上 下
24 / 62
あれで付き合ってないの?(本編)

24. 社会科の先生のヒート

しおりを挟む
 それからしばらくして、飯田いいだくんがだんだん休みがちになっていった。
 蒼人あおとに続いて、結婚の準備が本格的になってきたんだろう。
 前ならスマホで連絡したり出来たけど、今は連絡するすべがない。それを言い訳に、飯田くんが休んだ日は、正直ちょっとだけホッとした。
 仲の良い友達であることは変わらないけど、どうしても蒼人と飯田くんの事を、知りもしないくせに色々と考えてしまう。

 ポツポツと休みがちだった飯田くんが、先週の水曜日から一週間まとまった休みを取っていた。
 おそらくヒートだったんだと思う。休みに入る前に、少し香っていた気がするから。
 友達でもデリケートな話だから、面と向かって聞けるわけでもなく、おれの憶測なんだけど。

 その休み明けの飯田くんから話があるからと呼び出された。
 教室では出来ない話だから、放課後、人気の少ない第二校舎の空き教室で待っていると言われた。

 いよいよ、その時が来たのかな。
 でも、蒼人はどうしたんだろう。てっきり、二人揃っておれに『引導を引き渡す』のかと思っていた。
 いや、二人にとってはそんな事ではないのかもしれないけど、蒼人への気持ちを自覚したおれにとっては、まさにその言葉がふさわしい。

 重い足を引きずるように、第二校舎の二階の一番奥まった空き教室へとたどり着いた。
 その隣の教室に違和感があるなと目を向けたら、どうやら前にはなかった、オメガのセーフティールームにリフォームされていた。
 セーフティールームは急なヒートになった生徒を守るために、校内に何か所か作られていて、匂いも完全にシャットアウトし、オメガ以外入れないようなシステムになっている。

 ただ、こんな奥まったところに作っても、使う機会はあるのだろうか?……そう思いながら指示された教室の扉を開けると、中には誰もいなかった。
 あれ? ……と、時計を確認するも、指定された時間を少し過ぎていた。ここに向かうのは気が重く、約束の時間を少し過ぎてしまったらしい。
 なのに、まだ飯田くんは来ていない。何かあったのだろうかと心配になるけれど、まだ少し時間が過ぎただけなので、このまま教室内で待つことにした。

 程なくして、ドタバタと階段を駆け上がってくる足音がした。なんだろうと気になって教室の外に出ると、悲鳴にも似た声がする。

 「っ! い、いやだっ! ……くる、なっ!」

 誰かから逃げているのだろうか。息を切らしながらやっとやっとで階段を登ってきたのは、社会科の夏丘なつおか先生だった。
 泣き声に近い叫びとともに漂ってきたのは、ミントのような爽やかな香り。

「夏丘先生!!」

 慌てて先生に近寄り腕を掴む。そんなおれに気付いて顔を上げると、走ってきたからではない、明らかに違った頬の赤みと、苦しそうに大きく息をする先生。
 近付くとよく分かる、これはヒートだ。でも何故? 先生はベータだったはず。

 困惑してしばらく動きを止めていると、先生を追いかけてきただろう人物が現れた。
 そこにいたのは、おれのよく知る人物。
 でも、どう見ても様子がおかしい。フーフーと粗く息をしている。
 いつもの優しい目は見る影もなく、獰猛な獲物を狙う獣と化していた。

佐久さくくん!」

 先生を背後に庇いながら、佐久くんに声を掛ける。

「オメガ……オメガ……」

 瞳孔は開き、焦点は定まらずに、フラフラしながら近付いてくる。

「佐久くん! しっかりして! ……だれか、誰か来て!!」

 どれだけ声を張り上げても、佐久くんには届かない。
 周りに助けを求めたくても、誰もいない。
 ここは、めったに人の来ない、第二校舎の二階の奥まった場所だ。
 それを理解した途端、一気に体が震えた。
 このままだと、先生が危ない。
 どうにかしなければと、あれこれ思考を張り巡らせた。

 そうだ!
 すぐ隣にセーフティールームがあるじゃないか。そこへ逃げ込めば良い。
 夏丘先生はヒートを起こしているから、認証が通るはず。
 急いで先生の腕を掴んで方向を変えて、セーフティールームに走り出そうとした。

 ……なのに、先生は立ち止まったままそこから動かなかった。

「先生! 何してるんですか! 逃げますよ!」

 ぐいっと引っ張るけど、やはり動かない。
 どうしたのかと振り返って先生を見ると、佐久くんと同じで焦点が定まってない。
 ヒートが悪化している!!
 そのために、オメガの本能が『佐久星司アルファ』を求めて、フラフラと引き寄せられるように近付こうと一歩踏み出したのだ。

「ちょっと待って、先生! そっちはダメ!」

 力のかぎり引っ張るけど、びくともしない。どうしよう。 
 軽くパニックになっていると、おれ自身もなにか様子がおかしい。
 喫茶店で感じたような急激な変化ではないけれど、じわじわと身体が熱くなってきた。

 ……まさか、ヒート!?

 アルファのフェロモンやヒート中のオメガのフェロモンの影響を受けて、他のオメガもヒートを誘発されることがあるらしい。

 やばい。どんどん熱くなるし、呼吸も苦しくなってきた。
 ハァハァと短く息を繰り返す。
 おれまで自我を失ってしまったら、この場が地獄絵図になるのは目に見えている。
 どうしよう。どうしたらいい……?

 意識が徐々に朦朧としていく中で、必死に考える。……でも、もう何がなんだかぐちゃぐちゃで、思考なんてまとまらなくなってきた。

 もう、いいじゃん……。アルファとオメガなんだしさ、自然の流れに任せよう──?

 脳内で、悪魔のささやきが聞こえる。
 そうだね。身を任せちゃえばいいんだ。抗う必要なんてないんだよ……。
 頭の中の靄がどんどん増えてきて、おれから思考能力を奪っていく。

 でも……せめて、先生だけでも……。

 僅かな意識の中、振り返って庇うように先生に抱きついた。

 蒼人、ごめん……。

 思考を放棄しようとしたその時、頭の中に浮かんできた蒼人の笑顔に、おれは無意識に謝った。



 ──ガリッ



 背を向け先生に抱きついたのとほぼ同時に、強烈な痛みが走る。

 うっ……。

 意識を失いかけているおれでは、何が起きたのか理解が出来ない。

 自分の身体が自分のものじゃないみたいに、全く動かせない。
 目は開けているのに、何も見えない。耳からは、音が何も拾えない。
 さっき感じた痛みも、今はもう何も感じない。

 何も分からないまま、おれの思考は完全に停止した──。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

初夜の翌朝失踪する受けの話

春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…? タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。 歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け

運命の番はいないと診断されたのに、なんですかこの状況は!?

わさび
BL
運命の番はいないはずだった。 なのに、なんでこんなことに...!?

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛する人が妊娠させたのは、私の親友だった。

杉本凪咲
恋愛
愛する人が妊娠させたのは、私の親友だった。 驚き悲しみに暮れる……そう演技をした私はこっそりと微笑を浮かべる。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

処理中です...