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~小林side~


場所を変えて話をする。

一葉が口にしたそれは、最初に切り出すだろうと予想をしていた話題で。

問題は、ここからだ。

「場所はどこがいいの」

「悠有にいの部屋、一択! どうせなら、新居を見たいな。ね、いいでしょ?」

こっちから提案する前に、指定してきた。

さっきの会話を思い出しながら、即答せずにすこしだけためらってみせてから答える。

「いいけど、俺は彼に乗せてもらうから」

俺がそう言って瑞の方をチラッと見ると、思いきり顔をしかめる。

「は? こっちの車で行けば、何も問題ないじゃない! そんなに一緒に乗りたくないの?」

そう言われてから、一葉はこっちの痛みなんて何も感じてないんだなと改めて思う。

じゃなきゃ、あんなことを出来なかったし、繰り返し繰り返し…あの夜をやり直したいの? とか言われてこなかったわけだから。

(誰が、あんな…心も体も痛いだけの行為を願うかよ)

一葉がこんな性格になった原因の一端が、もしかしたら自分にもあったのか出会う前からなのかわからないけど、助長したのは自分のせいかもしれないなとすこし思った。

「乗りたいと思うわけないだろ? 俺に何をしてきたのか、自分がしたこと…忘れてるの? 勝手すぎない? 自分の都合ばかり優先するつもりなら、話には応じない」

こぶしを握って、自分を奮い立たせるようにしながら言い返す。手がかすかに震えてしまう。

さっき温めてもらったはずの指先も、過度な緊張の影響でか冷えてきているのがわかる。

そんな俺の手に、瑞の手がそっと触れる。左側にぴったりと身を寄せてきたかと思えば、俺の左手を瑞の右半身で隠すようにくっついてきて。

くっ…と瑞の右手が俺の左手を軽く自分の方へと引っ張ったかと思えば、一葉から見えない位置でしっかりつないでくれていた。

きっと一葉の方から見たら、すこしだけ斜に構えた瑞が俺にくっついてきているだけにしか見えないだろう。

「離れろよ! さっきから、なんなんだよ」

車に乗ったまま、窓から手を出して払うような手つきで俺たち二人に離れろと言う。

「なんなんだって言われてもねぇ」

瑞が余裕のある笑みを浮かべて、俺の方へと視線を向ける。

「ね」

口を滑らせておかしなことを言わないように、一文字だけで返す。

「というか、こんな場所でいつまでもこうしているのは目立つかな…と。場所は、悠有の家で決定?」

名字じゃなく、名前で呼び捨ててくる瑞。何度も呼ばれているはずなのに、思わず「えへへ」と顔がゆるんでしまう。

「えへへじゃないだろ。……いい加減、慣れて? わかってる? 悠有」

「わかってるけど、なんだか嬉しくなっちゃうから」

義弟の前だってわかってるのに、職場の前でもあるって頭の端っこにあるのにさ。

「ポーカーフェイスって、難しいね」

つながれている手に力を込めて、俺の方からも握り返す。

「可愛いからいいけど」

「…ふ」

緊張感が一瞬どこかに言ったかのような雰囲気の俺たちに、一葉が苛立ちを隠しもせずに怒鳴りつける。

「案内してよ! 付いてくから」

その言葉に、可能性を考慮して場所の変更を提案する。

「あー…やっぱり俺の家はナシ」

知ってる可能性も、知ってて確認したい可能性も、知らなくて知りたいからという可能性も。

「連れてって、何か仕掛けられても嫌だからね」

どれもを消すつもりで、違う提案をするための言葉を吐く。

これまでに彼が俺にしてきたことを思い出して、あえてそれを話題に出す。

知らないうちに仕掛けられていた隠しカメラにマイク、部屋で使っていたパソコンやスマホの方にも勝手にいろんなものが仕掛けられていたっけ。

「そ……な、こと…今は……」

視線をそらされて、顔を助手席の方へと向けてうなだれる一葉。

「持ち物の検査をしないだけ、いい方だと思って。持ち物に体に、車。スマホも何もかも…検めてくれって言いたい気持ちなんだから。そう思わせているのが誰なのか…、一番わかるよね?」

心臓はずっとドクドクいってて、つないでいる手の震えもまだ収まっていない。

唾を飲み、唇を噛む。

何ともいえない間が、すごく重たく感じられる。

不意に袖を引かれて目線だけを瑞に向けると、つながれていた手が解かれてから、その手のひらをくすぐられる。

緊張を解くためかなと笑いそうになるのを堪えて、今はやめてよと呆れたように横目で見れば瑞の目は真剣な目で。

俺と瑞の視線の温度差を気にしつつ、繰り返されている手のひらのくすぐり攻撃に内心首をかしげたくなっていた。

このタイミングで、こんな風にじゃれる必要性がある? と思ったからだ。

一葉はずっと黙ったままで、こっちを見ようともしない。

義弟の様子を視界に入れつつも、瑞がさっきから繰り返している行動に集中した。

(……あれ? さっきからくすぐっている時の指の動き、まったく同じじゃないか?)

何度目かのその動きに違和感。チラッと瑞を見てから、その動きを脳内で変換していく。

下にまっすぐいってから、右上へと弧を描く。少し離れた場所に、指先を二回トントンとあてる。

次が短くて、わずかに右へ動いてから下の方へと弧を描く。それはあっという間だ。

最後に二つ目の動きを少し大きくしたのと、指の付け根から手首の方へとまっすぐな線を引いたのが交わる。

それも最後の方には、すこし離れた場所に一回だけ指先をあてて、わずかに斜めに線を引いた。

(文字? もしかして)

そして、さっきここに来る前にした会話を思い出して気づく三文字。

「一葉」

あえて、名前で呼ぶと嬉しそうにこっちを向く。

「な、なに? 悠有にい」

「ここんとこ帰ってないから、実家で話したいんだけど」

瑞が横で微笑んで、俺の袖を軽く引く。どうやら合っていたみたいだ。

「これから帰ったら、夕食の時間だよね。今からだったら、母さんに伝えておけば一緒に食べられるかもしれないし。久々に母さんの料理が食べたいんだよね」

と切り出せば、こっちを見上げながら困ったような顔つきになる。

「実家だと何かマズいの?」

「そうじゃないけど、ほら…その人、どうすんの? 家族のだんらんに他人がいるってのはさー」

口ごもりながら言ってきたのが、それっぽっちの言葉で。

「別によくあることだろ? お義父さんの病院の人とかが急に来たりなんか、しょっちゅうだったはずだけど? 俺よりも一葉の方が、そういう状況には慣れているよね? 今更そんな理由で断るの? ……なんか、変だね。なんかあるの?」

こういうのが違和感ってやつか。感じた気持ち悪さをそのまま言葉にして、一葉にぶつけてみる。

「別に! 何もないし」

身長が近い瑞とは、ちょっと距離が近い時にはすぐに視線が合う。アイコンタクトをして、瑞がふわりと微笑んだのを確かめてから告げた。

「じゃあ、母さんに電話するから。夕食追加って」

スマホを取り出してから、一葉へと背中を向けた。

程なくして電話の向こうで、さっき聞いたばかりの声がして。

「…うん、そう……職場の人も一人連れて行きたいんだけど。…うん。母さんのグラタン、食べさせたいなー。すごくお世話になってる人なんだ。……あ、そう。うん。じゃあ、こっちの方が遅いかもしれないね。……うん、…あはは、了解。何か買ってくよ。うん……、じゃあ、後でね」

会話を終わらせて、振り向く。

「グラタン? 父さんが好きなやつじゃん。で、何か頼まれたの?」

わかりやすいほどに面白くなさそうに拗ねた顔つきで、電話の内容をなぞってきた。

「うん。コンビニスイーツ何でもいいから買ってきてよ、って。だから途中で寄るよ。…そうだな、環状線沿いのコンビニにでも寄ろうかな。…いい? 寄り道するけど」

瑞に囁くようにそう頼めば、笑顔のままでうなずいてから。

「どうする? 一緒に寄る? それとも先に帰る? まかせるけど」

と、一葉に話しかける。

「一緒に寄るよ」

そう言ってから、エンジンをかけてゆっくりと窓が閉まっていく。

「先に行って待ってる」

呟いたのと窓が閉まったのは、本当にギリギリで。

「先に行ってるってさ」

って瑞が聞いていてくれていなきゃ、俺にはなんてったのかわからなかった。

二人そろって瑞の車の方へと向かいがてら、乗ってきたチャリを店の従業員用の駐輪所のエリアに移動させる。

「グラタンかー。久々かも! しかも、悠有のお母さんに会えるんだよね? ね。悠有はどっちに似たの?」

なんだか楽しげにひとり言のように話している瑞がおかしくて、ふはっと笑ってから「あとで答え合わせしてみたら?」と返す。

慣れたように助手席に腰かけて、シートベルトを締めた。

「コンビニスイーツは、俺からの贈り物ってことにしようかな。そのうち別の機会に、ちゃんとしたお土産用意したいけどさ」

瑞がそう言った瞬間、心臓がバクンと大きく脈打つ。

何の気なしに言ったんだろうけど、俺は別な意味で捉えそうになった。

俺たちの恋愛が異性同士の、いわゆる普通の恋愛だったなら……だ。

「そう、だね」

上手く笑えてるかな、俺。

俺が好きになったのが、水無瀬瑞って男性だっただけで、異性とか同性とか関係なく好きになった。

それだけの話なのに、母親にはまだ知られていない。話していない。一葉には偶然か必然か、知られることになったけど。

昔の俺しか記憶になきゃ、BL好きの女友達が何人かいたな……とか、大学でも同じサークルに女の子の方がいたけど友達の枠を超えなかったな…とか。その程度のイメージのはず。

彼女がいたこともないしね、そもそもで。

いろんな経験が少なすぎて、時々こうしてなんてことないことをキッカケにして凹んでしまう。

そんな俺の心情を見透かすように、瑞が信号を待ちながら真横から手を伸ばしてきて。

「ゆっくりいこ? 焦らせる気はないよ?」

って、頭を二度ほどポンポンとした。

「……ん」

ゆるやかに車が走り出して、途中で左車線に入ってすこしすればコンビニの駐車場だ。

「お母さんが好きそうなの、あればいいね」

コンビニの正面から少しずれた場所に車を停めて、二人で店内へと入っていく。

先に着いていた一葉がお菓子を手にしていた。

「それもよこしなよ。たまにだから、買ってあげるよ」

なんて、今まで言ったこともないことを口にして、よこしなよと手のひらを差し出した。

「じゃ…あ、これも」

追加でチョコが足されて、店内のカゴに放り込む。

スイーツコーナーでクリームたっぷりのロールケーキや、新作のショコラのシュークリームあたりを買って。

「こっちは? お母さん、どんなのが好きな人?」

俺よりも楽しげにスイーツを選んでいる瑞に、横から指さして「シンプルなやつが好き」と教える。

「じゃあ、こういうチーズケーキなんかは?」

「好きそうだよ、多分」

「多分? 手も付けられなかったら怖いんだけど」

「大丈夫だよ。基本的に、シンプルなケーキは何でも好きだから」

「…そ?」

「そ」

ケーキを選ぶ俺たちから少し離れた場所で、一葉がアイスを選んでいる。

「そっちは自分で買いなよ?」

兄貴っぽくそう言えば「わかったよ」と焦ったような声がした。

レジへと向かうと、瑞が耳打ちしてくる。

「アイス溶けないくらいの距離なの? 悠有んちって」

気温的に今はそこまでじゃないから多分大丈夫だろうけど、ここからは車で15分ほどの距離だ。

「近からず遠からず、かな。だから多分、車の中で食べつつ帰るよ。俺が一緒にいた時も、毎日食べていたくらい好きだから」

家族として植え付けられた記憶は、痛いものや悲しいもの、苦しいものばっかりだったはずなのに。

「そういうのも憶えちゃってるんだから…やんなる」

憶えてていいはずの、家族の記憶。そういうのばかりが増えていけばよかったのに、違う方へと増えていった思い出たち。

鼻の先がツンと痛くなる。

「5千円からお願いします」

結局、瑞と半分ずつ出そうってことになってひとまず立て替えて。

レジ袋に詰めてもらっている間に、入り口近くのレジでは一葉が支払いをしていた。

「じゃあ、この後は実家でね。アイス食べながら運転しないで、そこで食べてから運転しておいで」

入り口近くに駐車していた一葉に声をかけて、俺たちはすこし離れた場所のところへと向かう。

これから向かう実家なら、一葉は一緒に帰宅したくはないはず。だからあえて母親にもその話題は振ってない。

住所を伝えて、ナビに打ち込んで。

ふ…と瑞が環状線じゃない方へと車を走らせはじめた。

「どっち行くの? こっちからだと、すこしだけ遠回りになるよ?」

声をかけても、ちらっとナビを見つつも予想外の道順で走っていく。

「瑞?」

声をかけると、ふふっと笑ってから「おとーとくんと別ルートで帰ろうかなって。あの調子だったら、こっちの車はまだ認識していないだろーって思ったし」と言ってから、「ちょこっと、ドライブね」と続けてウインカーを右へと出した。

そうして運転していく途中に、小学校と中学校の間に道にさしかかる。

右が小学校のグラウンド、左が中学校の校舎だ。

ちょうどそこの信号で赤になり、瑞が左手で「ココね」と中学校の方を指さす。

「俺、通ってた。小学は違ってたけど。高校入る時に、また引っ越したから住んでいた期間は短いんだけどね」

義父の自宅近くに、瑞が住んでいた時があるのか。

「…へぇ」

その頃にこのあたりをうろついていたら、瑞とすれ違えたのかな?

「こっちは義理の父親の家の方向なんだよね? 悠有はどのあたりの学校にいたの?」

そう聞かれて「あまり通えなかったんだけどね」と前置きしてから、学校名を明かす。

「え? 小学校もその近く?」

「え? あ、うん。そうだよ」

おぼろげな記憶を引っ張り出して返せば、あはははと急に笑い出した。

「ど…っ、どうしたの?」

驚いて、シートベルトを締めたままで思いきり前へと体を倒して顔だけ瑞の方へ。

覗きこむようにして彼を見れば、「同小おなしょうじゃん」と呟く。

「は? うっそ。そうなの?」

意外な共通点。

「ってことはー、悠有が入学した時期に俺が四年生だ」

「だね」

そんな話をしながら、顔が自然と微笑んでいく。

これから一葉と向き合うことになるのに、さっきまでの緊張がやわらいでいくんだ。

「どこかですれ違ってたかな。学習発表会とかってあったよな? 劇とか歌とか発表するやつ。総練習とか、もしかしたらお互いに見ていたりして」

「だといいね」

とか言っても、昔から体は丈夫な方じゃなかったしね。病気になる前から、どこか不健康だった。

「一緒に運動会とかもやってたら…いいな」

あるかもないかもわからない過去の話を想像して、頬をゆるめる。

「出会っていたら…いいな」

今の職場で出会うよりも前に、縁があったなら。再会もこうなったのも、なにか違う意味を持ってくれそうで。

期待したくなる。

この出逢いは、運命だよって。まるでいつか読んだ小説やマンガみたいなことが、自分にも起きていたらって。

「そうだね」

ナビを見ながら走り続ける車は、もうすぐ実家に近づく。

チラッと横目にナビを見つつ、瑞もそれを察したようだった。

「その先のコンビニを通り過ぎて、二本目を右に入ってまっすぐね」

「りょーかい」

しばらく来なかった道だけど、やっぱりなんだかんだ言いながらも憶えている。

そうしてたどり着く、実家。駐車場に車を入れながら、瑞が呟く。

「こうやって、悠有の実家に来れることになったのだって…ある意味運命の中の一つ…だといいんだけど」

さっきのが、口にでも出ていたの? と焦るようなタイミングで呟かれたそのセリフは、俺の背中をそっと押すような言葉に感じた。


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