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最初の一歩 7
しおりを挟む~白崎side~
あぁ…ダメだ。
あふれて止まらない。涙も、持ってはいけない感情も。
(どうして先輩は先輩なんですか)
とか、自分でも訳が分からなくなる疑問を思い浮かべたり。
カッコよかった!
カッコよかったっっ!!!!
「めちゃくちゃカッコよかったですぅー。せんぱぁーい」
グスグスと泣く僕を、先輩はしょうがないなぁって顔をして見ている。
「んな泣いたら、水分なくなんぞ? …あ、コレ飲むか?」
そういって差し出されたものは、つい今しがた先輩が口をつけて飲んでいたイオン飲料のペットボトル。
「いやいやいやいや…そんなの僕へのご褒美にしかならないし、飲めるはずがない。…もったいない」
早口でまくしたてて断る僕の言葉は、先輩にすべては聞こえなかったよう。
「ん? よくわかんねぇけど、飲めば? あと…っと、ホラ、ハンカチってか、タオルやるよ。涙拭けよ……あぁ…もう。お前、こんなに涙もろかったか?」
話をしながらペットボトルを僕の手に握らせて、ボロクソになって泣いているその涙をミニタオルで優しく拭ってくれる。でもその顔つきはまるで、幼い子供の涙を拭う母親みたいな…。
「先輩が絡むと涙もろくなるんです」
なんて返せば「俺が泣かしたみたいじゃねぇかよ」とくしゃっと笑う。
演奏の直後だからか、テンションが高めだ。いつもよりも笑顔が多い。
先輩からもらったペットボトルを手にして、一緒に廊下を歩いていく。
僕は教室へ、先輩は第二音楽室へ向かうために。わずかな時間だけど、一緒に学校祭を回っているようで嬉しい。
不意に先輩が呟く。
「お前もよかったぞ、白雪姫。…途中から、男っぽくて笑えたけどな」
昨日まではそこまでテンションを上げることが出来なかったのに、本番になって舞台の上に上がってみたら自然と気分が高揚して思い切ってやれた気がする。
「楽しめたなら、嬉しいです」
足を止めて、わざとらしくドレスをつまんでカーテシーとかいう礼をする僕。
先輩は一瞬不思議そうに僕を見てから、同じように足を止めて胸に手をあててから軽く体を前に傾ける。
「お美しい白雪姫の姿に、みなが大変喜んでおりました」
なんて、冗談っぽくそれらしい言い回しで呟いて。
「……ぷはっ」
「ははははははっ」
普段絶対にやらないことを互いにしてしまうあたり、学校祭マジックみたいなものなのかな。
どっちも、堪えきれずにふき出す。そして、ほぼ同時に歩き出していた。
階段を上がって、二階に上がれば先に先輩が音楽室へと向かうことになる。
二階への階段の踊り場で、先輩が「…なぁ」と僕を呼び止める。
「はい、なんですか? 先輩」
僕は当然振り返ったんだけど、先輩がその言葉の続きを言わない。
(前にもこんな展開なかったっけ)
どうしたのかなと思いつつ、首をかしげて先輩の様子を見る。
その時僕がいた踊り場は、眩しいほどの日光が差し込んでいて。
「…先輩?」
先輩よりも身長が高めの僕を、先輩がまぶしそうに目を細めて見上げている。
「……いや、やっぱいいや」
言いかけてやめてしまった。
「そういうのよくないって言いませんか? 先輩」
そういいながら覗きこんだ先輩の顔は赤くなっていて、よく見れば耳まで赤い。
「え? 先輩…熱出ていないです?」
演奏の緊張感がなくなって、熱でも出たのかな。
「真っ赤です、顔も耳も。保健室に行きましょうよ、今すぐ」
とっさに先輩の手を取って、階段を上がって行く僕。でも先輩はその手を引かせてくれない。
「先輩?」
階段の一段差で、見下ろす高さがさらに増す。
僕とつないでいない方の手をこぶしにして、口元に持っていきうつむく先輩。
「大丈夫ですか?」
僕が声をかけても、そのまま固まったように動かない。僕たちの横を通っていく生徒や一般客が、不思議そうに横目で見ながら去っていく。
動くわけでもなければ、なにかを言ってくれるわけでもない先輩。
「……もうっ!」
その状態に堪えられなかったのは、僕の方で。
「いつまでもそうしているつもりなら、この格好のままで先輩をお姫さま抱っことかいうので抱きあげて、保健室まで運びます! それでもいいですか?」
半ば脅しだとわかってるけど、そこまで言わなきゃ先輩が動いてくれない気がして強気の態度に出てみた。
「…は?」
先輩の口元から、隠すようにあてられていたこぶしが下ろされる。
「冗談だよな」
なんていう先輩に、ノーを示すように無言で見下ろす。
「……わかった。わかったけど、保健室に行く必要ないから」
その言葉に、つかんだままの手を引っ張る。
「待て…! 白崎!」
階段の途中で抱きあげるなんてことをすれば、どっちも危ない。それくらい僕だってわかってる。
階段を上りきってから手を離して、先輩を見据える。
「…運びます」
拒否は許しませんと言わんばかりに、ドレス姿なのを忘れたかのように構えを取る。その姿はきっと、獲物を狩ろうとするハンターのよう。
気分的にはそれくらいの意気込みで、先輩に対峙している僕。
階段を上がってすぐの場所で、ジリ…ジリ…と何とも言えない距離で向き合っている僕らは滑稽だろう。
(恥ずかしくないわけないけど、このまま先輩が具合悪くなるとか嫌なんだ)
滑稽だろうとも、先輩の体調が最優先だ。
「抱きあげさせてください!」
「断る!」
そんなやりとりをしていた僕らの耳に、ある声が届いて二人同時に振り返った。
「さくちゃーん」
という、さっきまで一緒にバンドをやっていた紫藤先輩の声で。
呼ばれた瞬間、僕らは身構えたままだった。その姿を見て紫藤先輩が爆笑していると、音楽室の方から他の先輩方も出てきて大笑いだ。
「ちょ…っと、なにこれ、どういう状況? 白雪姫がさくちゃんを襲いかねないんだけど」
なんて言われて「誤解です!」と涙目で答える僕。
「黒木先輩の顔や耳が赤いから保健室にって言ってるのに、ちっともいうこと聞いてくれないんです!」
僕がそう一気にまくしたてると、紫藤先輩が「…なの? さくちゃん」と問う。
「あー…いや、赤いのは別に熱じゃないし、大丈夫って言ってんのにお姫さまだっこするとか訳わかんねぇこと言い出されて」
その先輩の言葉に、紫藤先輩が僕へと近づいてくる。
「お姫様抱っこ…しようとしたの?」
「はい。そうしてでも、保健室に連れて行こうとしました」
「…で、拒んだ人が、これ?」
といいつつ、親指だけ立てて他の指はこぶしにして、先輩のことを指さす。
「はい。あんなに真っ赤になって、熱じゃないわけが」
僕がそう説明をすると、「お姫様がお姫さま抱っこ」の言葉を、遅れて出てきたメンバーに繰り返しては爆笑している。
「あのっ! 笑っていないで、説得してもらえませんか?」
必死な僕に先輩方が返してきた言葉は「だいじょぶじゃない?」という軽いもの。
メイクしたままの僕の顔が、かなり険しかったようで。
「キレイなお姫様が見せていい顔じゃないから、今すぐ眉間のシワと突き出した唇も引っ込めなよ。あぁん? って言ってるみたいな顔つきになってるからさー」
他の先輩にそう聞かされて、手のひらで顔を撫でるようにして表情を何とか戻す。
「でも……先輩が」
顔を戻してから、だらりと両脚の横にぶら下げた格好の僕の両手がこぶしを握る。
「せっかくの学校祭なのに…熱なんて」
ぎゅううううっとこぶしを強く握れば、自然とその手が震えていた。
「最後の学校祭なのに…熱があるなら、すこしの時間だけでも休んでほしいだけです」
強く握った僕の手に、先輩が背後から触れてくる。顔だけ振り向けば、すぐそばに先輩の顔があって。
「だいじょーぶだって言ってんだろ? 病気じゃねぇから、気にしなくていい」
なんて囁かれた言葉の意味が、僕にはよくわからない。
病気じゃない? 病気じゃないけど赤くなっていたその原因を、先輩は理解してる?
「ほんと、ですか?」
腕を背中に向けて軽く引かれたまま、上半身だけ振り返ってそう聞けば「ああ」とだけ返ってきた。
そうして手に感じていた温度が、ふ…と離れていく。
みんなの方へと歩み寄っていく先輩はどこか困った顔つきで、その表情に僕の不安は消えそうもなくて。
左手を胸の前で軽く握って、心配だと告げようとしたその時だった。
「――ね。白崎くん、だっけ」
ドラムの先輩だった気がする。急に名前を呼ばれて、肩がビクンとなって顔が強張った。
「あ、はい」
赤井さんだっけ。
「聞きたいことがあるんだけど…いい?」
出し物の宣伝で来た時に顔を合わせただけの面識の僕に、一体…? と思いつつうなずく。
「アレ。ヤったの? ヤってないの?」
抽象的な質問形式で、疑問が投げつけられた。
「アレ、とは?」
おずおずと聞き返せば、ベースの先輩が赤井先輩の後頭部を思いきり後ろから平手で叩いた。
スパーーーーンとか言ったんじゃないか? 今の。
「主語!」
紫藤先輩もツッコミを入れてくる。
「んだよ。わかるだろ? 普通。何も言わなくってもよ」
「わかりにくいわ! バカ」
「はぁあ? だぁれが、バカだって?」
「お前だよ」
「俺はバカじゃねぇ」
とかなんとかギャアギャアと目の前で始まってしまうケンカのようで、じゃれあいのようなもの。
「おまえらな…」
その傍らで、黒木先輩が呆れた顔つきでため息をついている。こういうのって、いわゆるいつもの流れなんだろうか。
(こういう関係も楽しそうだな。…僕には手に入らなさそうだけど)
すこしだけ羨んで、いっぱい諦めて。目を細めて、先輩たちのやりとりを眺め見ていた僕。
結論の出しようがないまま、僕はそろそろ教室に戻らなきゃと思い出して先輩方に声をかけようとした。
先輩にもう一度だけ、体調の確認もしたかったし。
「あの」
控えめに出した声は、じゃれあっている先輩方に聞こえるようなボリュームじゃないはずだったのに。
「「「「なんだ?」」」」
四人同時に返事があって、僕は一歩下がってしまう。
その僕の背後から僕の両肩に手の感触があって、支えられているんだと思って振り向く。
「……お前らなー」
そこにいたのは、あの日…先輩が音楽室にいるよと教えてくれた先輩だ。
「あ、こんにちは」
思わずそうあいさつした僕の顔をまじまじと見下ろす名前は知らない先輩のクラスメイトの人が、一瞬固まった後に「おつかれー」と返してくれた。
「お前らいい加減にやることやって、それぞれのクラスに戻れ! ハウス! それと後輩くんも、そろそろ戻らなきゃ。きっとみんな待ってるよ?」
なんだかまともそうな先輩? 首をかしげ、その先輩に事情を話す。
「…ふぅん。じゃ、ちょっと待ってな?」
そう言ったと同時に、黒木先輩に近づき顔だの首まわりをペタペタ触って。
「問題ないよ。心配はいらないから、早く戻りな?」
なんて感じで、抱えていた不安を消してくれる。
「そう…ですか。わかりました。…あの、先輩。あとでメールしてもいいですか?」
その場を去る前にそう声をかければ、「あぁ」とだけ返してくれる先輩。
「じゃあ、僕、戻ります」
踵を返して、階段をのぼりかけた僕の背に「一つだけいい?」とさっきの先輩の声。
振り返るとみんなが僕の方を見上げていて、その先輩が微笑みながら聞いてきた。
「劇ん中でキスってしたの? してないの?」
って。
キスという言葉に真っ赤になって、手のひらで口元を隠して僕はうつむく。
「……え。そのリアクションって、したパターン…」
そう言ったのは、これまで僕に声をかけてきたことがなかったベースの先輩だ。名字じゃなく、下の名前が色の人。
「ち…っ、違っっ! してません! したように見せただけで、触れてもいません!」
真っ赤なままでなんとかそれだけ返す僕に、「じゃあ、なんでそのリアクション?」と紫藤先輩が聞いてくる。
顔の熱を引かせる術が見つからない僕は、頬を赤くしながら呟く。
「あのキスシーンを思い出したんじゃなくて、初めてキスをするなら好きな人と…って思ってたことを思い出したら、頭の中がそれだけでいっぱいになっちゃっただけです!」
両手のひらで顔全部を隠すようにして、耳まで熱くなってきたのを意識してしまう僕は。
「ご…ごめんなさい! 失礼します!」
何に対しての謝罪かわからない言葉を吐いて、スカートを少し持ち上げながら階段を駆け上がっていった。
そうして去っていく僕の姿を見て「なんか乙女がいた気がする」と誰かが言っていたらしいけど、当然のようにその声は僕には届くことがなかった。
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