それが恋だっていうなら…××××

ハル*

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~水無瀬side~


――最初の異変は、その翌日。早朝。

横にあったはずの温もりがなくなった気配に、寝ぼけながら体を起こした俺。

(あれ? トイレにでも行ったのかな?)

そう思いつつ壁に向かって起き上がってから、体を捻ってリビングの方へと向いてみると。

(悠有? どうしたんだろ、あんなとこで。…またいつものように、時計を見てる…だけ?)

寝室を出たところから近い場所に、悠有が気に入っている時計がある。時々、床にぺたんと座って見ている時があるくらいに気に入っているようだ。

悠有がいる場所はその時計の前を、ほんのすこし通り過ぎただろう場所。

そこで、何かを気にかけてか何かに呼ばれたように、顔だけ振り向いたような格好で立っているんだ。

…」

名前を呼びかけた瞬間、悠有が見せた姿に思わずあわててベッドから飛び降り駆け出した。

「悠有!!」

グラッと振り向いた方へと力なく、まるで糸が切れたように倒れていく悠有。

ギリギリ手が届き、床と悠有の間に体をすべり込ませた格好になった。

全裸っていうのがちょっとアレだけど、緊急時だから許してほしい。

「……悠有? 悠有?」

体を揺さぶったらダメだろうな。脈と呼吸を確かめて、ホッと息を吐く。

どっちも問題はなさそうだけど、呼吸はかなり浅い。

(どうする? 様子を見るか? それとも)

頭に浮かんだのは、悠有の父親。医師で悠有の体をよく知っていて、かつ義理とはいえ父親だ。

(でもきっとそっちへの連絡は、悠有が望まないだろうな。電話をすれば、近くに悠有の母親がいないとも限らない)

考えながら、近くに転がっていたクッションを腕を伸ばして掴んで、床と悠有の頭の間に置く。

そっとそのまま寝かせておき、寒くないように布団を引っ張ってきた。

(病院に運ぶにしても、俺も悠有も服を着なきゃ)

急いで着替え、悠有の着替えも手にして。

「えー…っと、それから」

踵を返して、悠有の方へと一歩…と踏み出したその次の瞬間「ん…」と声が聞こえた。

「悠有!」

声をかけて悠有の横に座り込んだ時には、悠有の目は俺を見ていた。

「どこか痛いとこないか? 吐き気は? 寒くないか? 着替え持ってきたけど、着替えられるか? あと病院には」

ノンブレスで一気にまくしたてる俺を見て、悠有の頬がゆるんで「…ふふ」と笑んだ。

「元気だね、朝から」

俺の様子を見て言ってるんだろうけど、そんなことを言ってほしいわけじゃない。

「そうじゃなくて……あぁ、もう! 悠有、自分が倒れたの…わかってないんだろ? その様子じゃ」

すこし苛立ちながら悠有が気づいていなそうな現状を伝える。

「そうなの?」

ふわりと微笑みながら返してきた言葉はやっぱりどこか他人事で、心配している俺の気持ちなんかわかってないみたいで。

「そんなことよりも、お腹空いたんだけど」

いつものように、俺に甘える言葉を呟く。

「そんなことより……」

呆気にとられた俺は、長いため息をつきながら頭を抱えた。

「そういえば、今って何時?」

いつものこと過ぎる会話に、安心もするけど。

「…ね、悠有。もしかして、昨夜ので体調崩しちゃった?」

悠有の体調のことで思い当たることといえば、元の病気もしくは一緒にいることでどうしても起きちゃうある意味弊害のようなアレのこと。

「結構、どっちもぐったりして寝落ちしたよね」

と俺が言えば「まあ、うん」と苦笑いを浮かべる悠有。

「記憶はある? いつもより、ノッてたけど」

本当に昨夜の悠有はスゴかった。スイッチが入ると時々Sっぽくなるなとは思っていたけど、攻めに攻められたという感じで。

「あんなのヤられたら…クセになっちゃうじゃん」

思い出しただけで頭がボーッとしかかるほど、濃厚な行為だった。

ポツリと思わずこぼれた本音が、悠有には聞こえてしまったようで。

「……そんなに喜んでもらえるんなら、またがんばるよ」

とか、すこし笑いを堪えながら返された。

まったく、もう…とか思いつつも、目の前にある悠有の状態を目にすれば、またよろしくなんて安易に口に出来ない。

「そっちの話はいいから、ベッドに戻る? あ、その前に着替えは出来そう? 病院に行く?」

悠有の体調を気遣った言葉をかける俺に「ん」とだけいい、服をちょうだいと示してきた。

服を手渡すと、どこか息苦しそうに何度か息を吐く姿が目につく。

「胸、だいぶ苦しいのか?」

どうしていいのかわからずに、素直に聞けば、悠有はゆるく首を振るだけ。

「物理的っていっていいのかわからないけど、そういうので息苦しいんじゃないから」

悠有が説明した言葉の意味を、単純に体調を崩したわけじゃないとだけとった俺。

「多分、そうじゃないから」

そう言ってから、倒れたそばにあった悠有が気に入っている時計に視線を向けて。

「…ああ。5時過ぎてるんだね、今」

時間を確かめ、またため息のように息を吐き出した。

「今日、あまりにもキツかったら休み申請したら? っていうか、俺の方で話を聞いたことにするけど」

体調的に辛いのかもと思ってそう言えば、また首を振る。

「大丈夫だから。ヤり過ぎたせいじゃないし、通院のダメージじゃない」

じゃあなんだ? と、すぐに聞けばよかった。

悠有のこの返し方を落ち着いて振り返ってみれば、まるでその答えや原因を認識しているようにしか聞こえないのに。

さっきの言葉だってそうだ。

物理的じゃないけど、なんで息苦しいのかわかってるから大丈夫って言ってるみたいだろう?

――――後悔ってもんは、本当に後になってから悔やむものなんだ。

「それより、お腹空いた。なにか食べたいな、瑞」

息苦しそうなの以外、悠有がいつも通りすぎて気づけなかった。

これが最初の違和感で、異変。

「昨日、仕事帰りに買ってきたもの…冷蔵庫にしまわないでテーブルに置きっぱなしだ」

「あはは。瑞らしくないね、どうしたの」

「どうしたもこうしたもないよ。先に悠有の様子を見に行ったら、ああなってこうなった」

「あ…は、は。それは……申し訳ない。なにか傷んだかな」

「そこまで気温高くないし、大丈夫じゃないか?」

テーブルの上に置きっぱなしのレジ袋を開き、中身を確かめた。

「豚肉…大丈夫そう。んー……あっさりしたものの方がいい? 悠有。よこしたリクエストって、雑炊だっけね」

「他に何か作ろうとしたの」

そう聞かれて、元々リクエストがあった雑炊以外のメニューを口にした。肉さえあれば、何かと使えるだろうと思ってもいたから。

「生姜焼きも、考えてた」

「あー…朝から、そこまで食べられないかも。さっきの口ぶりからいけば、あっさりしたもの作れるの?」

少し期待のこもった目で見上げられて、思わず笑みが浮かぶ。

「昔はなかったんだけど、最近ってしゃぶしゃぶするお湯に出汁を入れるのがあるんだよね。別でタレにつけて食べる手間がなくて、すっごく楽。で、美味い。しかも、小分けされてるから、ちょっとだけ食べたいとか少人数って時に便利でさ」

そういいながら、キッチン備え付けの深めの引き出しからしゃぶしゃぶのタレを手にした。

「300mlの水で出来るから、あとは肉とちょっとの具材があればいい。小さい鍋に準備してあげるから、そういうのは食べられないかな」

小鍋も手にして、ホラッ! と掲げて見せる。

「…へえ。いいね、そういうの」

心底驚いた表情で俺にそう返して、ゆっくりと立ち上がろうとしている。

「あ、あ…あ。手、貸すって」

小鍋を調理台に置き、あわてて駆け寄って手を差し出す。

「…ん。ありがと、助かる」

実際、すこしふらつきながら起き上がって、ソファーの方へと腰かける。

「仕事行くの? 本当に無理だったら休んだ方が、いいんじゃないのか? 彼氏としてってだけじゃなく、上司としても…の言葉なんだけど」

膝をつき、手を取りながらそう呟いたけれど。

「んーん。ダメだよ、俺のこと甘やかしちゃ」

頑として首を縦に振らない。

こうなると、悠有は絶対に近いくらい出勤するだろう。

「……はあ。とりあえず、飯食ってからもっかい考えよう? まだまだ時間はあるんだし」

それでも無理をさせたくないし、してほしくない。もっと自分を大事にしてほしい。

だから、もうすこしだけ粘る俺。

「ん。食べる。作るの任せてもいい? いつもみたいに一緒にやりたい気持ちはあるんだけどさ」

とか、申し訳なさそうに呟く悠有の頬に手をあてて、親指だけを動かして頬を撫でた。

「作らせてよ、今日は。愛情たっぷり込めるから。料理自体は簡単なものすぎるけどさ」

悠有を慰めるようにそう言えば、俺の手のひらに顔をすりっ…として甘える仕草をみせてからこう告げた。

「瑞の愛情はいっつも美味しいよ。大好きだ。瑞が作ってくれるご飯は、ぜんぶ」

その言葉がまるで幼い子供みたいに素直すぎて、思わず面食らって次の瞬間、顔が熱くなった。

「顔、真っ赤」

「い…いうな」

思わず悠有の頬にあてていた手をこぶしにして、自分の口元を隠した。きっとだらしなく緩んでいるはずだから。

まっすぐに伝えてくれる愛情や感想に、時々こうして結構なダメージを食らわされる。

(振り回されてるっていうんだろうな、こういうのも)

そう思うのに、その振り回されている関係に嫌悪は感じない。

(むしろ、悠有だからもっと振り回してほしいし、甘えてほしいと思ってるくらいだ)

顔の熱さを感じたままで、踵を返してキッチンへ。

本当に簡単に鍋が出来る世の中に、そういった調味料関係を開発してくれている会社に感謝しきり。

じゃなきゃ、やれ昆布を水に入れてしばし置いて、それから…とか多分やっていただろうから。

それと、時間もないからご飯だけはレンジで温めるやつ。

悠有と一緒にいるようになって思うのは、結構世話焼きというか尽くしたがりなんだということで。

「具って何入るの?」

そんなことを彼氏が聞いていても、いい返事が出来るような買い物をするようになってしまった。

「えのきと水菜。…好きだったよね、どっちも」

「…うん、好きだ」

キッチンから悠有の顔を覗けば、ふわりと本当に嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。

その反応だけでホッとするし、ほっこりもする。

「朝早くから本当にごめんね。もうちょっと横になってたら、倒れなかったのかもしれないのに」

こんなことを言ってくるのにも、笑って「いいよ、別に」と返せる俺がいる。

(本当に好きになった相手には、こんな風に笑えるんだな)

日々、違う自分を更新している感覚がして、驚きもするけど楽しくも感じるんだ。

「もうすぐ出来上がるよー」

「わ…っ、早いね」

「分量少なめで、小さい鍋で作るとねー」

なんて話しながら、シンク下にあった卓上コンロを持っていく。カチッとカセットガスをはめ込んでから、小鍋も取ってきて火をつけた。

クツクツとすこしだけ煮立つ程度の火加減にして、パックに入ったままの肉を持ってきた。

「はい。ここから肉取って、鍋の中で湯がくといいよ。えのきも水菜もとっくに火が通ってるから、一緒に取ってから食べるといい」

別で取り皿を持ってきて、横にはご飯。

「ほんと、かんたんご飯で悪いけど、食べられそうならしっかり食べて。で、元気になんなよ」

大きな体で背中を少し丸めて、前かがみで朝っぱらから一人鍋をしている悠有。

(なんだか、可愛いな)

くす…と小さく笑ってから、電気ケトルに水を入れてみそ汁の代わりにと、あたたかいほうじ茶を準備する。

悠有が時々温かいお茶を欲しがることを知ってから、キッチンに増えたアイテムだ。

「お湯が沸いたら、お茶持ってくからね」

「ふぁーい…むぐ……まっふぇう」

「あー…はいはい。返事しなくていいから、黙って食ってて」

「むぐ…んぐ…」

ただ同じ店にいて、先輩後輩ってだけだったら知らなかった悠有の姿。

飲み会という場所だけだったら、きっとお互いに見せていたものはほんの一部だっただろう。

(まあ…俺は飲むとああなるから、いろんな人にどうしようもないところは知られていたけど、それでもその先がこんな風に続きつづけたことはなかったからな)

「…はい。はいったよ、お茶」

「ん…」

熱々なのに、結構な勢いでお茶を飲もうとしてあわあわする姿に、思わず頬がゆるんでしまう。

「美味しいかい? 悠有」

コクコクと何度も嬉しそうに幼い表情でうなずく悠有に、昨日、そして一昨日のことがなかったような気にもなる。

そんなはずがないってわかってるのに、今のこの時間だけは何も考えずに悠有を見ていたいとすら思った。

「今日、休まないから」

不意に呟かれたそれに、やっぱりなと思いながら眉間にシワを寄せる。

「一回言いだしたら撤回しないってわかってたけど、これだけは約束してほしい」

「……なに?」

本当に小さな約束だ。

「心でも体でも、キツイって思ったら…休んで? 俺に相談して? 俺は悠有の彼氏だけど、上司でもあるから。一番先に相談に乗れる相手だってこと、忘れないでいて」

まっすぐに悠有を見つめ、願うように告げた。

「それが守れるのなら、出勤していいよ」

そして、悠有の膝に手を置いて。

「絶対に忘れないでいて。頭の端っこに、ちゃんと俺を置いてて」

イイコイイコをするように、ぽんぽんと軽く叩くようにしてからもう一言。

「俺は悠有の味方だから」

一番伝えたかったことを言葉に乗せる。

「ね」

最後の最後に一文字だけ付け加えたら、すこしだけ悠有に体を寄せて頬にキスをひとつ落とす。

「これは、悠有がその言葉を忘れないためのおまじないね?」

なんて、まるで子どもみたいなことやってるなと思うのに、悠有のためと思いながらも自分のためにも言い聞かせている錯覚をしそうになる。

「……わかった。ありがとね、瑞」

わずかな間の後にうなずいた彼の目尻には、小さな水の塊。

「それじゃ、頑張って食べるよ。瑞もちゃんと食べてよ? 俺のことばっかりお世話してないでさ」

とか会話をして、俺も遅ればせながらも食事をし。車で書店近くのコンビニで悠有を下ろして、俺は一足先に書店へ向かって、昨日話をつけてあった本の移動分を袋に入れて、また車で走りだした。

懐かしい顔に会い、自分の店に戻っていつもの業務をこなしていく。

その合間に、時々互いに名字で呼び合いつつ同じ職場の旨味だななんて思いながら淡々とひとつずつ仕事をこなしていき、遅番が来る時間がもうすぐだなと視界に時計をおさめた。

「――店員さん?」

女性のお客さんの大きな声が、店内に響いた。

慌てたような声色に、近くにいた俺ともう一人のパートさんが声がする方へと早足で向かう。

本棚と本棚の間、小さな脚立にもたれ掛かった格好で、真っ青な顔色をした悠有がそこにいて。

「小林くん!」

パートさんが悠有に声をかけると「あ…すみま、せん」と震える声が聞こえた。

「大丈夫か? めまいかな。熱…は、なさそうだけど、手がかなり冷たいな。…病院に行くかい?」

しゃがんで悠有に声をかけると、「いや」とだけ返事をしてきた。

あと数分で5時だ。

「もう…帰宅の準備をしようか。…帰り、送ってくよ」

遅番も入ってきていることだし、このまま悠有を移動させても問題なさそうだ。

「いいかい? ……よい…しょ。っと、歩けそう? 小林くん」

「なん…とか」

悠有を支えて、近くにいたお客さん方に軽く会釈をしてから一緒に奥へと下がる。

「タイムカード、代わりに打刻しておくから。すこしだけ待てる?」

耳元で囁くと、「…ごめん」とだけ顔を歪めて返してきた悠有。

「……いいから。とにかくそのままそこにいて? 一緒に帰ろう」

まわりに聞こえないように囁いて、頭を一回ぽんとしてからその場を去る。

事務所の方に顔を出して、店長に話をし、他の店員にも声掛けをしてから戻ろうとして。

(――あれ? なんだ、この変な感じ)

その違和感に首をかしげたのは、何気なく時計を見た時。

(何かが引っかかる)

気になったのに、気になったものの正体がわからない。

何とも言えない気持ち悪さに、顔を歪めた。



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