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しおりを挟む~水無瀬side~
順調すぎるとは思っていたけど、「なんで今日なんだ」と若干イラついた。
明日は悠有の通院日。
過度なストレスを与えると、わかりやすいほどに体調に出る彼。
特別過保護にしてきたつもりもないし、いたって普通に悠有を大事にしながら時々一緒に夜を明かした。
義父がいる病院にかかっているとは聞いていたから、普段の話の感じで通院前日の今日は緊張しているかもしれないと思いながら遠巻きに彼を見ていた。
とはいえ、それぞれで仕事はある。必ず同じタイミングで店内での業務というわけではない。
昼の休憩時も、あまり食欲がなさそうだなと心配になった。
昨日はうちに泊まっていないから、どれくらい眠れたのかなんてわかるはずもなく、もしかしたら寝不足かな? とボンヤリ思ったりして。
彼の許可次第では手を出さないことを先に伝えて、泊まっていきなよというつもりでいた。翌朝、病院まで送ってから出勤したって間に合う時間だ。
そんな中での、彼の義弟の訪問というか、来店か? 客って感じじゃなく、兄弟の様子を見に来ただけという空気だったしな。
来店でもなきゃ、襲来? なんだろな。
(誰からこの場所を聞いたんだろうな)
パートさんから名前を呼ばれ、カウンターの方へと顔を出せば、人懐っこそうな幼い印象の男の子が立っていた。
いつぞやはどうもなんて声をかけられて、コイツか……と奥歯を噛む。
職場じゃなきゃ、悠有なりに家族を大事にしていなきゃ、今すぐに胸倉つかんでいろいろヤッちまうんだけどな。
あぁ、ダメだな。悠有が絡むと、冷静なようで冷静になれなくなる。
付き合って二か月。自分が思っているよりも、小林悠有という男にハマっていることを知った。
心臓がドクドクと煮えたぎりそうになるのをなんとか堪え、冷静になれと自分を律する。
そうでなければ、悠有を守れない。今、この状況下で悠有を守れるのも事情を知っているのも、俺一人だ。
笑顔で嘘を吐き、一時間の猶予を作って、一旦事務所の方へと連れて行く。
フロアーで立ちすくんでいた悠有は、冗談抜きで透けてしまいそうなほどに顔色が青を通り越して白くなっていた。
触れた手は冷たく、体は小さく震えていたんだ。
義弟本人を目の前にし、気にしなくなったと思っていたんだろうそれが、一瞬でフラッシュバックでもしたかのような反応だった。
それだけのことを悠有の心と体に刻みつけた、あの男。
見た目はちょっと可愛げのある男の子っぽかったけど、罪悪感なんか抱いていなさそうな無邪気さ。悠有から聞いていること以上の行為をしてきたんだろうと、目の前の彼から聞かなくてもわかる気がした。
すこしだけ話をし、ロッカールームへと移動。彼氏として悠有を守りたい気持ちを、俺なりの言葉で伝えて。
話をしながら、考える。
どうすれば、悠有が望む暮らしを叶えられるか。義弟に怯えずにいられるか。
そもそも論だけど、義弟が悠有にあれこれヤッた時に使われた薬は普通じゃ手に入らないはず。
悠有もそれはおかしいなと言っていた。
――――悠有が口にしていたのは、ここまで。
俺的には、父親が息子に甘くて裏で手を回しているか、知ってて黙っているか。どっちかなんじゃないかと思っていたりする。
悠有の母親と再婚したと言っても、その義父自身が好意を持っているのは母親のみで、悠有には患者以上の感情がないとしたら? そして、悠有の体のことを理解している医者であれば、どの程度のどの量だったなら体に負担なく使えるかもわかっている。
出会った時の悠有の体のことは義理の弟になった故に、父親から釘を刺されていたかもしれない。兄になる悠有は、病気を抱えているから無理は言うなよとかどうとか。再婚時の年齢からいえば、急に兄が出来ると聞けば遊んでほしがる可能性があったはず。
子どものそのあたりの心情を父親が理解していれば、再婚にあたって新しく母親になる人物のことと家族が増えることも話さずにはいないだろう。
(ああ、それも親子としてのつながりが希薄じゃなければ……という条件付きだが)
その状況だってなんだって、俺や悠有の想像でしかない。そうだったなら、こうだよな? と。
悠有は優しいから、義理とはいえ父親になった人物が、仕事が人の命にかかわるものだと知ってるだけにそんなことに加担しないと信じたいはず。というか、裏切られたくないだろうな。
だから、想像することすらしていないようだし、頭がそれを拒んでいるかもしれない。
母親の幸せを壊したくないことや、万が一離婚となった時にまた再婚前の生活に戻してしまう不安とか、母親に与えてしまうかもしれないショックを自分がどうにか出来るか。
自分のことだけを考えて動けない現状に、このまま何も起きないでほしいと願っていたはずなんだ。
(まずは、父親が関与しているかどうかを確かめるべきだ。悠有がそれを口に出来ないのなら、俺が)
「悠有、さ。俺が義弟くんに何を言っても何をしても、俺を信じていてほしいんだけど。……可能? 不可能?」
先走った行動になるかもしれない。そう思っても、今まで言わずにきたことを口に出さなきゃ現状維持のままだろう? と頭のどこかで誰かが告げている。
悠有の心を結果的に守れるならと心に決めてかけた言葉に、悠有の顔が強張ったまま今にも泣き出しそうになりながら笑おうとする。
なんて優しいんだろう、俺の彼氏は。こんなにも、家族を大事にしたがってて。でも、上手く出来なくて。悔しそうに、哀しそうに…笑う。
「もちろん、可能……だよ?」
胸の奥が痛い。そして、鼻の先がツンと痛む。
(俺の方が先に泣きそうになってしまった)
普通に生きたいだけなんだと、時々泊まってイチャイチャした後の寝かかった時にもらす…ため息まじりの願い。
たったそれっぽっちも叶わないんだろうな、と、何度諦めたように笑ったか。
寝かかった時にもらしたことは、翌日憶えていないことが多い彼。ズルいと思いつつ、そういう時にいろいろ本音を聞き出す俺。
今日これから俺がやることだって、後から同じように聞き出したら目の前の彼は何て愚痴るんだろうな?
「じゃあ、悪いけど……悠有をきっと傷つけることを俺は言う。悠有が守ってきたものをも、傷つける。悠有自身が向き合わなきゃいけないことにも、口を出す。だから先に謝っておく。……ごめん」
そうなんだ。本当なら悠有自身が向き合わなきゃいけない問題。家族だから言えない。家族だからこそ、言うべき。そのボーダーをどこで線引きして、どのタイミングで踏み越えるか。
誰のためにそれを超えるか、が…多分決められないでいるんだろう。無責任なことは言えないし言わない悠有だから、慎重すぎるほどにタイミングを計ってきたんだろうな。
ただ、最後の最後にどうするかの決定権は悠有の手に。それは絶対に守る。そこまで口出しも手出しもしない。
(どれもこれも、俺の予想でしかない。悠有に聞けばきっと、そこまでのものじゃないよとか言いそうだ)
謝りながら彼の手を包み込むように両手で握ると、まだ心なしか冷たい。
「ちょっとだけ待ってて」
そう言ってから、アイツがいる方じゃない側の出入り口にある自販機からカフェオレを買って、自分の自前マグに注いでレンジで温めて。
「はい。コレすこしの間だけ両手で持ってて。手が温まったら、飲んじゃっていいから」
昼休憩時にここで食事をするのもいるから、ポットとレンジは古いものだけどある。普段使わないけど、こんなタイミングで使うことになるとはね。
そう言ってから、自分の方の準備を始める。
背中に視線を感じつつ、これからすることに向けて冷静になれと何度も自分に言い聞かせる。
悠有を大事に思うのなら、だからこそ……感情的にならずに相手から言質を取らなきゃいけない。逆に与えるようなことなんかないように。
コトンと物音がして振り向けば、悠有がまだ不安そうに俺を見ていた。
「……どうかな? あたたまったかな?」
置かれたマグを横目に、悠有の手を取る。指先だけはまだすこし冷たい。
「ダメだね。なんか……緊張しちゃってて」
苦笑いを浮かべて、まだかすかに震えている。
「それは悪いことじゃない。悠有がそう…反応してしまうことをされている。そして、嫌な思いをした。簡単に忘れられることじゃないことを。……悠有が、心の底から嫌で…悲しいと思えたことをされて、どれだけの時間を費やしたとしても完全に無くすことは出来なかったんだろ?」
悠有にその現状を言葉にして聞かせること自体がキツイとわかっていても、それでも今は言わなきゃいけない。
「……ん。嫌だった。それはもう認めなきゃいけないことなんだってわかってた」
短く鼻水をすする音をさせて、はあ…と息を吐く。
「曖昧にしていたものを白黒つけろって言われるように一葉がここに来たのも、何か意味があるのかも…だよね。瑞」
「あえて、このタイミングで…ってね」
「……ん」
うなずいて、俺へもたれかかるように頭をくっつけてくる。
「ちょっとだけでいいから、こうしてても?」
悠有がこんな風に自分から素直に甘えてみせるのは、今までにない。こっちからすこしの誘導があってから…ばかりだから。
甘え下手な、俺の彼氏。
「もちろん」
断るわけなんかなく、悠有が落ち着くのを待つ。
ロッカールーム内の時計が、あと15分ほどで6時になろうとしている。
いいとこ一時間経過ってところだ。
「…どう? 立てそう?」
まずは、それ。さっきの様子では、歩くのも危うかった。
「ん。……何とかって感じだけどね」
困ったような表情をしながら、俺が手渡した上着を羽織る。
「先に言っておく。相手の車には乗らせないから。それと、どこで話をするってなった時に、悠有の家を一回提案して? ただし、悠有は俺の車で。先導して案内してって言われたら、あからさますぎるかもしれないけど前言撤回」
「……え」
俺の車で移動するのは、一緒に行くことにした時点で決めていた。たとえそれで俺の車が義弟くんに知られてしまうとしても、だ。
「案内ってなったら、万が一の可能性を残して、家の場所を特定されていないと思おう。相手が指定する場所は、何か仕掛けてあることも想定して、断固拒否で」
「じゃ…じゃあ、どうするの」
悠有のその言葉に、俺は考えていたことを伝える。
「この際だからさ、連れて行ってよ。悠有の実家に」
「え!?」
「悠有のご両親は、今日は?」
「確かこの時間なら、母親はいるはず。父親は……よほどの呼び出しでもかかっていなきゃ、明日の僕の通院に合わせた出勤のはずだから……そろそろ帰ってくるころじゃないかな。…聞いてみなきゃだけど」
「…そう。じゃあ、明日の通院の確認って感じで、その辺を今…電話で聞くことは可能?」
悠有がコクンとうなずいて、すぐにバッグからスマホを取り出して電話のアプリを起動した。
猶予はほんの数分程度だろうか。
真横で俺に背中を向けながら、母親と話している悠有。その声はどこか弾んでいるようにも聞こえる。相手が母親だと、こんな風に幼くなるのか。
「わかったってば。明日、病院にちゃんと行くよ。……うん、うん。お義父さんは夕食までには帰れるって言ってたの? …そう。よかったね。……あはは。そっか、今日はグラタンなんだ。いいなー。……え? 食べに? 行けたらいいけどね」
悪くない流れだな。
義弟くんの話次第じゃ、悠有の実家で親がどっちもいる状況での話になる。
それも無理なら、最悪……行きつけの店に連れて行くか。人前でどこまで話が出来る度胸があるか……って感じだ。多分、人前で出来ない話だろうから、それは避けたいはず。
(……か、ワザと人前で話をして、あの見た目でまわりからの同情でも誘うか……とかか。考えられるのは)
「じゃあね。…うん……うん。じゃあ、お義父さんに、明日はよろしくって伝えて? …じゃあ」
その言葉を最後にして、通話を切った彼。俺へと振り返り、「ってことで」と説明を省略してきた。
「ったく。手抜きな説明だなぁ…もう」
こういう態度も甘えてくれているんじゃないかと思えて、可愛らしく感じる。
「でも、わかってくれてるんだよね?」
こういうのは、ズルいし。
「…はぁ。わかった、わかった。りょーかいだよ」
わざとらしくそう言えば、耳元に顔を近づけてきて「ありがと」と囁く。
たったそれだけなのに、どこかくすぐったい。
(職場のロッカールームで何をやってんだか、俺たちは)
「あ」
そういえばと思い出して、さっき中途半端に使ったカフェオレのペットボトルを悠有に押しつける。
「これ、持って」
「え? さっき飲んだじゃない」
「じゃない、違う」
万が一に備えなきゃいけないのは、一つだけじゃない。
「義弟くんから、買っておいたよって飲み物を渡されるとかあったら嫌だろ」
「え? そんなとこ独占欲?」
ぷはっと彼が笑うけど、こっちは笑えない想像をしている。
「蓋が開けられていたら? 義弟くんが一緒の時に食べたり飲んだり出来なくなってたよね? その状態から遠のいていたから、危機感なくなった? 俺が言うべきじゃないけど、この後の時間こそ……警戒しなきゃ。改めて」
「あ……」
しまった…というような表情になった後、唇をきゅっと引き結ぶ彼。
「言葉にすべきじゃないって思ったけど、俺が言うべきだって思ったから。……ごめんね」
彼氏だからこそ、だ。そして、これっぽっちで悠有との関係が揺らぐとも思っていないからこそ言えたこと。
「ほんと……どうしちゃったんだろ。それまではあんなに警戒してたのに」
悔しそうにうつむく彼の肩に、ポンと手を置いてまっすぐな声で伝える。
「今日は、俺がそばにいる」
と。
パッと顔を上げ、潤みかけた瞳で俺をまっすぐに見つめてくる。
「……行こう」
肩に置いた手に、ぎゅっと力を込める。
その俺の右手に、悠有の右手が重ねられてから。
「ん。……瑞に、まかせる。俺が一葉に聞くことや言うべきこともあるだろうけど、流れがよくないって思ったら助けてくれる?」
重ねられた手は、やっぱりどこか冷たくて。
「当然っ」
安心させられるようにと、即答した。
ロッカールームを出て廊下を歩き、一旦店内に出る格好になる。
「小林くん、大丈夫?」
入れ替わったバイトの子が、彼に声をかけてくる。
「あ、うん。家に帰って大人しくしとくよ」
「お大事にね」
「お先にしつれいしまーす」
の、悠有の声の後に、俺も続けて「お先にーー」と歩いていく。
「おつかれさまでーす」
その声を背中に、自動ドアを通過し、手動ドアを押し開けた。
出入口そばに、真っ黒のワゴン車が停まっている。
窓が開いて、ひらひらと手を振って義弟くんが「おつかれー」とにこやかに声をかけてきた。
そして、言葉を続ける。
「ここじゃなんだから、場所を変えようよ」
と、予想通りのセリフを。
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