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過ぎる記憶
しおりを挟む俺は直ぐに何かの言葉を返すことができず、ただ、力を込めて手を握っていた。
「俺は元々陸軍に所属していたことは話していたか?」
「う、うん……」
確か、初めて会った時だったな。
クリスの激重案件に首を突っ込みかけてしまったんだ。
……そうか、あの話か。
「俺は助けを求める目をした人間を何人も撃ってきた。そのうち、人と目を合わすことも出来なくなるほどにな」
クリスは感情のない目で虚空を見つめると、目を閉じた。
「脳裏に焼きつくあの光景…ユウトにもあるだろう。
楽しいことでも、辛いことでも、強い感情の揺れが伴った記憶が、頭にこびりつく」
玄関先でクリスを見つけた時に澄んでいたあの瞳は、濁った水の様に沈んでしまっている。
「俺は、靄がかかった人間たちの顔がいくつも浮かぶ…いや、それしか浮かばないんだ」
「……ッ!」
本当は、今直ぐにでも、クリスをこの両腕で抱きしめたかった。
彼の身体はそこにあるはずなのに、誰よりも屈強な筈なのに…抱きしめないと消えてしまいそうだったんだ。
でも、怪我のことを思うと、どうしても触れられない。
そんな俺のことをどう思ったのか、クリスは自嘲気味に微笑んだ。
「俺が、恐ろしくなったか?」
聞こえたその音に、俺の中の渦巻く感情が溢れ出した。
身を乗り出してクリスの顔を両手で軽く引き寄せると、唇に優しく口付ける。
ああ、もどかしい…
これほど触れられないことに強い苛立ちを感じたことはなかった。
当のクリスは俺の突然の行動に目を白黒させている。
状況が把握できていないみたいだ。
「ユウト…?」
「ごめんクリス…怪我のことを考えると、ハグができなくて……」
「いや、そうではなく…」
ただ、この感情を表す術がこれしかないように思ったんだ。
この人は、自分のことを許すことはないだろう。
けど、そんな生き方はもう十分だ。
彼が今、自分の人生を生き始めることを、誰が咎めるんだろう。
「…今の自分のことはどう思ってる?」
「今…?」
「そう。ヒーローとして、俺や沢山の力の無い人達を助けて、それで感謝されて……そういう自分自身のこと、クリスはどう思ってる?」
クリスは今まで考えたことがなかったのか、少し考えるそぶりをしてから
目を合わせることなく、ボソッと答えた。
「…贖罪、だな」
「それだけ?…俺をここに匿って助けてくれてるのも、贖罪?」
俺の言葉を理解すると、クリスは目を見開き、俺を見てきた。
「ヒーローをやってる理由はそれぞれだけど、罪滅ぼしの為だけにやってる様には見えなかった。誰かを救いたいって思ってるクリスのことを、誰にも責めさせない。
…それが例えクリス自身であっても」
クリスは何かを話そうとして、声にならず口を閉じる。
「クリス、俺には過去の事は分からない…けど、今のクリスは凄いよ」
今度は額に優しく口付ける。
「俺は…」
「皆言わないだけで、そう思ってる。…自分を責め続けるのは、苦しいよ」
目を合わせたクリスの瞳には、純粋で綺麗な膜が張っていた。
「いつもありがとう、クリス」
優しく語りかけるように微笑むと、微かに震えるその髪を撫でる。
クリスは、瞬きもせず俺を見つめていた。
…そのうち、俺の頭の熱が引いていく。
(お、俺…とんでもないことをしでかしてたよな…?!)
冷静になった俺は、素早く身を引いた。
「…って、そんなこと俺に言われなくても、分かってるか!」
えへへ、と笑いながらクリスを見ると、まだ瞬きをしていない。
ちょ、え、どこかおかしくなっちゃった…?!
俺が焦ってクリスの目の前で手をブンブンと振ると、その腕を掴まれ、引き寄せられた。
「…今、あの忌まわしい光景が見えなくなった」
「へ?」
頬に手を当てられ、上を向かされ…薄く細められたと視線が合わさった。
(か、顔近くないか…?!)
「もう、自分を貶めるのはやめよう…君に怒られたくないからな」
「そ、それはよか…っ!」
そのまま唇が重なり、息が混ざり合う。
クリスは角度を変えて数度俺の唇を啄むと、パッと顔を離した。
「お返しだ…夜も遅い、もう休んでくれ」
そう言い残して、体を横たえると、目を閉じてしまった。
俺はそれを見届けると、足早に部屋を出て、扉を閉め…
その場に蹲った。
(……はぁぁぁああああ?!)
圧倒的に自業自得なのだが、自分がやるのとやられるのではワケが違う。
呆然としながら部屋へ戻り、ベッドに潜り込んだ。
…だが。
(ね、寝られるワケがねぇぇええええ!!!)
結局、俺は一睡もできず、朝日が昇るまで自室の天井のシミを探す羽目になった。
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