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2章 新生活スタート
57 褒美と対価
しおりを挟む少し前に閉ざされた扉は、固まってしまったかの様にビクともしない。
…まさか、魔法を使われたのか?
俺自身に魔法は効かないが、物質にかけられた魔法を解くことはできない。
つまり、ここをどうにかして開けてもらわなければ、特権の交渉は出来ないわけだ。
「セシルさん、どうしたんですか?」
「えっ」
「何か怖いものでも見られたのですか」
俺は、圧をかける様に、微笑みながら静かな声で問い詰める。
"何も見てませんよね?"
意訳するとそういうことだ。
「あの、あれは…グリ「セシルさん、実は嬉しい報告があって来たのですが」…あぁ、優秀者のことかな」
そこまで畳み掛けると、漸くガチャリと鍵の開く音がした。
「失礼しますね」
「…取り乱してしまってごめんね。いやでもあれは…」
「さて、立ち話もなんですので、座りませんか?」
「あ、そうだね」
再びフリーズしてしまいそうなセシルさんを誘導しつつ、席に座るよう促す。
(まあ、あんなもの見せられたら誰でもビックリするよな)
グリフと戯れていた時の距離感を思い出すと、なんだかセシルさんが気の毒に思えてきた。
(ごめんセシルさん、何かで埋め合わせはするから…)
「セシルさん、もうご存知かもしれませんが…魔獣学で優秀者特権を取ることが出来ました。これも偏にセシルさんのご助力のおかげです」
「おめでとう!でも、それは違うよカンザキくん。教えただけで満点が取れるのなら、試験は成立しない。そうでしょう?」
「…ありがとうございます。では、そんなお言葉に甘えて。私の努力を褒めていただきたいのです…ご褒美を下さい」
「ご褒美…?」
(あれ、また変なこと言ったか?)
セシルさんは何を想像したのか、またまた顔を真っ赤に染め上げ、アタフタし始める。
前に俺が泣いてしまった時は、セシルさんに宥められたりしていた筈なのに…その時の余裕綽々な様子は、今や見る影も無くなっている。
どうやってセシルさんを正常状態に戻そうか、と思案している俺の頬にしっとりとした温かなものが押し付けられる。
「…ご褒美、だよね」
「ッ」
ちゅっ、と可愛らしいリップ音を立てて唇が離れていく。
(…ん?何が起こった?)
あのセシルさんの、唇が、俺の頬に…?
「あの、セシルさん?」
「え?もしかして足りなかった?あ、あと一回くらいなら…」
「いや、違くて。なんですか、コレ」
「え、だって君がご褒美って…」
「優秀者特権を…頂きにきました」
「………………」
その言葉の意味と、自身の衝撃的なまでの勘違いを察した彼は、ショックのあまりその場でフリーズしてしまった。
「セ、セシルさん!嬉しかったので、気を病まないで下さい!!」
「……」
「セシルさーーーーーん!起きてください」
(さっきのグリフとのじゃれあいを見てたから…?!そういうネタを意識しすぎて行動に出ちゃったのか)
数分経ってやっと復活したセシルさんは、ぎこちない身体の動きのまま、小声で話し始めた。
「今日はお引き取り願えませんか…」
「無理です」
「うう、分かったよ…何が欲しいのかな?出来ることなら叶えると、約束するよ」
「数ヶ月ほど、記憶を探す旅も兼ねて、冒険をさせて下さい」
よほど予想外の願いだったのだろう。
それを聞いたセシルさんは、思わず立ち上がった。
「え、学院を出て冒険をするの?!1人じゃ危なくて行かせられない」
「仰る通りです。ですので、マーナ…マーナガルム様とグリフォン様を借り受けたいのです」
セシルさんは意味を理解したのか、信じられないという面持ちで、溢れんばかりに目を開いていた。
「…まさか」
「旅のパーティーメンバーとして、彼らに同行いただきます」
「さ、流石のカンザキくんにでもそれは許可できないかな。両名共に、この学院の守護者でいらっしゃるから」
焦ったように言い募る姿は、学院にとって彼らが重要な役割を果たしていることを裏付けていた。
「ええ、私もあまりに突飛な提案だとは思っているのです。なので、交換条件を提示させてください」
「交換条件?」
「冒険でしか得られないもの、セシルさんの欲しいもの…その辺りを定期的にお渡しします。
私はセシルさんに、教育や寝床をお世話していただいています。それに報いることも目的です」
立ちっぱなしで話をしていたセシルさんは、ようやく落ち着いたのか、居住まいを正して椅子に座る。
「…内容によって検討しようかな」
「ありがとうございます…ただ、残念なことに私はセシルさんが持っていないモノが分からなくて。よければ、逆提案してくれませんか?」
「っ!それはいいね」
(おわっ!すごい食いついてきた)
その勢いの良さに、内心驚きでヒュン…となりつつも、平常心を装って交渉を続ける。
「いや、でも私だけの判断で利益を優先させるわけには…」
「必ず私が学院に貢献することを誓います」
「…実は守護者の両名はこの学院にいらっしゃってから、創世の使徒に関わる話をして下さらないんだ。魔王討伐の話以前の歴史書が往々にして古いのは、そのせいなんだよ」
「へぇ、そうなんですね。なんででしょうか」
「それが私達も分からないところなんだ。今は、彼らが口を開いてくれるのを、首を長くして待っている。」
「なるほど、それを聞き出して報告してくれ…そういう依頼でしょうか」
「そうなんだ。これは学院の為だけでなく、世界の遺産として遺されるべきもの。それが、この学院という施設で実現出来ないのであれば…
カンザキくん。君にお願いしたい。」
真剣な眼差しで俺を見据える。
「分かりました。マーナ達はこの学院に分体を置いていくと言ってました。有事の際には分体を通してくれ、とのことです」
「あぁ、なるほど。分体があればマーナガルム様達と通信が出来るからね…分かったよ。通知用紙を出してくれるかな?」
俺が持っていた用紙をテーブルへ出すと、ひとりでに輝き出した。
「うわ、光り出しましたよ」
「そう、この通知用紙は契約書になっていてね…気付いてた?」
「それっぽいなとは思っていましたが…本当にそうだったんですね」
「そう、今は私の魔法で契約書を書き上げた状態…ここにサインしてくれるかな?」
セシルさんの長く細い指が指し示していたのは、一番下の空欄部分。
「本来は魔力を流し込んでサインするんだけど…君の場合は手書きでね」
(なるほど、魔法を使える者同士の契約ってこんな感じなんだ。異世界って感じでいいな)
「はい、コレで契約完了。本体はこちらで預かるよ。カンザキくんには写しを渡しておくね…それで、いつ出発するのかな」
「用意が出来たら直ぐにでも…とは思うのですが」
「そっか、寂しくなるね…」
「セシルさんには本当に何から何までお世話になりました。また、報告をしに帰って来る時は、よろしくお願いします。」
「その、旅が終わったら、また学院に復学するんだよね?」
「…はい」
「それは良かった。記憶、戻るといいね。寂しくなるなぁ…」
最後に溢した言葉は、学院の校長としての発言ではなく、セシルさんのありのままの言葉だと感じた。
「ありがとうございました…皆に挨拶してこようと思います」
「うん、そうだね」
「では…ああ、セシルさん」
静かな笑みを湛えたセシルさんに近付くと、白磁のような頬に手を添える。
「な、に…ッ?!」
唇を優しく触れさせると、すぐに離れる。
「仕返しです」
また見事にフリーズしてしまったセシルさんが面白くて、思わずニッと悪い笑みを浮かべる。
…さて、セシルさんの意識が戻る前にここから退散しようか。
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