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4:53 p.m. 6※注釈あり

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~小林side~※展開的に心にすこしツライかもです



心臓が、今までになくバクつき、体中が心臓になったような感覚になる。

「お義父…さん」

まさか、このタイミングで義父が入ってくるとは思っていなくて、俺は瑞へと視線を向けた。

(……え)

けれど、瑞には何の動揺した様子もなく、むしろ義父が来ることを知っていたかのよう。

口角をわずかに上げて、目はかすかに光を帯びている。

(まさかだけど、義父がここに来る可能性があったの?)

リビングでそんな可能性がある会話か出来事があったってこと? なにか見逃した? 聞き逃した?

一瞬でさっきまでの光景を思い出そうとするけれど、緊張がピークに達しているせいかわからないままだ。

ごくりと生唾を飲み、義父へと何かを言おうとするのに、口がはくはくと動くだけで言葉が出てこない。

そんな俺の横を義父が通りすぎて、一葉の前へと進んでいった。

「お前は……悠有くんが兄弟になると、兄が出来ると……喜んでいたんじゃないのか」

冷えた口調で義父が一葉に話しかけるけれど、一葉はそんな義父と視線を合わせたのは最初だけで、その後はずっとうつむいている。

「……顔を上げろ、一葉」

怒鳴っているわけでもないのに、この人の声には威圧のようなものを感じる。父親だからなのか、医師になってからのものなのかわからないけれど…漠然と怖いと思えてしまう。

「悠有くんの体に薬を使うなど、あってはならないことだろう。それまでの悠有くんたち二人の頑張りを捨てるようなものだ。…さっきの話でいけば、お前は悠有くんを恋愛的な意味合いで好んでいるのだろう? 好意を抱いている相手にしていい行為の領分を過ぎている。人の命をなんだと思っている!」

怖いと思いながらも、義父の話をその背中を見つめつつ聞いていた。

「お前を医療の道に進めなくてよかったと、今…改めて思えた。人の命を軽んじるような息子に育てたつもりはなかったのだがな……。どうしてこうなったんだ、お前は」

義父の話を聞きながら、胸の中で引っかかるものがあってモヤモヤする。

「お前が使った薬の入手ルートはまさか……うちの病院のスタッフじゃないだろうな」

心臓の位置に右手をこぶしにしてあてながら、話の続きに耳をすませる。

「…まさか……お前!」

何かに気づいた様子で、いつまでもうつむいたままの一葉との距離を一気に詰めて、義父が義弟の胸倉をつかんで無理矢理立ち上がらせた。

「飯田橋くんと……何をした? 何があった? 気づけばいなくなっていただろう。一番世話をしたのにもかかわらず、何の挨拶もなしに病院を去っていった。小児科の医者になりたいと…あんなに頑張っていた彼が……いきなり病院を去ったことに違和感を抱かずにはいられなかった。…彼か? 飯田橋くんか? それとも…別の誰かを」

詰問という言葉がふさわしいだろう問いかけに、義弟はどこか怯えた顔つきで義父を盗み見るようにしてから。

「しょうが…ないじゃん」

とだけ、言い返す。

「なん…だと?」

重く、低い…義父の声が、部屋中に響く。

「欲しかった…、悠有にいが。欲しいものは、どんなことをしてでも…手に入れろ。それがあなたが俺に教えたこと…でしょ?」

義弟の胸倉をつかんでいる手に、わずかに力が増したのがわかる。さっきよりも、義父に体ごと寄せられた気がする。

「自分のことは棚上げ? お義母さんのことを手に入れるために、他の病院関係者からお誘いがありそうだったの…全部潰していったの、知ってるよ? それと治療の方だって、本当はもうすこしだけ早く終わったかもしれなかったって聞いてた。……まあ、それも悠有にいの体次第なところもあっただろうから、本当にそうなったのかは定かじゃないけどさ」

一葉がどこか怯えつつも吐き出す怒りも含んだ話の中に、俺の知らない話が出てきた。

「…………え」

内容が内容だけに、思わず声がもれてしまう。

まさか…と思ったから。

「飯田橋さん、だっけ。あの人も助けてくれたけど、他にも手を貸してくれた人はいるよ? ……だってね、体さえ開けば…簡単だったから。顔だけはいいからね、アナタに似て。ね…知ってる? 異性じゃなく、同性の体を欲しがるやつは結構いるんだよ? まあ、アナタの弱点になるだろうと言いながら、何回も抱きながら写真を撮られたりしてたけど、最終的に相手の弱みをコッチが握っていたから、アナタを困らせるようなことにはならなかったんだけどね」

と言ってから「残念、って思ったよ」と歪んだ笑みを浮かべて義父を見つめていた。

その会話に割って入ることも出来ず、二人に聞きたいことが増えたのに切り出すことも出来ず。ただ、息を飲むだけだった。

そんな俺の横から瑞が一歩踏み出し、肩にポンと手を置いた。

戸惑いながらも、その瑞の顔を彼のナナメ後ろから見つめていると、まるで俺の代わりのように彼が口を開いた。

「さっきから話を聞いていて思うのですが、お二方とも…なにかを忘れてやしませんか? 義弟くんが小林くんの命を軽んじたのは大変よくないことだと話しているのは理解できます。それも大事な話です。…ですが、薬を使って何をしたのか。そもそもでそのために薬を調達したということが、一番の問題点なんじゃないですか? 小林さん。…あなたの息子さんは、新しく息子になった彼に……なにをしましたか?」

その言葉によって、嫌ってほどいろんなことを自覚させられていく。

義父が入ってきたタイミングでいえば、俺が一葉に性的行為を強いられた話をしているはず。その流れで薬の話をしていたんだから、義弟に強要された行為が話の中心になきゃおかしな話になる。

「ただ、元患者に、身内が勝手に薬を盛った。……というだけの話に留めていい話じゃないでしょう? それっくらいわかりますよね? 医師としてだけではなく、義理とはいえ小林くんの父親でもあるんですから。……それとも、その点だけは実の息子に甘くあろうとして、見逃してやるおつもりで?」

ドクンと心臓がさらに強く鳴る。

答えを聞きたいようで、聞きたくないようでもあって。

「お……義父さん」

目の前で義弟の胸倉をつかんだままうつむく、義理の父の姿。ドキドキしながら、呼びかけた。

「悠有…くん。私は……」

こっちを向くこともなく、俺の名を呼ぶ義理の父。

(そういえばこの人って、いつまでたっても悠有くんって呼び方なんだよね。…一葉みたいに呼び捨ててくれるかなって思っていたけど、そんな日はいつになっても来ないのかもしれない)

母親の再婚の時に、なんとなく期待していたことの一つが脳裏に浮かぶ。医師と患者の関係から変わっていけるのかなと、どこか楽しみにしていたことの一つだった。

(いつか…って思ってたんだよな)

「悠有くんの…ためにも……私は…」

どこか距離を感じるその呼び方に、自然と眉尻が下がってしまっていた。

その姿に心が急速に冷えていくのを感じた刹那、ずっと抱えていた心が口からこぼれていく。

「“ボク”のこと……二人してどーでもいーんだ。“ボク”の命も心も最初からなかったみたいに、扱うんだ…」

頭がボーッとしてきて、もう…何も考えたくなくなる。あんなにもいろいろ考えていたはずなのに。言いたいことはあるはずなのに。

もしも…を想定して、いろんな意味で覚悟をしてきたのに。それ以上の事実が、蝕んでいくのがわかるんだ。

(悪い人じゃない。いい医師で、きっといい父親であろうとしてくれたはず。実際、お母さんは再婚してからずっと楽しそうに笑ってることが増えた。でも……でも…っ)

葛藤して、自分の中の矛盾に気づき、流されかかって。それでも言わずにいると、自分が壊れるんだって気づいて。

(どうせ壊れてしまうなら、何をどう言ったって許してくれる…よね? こんなにも傷つけた代償として)

まるで淡々と音読でもしているように、胸の中に溜まっていた澱みをこぼしていく。

「”ボク”がいなきゃ、お母さんとは出会えなかったはずなのに。なのに…最初っから……“ボク”ってニンゲンは、いらなかったみたいだ。お義父さんも…一葉も…お母さんだけいたらよかったんじゃないの? 一葉が“ボク”ってニンゲンに執着したのだって……別に誰でもよかったんじゃないのかなぁ。何の努力もせず、欲しかった兄が出来た。好きだっていう気持ちが振り切れてしまっただけで、別に“ボク”じゃなくたって…兄でいて、一葉をどんな時でも誰よりも大事にしてくれる存在になってくれたら…ってだけでしょ? 自分の父親は、お母さんに取られちゃったようなものだったしね」

ああ。……頭がガンガンうるさいや。

「いらないなら……今までと同じように扱われるのなら……もう、帰ってこない。お母さんとも、最低限でしか…会わない。“ボク”は、“ボク”として…存在を許されない子…なんでしょ?」

あぁ…。なんだか胸元がスース―する。ザワッとするような寒さに、そこへと手を動かせば。

(…あれ? 濡れてる?)

服がなんだか濡れていて、気持ちが悪い。

(でも、そんなのも…どーでもいーや)

「ね、おとーさん。おしえてください。“ボク”のこと、この子に教えたのは…おとーさん? 理由はわからないけど、教えてもいいかなって思った? たった一言でもコッチに聞いてくることもなく、おとーとが頼むからって…教えた? 教えたのは職場だけ? 家も教えた? そうして一葉だけが喜ぶように…した?」

なんだろう、おかしいな。

「…ははっ。おもしろーい。いっこも返事がないってことは、ぜーんぶ合ってる? じゃあ、もう…逃げ場ないや。また最初っからやり直しだ。仕事も…住むところも、ぜんぶ…ぜぇーーーーんぶ」

乾いた笑いが止まらない。

「あははははっ。やだなぁ…もう。こんなことになるくらいなら、”ボク”あのままだった方がよかった。いろんな希望や夢や未来を期待しちゃってたよ。…やだなぁ……こんな未来、いらなかったのに」

カクンと足の力が抜けて、床に膝をついてしまう。

「あ……」

糸が切れた操り人形みたいだなって、自分のことなのに他人事みたいだ。

「悠有!」

さっきまでおとーさんに気を使って、小林くんって呼んでくれていたはずなのに。

慌てた様子で、瑞が目の前まで移動してきて向き合って床に座ったと思えば膝をついてて。

「…もう、いい。帰ろう」

瑞の声が耳のそばから直接聞こえて、“ボク”の脳を揺らす。

ほんのちょっとだけ“ボク”よりも高い位置に瑞の体があって。

帰ろうと言ってからぎゅっと抱きしめてくれた時には、瑞の心臓の位置がちょうどよく自分の耳の位置にあって。

トク…トク…と優しく鳴るその心音を聴きながら、強張っていた体の力をすこしずつ抜いていく。

抱きしめ返すだけの元気はなくて、腕を回すことなんかできない。

クタリと力を抜いた格好で寄りかかる“ボク”の頭を、まるで心音に合わせるかのようにゆっくりといつまでも撫でてくれる。

「…つかれちゃった、もう」

ポロッと大きな涙がこぼれたのに気づいて、手のひらで涙をすくおうとした。

「あれ……いつからこんなに?」

顔中びちゃびちゃになってて、もっと前から泣いていたんだってことに気づく。

「こんな…に、要らないニンゲンだって……思いたく、なか…った」

やっと動いた手。瑞の服をぎゅっと握って、顔をグイグイこすりつけて涙を拭う。

「瑞…っ、帰る……帰る。どこに帰っていいかわかんない…けど、帰りた…い」

無理矢理押し出すように吐いた言葉を、瑞はいつものようにちゃんと拾ってくれる。

「いいよ、帰ろう? 俺の家においで? 俺が悠有の居場所になるから」

その言葉に心底ホッとして、支えられながら立ち上がる。

瑞の腕に掴まりながら、ドアの方へとゆっくり進んでいくと、背中の方から声がかかった。

「悠有くん…まさかだけど……ただの上司とかそういった関係じゃなく…その人は」

別に今それを言わなくてもよくない? と思うような言葉で、自分へと意識を向けさせようとする。

「…小林先生には、関係ないですよね? 明日の定期検診は行きますが、他の先生にしておいてもらえますか? 小林先生に、息子さんと同じように…おかしな薬とか使われたく…ないです。怖かったんです、ずっと」

自分の実の息子が義理の息子にしたことに関して、最後の最後まで一言もなかったと気づいた瞬間、一気に頭が冷えてきて勝手に口からこぼれた言葉たちは、自分でも驚くほどに冷たいものばかりで。

「――――母のこと、よろしくお願いします。母には…おかしな薬を使うようなことが起きないように…お願いします」

一番そうなりたくなかった形での決別だ、これは。

一人暮らしをすることにしていたものの、母親から完全に離れることまでは選んでいなかった。

(もう……帰れない。帰らない…二度と)

いつかの日があるとするならば、もしもの話で母親に何かがあった時くらいだ。

階段を一段一段下りていく。

このまま母親に顔を合わせることも出来ずに帰るんだと思いながら、玄関に向かったはずなのに。

「悠有? もう帰るの?」

リビングのドアが開き、母親が声をかけてきた。

振り向くことも出来ず、ごくりと唾を飲み、なんて返せばいいのか言葉を選んでいた。

「すみません。明日、定期検診だと聞いていたので、さすがにもう小林くんを送っていかなければと思いまして」

瑞がそう返すと「あぁ! そうね? 明日の検診で会えるわね?」と明るい声が返ってきた。

ぎゅっと手を握り、うつむきながら「ううん」と返す。

「もうそろそろお母さん無しでも行けるから、検診のことは後からお義父さんからでも聞いてよ」

さっき義父にした頼みごとがバレるのが嫌で、小さな嘘をつく。

「もうすぐ三十路だよ? 十分…大人なんだし。病院に付き添いも卒業だって、いい加減」

声が震えてしまう。どうかバレませんようにと願いながら、言葉を続ける。

「もう大丈夫だから。……だから…、明日はゆっくりお茶でも飲んでなよ。いつものドラマでも見ながら」

再婚をして専業主婦になってからの、母親のルーティーン。朝食後に見るドラマ。テレビ相手にツッコミを入れながら見るアレだ。

『いやぁねー、そんなことばっかりやってても喜ぶわけないのに! バッカねぇー』

とか言いながら。

「あら、そう? ……それもそうね? 悠有も、親離れさせなきゃ…よね? わかったわ。明日のドラマ、楽しむわ!」

この人のこの明るい声に、何度も何度も支えられて救われて、いつだって一緒に笑ってきたのにな。

「そのうち肩でも揉みに来るよ。…さっき約束したしね」

いつ叶えられるか不確かな約束を、残酷だなと知っていながら置いていく。

ずっと背中を向けたまま会話を進めているそれは、きっとすごく変だろうな。おかしいだろうな。

(でも、この顔は見せられないや)

「それじゃあ、今日はこれで失礼します。外は暗いので、見送りもいいですよ? 今日はお邪魔しました」

瑞がそっと腰のあたりを押したのを感じて、その手に支えられるように玄関へと向かう。

靴を履き、一度も母親の方へと振り向くこともなく家を出る。

玄関を出た瞬間、涙が勝手にこぼれてしまう。

「……よく我慢したな? えらいえらい」

瑞が肩を抱くようにして、頭を横から何度も撫でる。

イイコイイコと褒めてくれているみたいに。

「ん……」

ピピッと音がして、瑞の車のドアロックが解除される。

瑞はまるでエスコートでもしているみたいに、ドアを開けて「どうぞ?」なんてふざけた感じで車へと誘う。

「あり…が、と」

かろうじて感謝を伝えると、腰かけてシートベルトを着ける元気のない俺の代わりに、手早く装着させてくれた。

ドアを閉め、早足ですぐさま隣の席に着く。

瑞の方のシートベルトが着けられたカチャリという金属音がしたなと思ったのは、なんとなく憶えてる。

「それじゃ、帰ろうか」

瑞のその言葉も、なんとなく憶えているんだ。

ものすごく…ものすごく……眠くなった気がして。それはきっと気のせいだって思ったはずなのに。

「おやすみ、悠有」

(寝ないよ?)

瑞のその声にそう言い返しているつもりで、一文字すら発することもなく、あっという間に眠りについていた。




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