんすか」
最後の言葉に、とっさにツッこんでくるあたりは、さすがにナナさん。
「元いた場所でも切りに行く暇もなくて、手入れも出来ないって中での苦肉の策があの髪型だったんだよね。ただ結ぶのもなんか芸がないなって思ったのもあるけどさ。無駄に長いだけでカムイみたいにつやつやした髪じゃないと、伸ばしっぱなしにしてても汚く見えるだけじゃない?」
ほらね? と指先で摘まんだ毛先を軽く振って見せた俺に、ナナさんが「断固反対!」と俺の手をやんわり毛先から外させた。
「俺…こんな見目ですけど、自分で甚平の紐も美味く結べなかったりしますけど。でも…俺が結びますから、切らないでください!」
っす…を語尾につけがちなナナさんにしては珍しく、言葉に真剣さが乗っている感じがする。
「髪、いじるの好きなの? ナナさん」
なんで? と思った時に、浮かんだ順にいろいろ聞いていく。
「違います」
「じゃあ、黒髪好き」
「髪は何色でも好きです」
「長めの髪が好き」
「長さは問題視したことがないです」
「じゃあ…」
もう浮かばないなと視線を右斜め上に動かした俺の視界に、ナナさんの姿が入り込んだ。
「アペルさんの髪だから、大事にしたいだけです」
さっき同様に、ナナさんの言葉がやけに真剣さを感じてしまう。
「アペルさんが、切りたくて切るならいいんですよ。でも、どうでもいいとかいうのはナシです。……髪に対してもそんな感じだったら、そのうち…自分の体のことも、どうでもいいとか言い出しそうで…俺は嫌です」
そうして呟かれた言葉の中身に、思わず「…え」と漏らしてしまう。
「ここに来るまでの話を聞いてて、自分への扱いがひどくないか? と思ったことが結構あって。正直、ショックでした。…アペルさんは、もっと自分を大事に扱ってほしいと…思いました。もしも…もしも、アペルさんが自分を大事にするのが上手く出来ないっていうんなら、俺が…大事にしたいです。こうやって大事にするもんなんだって…見せていきたいです」
と、そこまで話してから、俺の肩に手を置いて短く息を吐いてから告げた。
「三日間、いっぱいいっぱい考えました。今までのこと、これからのこと。俺のこと。イチさんとカムイさんのこと。……アペルさんのこと。…で、決めました。俺は…元々髪色なんか関係なく、アペルさんって人を見てきたはずじゃないか? って思った。髪色を見なくても、アペルさんの表情や声や言葉に…どんな気持ちを抱えてるかって、何を感じてるかって…出てるじゃないかって。今更のことのように気づいたんです。…だから、その…髪色というか見た目が今の姿のままでも、俺はかまいません。元の世界にいた大月水兎さんの姿で、俺は一緒に生きていきたいです。旅にだって、同行したいです。一緒に……笑っていきたいんです」
俺が聞いていたことへの答えだ、コレは。
「…で、たまぁーにパッフェル食わせてくれりゃあ最高です」
最後の最後にこういう言葉をつけてくるあたり、ナナさんの優しさというか温かみを感じる。
決して重い空気だけで終わらせないような気づかいだ、きっと。
「…ふ。パッフェルねぇ。前回は小さいのだったから、めっちゃ大きいの出そうか」
「マジっすか! 一瞬で食い終わるかも! 大好きなんで、パッフェル」
「ふはっ。一瞬は無理でしょ?」
「あ、それと言い忘れてました! 俺が一緒にいたら、カムイさんのモフモフと俺の尻尾のフサフサで、アペルさんが好きなもので挟むことが可能なんで、連れて行って損なしです!」
「フサフサの尻尾がセールスポイント(笑)なの?」
「セールスポイントってのがよくわかんないっすけど、好きですよね? そういうの」
「…まあ、うん。好きか嫌いかっていえば、好きの部類」
すこしごまかしてそう言った後に、ナナさんがなにかを小声で呟いた。
「素直じゃないなぁー」
「え? なんて?」
けれど、聞き返した俺に正解は教えてもらえない。
「いーやー?」
語尾を上げてそう言ったきり、体を洗いに行ってしまった。
わしゃわしゃと洗いながら、ナナさんが俺へと呟く。
「そういえば…ってのもおかしいですけどね? イチさんが、部屋で待ってますって」
「…………え」
「なので、風呂あがったら、行ってやってください。とっくに起きてますんで」
そう教えられて、慌てて立ち上がる。
「それ言われたのって、どれくらい前?」
「どれくらいだろ。…まあ、イチさんなら待っててくれてますよ。大丈夫! アペルさん、長風呂だってのは共通認識なんで」
「そういう問題じゃないよ! 人を待たせるのはダメだよ! …わぁあー」
かけ湯をして、バタバタと転移陣に乗って二階へ。
急いで着替えていると、すこしのぼせていたのかフラついた。
「…っと」
と思わず声が出た俺の声に「…ぶなっ!」の声が重なって聞こえて、そっちへと顔を向けた。
「大丈夫ですか? アペルさん」
イチさんだ。
「ちょっとのんびりしすぎました。…はは。……って、たった今、ナナさんから伝言を聞いたばっかりで。すみません。結構待ったんじゃないですか?」
俺の体を支えてくれつつ、傍らのタオルを頭に被せてきた。
「風邪ひきますよ? 話は後でいいんで、水分摂るなりなんなりしてくださいよ。アペルさんは」
そして、優しく髪を拭いてくれている。
「…すみません。風呂に入って考えをまとめるの、癖みたいなもんで」
「それは長くなるわけだ」
「はは。…水分ちゃんと摂ります、今度から」
「そうしてください。…っと、髪はこんな感じですかね? まだフラつきます?」
「あー…すこし?」
と言えば、近くにあったイスを移動してくれるイチさん。
「着替えたら、ひとまずここに座りましょうか。えー…っと、ささやかですけど…コレ…どうですかね」
着替えをして、首にタオルを掛け、イスに腰かけた俺のまわりにかすかに風がそっと肌を撫でるように触れてきた。
「イチさんの魔法…初めてだ」
淡い緑の魔方陣が展開していて、そこからふわっとやわらかくてゆるい風が吹いている。
「無詠唱で出来るの、これだけなんです。猫舌が家族にいるんで、食事を冷ますのに重宝するかもって覚えた魔法です」
基本的には詠唱ありきで魔法を使うことが一般的らしいこの世界で、初級魔法っぽいけど無詠唱で使えるのはすごいんじゃないの? でもそれよりも、その魔法を使っている理由がイチさんっぽい。
「……優しい魔法だね」
俺がそう言うと、イチさんが小さな耳をピクピクさせながら赤くしている。照れているのが、わかりやすいや。
「風、気持ちいい。…魔法って使い方次第で、どうとでも使えるって思えちゃうね」
イチさんの風魔法を受けながら思い出したのは、ジャンクさんのこと。
指先に灯していた火魔法。それが最初で、そこから魔法との関わりが始まった彼。彼を取り巻くものが違えば、違う未来があったんじゃないかって思えてならない。
俺が奪った、彼と魔法が交差した未来。でもそれは、彼がしでかしたことへの正当なはずの罰で。
「…………」
押し黙ってしまった俺の頭に、わずかな重みがのった。
「俺たち、言いましたよね? あの時。あの男を、その部下を…罰すると決まった時に」
魔法課の連中が仕掛けた魔方陣を鑑定と解析をし、どうするかと考えた後の会話を思い出す。
「アペルさんはアペルさんが出来うる最良の方法で、彼らを罰してくれた。本来ならば、我々がもっと早い段階で手を打たなければならなかった相手を…。罰したい方法で罰せたのなら、アペルさんの勝ちでいいと言ったじゃないですか。ああいう形で、我々のサポートをしてくれたアペルさんは、その先を背負わなくていいんです。彼らの過去も背負わなくていいんです。彼らがそれまでの自分たちも賭けて行動に移した先が、あの魔方陣たちだったんですから。…誰かを攻撃する奴は、誰かに攻撃されることを覚悟の上でやらなきゃいけない。…俺はそう思っています」
「それで…いいのかな、本当に」
俺がしたことも、出した結論も、その結果も。彼らのやらかしを止めた責任は、俺には全くなくていいの? 本当に?
最後のに関しては、俺も覚悟した上で止めに入っていた。まあ、あれだよね。現段階で俺を上回れるモノを持っている奴がいないってことは、今ならわかりきった話なんだけどさ。間違いがあったら、攻撃されるかもと覚悟はしていた。
逃げた時は、まだ魔法の扱い方に慣れていなかったし、威力の調整だって出来ていなかった。自分が無自覚で使いまくった魔法のせいで、彼らのプライドをズタズタにしちゃったってことも、後になってから知ったことだったしね。そんな後での魔法課の襲撃。全く考えてなかったわけじゃなかったとしてもさ、穏便に話し合いって出来ないの? って思いながら、迎え撃ってたもんな。…泣きながら。
結果だけで言えば、ジャンクさんだけ…魔法に嫌われていると思えるような未来が待っている。魔法の概念自体を彼の中から消したと言っても、あの彼のことだから遅かれ早かれ魔法の魅力に惹かれてしまう気がしてならない。いつか出会う、運命の人みたいに。
「いいんですよ。アペルさんはこれ以上…あの事や彼らへの思いを抱かなくていい。これからの時間は、自分の未来のことだけで満たしてあげてください」
こうして話している間も、イチさんの手は俺の頭をそっと撫で続けていた。
「ただ、ひとつだけ。…ひとつだけ、お願いがあるんです。アペルさん」
ふ…と、その手の動きが止まったかと思えばおもむろに膝をつき、イチさんの両手が俺の肩にポンと乗った。
イスに座る俺の正面に、膝立ちで向き合うイチさん。身長が高いから、ほんのちょっとしか俺を見上げた格好になってないけど。
もしかしてこの話って、元々、俺を待っているって言ってたやつなのかな。
ゴク…ッと生唾を飲み、イチさんの言葉を待つ俺。
「俺の気持ちはアペルさんのこの姿を見る前と変わりません。だから…そばに置いてください。ぞんざいに扱っても構わないんで、先に話していた通りにアペルさんが対応が難しいことは何でも俺に振ってください。対応してみせます。役に立つと思えるように頑張りますんで、同行させてください」
「ちょ…っ」
先にされた話よりも、あんまりにもな物言いに驚く。
「ぞんざいって、そんなこと…俺しないよ? そんなこと言わないでよ、悲しくなるじゃない」
「たとえです。そんなことをしないってわかっていても、そうして見せなきゃいけない事態が今後ないとは限らない。その時に、真っ先に俺をその役にあててくれてかまわないっていうことです」
イチさんが言ってることは、ぼんやりとだけど想像出来なくもない。でも。
「…ヤダ」
そんな扱いをして、だなんて…言ってほしくない。
「そんなことを言うなら、ついてこないで」
「…え」
「ヤダからね! 俺。大事にしたいって思ってる相手から、どうでもよく使ってねとか言われるなんて。主従関係じゃなく、友人になりたいって言ってくれたの。アレは…嘘? …そんなこというなら、俺だってそういう扱いさせるよ? それでいい? それなら対等?」
「えぇ?」
「そんな関係、冷たいじゃん。寂しいじゃん。…なんで、そんなこと言えるの? 一緒にいた時間が短すぎたから? だから、そうなった? それとも俺とじゃ、やっぱり友人になるの…嫌になった?」
「違…っ」
「あのさっ!」
そう言いながら、俺は肩にあったイチさんの右手をつかんだ。
「俺の反応が予想していた反応と違うから面食らってるんでしょ? イチさんが戸惑ってる時の反応だもん」
そして、手首をつかんだ手に力を込めて吐き捨てた。
「逃がさないからね! 俺。カムイさんも欲しいし、ナナさんも欲しいし、イチさんだって欲しいんだから。俺は。この世界に来てからね、ちょっとだけワガママで贅沢になったんだから! 欲しいものは欲しいって言うよ! 俺が欲しいのは、友人になりたいって言ってくれたイチさん! 言ったよね? 俺のモノになってって! どうなの? 俺のモノになるの? ならないの? 都合いい関係とか、こっちからお断りだってば。…どうなの? 答えてよ!」
イチさんが固まったように俺を見上げている。手首を俺に強く握られたままで。
「…………それともやっぱ不安? 髪色がわからないと」
顔を歪め、さらに手首をつかむ手に力を入れながら呟くと。
「…いや」
イチさんがたった二文字だけで、答えてきた。
そして、空いている左手を俺の頬にあてて囁くようにこぼす。
「髪色がなくたって…こんなに感情も表情も豊かなアナタとなら、不安なんかない。…それっくらい、アナタは喜怒哀楽がわかりやすいんです」
そうこぼしてから、イチさんがふわりと微笑んだ。小さな目を細めて。
「性分が性分なもんで大賢者と名のつくアナタに、友人だなんて言いだしたのは烏滸がましいなと思ってしまったんですよ。…それでも傍にいるためには、自分の使いどころを知らせた方がいいと思ってしまった。…どんな関係になっても構わないから傍に置いてほしいという意味で伝えたのが、さっきの言葉です。……悲しませたようで、申し訳ない」
申し訳ないと頭を下げるイチさんは、笑ってるんだけどぎこちない。
「かたい」
「ん? はい?」
「申し訳ないとか、言わないで」
「でも、悪かったなと思ったので」
「ごめんね…で、よくない?」
言ってることは、まるで子どもの言いがかりみたいで。
「言って! …はい、”ごめんね”…ほら、早く」
「う…、その、ご、ごめん、ね。アペルさん」
「かたい! アペルって呼ばなきゃ、二度と返事しない」
「は? いや、さすがにそこまでは」
「………はい、ちょうどよくナナさんも戻ってきたから、揃って呼び方変えて」
ナナさんが転移陣に乗って、戻ってきた。
「え? なんすか? 何の話すか」
「呼び方を変えてって話。さん付けいらない。…はい、ナナさん。アペルって呼んで?」
「あー、うん? よくわかんないっすけど、アペル? …これでいいんすか」
「はい、イチさんも」
「うぁ…あ、アペル…さ」
「さんは付けない!」
「アペル…」
「正解!」
まるでクイズか何かのような流れになってしまったそれに巻き込まれた格好のナナさんは、大きな口をもっと大きく開いて笑う。
「なんなんすか、コレ。ひゃははっ」
その笑い声を聞きつけて、不機嫌そうに角を揺らしながらカムイさんがやってくる。
「朝から賑やかだな、おい。…まだ眠い俺を起こした罪は重いからな」
そう言いながら、俺がイチさんの手を握ったままなところにジャンプしてきて。
「イチャイチャしてんな、暑苦しい!」
と、イチさんの背中に勢いつけて乗っかった。
「ぐえぇっ」
アヒルがつぶれたみたいな声を出すなんて、イチさんには珍しくって。
「あはははっ。カムイ、イチさんが可哀想だよ」
なんて言いつつも、いつまでも笑っていた俺。
そのままイチさんの肩に移動したカムイさんが、「そういやさ」と俺に聞いてくる。
「以前に話してた、キャラに合わないことやるけど笑わないでってやつは、今日の謁見でもあるのか?」
と。
「あー…」
魔法課のアレのは、まだ序の口のつもりで。
「今日の…方が、本番で、す」
俺がボソボソそう言うと、「へぇえー」とカムイさんがどこか楽しげに笑った気がした。
ホーンラビットの表情わかりにくいから合ってるかわかんないけど、すっごい愉快そうに見えたんだ。
「だ、だから、絶対に笑わないでね。無理なら、いっそのこと無表情で! 特にそこの2人に直接的な話だからさ」
手をあわせてお願いのポーズをすると、まだ腰にタオルを巻いたままのナナさんと跪いたままの格好だったイチさんは、ただ微笑むだけ。
「ホントのホントに頼んだからね?」
そう呟き、俺は立ち上がって廊下に出ると、振り返ってからこう言った。
「早いけど、朝ごはんにしよう! …で、出かける準備しなきゃ。2人は先に出るんだし」
階段を一足先に下りていく俺に、ナナさんの声がかかった。
「アペル! さっきの約束、果たしてもいい?」
って。
さっきの? と首をかしげた俺に、ナナさんが告げた。
「髪、整えさせてよ」
と。
そこでさっきの話を思い出し、「まかせるよ」と返した時には自然と顔が笑顔になってた。
旅立ちの前の、最後の一仕事。
俺自身が自分に笑いそうにならないようにしなきゃなと思いながら、掘りごたつの部屋へ向かい、朝食を準備した。
おにぎりに、和風の出汁ベース味の野菜炒めに、根菜類いっぱいのお味噌汁。それとは別で、フレンチトーストとサラダと、チーズ入りのオムレツ。昨日出したのと具材が同じのスープも。
1セットずつ出しておき、どっちがいいかを聞いてからそれに合わせて朝食を配膳する。
カムイさんは何故かいつになってもホーンラビットのままで、サラダの野菜を美味しそうに食んでいて。
「人化しないの?」
「…の方が、今日はいいんじゃねえのかなって思ったのと、アッチだとすぐに腹が減ってしょうがないからな」
と、言う。いわゆる燃費が悪いってことか。
「じゃあ、俺の肩にいる? 今日の謁見の最中」
「…でもいいなら、そうするか」
「了解」
そんな風に気づいたことをそれぞれに質問しあったりしながら、準備を進めていく。
「…どうっすか? これで」
「おぉおおおっ。予想以上に出来てると思う!」
右前に垂らした格好の、ゆるめのみつあみがひとつ。
鏡の中の俺は、ほんのちょっとだけインテリっぽく見える…気がする。
「悪くないんじゃないか?」
「うん。ナナにしては上手く出来たんじゃないか?」
「俺だってやる時はやるんです!」
「はいはい」
「うんうん」
「2人とも返しがテキトーすぎる」
「そんなことないだろ」
「だよな? イチ」
「ええ」
その会話を横目に、俺はローブを羽織って短く息を吐く。
自然と肩の力が抜けて、気づけば口角が上がっていた。
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