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6「幽霊はにおいまでは、うそ、つけねーよ」

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 とっさだった。
 ぼくは飛び出して、桃香ちゃんに向かっていた楽譜を叩き落とした。
 楽譜はすぐに力を失って床にバラバラと落ちていく。

 心臓がバクバクしている。息が苦しい。
 怖いのか、緊張なのか、ううん、多分どっちもだ。

「っ……は、はぁ……っ、だ、だいじょうぶ、桃香ちゃん……⁉︎」
「う、うん。わかばくんのおかげ……!」
「そ、っか。良かった……って、琥珀くん!」

 ホッと息をついて、部屋の状態を確認しようとしたぼくは思わずさけんだ。
 琥珀くんが倒れてる!

「琥珀くん、大丈夫⁉︎」
「ああ……ちょっと気持ち悪くなっただけだ」

 ぼくの声かけに気だるげに返事をした琥珀くん。顔色はさっきよりずっと悪い。
 だけど彼は気丈にも体を起こした。汗をぬぐって、ピアノの方を睨みつける。

「いきなりにおいがひどくなった……そいつ、悪霊になりかけてる……」
「そんな。どうして急に……」
「さあな。桃香、幽霊は何か言ってねえのか?」
「……わからないの。ピアノの音が大きくて……」

 桃香ちゃんが悔しそうに首を振る。
 ぼくはおそるおそるピアノへ目を向けた。メガネを押し上げる。
 そうすれば、ぼやけていた影がはっきりと見えてくる。

「……泣いてる……」
「泣いてる?」
「うん。女の子が泣きながら弾いてる。あと時々、すごい勢いで耳を引っ掻いてるように見える……」

 涙をボロボロ流しながら鍵盤に手を叩きつけている女の子。
 声は聞こえない。
 でも、どうして、って言ってるみたいだった。
 口の動きや表情から、何となくそんな気がするっていうだけだけど。
 それを聞いた桃香ちゃんがハッと表情を変えた。

「もしかして、耳が聴こえてないのかも……」
「耳が?」
「うん。これは茜くんの受け売りなんだけどね。幽霊は長くいると色んなものを忘れやすくて……五感も消えていきやすいんだって。特に良いもの……大事な感覚や思い出が消えていくと、悪い気持ちだけが残って悪霊になりやすいんだって」
「そんな……」

 桃香ちゃんは震える手でヘッドホンを耳から外した。
 一歩、一歩、ゆっくりピアノに近づいていく。

「わかばくん。女の子は、この辺?」
「あ、えっと。イスから立ち上がってるから、もう少し前だよ」
「わかった」

 うなずいた桃香ちゃんは、女の子のすぐ側まで近づいて。そっと手をかざした。
 じわり、桃香ちゃんの手に淡い光が灯ったように見える。

「大丈夫……大丈夫だよ。もう大丈夫だから……」

 桃香ちゃんの言葉と共に光は強くなって――その光が女の子を包み込んだのは、一瞬だった。

 光が消えると同時に、女の子の顔が驚きでいっぱいになる。
 耳に触れて、ピアノに触れて――笑顔になる。
 涙をぬぐった女の子は、小さく口を動かした。
 ぼくには聞こえないけど……「ありがとう」と言ってるみたいだった。
 ぼくは茜くんの言葉を思い出した。

『幽霊に感覚を与える人……それでゴースト・ギバー』

 今、桃香ちゃんは女の子の幽霊に聴覚を与えてあげたんだろう。

 くるりと背を向けた女の子は、ピアノに戻って腰かける。
 くしゃくしゃになった楽譜を、大切そうに広げて。
 それからスッと手を伸ばして、鍵盤に手を添えた。
 今までの激しい音じゃない。明るくて、優しい音が聞こえてくる。
 目を閉じながら音を奏でる女の子は、楽しそうだった。

 ……でも、さっきも急に様子が変わったから、ぼくはどこかで半信半疑だ。
 もう、大丈夫なんだろうか。本当に?

「大丈夫だ」

 ぼくの疑問を読み取って答えたのは、琥珀くんだった。
 琥珀くんはしんどそうに汗をぬぐって、息をつく。

「においが良くなった。幽霊はにおいまでは、うそ、つけねーよ」
「そっか……。よかった。あ、琥珀くんは大丈夫……?」
「ああ。別にケガはしてないから」

 苦笑した琥珀くん。
 それから琥珀くんは、桃香ちゃんの頭に手を置いた。
 ぐりぐり。少し力を込めてなで回す。桃香ちゃんの小さい頭がぐらぐら揺れる。

「わ、わっ」
「桃香もありがとうな。でもムリすんなよ」
「う、うん! 二人とも無事で良かった」
「あの、ぼくからもありがとう……。桃香ちゃんがいなかったら、ぼく……」
「それはももかのセリフだよ!」

 力強く言った桃香ちゃんは、ぼくの手をぎゅっと握った。
 うわ。ち、近い近い! こういうのは慣れないよ!

「ピアノの音にかき消されて、あの子の声はぜんぜん聞こえなかったもん。わかばくんがいなきゃ、何もわからなかったよ」
「そんな、ぼくは見たままを言っただけで……」
「……今回何もできなかったのはオレだよ」

 ぽつりと琥珀くんがつぶやいた。
 少しだけ気まずそうに、唇をとがらせて。

「助けてくれて……ありがと、な」
「そんなこと! 琥珀くんがにおいで判別してくれて、助かったよ。ぼくじゃ見たままのことしかわからないから……きっと演技されてたらわからないよ」
「何だよ。オレがありがとうって言ってんだから、素直に受け取れって」
「でもぼくも本当の気持ちで」
「……ぷっ」

 言い合っているぼくらを見て、桃香ちゃんが笑う。
 そんな桃香ちゃんの様子に、ぼくと琥珀くんも顔を見合わせて。
 なんだかおかしくなって、三人そろって笑い転げてしまった。

 女の子の幽霊も、それをどこか楽しそうに見ていて。
 優しい、温かい音が、ぼくらをフワフワと包んでいた。


 ……あれ。でも待って。
 そういえばぼく、自分がポンコツだって証明するんじゃなかったっけ?

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