虹色の未来を

わだすう

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11,恋人のふり

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「おい、あれ…!」
「危ないぞ!!」

 急に周りがざわざわし始め、蓮は何事かと人々の視線の先を追う。

「!」

 人々が指差して見上げるのはシューカ街で最も高い建物…蓮のいる場所から少し先にある時計台だ。その時計部分に人がぶら下がっていた。時計台のメンテナンスや清掃をする人物らしい。吊り下げられたゴンドラが斜めになっており、そこから滑り落ちたのだろう。時計台の高さはゆうに20メートル以上あり、落ちたらひとたまりもない。

「うわあぁぁ!!」
「きゃあ?!落ちた!!」

 蓮が松葉杖を握ると同時に、人々から悲鳴があがる。かろうじて時計台につかまっていた手が離れ、落下したのだ。

「チッ…!」

 蓮は舌打ちし、右足と松葉杖を支えに踏ん張り思いきり跳んだ。間に合うかも受け止められるかも五分五分だが、無視は出来なかった。

 ギリ、いける…!

 落下地点に着地し、まだギプスのはめられた左足も地について構える。

「ぐ…っ!!」

 次の瞬間、落ちてきた男を横抱きでなんとか受け止める。だが、やはりその重さと衝撃をうまく受け流せず、左足に走った激痛をこらえる。

「…ヘーキか」
「あ…っああ…」

 腕の中の男は問いかけられ、呆然とうなずく。時計台から落下した時、数秒後の痛みを、いや、死すら覚悟していたのに、何故か目を開けて飛び込んできたのはかわいらしい少年の顔。訳がわからず、彼に助けられたと理解するまで時間がかかった。

「あ、そ」
「へぶっ?!」

 蓮は彼が無事だとわかると、ポイッと地面に落とす。そして、左足を引きずりながらその場を離れていく。

「あっ…あのっ!君は…っ」

 腰が抜けて立ち上がれない彼は、這いつくばって命の恩人の名だけでも聞こうとするが、振り向きもせずに行ってしまい、すぐに姿は見えなくなる。

「…」

 やがて落下を目撃して集まってきた人たちに口々に状態をたずねられるが、全く耳に入らなかった。







「レン!どうしたんだ?!」

 飲み物を手に戻ってきたハクロは、ひょこひょこと足を引きずって歩いてくる蓮の姿を見て驚く。左足のギプスはヒビ割れ、松葉杖も折れてしまっている。目を離した数分の間に、一体何があったのか。

「あー…別に」
「別にって…!」

 蓮は目を反らしてごまかし、訳を話す気はないらしい。ハクロはかけ寄り、怪我がないのを確かめながら乱れた蓮の服を直す。

「帰るぞ」
「レン…」

 またひょこひょこと歩いていく蓮の横顔を見つめ、浮かれていた気持ちが沈んでいく。恋人気分でいたのは自分だけで、蓮は心を開くどころか、あったことすら話してくれない。
 ハクロはグッと口を結び、蓮の前に走り出ると、背を向けてしゃがむ。

「ほら、乗って」
「あ?」
「怪我、悪化するよ」

 と、ためらっているであろう蓮を急かす。せめて、護衛として彼を背負っていきたい。

「重いぞ」

 蓮は諦めたのかふっと息を吐き、ハクロの肩に両腕をまわした。







「足は痛くないか?」
「ヘーキ」

 軽いなぁと思いながら、ハクロは蓮を背負って歩く。しっかりと身を預けてくれ、背に感じるぬくもりがやはり浮かれた気持ちにさせる。

「レン」
「あ?」
「また次、外出する時も俺が付き合うよ」
「いーのかよ。俺、外出禁止だろ」

 クソ真面目な王室護衛らしからぬ発言を、蓮は意外に思う。

「いいよ。今は非番だから」
「気が向いたら、な」
「うん、わかった」

 ハクロは微笑み、うなずく。数時間一緒に過ごしたくらいで心を開いてもらおうなんて、無理な話だ。ましてや『恋人』は面倒な奴らを追い払うための方便で、実際付き合える訳がない。だから、今だけの、恋人のふりを大切に味わおう。そう思った。

 この時の彼はまだ気づいていなかった。城に帰れば、恋人気分が終わるだけでなく、蓮のことになると話の通じない者たちがいることを。しかも、帰りの送迎車で蓮が眠ってしまい何のフォローもなく、外出禁止の蓮を勝手に街へ連れ出して負傷させた不届き者として、この世の地獄を味わわせられることを。






 翌朝。

「よぉ」

 蓮は新しい松葉杖をつき、廊下をぐったりした様子で歩くハクロに声をかける。割れていたギプスも取り替え、骨折の悪化はみられなかった。

「あ…レン…様、おはようございます!」

 黒コート姿でほほの湿布が痛々しいハクロはサッと廊下の端に寄り、片膝をつく。昨日、クラウドに鉄拳制裁され、シオンに威圧的な説教をされ、アラシにまでガッツリ厳重注意されて心身ともにズタボロだった。異世界人である蓮に関することなので、かろうじて謹慎などの処分はなく、これから勤務が入っている。

「…昨日、アイツらに説教されたんだってな」

 蓮はハクロの態度に少し顔をしかめた後、話を切り出す。

「わ、私は王室護衛です。己の否を認め、猛省をしなければならないのは当然のことです」
「ふーん…」
「昨日のご無礼をお許しください。申し訳ありませんでした。レン様」

 ハクロは深々と頭を下げる。現実はこんなものだ。浮かれていた昨日の自分を殴りたい。非番だろうと、望まれたことだろうと、この人と恋人のふりなどしてはならなかった。

「何で?お前、なんも悪ぃことしてねーし」
「い、いいえ!私はあなたを外出させた上…っお怪我を…」

 蓮が平然と言い、驚いて顔を上げる。

「ケガしてねーけど」
「いえ…っお怪我に、障ることを…!」
「昨日買ったヤツ、ティル…王もスゲー喜んでた」
「は…っ!それは、はい、あの…っ」

 昨日散々非難された行動を肯定され、どう反応して良いかわからない。

「んで、新しい帽子も欲しいってよ」
「えっ…」
「今度の非番はいつだ」
「あ…えっと…っ」
「また説教されてもいーなら、教えろ。じゃあな」

 にっと笑い、言うだけ言ってトントンと歩いて行ってしまう蓮をハクロは呆然と見送る。少しの会話と笑顔で、昨日の地獄のような制裁をふっ飛ばされてしまった。二度としないと猛省したことも、心身のダメージも忘れ、次の非番は来週だなと思いながら立ち上がる。そして、スキップする勢いで勤務場所へ向かった。










 数日後。シオンは蓮のためのお茶や菓子を購入し、シューカ街の大通りを歩いていた。時計台の前にさしかかり、その壁の貼り紙がふと目に入る。『探しています』と太文字で書かれ、探し人の知らせのようだ。行方不明者なら、街の警備に依頼すればいいものを…と思いながら見てみる。時計台から落下した者を身をていして助けた者がいるらしい。名乗りもせずに去ってしまったので、礼をしたいとのこと。
 その探し人の特徴を少し読んだだけで、シオンは数日前の蓮とハクロの一件を大体察した。松葉杖が折れ、ギプスが割れた理由をハクロは知らず、蓮は一切話さなかった。きっと、これがその理由だ。

「おい、これ見ろよ」

 シオンの横に若い男ふたり組がやってくると、ひとりが貼り紙を指す。

「あ!これ、あの子のことじゃないか?」
「だよな!黒髪の若い男なんて、他にいないだろ」

 蓮と王を見かける度に、こりずにナンパするふたりだ。彼らも探し人の特徴を読んで、すぐに気づいたらしい。

「あの子、次こそはモノにしてやるぞ」
「はっ、相手にすらされてないクセに。俺は弟くん狙いだけど」
「お前だって無理だ…ぐぇっっ?!!」

 ニヤニヤと話している途中、突然の衝撃を受けて身体がふっ飛ぶ。

「…えっ?」

 相方がいきなり姿を消し、それを理解する間もなく彼の身体も宙に浮いていた。






 時計台脇の人気のない路地。ナンパ男ふたりはシオンにより、一瞬のうちにそこへ引っ張り込まれていた。

「この汚らわしい手で、あの方に触れてはいないのですね」
「あ…っあ、あ…っ!」

 男は右腕をつかまれてひねられ、ひじと肩がギチギチと嫌な音をたてる。

「いでぇえ…っ!!」

 もうひとりは外された肩の激痛にもだえ苦しんでいた。

「では、今後はこの目であの方を見るのも、頭で考えるのも止めていただけませんか」

 シオンは腕を離すと、今度は彼の頭を片手でつかむ。ギリギリと力が込められていき、彼の足が宙に浮く。

「わが…っわがっ…だぁ!から…っ許し…で!」

 そのまま頭蓋骨を砕かれるのではと、男は激痛と恐怖に泣きながら必死に命乞いをする。

「ひぃ、いぃ…!ごめんなさいぃ…っ」

 肩を外された男も恐怖のあまり腰を抜かし、逃げるに逃げられない。丁寧な口調で見惚れるような綺麗な笑顔なのに、寒気がするほどの威圧感と人間離れした力。ふたりとも何故こんな目に合っているのか理解出来なかったが、とにかくこの長身の男から早く解放されたかった。

「わかっていただけたのなら、良かったです。ですが、もし、またあの方に手を出そうとお考えなら…」

 シオンはにこりと微笑み、手を離す。

「殺しますので」

 トドメの台詞で、ナンパ男たちは失神した。







 たまらなく不快だ。

 シオンは路地から大通りに戻ると、壁の貼り紙をビッとはがした。この貼り紙をした者は、純粋に助けてもらった礼を蓮にしたいだけなのだろう。それでも、蓮が怪我をかえりみずに命を救った、見知らぬ者に対して不快感が湧き上がる。貼り紙をビリビリに破きゴミ箱に捨てる。そして、買い物袋を持ち直して、城へと急いだ。
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