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第二章【悩み】
第十二話
しおりを挟む目が覚めた時、そこは自分の部屋だった。
夢から覚めたばかりの頭はまだはっきりとはせず、何か大事なことを忘れているようなそんな錯覚に捉われている。
「なんだっけ?」
目覚めた兇は、とりあえず起きようと腕に力を込めた。
途端、背中に激痛が走る。
「うっ」
苦痛に顔が歪み、起き上がりかけた体はまた布団の上に落ちた。
眩暈がする。
ガンガンと響く頭を押さえながら、暫くの間ぼんやりと天井を見つめていると、段々と意識がはっきりしてきた。
――確か学校で高円寺さんに襲われて、それで・・・・
そこまで思い出して目を瞠った。
「那々瀬さん!!」
痛みも忘れてがばりと起き上がる。
枕元にあった携帯を見つけると慌てて液晶画面を覗く。
一瞬で顔色を変え布団から飛び出すと、急いで部屋から出て行くのであった。
ストン
門に備え付けられているポストへ落ちていく音。
兇はそれを確認した後、ゆっくりとそこを見上げた。
暗く明かりの落ちた家。
人の気配はない。
しかし2階の窓の部屋に微かに気配を感じた。
いる・・・・こっちを見ている。
兇は視線をゆっくりと逸らすと、そのまま踵を返し足早にこの場を去った。
カサリ
青白い指に開かれた手紙が一枚。
精気を失った虚ろな目が、そこに書かれた文字をじっと見つめている。
手紙を受け取った女は、にたりと唇を歪ませて笑うと、低い声でうっとりと呟いた。
「うふふ、ウフ・・・・兇・・・サ、マ」
焦っていたと思う。
自分は怪我をして丸一日も眠ってしまっていた。
その間、彼女を守れなかったという事実に酷く焦った。
――その結果がこれか?
兇は今、目の前で起こっている出来事に自嘲気味に笑った。
振り上げられた鋭い爪。
己をじっと見つめる赤い瞳。
口元は悦に歪みながら不気味な声を発している。
「私ノ・・・・モノ」
女の口からそう告げられた瞬間。
ひゅんっ
空を切る鋭い音が聞こえてきた。
「キャーーーーーーーッ!!」
遠くで彼女の悲鳴が聞こえた。
ザシュッ
引き裂かれる音と錆びた鉄の臭いが同時にした。
「兇君!!」
北斗は目の前で起こった出来事に、青褪めありったけの声を上げて彼の名を叫んだ。
一昨日の昼間の光景が蘇る。
――嫌だ兇君・・・・もう、もうあんなのは!!
思った瞬間、体が勝手に動いていた。
恐怖も忘れて走り出す。
駆け出す北斗の視界の先に、宙を舞う引き裂かれた布と――
鮮血
それを視界の端で捉えながら北斗は走った。
「兇!」
がむしゃらに走って彼の元に辿り着くと、既にそこには猛が駆けつけていた。
猛は倒れた兇の肩を支えながら目の前の魅由樹を睨みつけていた。
「兇君!!」
辿り着くと倒れ込むように兇の元へ駆け寄り、猛とは反対側の肩を支えた。
「ごめん那々瀬さん」
北斗の顔を見た途端、兇は何故か申し訳なさそうに謝ってきた。
「な、何言ってるの?謝るのは私の方でしょ?そんな事より・・・この傷」
魅由樹の攻撃を避け切れなかったのであろう、兇の右腕は手首から肘の辺りまでがざっくりと切れていた。
ぼたぼたと滴り落ちる血。
北斗は兇の右腕に急いでハンカチを当てた。
ぎゅっと押さえるとじわっと血が滲んでくる。
思ったよりも深い傷に北斗は息を飲んだ。
「猛さん」
北斗は猛を振り仰ぐ。
「北斗ちゃん、兇をお願い!」
猛はそう言うと兇から離れ、二人を庇うように前に立つと目の前の女を見下ろした。
「ここからは僕が相手だよ」
にっこりと――彼特有の笑みをその顔に貼り付かせると、猛は高円寺魅由樹へと微笑んだ。
ざぁぁぁぁぁぁぁ
木々が風に煽られてざわめく。
浮かんだ月は既に空高く昇り、その細い姿を夜の闇に嵌め込んでいた。
薄暗い月明かりの下。
学校の体育館倉庫の裏では激しい攻防戦が繰り広げられていた。
「凄い・・・・・・」
北斗は目の前の光景に驚きの声を上げる
目の前にいる猛は凄まじい霊力を放ち目の前の敵を翻弄していた。
いつもの飄々とした穏やかな姿とは打って変わって荒々しいその姿に、北斗は食い入る様にその闘いに魅入っていた。
異形の姿に変貌した高円寺魅由樹の繰り出す爪の攻撃を猛はひらりひらりと身軽にかわし。
攻撃を交わしたかと思ったら敵の隙をついて反撃。
猛の力で無数に散らばった数珠の珠が魅由樹の体を攻撃し的確に相手の体力をそぎ落としていった。
「早くしないと」
無駄の無いその動きに北斗は感心しながらその戦いを見守っていると、兇の焦りの混じった声が聞こえて来た。
「え?」
その声に北斗は思わず振り返る。
そして、兇の表情を見て目を丸くした。
優位に立つ兄の闘う姿を何故か兇は不安そうな顔で見ていたからだ。
「す、鈴宮君?」
何事かと北斗が兇の顔を覗き込む。
「猛は俺と違って除霊専門なんだ」
すると、ぽつりと兇が呟いてきた。
その言葉に北斗はまたしても目を丸くする。
除霊――悪霊の存在自体を消滅させること。
以前、兇から教えてもらった言葉が脳裏に浮かんだ。
「高円寺さんは今完全に悪霊に取り込まれている。」
無言で見つめてくる北斗に肯定するように兇が補足してきた。
その言葉に北斗は思わず息を飲む。
「そ、それって……」
恐る恐る聞いてきた北斗に、兇は静かに頷いた。
それを見て北斗は愕然とした。
悪霊に体を乗っ取られている魅由樹は、ほとんど同化しているも同然。
――もし……もしそんな状態で除霊なんかしたら。
「早くしないと高円寺さんが危ない!」
北斗の考えをまるで読み取ったかのように兇がそう告げてきた。
その言葉に北斗も頷く。
そして――
ゆっくりと兇は立ち上がった。
だらりと下がった右腕。
傷口はズキズキと痛み。
止血した場所から大量に血が滲み掌を伝っていく。
満身創痍。
兇の体はボロボロだった。
数日前に受けた傷もまだ癒えてはいない。
右腕に怪我を負った時、運悪く背中の傷も開いてしまったらしい。
背中が燃える様に熱かった。
猛烈な痛みと貧血でくらりと視界が霞む。
それでも目の前の光景に、まだ自分は倒れてはいけないと足に力を込めて耐えた。
「那々瀬さんは離れていて。」
己の肩を支えてくれていた北斗に兇はそう言うと、庇うように前に出た。
「何かあったらこれをあの悪霊に向かって投げるんだ。」
そう言って北斗の手にそれを持たせると、兇は高円寺魅由樹の元へと走って行ってしまった。
「兇君!!」
北斗は手の中の小さなそれを握り締めながら心の中で願った。
どうかどうか、これ以上誰も傷つきませんように、と――
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