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消えない名残り 3
しおりを挟む~白崎side~
(先輩は、根っこの部分は変わってないみたいだな)
視界良好になってから、なるべく先輩と目を合わせて話す努力を重ねてきた。
というか、先輩と再会するまで、クラスメイトを練習台のようにして人の目に慣れる感覚を取り戻すのをがんばった。
みんなが普通にやれているはずの日常的な行動なんだとしても、僕自身はそれを避けてきてしまったのだから。
一足飛びにその感覚に飛び込めるほど、まわりを怖がらずにかかわっていくのは骨だった。
自分の恋愛対象が男だとわかって。
しかも、男なら誰でもいいわけじゃなく、黒木咲良という名の先輩にだけ有効な設定だとわかり。
再会を楽しみにしながら、いつか来るはずの連絡を待ち続けて練習の経験値だけが積み上げられていったっけ。
――――先輩の様子がおかしい。
昨日も時々何かおかしいなって時はあったけど、夜が明けてみたら先輩の目の下にはうっすら隈が。
眠れなかった? どうして? いつも眠るベッドじゃなかったから? 普段一人なのに、急に誰かと一緒に寝たから?
眠れなかった? どうして? 悩みでもあった? 僕が何かを考えさせるようなことでもしたか、言った? 何をした? 何を言った?
視界良好なはずの僕から視線を逸らすなんて、よほどの状況下。先輩に限ってしないだろうことが、朝から立て続けに展開されている。
どうして? どうして? が頭の中でエンドレス状態になって、たった一言が切り出せなくて違う方向へと振り切ってしまった。
僕自身も、先輩が何かに対して限界のようなのと同じで、この空気の中でいつものように過ごせるメンタルを保てる自信なんかなくなって。
(今日はもう、ここにいたらダメだ)
先輩が望んでいる僕の姿を、どうにかしてそのままに…と思ったら、この場から去ることしか頭になくなった。
そうして先輩の家を出て、程なくしてから震えたスマホ。画面には黒木先輩を示す文字列。
何を言われるの? 聞かされるの? このまま出ない方がお互いのためにはいいんじゃないのか? と誰かが囁いている気がするのに。
通話を選べば、聞きたくて聞きたくない先輩の声。
した覚えのない忘れ物を取りに来いと言われて、先輩が何をしようとしているのかが読めなくて戸惑う。
先輩の家へと戻るその足は、ひどく重たく感じて。戻っていいのかわからない。でも、戻らなかったら後悔しそうで。
どれもこれも先輩と言葉をかわさなきゃ、本当のことなんてわかりもしないのに……。
先輩の家にたどり着く前に、先輩と会ってしまう。まだ心の準備が出来ていないのを隠せない。
戸惑う気持ちの隙間に、点在している先輩への想い。それがじわりとすこしずつその範囲を広げていく。
顔を見て、声を聞いて。
(あぁ、好きだなぁ)
そう思ったのと同時に、一気に胸の中を満たしていく息苦しくなるような想い。
(嫌われたくない。そばにいたい。……もう、あの時のような離れた方をしたくない。声をかけられる距離にいたい。先輩のそばに……ただ、いさせてほしい。存在させてくれるだけでいい。僕のことを好きになって欲しいだなんて、言わないから。…伝えないで、先輩を想うだけは許してほしいけど)
喉の奥がキュッとしまるようになった後に、目の中が一気に熱くなった。
その後はもう、止められなかった。
勝手にあふれていく涙。最低限の距離でもいいからと願おうと決めたのに、このタイミングで伝えちゃいけない言葉があふれそうになってしまう。
飲み込んで飲み込んで…いくつもの想いを飲み込んでやっと出たのが、謝罪の言葉。
先輩が僕との距離が空いたのは、僕にだってきっと原因があったんだ。何割かは、僕のせい。
許して、そしてまた後輩でいさせてほしい。
同じ学校に通う、ただの生徒同士じゃなく。すこしだけ距離が近い場所にいたい。
脳内でよみがえる、先輩からの連絡を待ち続けた頃の自分の姿。
子どものような自分を見せるのは恥ずかしいのに、あふれ出したら止め方がわからなくて。
先輩が抱きしめてくれるあたたかさが嬉しいはずなのに、ごめんと囁かれた声にドキドキするのに。
いろんな感情がぐちゃぐちゃになって、どうしていいのか教えてほしいとすら思った。
家の中に入っても、先輩は僕の手をつかんだままでどこか遠くを見ているよう。
(何を考えているの? 先輩。誰を見ているの? 先輩)
心の中から何度も先輩を呼ぶ。
聞こえるはずもないのに、聞こえてほしいと願うなんて、どこか矛盾している。
先輩の指示に従ってコーヒーを淹れ、大きな体を小さくするようにして先輩の次の動きを探る。
もたもたしている間に学校からの連絡で、午前だけじゃなく結果的に学校は休みになった。
その知らせの後に、僕は自分の耳を疑うことになる。
先輩がもう一日泊まっていくかと、僕に提案してきたからだ。
自分に都合がいいことしか聞こえない耳になったのかと、一瞬その耳を疑う。
幻聴が聞こえるなんて、先輩を好きすぎて末期症状でも出たのかと…来ることろまで来ちゃったのかと思っていた。
呆けていた時間はきっと瞬き数回分だろう。…のに、危うく先輩がその提案を撤回しそうな言葉を吐く。
(待って! 待って! 先輩、それは言わないで!)
あわててその言葉に被せるように、ぜひと気持ちを強調して選択肢をなくす。
夢が続くのならば、まだ夢のままがいい。だから…と願うように伝えた言葉を先輩が受け入れてくれる。
ぜひと付けた言葉を、ポソッと反芻してから。
着替えをし、これで本当にお泊り二日目! と顔がゆるみそうになるのを何とか堪えるのでいっぱいいっぱい。
先輩がこっちにと示してくれた場所は、先輩の隣。しかも思ったよりも近い場所を示してるって、先輩…わかってない?
手のひらでゆるみっぱなしの口元を隠し、先輩の隣へ腰かけたものの…やっぱり様子がおかしい。
何かをごまかしているか、様子を探られている感覚にもなる。
ベクトルは違えども、多分どっちもが相手への距離をはかりながら会話をしている感じだ。
でもどうしてこんな空気になってしまったのかが、いまだにつかめないでいる。
先輩とこんな空気で過ごすのは不本意。先輩にはいつもの笑顔を見せてほしいのに、な。
そうして不意に手渡されたレシピ本は、かなり使い込まれたもので。
先輩が貸してくれるというのなら、なんだって僕は二つ返事で尻尾を振って喜ぶというのに…どうしてそんなに顔が強張ってるのか。
(警戒されるような人間じゃないですよ、僕は)
先輩への想いを自覚してから、先輩から距離を取られる存在にならないようにって思っていたところがある。先輩と連絡が取れなかった時期が、物理的に距離があったとするのなら、今後距離を取られるとするなら互いの気持ちの問題で…ってなりそうで逆に怖いんだ。
そっちの方が、過去の距離感よりも遠く感じてしまいそうだし、元の場所に戻るのにハードルが高くなってしまいそうで。
そんなことを頭の中でぐるぐると考えながら、先輩がよこした本をめくっていく。
本の中ほどのページに、それはあった。
『煮込みハンバーグ』
先輩が好きな料理の一つに、ハンバーグがある。特に先輩から直接言われたわけじゃないけど、会話のちょっとした流れでぽろっともらしていたものだ。
ただ、この料理は煮込み。初心者向けになっているそれを、お母さんに作ったんだろうか。
その話も下校準備の中で、ほんのすこし漏らした話だっただけ。
それでも、普段頑張ってくれている母親に、誕生日くらいは俺なりに祝いたいとスーパーに急いで向かっていったその日。
その後のことを聞くことタイミングもなく、どうだったんだろうとずっと思っていた。
わずかな期間だけの後輩だった、中学生時代。
この人のそばは居心地がいいなと、どこかで思っていたんだと思う。
他愛ない会話の端々に見え隠れする先輩の思考、性格、好きなモノ、大事だと思うことを拾っては大事にしまっていた気がしている。
だから、今だって思い出せた。先輩がお母さんにしたかったこと。そして頼ったのはきっと、この本だと。
その話に触れた時、先輩の方が泣きそうな顔になっていて。
今の会話のどこにそんな顔をさせる要素があったのかと、戸惑う。
先輩を見たまま、固まってしまう。
どうしたら、先輩に笑ってもらえますか? と素直に聞けたらいいのに、今の距離ではそれは無理だ。
でも、それでもそんな顔をしてほしくない。
かける言葉を失っていた僕の手に、先輩の手が重なって見つめてくる瞳がわずかに揺れている。
一瞬…口がためらうように開き、すぐにそれがなかったかのように告げられた言葉。
「俺のどこがいいの?」
その言葉の意味と方向性は、どっち?
答えの方向性を間違って返したくないと思うのは、僕が自分の気持ちを知っている故のためらい。
でも先輩がそんなことを知ってるはずもないんだから、方向性は本来一択のはず。
(迷う必要性なかったよね?)
「先輩は、面倒見のいい先輩で…、僕の背中を押してくれたって話はしましたよね?」
様子を見つつ、以前話をしたことを繰り返してみる。
「…あぁ、聞いた。でも、それだけ…か?」
なんだろう、歯切れが悪いというか、らしくないというか。やっぱり先輩の様子に違和感がぬぐえない。
「なにかあったんですか? 自信を無くすようななにか、とか」
後輩だからこそ相談できないことはある。逆に、後輩だから…もあるんだろう。でも、やっぱり何かが変だ。
「自信、な。……うん。まぁ、なんていうか…俺ってヒドい人間だった気がして。あ、いや。現在進行形かもしれないんだけどな」
僕からすればよくわからない質問でしかない。
「誰かになにか言われたんですか? 元カノさんたちとかは、生ごみ扱いで捨てるか蹴ってしまって下さいって僕言いましたよね?」
先輩とした会話を思い出して、そこは酷くしてもいいんですと背中を押す。
なのに、先輩は小さくため息を吐き、困った顔をそのままに僕を見る。
「……え。僕、ですか?」
まさかだよね、と思った。先輩が表情を曇らせている原因が…僕? え? どういうこと? 僕…。
「僕…何かしましたか? 先輩に余計なことでも言ってましたか? ……ど、どうしよう。……あ。さっき泣いてたからですか? その時に過去のことを責めるような発言…。いや、でも…」
何かを言えばいうだけ、どんどん余計なことを言っていそうな焦燥感に駆られる。けれど、確かめるように言葉にしていなきゃ、胸の中でどんどん不安だけが膨れ上がっていきそうで。
(……怖い)
その焦りが自然と手をこぶしの形へと変えて、気づけばかなり強く握りこんでいた。
握ったこぶしごと、力の込めすぎで震えてしまうほどに。
答え合わせをしたいようで、答えを聞かない方がいいとアラートが鳴り響いている幻聴もしてきて。
(あぁ、ダメだ)
嫌でも痛感させられる。
(こんなにも先輩が離れたらどうしようって、今でも怖くなってる。さっき泣いたように、ずっと子どもみたいに先輩に離れないでって縋りたくてたまらなくなってる)
自分の心を解き放ってくれた人を、卵から孵ったひよこが親だと認識するような感覚で先輩の存在に依存か執着したがっていたのかと思った時もあったけど。
(そうじゃない。…先輩って人だから、そばに…と。先輩だから、嫌われるのが怖い。でも困った顔をさせているのが自分なら、そばにいるべきじゃない? でも…けど…だけど…)
グルグル回る思考。出せない答え。
「…白崎」
聞きたいのに、耳をふさぎたくなりそうになる僕は。
「――イヤ、です」
どれに対してのその言葉かわからない言葉を、こぼしていた。
応援ありがとうございます!
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