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0.
しおりを挟む「先生。あの子、いつもはしっこにいるのね。」
はなちゃんは、意地悪な気持ちで言ったわけではなかった。ただ、事実を言っただけ。
あの子はいつも、庭の端の方にいる。
大人から見る限りは、他の子どもたちから仲間外れにされているわけではなかった。
今も、はなちゃんに「そろそろ、おやつだから、呼んできてもらえる?」と頼むと、嫌がることもなく「はぁい!」と元気なお返事が返ってくる。
少なくともはなちゃんは、嫌っている様子はなかったし、他の子どもからも、そんな雰囲気は見て取れなかった。
どうやら、あの子は望んでその場所にいるようだ。
「先生。」
細い声がかかる。どうしたの?と屈むと「おやつ、ここでたべたくないの。」と困った顔をした、ゆきちゃんがいた。
「ここで食べたくないんだね。どうして?」
ゆきちゃんは、庭の端を指差して「あそこ」と言った。さっきまで、ゆきちゃんがいた場所だ。
はなちゃんに呼ばれておやつを受け取りに来たようだったが、あそこでないと食べたくないと言う。
「ゆきちゃん、ごめんね。せっかく手を洗ったし、外は風が強いから、お教室で食べようね。」
「じゃあ、おやついらない!」
おやつを乗せたお皿を手で払うと、泣きそうな顔で庭の端へ走っていってしまった。
泣きそう、というより歪んだ、に見えたのは、一瞬でも私がムッとしてしまったからだろう。ゆきちゃんにはゆきちゃんの思いがあるに違いないのに、私は自分の小ささに悲しくなった。
散らばったお菓子を片付けようとしゃがむ。
「ゆきちゃん、またおやついらないって?」
年配の指導員が、穏やかに話しかけてきた。
「はい。どうすればいいか…。」
「そうね。お家では好き嫌いはしないそうだし、ここでは気分が落ち着かないのかもしれないわ。」
本当に?
いや、自分よりもはるかに経験のある人に向かって、なんて失礼なことを。きっとそうに決まってる。緊張してしまって食べることができない、なんて子どもにはよくあることだった。大人にだって起こり得る。
きっとゆきちゃんは、ここでは落ち着いて食べることができないだけなのだ。
1.
ゆきちゃんがこの学童にやってきたのは、学童に隣接する小学校に入学してすぐだった。はなちゃんもゆきちゃんと同じ、一年生。
二人とも同じ時期に入ってきたからか、お互いをそれなりに意識しているようだった。
はなちゃんは明るくて活発な子。ゆきちゃんは内気で大人しい子。
二人の最初の印象は、そんなものだった。
ゆきちゃんの印象が変わり始めたのは、学童に入ってから三ヶ月たった頃だった。
狭い庭の端に、そびえ立つ樹木。大きさのせいか、他の子どもたちは気味悪がって近づかなかったその木に、ゆきちゃんはよく寄り添っていた。
はっきり言って意外だった。大人しいゆきちゃんのことだから怖がりそうなのに、と偏った目で見ていたのだ。
他の子どもたちが「一緒に遊ぼう」と誘っても、ゆきちゃんは木に寄り添ったまま動かなかった。
溶け込めていない、というよりは、木に寄り添うことを望んでいるような様子だった。
ゆきちゃんは相変わらず大人しい子ではあったが、自己主張が出来ないわけではなかったし、そこからゆきちゃんの印象は内気で大人しい子から、不思議な子に変わった。
九月になった今でも、ゆきちゃんはその木にそっと寄り添っている。冬になったらどうする気だろうか。風邪をひいてしまう。
私は、そんな呑気なことを考えていた。
今日もゆきちゃんがおやつを食べなかった旨を連絡帳に書いていると、はなちゃんが少し遠慮がちに話しかけてきた。
「どうしたの?」
「あのね、今日ゆきちゃんとがっこうで、おはなししたの。」
たしか、はなちゃんとゆきちゃんは同じクラスだったはずだ。クラスでは、他の子どもと話しているのだろうか。
「どんなお話をしたの?」
「ゆきちゃん、あの木がお友だちなんだって。」
「お友だち?」
「うん。だからね、先生。ゆきちゃんきっとね。お友だちと、おやつがたべたかったんだよ。」
はなちゃんが優しい子なのは良いことだったが、まさか木がお友だちとは。
はなちゃんの作り話だろう。ゆきちゃんを心配したはなちゃんが、お話を思いついたのだ。
「そうなんだね。先生もお友だちのこと聞きたいから、ゆきちゃんに聞いてみるね。」
「だめ!!」
はなちゃんは、大きな声でそう言った。
やっぱり作り話だろう。ゆきちゃん本人に聞けば、作り話なことがバレてしまう。
可愛らしい優しい心遣いだったが、どんなことでも嘘はいけない。
これから先、はなちゃんが嘘をずるいことに使ってしまうかもしれないし、ゆきちゃんだけ別のところでおやつを食べることを許可してしまったら、それこそ、ゆきちゃんが他の子どもたちから冷たい目で見られてしまうかもしれない。
どんな理由であれ、特別扱いと取られることを私にはできなかった。しかし。
「先生あのね。ゆきちゃんに、だれにもいわないでって。ないしょって、いわれたの。だからね。」
はなちゃんがあまりにも青い顔で言うものだから、その場で嘘はいけないと諭すことはできなかった。
「大丈夫、はなちゃん、大丈夫だから。」
そう言いながら背中をさすってやると、少しばかり落ち着いたようだった。
「先生、ないしょだよ。わたしがいったって、いっちゃダメだよ。」
「大丈夫だよ。先生、内緒にする。」
思えば、はなちゃんがこんなに慌てた様子を見せたのは、これが初めてだった。お母さんのお迎えが遅れた日も、学童にいるうちに急に大雨が降ってきても、ぐずる様子もなく、慌てず、いつもにこにことしていた。
それが、こんなに慌てるとは。
きっとおかしいと気付くべきだった。
「はなちゃん、ゆきちゃんと仲良くなったのね。」
私の認識なんて、そんなものだった。
せっかく仲良くなれたのに、と築きあげたものが崩れてしまう恐怖を、幼いながら感じ取っていただけだと思っていた。
「うん。なかまにいれてってしたの。」
それは、学童の子どもたちがみんなで遊ぶときの合図だった。はなちゃんは、お友達になってほしいときの言葉として覚えているのだろう。
「そっか。どんなことして遊ぶの?」
「先生、おむかえきたよ。」
ゆきちゃんだった。どうやら、早めにお母さんがお迎えにきたらしい。
「教えてくれてありがとう、ゆきちゃん。」
帰りの準備を促すと、ゆきちゃんはもう既に靴まで履き替えていた。忘れ物もないようだ。
「先生、さようなら。」
「はい、さようなら。」
ゆきちゃんに向かって手を振ると、私の横にいたはなちゃんも、バイバイと手を振った。
ゆきちゃんは、小さく振り返した。
2.
「先生、なわとびかして!ゆきちゃんといっしょにあそぶの!」
この頃はなちゃんとゆきちゃんは、二人でよく遊ぶようになった。ゆきちゃんは相変わらず木に固執していたし、おやつはみんなと一緒に食べなかった。それでも遊ぶ相手ができて、笑顔が増えた気がする。
私は、はなちゃんに貸し出し用の遊具から、なわとびを二本渡してやった。
「ううん。先生。ひとつでいいの。」
「あれ、ゆきちゃんと一緒に遊ぶんでしょ?」
「うん。ゆうびんやさんするから、ひとつでいいの。だからおねえさん用のやつ、ひとつかして。」
はなちゃんが指さしたのは、低学年には長すぎるなわとびだった。
「ゆうびんやさん、他にも誰か誘うの?」
「ううん。」
ゆうびんやさんという遊びは、最低でも縄を回す人が二人、飛ぶ人が一人必要だった。
「…二人でするの?」
「うん。大丈夫。」
不思議に思いながら一本だけ手渡すと、はなちゃんはゆきちゃんのところへ走っていってしまった。
どうするのか見守っていると、例の木に持ち手の片方を結んで、もう片方をゆきちゃんが持った。飛ぶのは、はなちゃん。歌に合わせて一通り飛んだあと、交代して今度はゆきちゃんが飛び始めた。
なるほど、仲良く遊んでいるようだった。
二人の工夫に感心しながらも、その光景に私はなんだか違和感を感じていた。
はなちゃんの受け答えが少しおかしかったことも。
3.
「今日は、こっちでたべる。」
ゆきちゃんは突然、みんなと一緒におやつを食べると言い出したのだ。その様子をみて、年配の指導員が耳打ちする。
「ほらね、やっぱり。」
今までは緊張していただけで、はなちゃんという心の拠り所を見つけたから食べられるようになったのだと、そう言いたいのだ。
たしかにゆきちゃんは、はなちゃんの横に座っていた。二人は楽しそうにお話ししながらおやつを食べているし、その光景は微笑ましい。
しかし私は、なんとも言えない胸のざわつきを覚えた。子どもの成長が嬉しいはずなのに、こんな気持ちになるとは。
「ゆきちゃん、嬉しそうね。」
「…ええ、そうですね。」
「あら、先生寂しいの?」
「寂しい?」
私が尋ねると、年配の指導員は優しく諭すように言う。
「今まで、ゆきちゃんがゴネるのが当たり前だったから、その当たり前がなくなって、成長を感じてるの。子どもが成長するときは、いつだって少し寂しいものよ。」
その通りだ。きっと、その通りだ。
しかし、私の感じているざわつきは、おそらく寂しさとは違うものだった。それをうまく表現できるかといえば、もちろん答えは決まっていたから「ええ、そうですね。」とだけ返す。
年配の指導員はニッコリとして、子どもたちの方へ戻っていった。私を諭し満足そうにしていたあの人は、正しいことを言っていたんだと思うし、私だってそう考える。だけど。
ゆきちゃんはその日から、みんなと一緒におやつを食べるようになった。はなちゃんと一緒にいる時間に反比例して、木に寄り添う時間は減っていった。
私の中のゆきちゃんは、不思議な子から普通の子になりつつある。
少し明るくなったゆきちゃんの様子を連絡帳に書いていると、横からねぇねぇ、と声がかかった。
「先生、はなちゃんのお迎え来たよ。」
教えてくれたのは、ゆきちゃんだった。
4.
ずっとしていた嫌な予感が、当たってしまったのはこの日だった。出勤したとき、学童の前がざわついていた。
「あの、なにかあったんですか?」
先に来ていた年配の指導員に話しかける。なんだか、妙に顔色が悪い。
「えぇ、えぇ、あの、」
口の中でもごもごと言っていて、聞き取れない。目は大変に充血し、丸まった肩は震えている。そして、指さした。
「その、あれ、」
震える指の先を目で追うと、それは庭の端に佇む木を指していた。
「今、いまね、警察呼んだところなの。保護者の方に、連絡お願いできるかしら…」
瞬間。込み上がる吐き気を抑えるのに精一杯で、なんだかうまく立っていられなかった。続けて、何か喋っていたようだが、うまく聞こえなかった。
今見えているのも、夢なんじゃないか。そう思ってしまうほど、冷たい現実が目の前にあった。
木の枝に、執拗に結びつけたなわとび。
ぶら下がっていたのは、はなちゃんだった。
それから程なくして警察が来て、第一発見者だという年配の指導員は聴取を受けていた。私は落ち着かないまま、利用予定の保護者達に電話をかけていた。
まだ小学校の授業時間だというのに、どうしてはなちゃんはここにいたんだろう。どうして、よりによってあの木に。
はなちゃんがいた木は、いつもゆきちゃんが寄り添っていた木だった。せっかくお友達が出来たゆきちゃんはどうなる?
またあの木に寄り添うのだろうか。いや、あの木は切り倒されてしまうだろう。こんな事故、二度とあってはならない。そもそも事故かどうかもわからないのだから、学童がいつから再開できるか不明だ。ゆきちゃんは、どうなるんだろう。
考えているうちに、ずいぶん時間が経っていたようだった。小学校のチャイムが鳴る。帰りのチャイムだ。
はなちゃんの遺体はブルーシートに囲われたあとだったが、間違って来てしまった子どもたちがショックを受けてしまうかもしれない。
念のため学童の前でみんなを待って、帰るよう促す必要があった。私は、水を一杯勢いよく飲み干し、立ち上がった。
「ゆきちゃん。」
学童の前に出ると、ゆきちゃんがその場にじっと立っていた。ゆきちゃんの目の前にしゃがんでから、話しかける。
「ゆきちゃん、今日、学童お休みなの。」
「うん、聞いた。」
あぁ、よかった。学校にも連絡をしたから、きっとクラスの先生が説明してくれたのだろう。
それならどうして、この子は学童の前でじっとしていたのだろうか。
「もしかして、学童に忘れ物とかあったかな?」
「ううん。」
ゆきちゃんは頭を横に振る。それから私の向こうを、じっと見つめた。それは丁度、木が生えている方向だった。ゆきちゃんの視線の先は、ブルーシートがまだ設置されたままになっている。
早く、帰るように促さなくては。
「ゆきちゃん、もう聞いたかもしれないけど、今日はお母さんにもお電話したから、まっすぐお家に」
「先生、あのね。」
ポツリと話し始めたゆきちゃんは、なんだかとても暗い顔をしていた。
「あの木は、お友達なの。」
ゆきちゃんは秘密を明かすように、静かにそう言った。
確かに、はなちゃんが前にそんなことを言っていた。あれはもしかして、はなちゃんの作り話ではなく、二人で考えたものだったのだろうか。
しかし、ゆきちゃんは作り話をしているような声色ではなかった。もっともそれは、なんとなく感じただけだったが。
「…お友達?」
聞き返すと、ゆきちゃんはゆっくりと頷いた。あのね、と続ける。
「はなちゃんとばっかり、仲良くしてたから、きっとお友達、寂しかったの。だから、ごめんねってしなきゃ。」
そう言ってゆきちゃんは、そのまま木の方へ駆けていこうとした。慌ててそれを止める。
「ゆきちゃん、いま学童の中入れないの。」
「でも、いまお話ししないと。」
「ゆきちゃん、ごめんね、ダメなの。」
「でも、でも、」
ゆきちゃんは、なんだか泣きそうだった。学校の先生は、どこまで話したんだろう。顔は真っ青で、余程ショックを受けているように見える。
「ゆきちゃん、おちついて。」
なるべく優しく、背中をさすってやる。小さな背中の震えは、止まらない。私は、なるべく穏やかに尋ねた。
「どうして、今じゃないとだめなの?」
すると、ゆきちゃんは下を向いたまま口を開いた。
「聞いたの。はなちゃんの。」
やっぱり。学校の先生は、なにをやってるんだ。こんな小さな子に、そんな早急に話してしまうことでもないのに。余程、辛かっただろう。
「…つらかったね。先生に聞いたんだね。」
首を横に振った。
「木に、聞いたの。」
さっきまでの震えはどこへ行ったのか、随分はっきりとした声だった。木に聞いたとは、どういうことだろうか。強いショックから、混乱しているのだろうか。それとも。
ゆきちゃんは、ふっと顔を上げた。
私の目を真っ直ぐに見る。
「お友達がね、私と話せないから寂しい寂しいって泣くの。だからごめんねってしなきゃいけないの。これからは、一緒にいるからみんなのこと、こ」
ゆきちゃんは続けて、あ、と小さな声をあげた。
「先生、お迎え来たみたい。」
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