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ノるの? ノらないの? 1
しおりを挟む~小林side~
試用期間の三か月をまもなく無事に終えられそうな、もうすぐ夏に突入の頃。
休憩室で、パンを食べていたら水無瀬さんが入ってきた。
「おはようございます、水無瀬さん」
「あー…おはよう」
遅れてくるとか聞いていたけど、顔色悪そうだな。珍しい。
「大丈夫ですか? 顔色よくないですけど」
と聞けば、「自業自得だから」と不意打ちのように耳元で囁かれる。
心地いい声の囁きは反則だろう。この人の声、なんかやけに語尾が後を引く話し方なんだよな。
「自業自得って?」と小声で聞き返せば、「寝不足なのに、ルーティーン崩したくなくてランニング行ったら、腹…下って」と返してくる。
腹を下した。つまりは、下痢。
パッと水無瀬さんの顔を見ると、いつものようにキレイなととのった顔つきで、こんな人が下痢ですか? と想像したくない状況で。
「薬って」
思わず心配になって聞いてみれば、苦笑いでこう返す。
「飲んだ。なんとかおさまったから、出てきたんだよね。今日、パートさん休みになっている人いるって聞いてたから。悪かったね、人少なくて大変だったでしょ」
「あー、今日は本の入荷がない日だったのもあってか、そこまで困ったってほどじゃ」
さっきまでのバタバタも、入ってすぐなら対処できなかったかもしれないけど、もうすぐ試用期間が終わる今なら多少は慌てずに対処できたことも多かった。
「へぇ…、余裕だね?」
「いやいや、そこまでじゃないですって」
「まあ、俺が指導したんだから、ちゃんと育っててくれなきゃ」
なんて、もうすぐ三か月という期間で、水無瀬さんとの会話もすこし冗談を交えられるようになった。
「ですねー。先生が大変いい先生ですんで」
とか、ね。
「そういえば」
と、水無瀬さんが切り出したことは、試用期間が終わってからの話で。
「無事に正社員ってなったらさ、飲み会するかと。…酒は飲める方?」
会話に酒の話が出るってあたりが、自分も社会人というか大人の世界にいるんだなぁなんてちょっと嬉しくなった。
(本当なら、成人できないんじゃないかっていわれていたくらいだしな)
過去を思い出して、今、ここで働けることに心底感謝しながら。
「飲めるんでしょうけど、過去に大きな病気を患っていたこともあって、飲まないようにしています。さすがに会社の飲み会で何か起きたら…と不安すぎて」
正直に心の内を話せば、小さくうなってから視線を俺に向けて。
「……そっか。じゃあ、予め上の方に伝えておくか。なんてーの? うちの飲み会はそういうんじゃないけど、アルハラ? 飲め飲め! って無理矢理とかは、お互いに楽しく過ごせないでしょう?」
そう言ってから、ふんわりと微笑んだ。
「…ありがとうございます。本当は飲むべきなんでしょうけど、命あって…なんで、ご理解していただけるとありがたいです」
ちょっと丁寧にそういえば、プッとふき出してこぶしを口にあてながら。
「ご理解…っっ」
肩を震わせて、声を殺しつつ笑っていた。
この期間でいろんな水無瀬さんを見てきて、この人のいろんな面を知れた…と思っている。
笑いのツボが浅そう。それと、俺の字がキレイと言いながらも、水無瀬さんの方がめちゃくちゃ綺麗な文字を書く。でも、POPを作る時には、別の文字を書く器用な面がある。
ちなみに俺がここで頻繁に見ていたPOPは、ほぼ水無瀬さんが担当していたものだったことが判明。
キャラ違くない? と思えるような、いろんなバリエーションのものが、たった一人の作品だったなんて。
イラストの勉強とかはしていないみたいなのに、模写がものすごく上手い。かなり細かいとこまで描きこんでくる。それと、デフォルメしたものも上手かった。
そこまで水無瀬さんってこんな人! とイメージを決めていたわけじゃなかったけど、いざ付き合ってみると振り幅がすごいなと思える面白い人だ。
焼き鳥は塩派。ランニング以外にカフェめぐりが趣味なのは聞いていたけど、某有名カフェデビューはしていない。
どうして? 聞けばと、「容器の大きさの言い方から始まって、なんか呪文みたいに思えて。だから普通のカフェいって、普通にコーヒー頼む方が楽。デビューはしなくても生きられる! でも、そこのコーヒーとかもらったことがあるけど、好きな味が多い」とか、意外な話が出てきたっけ。
なんかの呪文って、何を入れて何を抜くとかその辺の話だろうか。
見た目からいって、その手のカフェでコーヒー飲みながら仕事してっぽい姿とか、めちゃくちゃ様になっていそうなのに。…もったいない。
それと、俺が本屋めぐりが趣味だと伝えたら、本屋とカフェが一緒になっているところは結構あるから、一緒に行こうよなんて言われたのを、他の仕事仲間に伝えた時の話が記憶に新しい。
「あの人ね、そういう一緒にーーっていうの…挨拶みたいにいうから、本気にしない方がいいわよ」
って言われたんだよね。まるで忠告のようなそれに、わずかな期間で見てきた水無瀬さんのイメージと重ならなくて。
それなりに人付き合いがよさそうに見えているのに、実はそこまで人と深くかかわらないのかな? 俺もその中の一人になってしまうのかな? と、どこかガッカリした気がする。
「一緒に行けたらいいな、俺は」
そう返した俺に「期待してなきゃ、逆に誘われるかもしれないわよ」なんて返されて、乾いた笑いしか返せなかったっけ。
目の前で声を殺して笑っている水無瀬さんには、まだまだ俺が知らない水無瀬さんがいるんだろうな。
病院の中という閉塞的な空間の中で、限られた人としか関われないのが日常だったあの頃。
人をもっと知りたいと思っていたし、出会える環境に飛びこみたいとも思っていた。
最終的に接客業におさまったけど、初めての職場がここでよかったなと思っている。
いいところしか見えていないのかもしれないから、そう考えつくんだろうけど。付き合いが長かろうが短かろうが、縁は切れる時は切れてしまうし、つながっている時は一時的に離れることがあったってちゃんとギリギリのところでつながりは切れないって聞いたことがある。
出来ればこのままここでいろんな縁をつなげていきたいなと思うけど、こればっかりは自分だけがよけりゃいいわけじゃないってことくらい知っている。
一方通行じゃ、ただの押しつけになってしまう。そんな関係は、俺が望む形じゃない。
交友関係が極端に狭くて、社会のいろんな厳しさをまだ知らなすぎるゆえの戯言だってわかってるさ。
「その飲み会があったら、俺が横で牽制してあげよっか。俺、酒は強い方だし」
この言葉だって、もしかしたらその場になってみたら反故にされるかもしれない。
「その時はよろしくお願いしますね」
言いながら、どこかで叶わないかもなと諦めも持ちつつ。
休憩室を出ていく水無瀬さんを、ドアが閉まるまで見送る。
他の人から聞くいろんな話を総合すれば、深くなく浅くもなく…なのかもしれない。水無瀬さんの人間関係は。
その一部に、俺が新しく存在して……。
(…ると、いいんだけどな。一緒にカフェと本屋めぐりが出来る機会があれば…)
期待をし過ぎると、願いが叶わなかった時が切ない。病気と闘っていた時に散々味わった、それ。
人付き合いの中でも、そういうことはいくらでもあるんだろうな。
新しい世界に飛び込んで、いろんなことを知って、体験して、一喜一憂して。
(俺はこれからどんなことを学んでいくのかな)
複雑な気持ちが、胸の奥で小さく芽を出した気がするけど、それが花咲くのか何もなかったかのように枯れていくのか。
なにもかも、自分次第だ。
「……飲み会、かぁ」
明日は、月一回の通院日。
念のため、担当医に確かめてみようかな。最初にいっぱいくらいは、みんなと乾杯をしてみたい。
試用期間終了まで、あと五日。
パンの最後の一口を放り込み、ペットボトルのカフェオレで飲み込む。
「さて…と。ロッカーに飲み物戻してから、店に戻るか…」
テーブルを軽く拭いて、休憩室を出る。ロッカールームで一瞬見た鏡には、口角にパンかすをつけた俺がいた。
「…ちょ。もしかして、この顔でずっと話してたの? 俺」
確かめにくい事実を胸に秘め、店内へと戻っていく。
レジで接客をしていた水無瀬さんと一瞬目が合った気がして、もうパンかすはついていないのに袖で口元を拭って目をそらした。
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