残業リーマンの異世界休暇

はちのす

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2章 新生活スタート

44 山あり谷あり

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なにかに押し潰されるような感覚。
しっとりと触れる感触は温かくて、ふわりと柔らかい。

蒸した小豆のような甘く懐かしい香りが鼻を掠める。

この香り…「饅頭?」

視界いっぱいに広がる地元名産の白い温泉饅頭。
特大饅頭を前に、日本に戻れたのかと考え始めた瞬間、ここ数日で慣れ親しんだ低い声が耳元で呟いた。


「マンジュウ…?」

「…あれ」



開き切らない瞼をこじ開けると、訝しげなマーナがぼやけた視界に映る。

しかしながら、耳はピコピコと嬉しそうに動かしているから上機嫌ではあるらしい。


「朝だぞ」


何故かマーナの胸元で、頭をホールドされていた。
筋肉質だが、力が入っていないので柔らかい胸の感触。銀糸のような艶やかな髪が肌の上を滑って落ちた。
…柔らかい饅頭って、これか。


「見事に寝惚けているな、カンザキ」

「…おはよう」

「寝言とは珍しい。して、マンジュウとはなんだ」

「う…聞き間違いじゃないか?」


眠い目を擦りながら起き上がると、マーナも後をついてベッドを出る。

マンジュウ、マンジュウと連呼しているマーナは放置して、朝ご飯の支度を始める。

説明を求められても困る。
ありもしない特大饅頭を夢に見てました、なんて普通に日本でも隠し通す。

(…自分が思っていた以上に、日本に帰りたい気持ちが強かったのか)


「そういえば、昨日はよく眠れたか?私が添い寝してやったのだ、さぞ夢見は良かったろう」

「変な夢見たのはそれのせいか…」


温泉饅頭で地元を思い出してしまって、ちょっぴりホームシックだ。

こちらの生活様式や学校も少しは慣れてはきたけど、やっぱり食文化は一向に慣れない。

醤油とか味噌とか小豆とか…そういった舌に馴染んだ味が食べられないんだ。
あれだけでもこっちの世界にあれば、ここを100倍楽しめるのに。


「…今日は早く帰って来れるのか?」

「お昼にグリフと話してこようかなと思ってる…今後のことについて。その後は薬学の特別授業があるんだ。」


マーナは返事でもするかのように緩く尻尾を振ると、服を着替え始めた。

マーナの身体はいつ見ても惚れ惚れとする。
鍛え抜かれた肉体と、頭の上の耳がアンバランスなのも魅力だ。

何をするでもなくボーッとマーナを見ていると、視線が混じり合った。

瞬間、ふと思いついたように手を止めて、控えめに俺の腕に擦り寄る。


「そんなに見るな…見るくらいなら、撫でてくれ」

「はいはい、わかったよ」


マーナはその言葉を聞くと、足取り軽く家を出て行った。

創世の聖獣とあろう者が、撫でで機嫌を左右されていいのか…
なんて今更ながら思ってしまったのは、心のうちに秘めておく事にした。





剣技クラスに着くや否や、結構な衝撃が襲ってきた。
何事かと発生源を探ると、ユルいウェーブが掛かった緑の塊が思いっきり抱きついているのが見える。


「カーンッザキ!おはよぉ」

「グリム、痛い」

「えへ、ごめぇん」


グリムは何が楽しいのか、ニヘニヘと笑いながら俺にもたれ掛かってくる。
初対面の時のあのニンマリ顔よりも大分接しやすくなったが、相変わらず何を考えているかは不明だ。


「…カンザキ、グリムとそんなに仲良かったか?」

「?ユージン、おはよう。まぁ、この前ちょっとな」

「とっても仲良しになったよぉ!」


いつの間にか背後に立っていたユージンの声色は、いつになく堅い。
グリムが煽るような声色でユージンに話しかけていることろを見ると、何やらマウントを取っているらしい。何のだ。

すると、次はユージンが俺の耳にそっと触れてくる。その面持ちは、妙に真剣だ。


「…カンザキ、ピアスつけてくれたんだな」

「ああ、ありがとう。心なしか体が軽い(…かも)」

「ピアスゥ?」


昨日は特に何も言ってこなかったのに、改めてピアスのことについて言及される。
そうするとグリムは顔をぐいっと近づけて俺の耳を観察し始めた。

あれ?今、俺の周りで何が起きてるんだ。


「ふぅん、ま、いいけどね」


少し観察したあと、グリムはサッと踵を返して机に向かっていった。
…鼻で笑ったように聞こえたのは幻聴だったに違いない。


「何なんだあれ…おい、ユージン?ユージン!」

「っ、なんか言った?」

「いや、そろそろ授業始まるぞ」

「ごめん…ボーッとしてた」


グリムの去った方をじっと見つめていたユージンは、俺の声に肩を揺らし、慌てて移動し始めた。
この前の休校日は俺が上の空だって拗ねてた癖に。

(何なんだ、本当に…)

そんな些細な朝の一幕は、昼になれば俺の頭からすっぽりと抜け落ちてしまった。
…ユージンと言う一人の人間の心に、確かな歪みを生んだことにも気が付かぬまま。




************

更新を再開するにあたり、表記揺れなどを改稿しました。
もしお時間あれば過去から読み返していただけますと、よりお楽しみいただけると存じます。
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