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あれで付き合ってないの?(本編)
25. 二度目の入院
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ここは、どこなんだろう。
水の、中……? 空の、上……?
それとも……?
身体がふわふわとしてて、地面を踏みしめている感覚がない。
頭もボーッとして、靄がかかっていて、途切れ途切れに映像のようなものが流れてくるけど、それが何なのか判別が出来ない。
痛くもないし、苦しくもない。
もしかして、ここは、そういうところなのかも知れない。
それなら、あれが最後だったのなら、本当の気持ちだけでも伝えればよかった……。
言い合いしたのが、最後だなんて……。
蒼人の笑顔が脳裏に浮かんできて、胸が苦しくなる。
ごめんな、蒼人──。
一筋流れ落ちた涙とともに、僅かに戻った意識も、再び混濁の中に飲み込まれていった。
再び意識が浮上してきたのは、全く聞こえなかったはずの音が、耳に僅かに届いたから。
ううん。相変わらず、他の音は聞こえない。ただ、この声だけはおれに届く。
大好きな人の、声だから。
心地よい声に誘われ、ゆっくりと目を開けると、やっぱり目の前には『おれの唯一』が、いた。
「気分は、どうだ?」
心配そうに問いかけながら、蒼人はおれの頭を優しく撫でる。
いつもの、蒼人だ。あの時の電話の向こう側から聞こえた声とは違う。
優しくて、おれを大切に思ってくれている声だ。
「ん……。こ……こ……」
返事をしようと声を出してみたけど、思うように出てこない。喉が張り付いたように違和感がある。
それならばと、身体を起こしてみようと思ったけど、身体も思うように動かない。
「無理するな。まだ薬が完全に切れていないんだろう」
薬……?
声が出ないから、僅かに首を傾げ、目で問いかけた。
「心配するな。身体を休めるためのものとか、あとは栄養剤だ」
まだ記憶が曖昧で、自分の身に何が起きていたのか、思い出せない。
学校にいたはずなんだけど……。
「うっ……」
思い出そうとしたら、頭がズキリと痛んだ。
「無理するなと言ってるだろう? 今はゆっくり休んで、体調を万全にすることが優先だ」
蒼人はおれが安心するように、極力優しい声で言いながら、ゆっくりと何度も頭を撫でてくれた。
そのまま再びウトウトと眠りにつき、次に目を覚ましたのは、窓の外がすっかり暗くなってからだった。
今度は起きられるかな……と、ゆっくりと身体を起こしてみた。大丈夫だ、普通に起きられる。
手をグーパーしてみたり、身体を捻ったりしてみる。
そして、ゆっくりと口を開いて、声を出してみた。
「あーあー」
声も大丈夫そうだ。ちょっと引っかかりはあるものの、普通に話せそうだ。
んんっと、咳払いをし、もう一度声を出す。
「……あお、と。……蒼人、いる……?」
蒼人はまだ近くにいることを確信して、名を呼んでみた。蒼人の匂いがまだ残っているから、帰ってはいないはずだ。
その呼びかけに応えるように、病室のドアが開いた。
「ああ、起きたか。ゼリーとか買ってきたけど、何か食べられそうか?」
ビニール袋を下げた蒼人は、ベッド横のテーブルへ、ゼリーやヨーグルトプリンなど、軽く食べられそうなものを並べていった。
「先生に確認してあるから大丈夫。明日からは病院で食事が出るから」
「ん、ありがと。……ゼリー、食べる」
恐る恐る声を出しているから、少しカタコト気味だけど、普通に話せてるようだ。
そんなおれを見て蒼人はうんと頷いて、ゼリーを自分の手元に持っていくと、すぐ食べられるように準備をした。そして、あーんと言いながらおれの口へとゼリーを運んだ。
ゼリーを食べ終わる頃、今まで気にならなかった肩の違和感を感じた。
ん? って思って手を当てると、ズキッと痛みが走った。
……っ!
思わず顔をしかめると、蒼人の表情が一気に険しくなった。
「くそっ……」
おれから顔を背けて、聞こえないように舌打ちをしたんだろうけど、しっかりと聞こえてしまった。
いつも穏やかな蒼人が、こんな態度をとるのは珍しい。
それに、この肩の痛みはいったい……。
もう一度そっと触れる。今度は、病院着の中まで手を潜らせると、肩のあたりにガーゼのようなものがあてられていた。
おれ自身は何があったのか全く覚えていないが、この態度からすると、蒼人は知っているんだろうなと思う。聞いたところで、教えてくれるかはわからないけど。
「なぁ、蒼人……。何があったか教えてくれるか?」
しっかりと背を向けてしまった蒼人の背中に向かって話しかける。
大丈夫だとか、何もなかったとか、流石に言えないだろう。
言い辛いことなのかも知れないけど、おれには知る権利がある。
「おれ……。お前に隠し事されるの、嫌なんだ……」
この肩の痛みの原因の話だけじゃない。どうして休学したのとか、婚約したこととか、聞きたいことはたくさんある。
でも蒼人は、きっと……おれのためだと思って、全部隠してきた。大丈夫だからといって、伝えようとしてくれなかった。
努めて冷静でいるように頑張ってみるけど、段々と声が震えてしまう。
「……麻琴を、傷付けるなんて……許されることじゃない。……おれは、あいつを許さない──」
おれに背を向けたままで、ブツブツとほとんど聞き取れないような声でつぶやく。
この前の喫茶店の事件で、蒼人の過保護は増した。本当はずっと側にいて守りたいと思ってくれていると思う。
でも、事情があっておれから離れて生活しなくちゃならなくて、蒼人の中での葛藤は相当なものだったんじゃないかな。
それなのに、おれはまた事件に巻き込まれちゃったのか……。
頭でも強く打ったとか、何かあったのかも知れない。学校での記憶が途中から白い幕で隠されたみたいに、見えてこない。
すべてを思い出して、蒼人が自分を責めることはないんだって言ってやりたいのに、ごめんな、思い出せないんだ。
蒼人との関係をずっと兄弟のようなものだと信じて疑わなかった。
この感情も、家族へ向ける敬愛の印だと思っていた。
でも、それは違っていたんだな。……いや、違ってはいない。それ以上の感情だったってこと。
いつもそばにいるのは蒼人で、それがとても心地よくて安心して。
蒼人のことが好きだと自覚する前から、おれは無意識に蒼人を求め、側に居続けたんだと思う。
これからもずっと、一緒に並んで歩み続けるのは蒼人以外考えられないとそう思っていたのに、『婚約者』の存在は、おれの思い描いていた未来予想図を簡単に消し去ってしまった。
おれは、もうすぐ蒼人の側から離れることになるだろう。それなら最後の思い出に、おれの心の内を伝えてしまおうか。
驚くだろうな……。そんな姿を心の中で想像すると、思わず口元が緩む。
ベッドからゆっくり降りて、蒼人の背中にそっと抱きついた。おれが抱きつくと、蒼人はびくっと震えた。
とても暖かい。ずっとおれを守ってきてくれた背中だ。大きな背中に、頬擦りをする。
水の、中……? 空の、上……?
それとも……?
身体がふわふわとしてて、地面を踏みしめている感覚がない。
頭もボーッとして、靄がかかっていて、途切れ途切れに映像のようなものが流れてくるけど、それが何なのか判別が出来ない。
痛くもないし、苦しくもない。
もしかして、ここは、そういうところなのかも知れない。
それなら、あれが最後だったのなら、本当の気持ちだけでも伝えればよかった……。
言い合いしたのが、最後だなんて……。
蒼人の笑顔が脳裏に浮かんできて、胸が苦しくなる。
ごめんな、蒼人──。
一筋流れ落ちた涙とともに、僅かに戻った意識も、再び混濁の中に飲み込まれていった。
再び意識が浮上してきたのは、全く聞こえなかったはずの音が、耳に僅かに届いたから。
ううん。相変わらず、他の音は聞こえない。ただ、この声だけはおれに届く。
大好きな人の、声だから。
心地よい声に誘われ、ゆっくりと目を開けると、やっぱり目の前には『おれの唯一』が、いた。
「気分は、どうだ?」
心配そうに問いかけながら、蒼人はおれの頭を優しく撫でる。
いつもの、蒼人だ。あの時の電話の向こう側から聞こえた声とは違う。
優しくて、おれを大切に思ってくれている声だ。
「ん……。こ……こ……」
返事をしようと声を出してみたけど、思うように出てこない。喉が張り付いたように違和感がある。
それならばと、身体を起こしてみようと思ったけど、身体も思うように動かない。
「無理するな。まだ薬が完全に切れていないんだろう」
薬……?
声が出ないから、僅かに首を傾げ、目で問いかけた。
「心配するな。身体を休めるためのものとか、あとは栄養剤だ」
まだ記憶が曖昧で、自分の身に何が起きていたのか、思い出せない。
学校にいたはずなんだけど……。
「うっ……」
思い出そうとしたら、頭がズキリと痛んだ。
「無理するなと言ってるだろう? 今はゆっくり休んで、体調を万全にすることが優先だ」
蒼人はおれが安心するように、極力優しい声で言いながら、ゆっくりと何度も頭を撫でてくれた。
そのまま再びウトウトと眠りにつき、次に目を覚ましたのは、窓の外がすっかり暗くなってからだった。
今度は起きられるかな……と、ゆっくりと身体を起こしてみた。大丈夫だ、普通に起きられる。
手をグーパーしてみたり、身体を捻ったりしてみる。
そして、ゆっくりと口を開いて、声を出してみた。
「あーあー」
声も大丈夫そうだ。ちょっと引っかかりはあるものの、普通に話せそうだ。
んんっと、咳払いをし、もう一度声を出す。
「……あお、と。……蒼人、いる……?」
蒼人はまだ近くにいることを確信して、名を呼んでみた。蒼人の匂いがまだ残っているから、帰ってはいないはずだ。
その呼びかけに応えるように、病室のドアが開いた。
「ああ、起きたか。ゼリーとか買ってきたけど、何か食べられそうか?」
ビニール袋を下げた蒼人は、ベッド横のテーブルへ、ゼリーやヨーグルトプリンなど、軽く食べられそうなものを並べていった。
「先生に確認してあるから大丈夫。明日からは病院で食事が出るから」
「ん、ありがと。……ゼリー、食べる」
恐る恐る声を出しているから、少しカタコト気味だけど、普通に話せてるようだ。
そんなおれを見て蒼人はうんと頷いて、ゼリーを自分の手元に持っていくと、すぐ食べられるように準備をした。そして、あーんと言いながらおれの口へとゼリーを運んだ。
ゼリーを食べ終わる頃、今まで気にならなかった肩の違和感を感じた。
ん? って思って手を当てると、ズキッと痛みが走った。
……っ!
思わず顔をしかめると、蒼人の表情が一気に険しくなった。
「くそっ……」
おれから顔を背けて、聞こえないように舌打ちをしたんだろうけど、しっかりと聞こえてしまった。
いつも穏やかな蒼人が、こんな態度をとるのは珍しい。
それに、この肩の痛みはいったい……。
もう一度そっと触れる。今度は、病院着の中まで手を潜らせると、肩のあたりにガーゼのようなものがあてられていた。
おれ自身は何があったのか全く覚えていないが、この態度からすると、蒼人は知っているんだろうなと思う。聞いたところで、教えてくれるかはわからないけど。
「なぁ、蒼人……。何があったか教えてくれるか?」
しっかりと背を向けてしまった蒼人の背中に向かって話しかける。
大丈夫だとか、何もなかったとか、流石に言えないだろう。
言い辛いことなのかも知れないけど、おれには知る権利がある。
「おれ……。お前に隠し事されるの、嫌なんだ……」
この肩の痛みの原因の話だけじゃない。どうして休学したのとか、婚約したこととか、聞きたいことはたくさんある。
でも蒼人は、きっと……おれのためだと思って、全部隠してきた。大丈夫だからといって、伝えようとしてくれなかった。
努めて冷静でいるように頑張ってみるけど、段々と声が震えてしまう。
「……麻琴を、傷付けるなんて……許されることじゃない。……おれは、あいつを許さない──」
おれに背を向けたままで、ブツブツとほとんど聞き取れないような声でつぶやく。
この前の喫茶店の事件で、蒼人の過保護は増した。本当はずっと側にいて守りたいと思ってくれていると思う。
でも、事情があっておれから離れて生活しなくちゃならなくて、蒼人の中での葛藤は相当なものだったんじゃないかな。
それなのに、おれはまた事件に巻き込まれちゃったのか……。
頭でも強く打ったとか、何かあったのかも知れない。学校での記憶が途中から白い幕で隠されたみたいに、見えてこない。
すべてを思い出して、蒼人が自分を責めることはないんだって言ってやりたいのに、ごめんな、思い出せないんだ。
蒼人との関係をずっと兄弟のようなものだと信じて疑わなかった。
この感情も、家族へ向ける敬愛の印だと思っていた。
でも、それは違っていたんだな。……いや、違ってはいない。それ以上の感情だったってこと。
いつもそばにいるのは蒼人で、それがとても心地よくて安心して。
蒼人のことが好きだと自覚する前から、おれは無意識に蒼人を求め、側に居続けたんだと思う。
これからもずっと、一緒に並んで歩み続けるのは蒼人以外考えられないとそう思っていたのに、『婚約者』の存在は、おれの思い描いていた未来予想図を簡単に消し去ってしまった。
おれは、もうすぐ蒼人の側から離れることになるだろう。それなら最後の思い出に、おれの心の内を伝えてしまおうか。
驚くだろうな……。そんな姿を心の中で想像すると、思わず口元が緩む。
ベッドからゆっくり降りて、蒼人の背中にそっと抱きついた。おれが抱きつくと、蒼人はびくっと震えた。
とても暖かい。ずっとおれを守ってきてくれた背中だ。大きな背中に、頬擦りをする。
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