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カフェでの出来事
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議論を交わしながら事件を解決するという、先程までの緊迫した雰囲気とは打って変わって、落ち着いた時間になった。
午後の喫茶店。大学から徒歩で数分程度で行くことが出来る馴染みのある喫茶店、EQ200だった。高校時代にも足繁く通ったあの店だ。
だがしかし一つだけ初めての要素が繰り込まれていた。
「風変わりした店だな……」
そうだ。
零血も一緒に喫茶店に来ているのだ。相変わらず彼は無愛想な表情を浮かべながら、文明とは相容れない的な視線を照射して、店内を眺めていた。
「ほら、零血はどんなドリンクを注文する?僕と理沙はもう注文決まったんだけど」
「零血、私のオススメはね、これかな」
三人はオーダーするためにカウンターに並んでいる。が、しかし、零血は文明には慣れていないので、決めあぐねているらしい。
「んじゃ、択捉林檎を2つ、いや今日は気分が良いから――」
「え……?お、お客様、そ、そんな品物は店内には置いていませんが……」
と零血がボソリと呟くと、店員は顔面を顰めて困惑した。
完全に当惑した新人店員にもめげずに、零血はお客様という立場を駆使して、強行突破を図ろうとすると、
「だから、択捉林檎3つ――」
後ろから愛九が介入してきた。
「……そんなものあるはずないじゃないか。それじゃ、えっと……侍フラペチーノにリンゴ風味をオプションでつけてください」
「かしこまりました」
という感じでドリンクのオーダーは無事に終了した。
ドリンクを持って、三人は二階に移動していくと、テラス席に陣取った。
「ったく、本当に零血は文明に対して疎いな。一体どうやってこれまで生きてきたんだよ」
「ずっと最北の土地で土地で暮らしていたんだ」
「そ、そうか……」
喫茶店と零血ほど不器用な組み合わせはないなと、思いながら、愛九と二人はドリンクを啜り始める。
「最北の土地?それってもしかして、北海道よりも北上するの?」
「ああ。択捉島だ」
平和な一時であった。個性的なカフェで三人で一緒に楽しい時間を過ごす。ドリンクとお菓子を食べながら、談笑するのだ。
「択捉島だって!?ど、どうして、そんな端にまで!?」
ドリンクを吹きこぼしながら、愛九は零血に説明を求めた。
「人と目線を合わせるのが、嫌いだったんだ」
零血によると、幼少期から択捉島でずっと一人暮らしをしていたらしい。そしてその理由が極めて下らない理由であった。
「そ、そんな理由でかよ……」
愛九は、ほとほと呆れた。
まさか、人間関係でそこまで行動を起こすとは。零血はきっと、極めて繊細な人間なんだろう。でもそれは愛九も似たような感じだから、そこで共感を覚えた。
でももし愛九が人間関係で嫌になったら、彼は逃げるのではなく、行動を起こすタイプであった。自分から積極的に働きかけて、状況の改善を目指していく。もっとも、それが原因の究極的な改善へと向かうのは、疑問であるのだが。
「いいや、他人と目を合わせないことは、俺にとっては重要な事なんだ」
「変わった奴……」
「――ねえ、零血は趣味とかないの?」
愛九と零血が気さくに会話を弾ませていると、理沙は零血に対して質問を投げた。
「まあ、林檎農業ぐらいかな」
「へーもうそんな歳で、農業してるんだ!」
零血の返答は極めてドライなものだった。興味や関心が全く感じられず、まるで他人を蔑ろにしているような、そんな雰囲気までを感じ取ってしまった。
「くくく……」
愛九はそんなぎこちない会話を脇で見ていて、シメシメと思っていた。
どうやら零血は本当に人間に対して相当な嫌悪を抱いているらしい。誰とも目線を合わせないし、文明とも調和しようとしないのだ。
このまま行けば間違いなく、理沙は零血にほとほと呆れを尽かせるであろう。あんな変な奴は、もちろん嫌われるまではいかないけど、距離を置かれるのが世の常である。
が、しかし、理沙の反応は愛九の予測していたものと正反対であった。
「零血って結構ミステリアス……なんか惹かれるかも……」
「嘘……」
それでもなお、いいや、それだからこそ、理沙はどうやら興味をそそられているらしい。愛九というEQ200の天才でも理沙の心を予測することは出来なかった。
「もしかして人嫌いとか?」
さらに理沙は零血を質問攻めにしていく。
「いや特に」
「……」
愛九の意識の大部分は、理沙と零血のぎこちない会話の方へと向けられていた。
零血はなんてクールを気取った奴なんだ。何事にも超然として、動揺を見せない。だから他人から見れば、それがかっこいいとでも間違って映し出されるのだろう。
だが奴はただの文明嫌いの変人だ。……もちろん変人だからといって、貶したり、差別することは許されないのだが。
「り、理沙……ほ、ほら、別の会話に……」
「えーなんでよ」
理沙は明らかに零血に興味を注いでいた。だから、何とか注目を彼から逸らせようとするのだが、効果はなかった。
「零血、食べ方間違ってるよ」
「え?こうやるんじゃないのか?」
「愛九から教わった秘伝の方法で、私が教えて上げる。これはね――」
「あ!それは僕が教えてやつ!」
という感じで、愛九を除いて、二人は盛り上がりを見せていた。理沙は零血に対してお世話を焼いているのだ。そしてその食べ方は愛九が先日理沙に伝授した方法であった。
「り、理沙……」
物理的な距離という観点からは目と鼻の近さなのだが、精神的には千里離れた場所で、愛九は嘆いた。
やっぱり理沙は零血と相性が合うのだろうか。それならばやはり彼女の幸福を優先してあげるのが、愛九の役目なのではないか、と悲しみの中で考えていると。
「は!そうだ、侍ワッフル。もう少しで冷めてしまうところだった!」
そこで、愛九は眼の前に置かれているスイーツの存在に気づいた。なんということであろう、侍ワッフルは既に食べ頃辺りを過ぎようとしていたのだ!
「ど、どうしたの、突然?」
「……?」
そんな愛九の急激な態度の変化に、理沙と零血は驚いた。
「危なかった……」
取り敢えず、人生の最大の楽しみの一つであるお菓子を、味わって食することにしよう。恋愛沙汰などで、食事という貴重な経験を無駄にするなんて愚の骨頂である。
「ふー……」
愛九は精神を落ち着かせると、注文した侍ワッフルを手に取った。なんと今回の侍ワッフルは期間限定ヴァージョンであり、特別仕様だった。その変容ぶりに心地よい意味で驚かされながらも、口の中に入れた。
「美味しい!」
「「……」」
最高であった。やはり、EQ200カフェのお菓子は美味しい。絶妙なバター加減と鼻腔をくすぐる香ばしさを始めとして、ワッフル独特のあの洋菓子の真髄がふんだんに楽しめるのだが、この侍ワッフルは、さらにそのデザインに於いて、和風の真髄をも取り入れた画期的なお菓子であり、とにかく天国に召されたような、そんな恍惚とした気分を味わっていた。
「美味だ……ごくごくごく……」
侍ワッフルを食べ終わると、今度はお茶を飲んだ。甘いお菓子の後は、それが洋菓子だろうが和菓子だろうが、やはり日本茶と相場は決まっている。日本伝統のお茶の透き通る苦さが、彼の口の中と精神を怜悧にさせてくれる。ちなみに愛九は、日本茶は絶対に急須からでしか、認めていないのであった。
「やっぱり、侍ワッフルが一番美味だな」
お菓子を平らげると、愛九は若干の嫉妬心を宿して、二人の会話に割り込んでいった。
「――でね、最後はこうやってしめるんだ」
「ふーん、日本の文明もここまで進んだんだな」
「いいや、零血、君が生まれてから、そこまで人類は飛躍的な発展は成し遂げていないと思うよ。それに、ほら、零血だって自立しないと、文明にはいつになっても慣れないぞ。そんな事で、一々理沙から指導を受けるなんて、恥ずかしいと思わないのか」
と、長々と説教をかましてやると、理沙がご機嫌を崩した。
「ちょっと、そんな言い方は酷いじゃん」
「え……?」
「零血はこれまで文明に疎い生活をしていたんだから、仕方ないよ」
「そ、そうだけどさ、その、僕は零血の為を思って……」
愛九はそう弁明すると、なんと零血がカバーを入れてきたのだ。
「愛九の言うとおりだ。俺が悪かったよ。こんな初歩的な事でも出来ない俺が駄目なんだ」
「れ、零血は謝る必要はないよ!」
「いいや、文明を拒絶する俺が悪い」
「そ、そこまで言うなら……」
そんな返答を受けた理沙は、ただ言いくるめられるしかなかった。
「もしかしてようやく零血も、日夜進歩していく現代文明、そしてその偉大なる歩み、恩恵に対して、寛容な心でも開くつもりになったのか?」
「いいや別に……」
零血はだが抵抗の意を見せていた。
「俺は文明なんかに、己を調和させる気はないよ」
「ふーん、相変わらず、呆れたやつだ……」
愛九はほとほと零血の厳格さに痺れを切らした。一体どうして、彼はそこまで文明を拒絶するのだろうか。愛九にとって、零血の文明嫌いは矛盾に思えた。
そして遂に、愛九は持論を展開した。
「――僕たちは、文明に囲まれているんだよ、零血、それを享受するかどうかは別としてね。つまりだ、文明は遍在している。よって、文明の手から逃れることは出来ない。例え、どれだけ拒絶の意思を見せてもね。いずれは零血だって、その文明の温和なる手によって抱かれて、過去の自分との温度差に、悔いる事になるだろう。それならどうして、わざわざ文明を拒否する必要があるんだ?それは効率的観点から照らし合わせると、理想的な生き方からは程遠いと言わざるを得ないね」
「文明の温和なる手?文明に自然の温かさが内包されているとでも言うのか?残念だが、俺はそうとも思わない。文明はどれだけ熱を宿しても、それが柔らかな温和に変容することはない。それは機械仕掛けの熱の状態のまま、永遠の平行線を辿るだけさ。それならば、最初から文明とは隔絶した生き方をして、己の内に温和さを見つけ出す方が、理想的だろう」
こいつは呆れた奴だ。
「零血、いい加減に文明を……あ、この四季タルト、意外にも、秋の季節区分域では酸味が効いているな……」
「……」
お菓子を食べながら、EQ200の天才達は、文明に関する議論を深めていた。
だが、四季タルトという味覚の四重奏を刻まれたせいで、愛九は議論から意識を逸脱させられる事になった。それほど、四季タルトの巧妙なる仕掛けは、魔物であった。
「どうだ、零血。君も、文明の果実を齧ってみる気はないか?一度芳醇なる文明の果実を味わってみれば、君の幼稚な文明拒絶主義に対する盲目的な崇拝を、捨てることが出来るだろう」
と、愛九は悪魔の囁きを送る。
「まあ、一口ぐらいなら」
愛九の悪の囁きに負けた零血は、彼の手から四季タルトを受け取って、齧り付いた。
「どうだ?」
「ああ、これは美味(うま)いかも……でもこいつは爛熟し過ぎじゃないか?」
零血は、秋の区分にある果実の状態を言っているのであろう。確かに、四季タルトの秋の果実は過分に熱せられているので、人から見れば、そう思われるのかもしれない。
「熟れているぐらいが丁度良いんだよ。それに、美味いだけじゃない、四季タルトは最高だ」
「そこまでかは分からないが……まあ、悪くはないかな」
「いいや、四季タルトは最高だ」
愛九はべた褒めであった。
「そうか、わかったぞ、零血。君は何事も悲観的に捉える悪い癖があるようだ。いいか、零血、お菓子と人生は先入観をもって臨んではいけないんだ。そしてこれは深遠なる――」
そこでカフェ内に事件が巻き起こる。
「――んだと!?もっかい言ってみろ!」
突然の罵声に、会話は強制的に中断された。
「なんだ?」
「喧嘩?」
「え?」
騒音の源に、三人は視線と姿勢を移動させる。
すると以前見かけた人物の顔が視界に入ったのだ。
「あれは!」
そうだ。彼は高校生の時にも見たことがあるあのクレーマーだ。理沙と一緒に受験勉強をしている時に、遭遇した迷惑な客だ。
どうやらあれからまだ懲りていないらしい。再び同じ店員に、同じ非行を加えている。忙しそうな女性店員に向けてだ。
「困った客だ。雰囲気が台無しじゃないか」
「全くですわ」
そして当然の如く、一人のクレーマーのせいで、店内の現代的で和気あいあいとした雰囲気は、粉々になって粉砕されていった。
「……」
そんな哀れな状況を観察すると、愛九は早速問題を解決するべく、努力を積み重ね始める。
だが今回は前回のように、男性客を転ばせる事で問題が解決するように思われない。そもそも、もしあの時に事件の根っこが断絶されたのならば、こうやって男性客は繰り返し来店し、迷惑を掛けないだろうから。
一体どうやって問題の根を解決するべきであろう。
愛九はマルチタスクをしながら、状況をさらに追求していく。が、ここで問題があることに気づく。
「今日で決着をつけてやるからな!」
クレーマーは既に激昂寸前であり、時間がないのだ。
「……」
そして先手を打ったのは、やはり愛九であった。彼はクレーマーの身体に憑依した。途端、彼は無言になって、横柄な態度を改めた。
クレーマーの身体と荷物を徹底的に調べる。
クレーマーは四十代の人間である。普通の会社員をしている。既婚者であり、妻もいる。が、数ヶ月前から借金をしているらしく、銀行通帳にはあまり預金が残っていない。
「あ、あれ?俺は今まで、何をしていたんだ?」
憑依が解除されたクレーマーは、まるで生まれたばかりの子猫のように周辺をキョロキョロしながら、そう口走った。
「えっと、その、そうだ!おい、てめぇ!」
だがしかし、クレーマーは激情なる感情を店員に迸らせたのである。
だが今回は前回とは違う。愛九は操作を一度止めると、男性客の反応を窺っていったのである。一体どんな反応をするのか。懲りるのか、それともさらにクレームを続けるのか。
「こいつが、証拠だ」
「……」
男性客は反省するどころか、さらに逆上していくではないか。 鞄からは色々な物を取り出しては、それらを店員に見せつけている。
「早く止めなければ」
愛九はさらなる使命感に燃え滾る。
そこで零血は途中参加してきた。
「きゃ!」
「うわ!」
「か、風ですかね……?」
EQ200カフェで思考の風が吹き荒れた。もちろん、零血の仕業である。
「ち……」
くそ。
またこいつが妨害してきやがったな。
舌打ちとともに愛九は毒を吐きながら、零血の妨害行為をただ目撃することしか許されなかった
零血は店員や客に次々と憑依しながら、店内を自由自在に徘徊していく。その途中で、色々な情報を引き出していくのだ。
「あの人って、いつもこの店に来てるんですか?」
その台詞は、零血が操作している店員から発せられたものであり、同僚に対して訊いた質問であった。
「あ、うん。今月でもう、数回ぐらいかな……って、あんたも居たじゃない」
「……彼女ってどんな人なんですか?」
「さあね……彼女はあんまり自分からは話したがる感じじゃないからさ。正直、同僚の私でも、良くわからないわね」
「へー」
「あれ?私、どうしちゃったんだろ」
有益な情報を訊き終わると、他の人間にも聞き込みを行っていく。憑依を解除してから、一般的な客に乗り移る。
「ああいう人って、本当に嫌よね。あの人って、前にもここに来店していたの?」
主婦に憑依した零血は、彼女の夫に質問を投げた。
「確か、前回来た時も、居たよーな……って、お前も居ただろ」
「……」
「そう言えば、確かあの時、店員の彼女は、だった気がするな」
「なるほど」
零血は問題をあらゆる角度から追求していく。
愛九が曝け出した情報を元に、零血はカフェから思考の風に乗って、外に飛翔していった。そのまま、クレーマーの家にまで到着する。
クレーマーの自宅は一軒家であった。京都という都会で一軒家を持つということは経済的にも裕福であるという事実を意味する。
「金銭的なトラブルではないのか……?」
自宅の中に思考の風として侵入していくと、さらに情報を希求していく。玄関から全ての部屋を探索していく。一階から二階まで。
そしてやがて一つの部屋に辿り着く。
「こ、これは……」
零血は驚嘆した。
自室と思われる部屋の中には、アイドルやら女優やらの写真が沢山貼られていたのである。所謂オタクと呼ばれる人間に属するのだろう。
そしてその写真の中に、女性店員らしき女性の姿があった。
「もしかしたら……」
どうやらクレーマーは女性店員に恋愛でもしているのであろう。
零血は思考をカフェ内に戻す。そして再び、女性店員の身体に憑依した。
「あの女性店員って、ここ以外でも仕事、しているんですか?」
「えっと、確か……近所の地下劇場でアイドルしてるって、風の噂だけど」
「そうですか」
そんな情報を仕入れると、零血は再び移動を開始した。
EQ200カフェから思考の風として退出すると、その地下劇場にまで飛翔していった。距離は僅か数百メートル程度。
地下階段を降りていき、劇場に入っていく。
薄暗い地下劇場であった。今現在は使用されていないらしく、観客やアイドルなどは見ることが出来ない。が、その中に人の姿。
清掃員であった。彼らは数人程度で、薄汚れたステージや観客席を清掃しているのだ。零血は他人の身体に憑依したまま、彼らに訊ねる。
「あの、訊きたいことがあるんですけど」
「ん、どうしたんだね」
話を窺ってみると、クレーマーと女性の関係性が如実に裸にされていくのだ。
女性店員は昼はカフェでバイトをしているらしいのだが、夜はアイドル活動をしているらしい。地下でライブをこなし、活動をしている。
クレーマーは一年ほど前からずっとこの地下劇場に入り浸っており、あのアイドル兼女性店員に入れ込んでいる。でも女性の方はそんな彼に対して迷惑そうにしているとのこと。
清掃員の話を聞いて、全貌が明らかになったのだ。
二人は異なる結論に達した。
愛九はクレーマーが怒る理由を、男性客そのものに問題があると決める。
零血はクレームーが怒る理由を、女性店員に対しての男性客の問題であると決めたのだ。
「くそ!どうしてこいつはここまであの」
零血が思考の烈風を飛翔させている間、愛九はただカフェ内であらゆる選択肢を模索していた。だがあまりにも限定的な情報しかなかったので、問題の根本的な解決には至らなかった。
だがその途中で、様々な情報を暴き出したのであった。
零血は女性店員に憑依した。そして彼女を操作して、彼女の嵌めている指輪をさり気なく見せつけたのだ。すると、途端に男性客は態度を一変させた。
「そ、その指輪は……」
「あれ?」
「いきなり静かになったぞ?」
「どうしたんだ?」
そんな迷惑なクレームの態度に、カフェ内にいた人々は目を見張った。
「ど、どういう事なんだ……?」
愛九も一瞬、何が起きたかを理解できなかった。が、それから数秒で、全てを理解したのだ。
「くそ……」
愛九は当然ながら度肝を抜かれたのだ。そして己が心の馬鹿であるという事を悟った。
指輪を強調するという解決方法は、あまりにも間接的であり、あまりにも簡潔であった。
最終的に勝利したように見えたのは、ここでも零血であった。
数日後。
「あれ?」
愛九は通学中に喫茶店に通りかかると、EQ200の店前の窓ガラスに謎の張り紙を見た。そこには震えた文字で、こう書かれていた。
”閉店しました”
原因はその張り紙に書かれていない。
「閉店だって!?」
「愛九、知らないの?殺人事件が起きたんだよ」
「殺人事件!?」
理沙の報告に、愛九は衝撃を受けた。
「怖いよねー、こういう近いところにもそういう人が居るんだもんねー」
「そうだね」
二人は知る由もなかった。
犯人は、あのクレーマーから嫌がらせを受けているウェイトレスであった。彼女は殺人罪と詐欺罪、その他の大量の罪で実刑確定、終身刑までもが視野に入っている。
男性は騙されていたのだ。彼は彼女から巧妙な手口で彼女の手のひらに乗せられて、被害者の一人になっていたのだ。だからそれで復讐にやってきていた。
そして二人のEQ200の天才が横から介入していった為に、彼らの関係性をさらに歪めていったのである。もっとも二人がちょっかいを出さずとも、彼らの関係はいずれ最悪な終焉に向かっていくのだったのだが。
日常が深遠さを覗かせたのである。例えEQ200の天才的な頭脳を持ってしても、人々の表面的な部分で、彼らの人となり、そして関係性などは分かるはずもない。ましてや、横から自分達の能力を使って、彼らの持つ複雑怪奇な問題を解決しうるなどという考えは持つなど、愚か極まりないのだ。
日常に潜む深遠さを知る由もない二人は、それから数分後に大学に到着。
午後の喫茶店。大学から徒歩で数分程度で行くことが出来る馴染みのある喫茶店、EQ200だった。高校時代にも足繁く通ったあの店だ。
だがしかし一つだけ初めての要素が繰り込まれていた。
「風変わりした店だな……」
そうだ。
零血も一緒に喫茶店に来ているのだ。相変わらず彼は無愛想な表情を浮かべながら、文明とは相容れない的な視線を照射して、店内を眺めていた。
「ほら、零血はどんなドリンクを注文する?僕と理沙はもう注文決まったんだけど」
「零血、私のオススメはね、これかな」
三人はオーダーするためにカウンターに並んでいる。が、しかし、零血は文明には慣れていないので、決めあぐねているらしい。
「んじゃ、択捉林檎を2つ、いや今日は気分が良いから――」
「え……?お、お客様、そ、そんな品物は店内には置いていませんが……」
と零血がボソリと呟くと、店員は顔面を顰めて困惑した。
完全に当惑した新人店員にもめげずに、零血はお客様という立場を駆使して、強行突破を図ろうとすると、
「だから、択捉林檎3つ――」
後ろから愛九が介入してきた。
「……そんなものあるはずないじゃないか。それじゃ、えっと……侍フラペチーノにリンゴ風味をオプションでつけてください」
「かしこまりました」
という感じでドリンクのオーダーは無事に終了した。
ドリンクを持って、三人は二階に移動していくと、テラス席に陣取った。
「ったく、本当に零血は文明に対して疎いな。一体どうやってこれまで生きてきたんだよ」
「ずっと最北の土地で土地で暮らしていたんだ」
「そ、そうか……」
喫茶店と零血ほど不器用な組み合わせはないなと、思いながら、愛九と二人はドリンクを啜り始める。
「最北の土地?それってもしかして、北海道よりも北上するの?」
「ああ。択捉島だ」
平和な一時であった。個性的なカフェで三人で一緒に楽しい時間を過ごす。ドリンクとお菓子を食べながら、談笑するのだ。
「択捉島だって!?ど、どうして、そんな端にまで!?」
ドリンクを吹きこぼしながら、愛九は零血に説明を求めた。
「人と目線を合わせるのが、嫌いだったんだ」
零血によると、幼少期から択捉島でずっと一人暮らしをしていたらしい。そしてその理由が極めて下らない理由であった。
「そ、そんな理由でかよ……」
愛九は、ほとほと呆れた。
まさか、人間関係でそこまで行動を起こすとは。零血はきっと、極めて繊細な人間なんだろう。でもそれは愛九も似たような感じだから、そこで共感を覚えた。
でももし愛九が人間関係で嫌になったら、彼は逃げるのではなく、行動を起こすタイプであった。自分から積極的に働きかけて、状況の改善を目指していく。もっとも、それが原因の究極的な改善へと向かうのは、疑問であるのだが。
「いいや、他人と目を合わせないことは、俺にとっては重要な事なんだ」
「変わった奴……」
「――ねえ、零血は趣味とかないの?」
愛九と零血が気さくに会話を弾ませていると、理沙は零血に対して質問を投げた。
「まあ、林檎農業ぐらいかな」
「へーもうそんな歳で、農業してるんだ!」
零血の返答は極めてドライなものだった。興味や関心が全く感じられず、まるで他人を蔑ろにしているような、そんな雰囲気までを感じ取ってしまった。
「くくく……」
愛九はそんなぎこちない会話を脇で見ていて、シメシメと思っていた。
どうやら零血は本当に人間に対して相当な嫌悪を抱いているらしい。誰とも目線を合わせないし、文明とも調和しようとしないのだ。
このまま行けば間違いなく、理沙は零血にほとほと呆れを尽かせるであろう。あんな変な奴は、もちろん嫌われるまではいかないけど、距離を置かれるのが世の常である。
が、しかし、理沙の反応は愛九の予測していたものと正反対であった。
「零血って結構ミステリアス……なんか惹かれるかも……」
「嘘……」
それでもなお、いいや、それだからこそ、理沙はどうやら興味をそそられているらしい。愛九というEQ200の天才でも理沙の心を予測することは出来なかった。
「もしかして人嫌いとか?」
さらに理沙は零血を質問攻めにしていく。
「いや特に」
「……」
愛九の意識の大部分は、理沙と零血のぎこちない会話の方へと向けられていた。
零血はなんてクールを気取った奴なんだ。何事にも超然として、動揺を見せない。だから他人から見れば、それがかっこいいとでも間違って映し出されるのだろう。
だが奴はただの文明嫌いの変人だ。……もちろん変人だからといって、貶したり、差別することは許されないのだが。
「り、理沙……ほ、ほら、別の会話に……」
「えーなんでよ」
理沙は明らかに零血に興味を注いでいた。だから、何とか注目を彼から逸らせようとするのだが、効果はなかった。
「零血、食べ方間違ってるよ」
「え?こうやるんじゃないのか?」
「愛九から教わった秘伝の方法で、私が教えて上げる。これはね――」
「あ!それは僕が教えてやつ!」
という感じで、愛九を除いて、二人は盛り上がりを見せていた。理沙は零血に対してお世話を焼いているのだ。そしてその食べ方は愛九が先日理沙に伝授した方法であった。
「り、理沙……」
物理的な距離という観点からは目と鼻の近さなのだが、精神的には千里離れた場所で、愛九は嘆いた。
やっぱり理沙は零血と相性が合うのだろうか。それならばやはり彼女の幸福を優先してあげるのが、愛九の役目なのではないか、と悲しみの中で考えていると。
「は!そうだ、侍ワッフル。もう少しで冷めてしまうところだった!」
そこで、愛九は眼の前に置かれているスイーツの存在に気づいた。なんということであろう、侍ワッフルは既に食べ頃辺りを過ぎようとしていたのだ!
「ど、どうしたの、突然?」
「……?」
そんな愛九の急激な態度の変化に、理沙と零血は驚いた。
「危なかった……」
取り敢えず、人生の最大の楽しみの一つであるお菓子を、味わって食することにしよう。恋愛沙汰などで、食事という貴重な経験を無駄にするなんて愚の骨頂である。
「ふー……」
愛九は精神を落ち着かせると、注文した侍ワッフルを手に取った。なんと今回の侍ワッフルは期間限定ヴァージョンであり、特別仕様だった。その変容ぶりに心地よい意味で驚かされながらも、口の中に入れた。
「美味しい!」
「「……」」
最高であった。やはり、EQ200カフェのお菓子は美味しい。絶妙なバター加減と鼻腔をくすぐる香ばしさを始めとして、ワッフル独特のあの洋菓子の真髄がふんだんに楽しめるのだが、この侍ワッフルは、さらにそのデザインに於いて、和風の真髄をも取り入れた画期的なお菓子であり、とにかく天国に召されたような、そんな恍惚とした気分を味わっていた。
「美味だ……ごくごくごく……」
侍ワッフルを食べ終わると、今度はお茶を飲んだ。甘いお菓子の後は、それが洋菓子だろうが和菓子だろうが、やはり日本茶と相場は決まっている。日本伝統のお茶の透き通る苦さが、彼の口の中と精神を怜悧にさせてくれる。ちなみに愛九は、日本茶は絶対に急須からでしか、認めていないのであった。
「やっぱり、侍ワッフルが一番美味だな」
お菓子を平らげると、愛九は若干の嫉妬心を宿して、二人の会話に割り込んでいった。
「――でね、最後はこうやってしめるんだ」
「ふーん、日本の文明もここまで進んだんだな」
「いいや、零血、君が生まれてから、そこまで人類は飛躍的な発展は成し遂げていないと思うよ。それに、ほら、零血だって自立しないと、文明にはいつになっても慣れないぞ。そんな事で、一々理沙から指導を受けるなんて、恥ずかしいと思わないのか」
と、長々と説教をかましてやると、理沙がご機嫌を崩した。
「ちょっと、そんな言い方は酷いじゃん」
「え……?」
「零血はこれまで文明に疎い生活をしていたんだから、仕方ないよ」
「そ、そうだけどさ、その、僕は零血の為を思って……」
愛九はそう弁明すると、なんと零血がカバーを入れてきたのだ。
「愛九の言うとおりだ。俺が悪かったよ。こんな初歩的な事でも出来ない俺が駄目なんだ」
「れ、零血は謝る必要はないよ!」
「いいや、文明を拒絶する俺が悪い」
「そ、そこまで言うなら……」
そんな返答を受けた理沙は、ただ言いくるめられるしかなかった。
「もしかしてようやく零血も、日夜進歩していく現代文明、そしてその偉大なる歩み、恩恵に対して、寛容な心でも開くつもりになったのか?」
「いいや別に……」
零血はだが抵抗の意を見せていた。
「俺は文明なんかに、己を調和させる気はないよ」
「ふーん、相変わらず、呆れたやつだ……」
愛九はほとほと零血の厳格さに痺れを切らした。一体どうして、彼はそこまで文明を拒絶するのだろうか。愛九にとって、零血の文明嫌いは矛盾に思えた。
そして遂に、愛九は持論を展開した。
「――僕たちは、文明に囲まれているんだよ、零血、それを享受するかどうかは別としてね。つまりだ、文明は遍在している。よって、文明の手から逃れることは出来ない。例え、どれだけ拒絶の意思を見せてもね。いずれは零血だって、その文明の温和なる手によって抱かれて、過去の自分との温度差に、悔いる事になるだろう。それならどうして、わざわざ文明を拒否する必要があるんだ?それは効率的観点から照らし合わせると、理想的な生き方からは程遠いと言わざるを得ないね」
「文明の温和なる手?文明に自然の温かさが内包されているとでも言うのか?残念だが、俺はそうとも思わない。文明はどれだけ熱を宿しても、それが柔らかな温和に変容することはない。それは機械仕掛けの熱の状態のまま、永遠の平行線を辿るだけさ。それならば、最初から文明とは隔絶した生き方をして、己の内に温和さを見つけ出す方が、理想的だろう」
こいつは呆れた奴だ。
「零血、いい加減に文明を……あ、この四季タルト、意外にも、秋の季節区分域では酸味が効いているな……」
「……」
お菓子を食べながら、EQ200の天才達は、文明に関する議論を深めていた。
だが、四季タルトという味覚の四重奏を刻まれたせいで、愛九は議論から意識を逸脱させられる事になった。それほど、四季タルトの巧妙なる仕掛けは、魔物であった。
「どうだ、零血。君も、文明の果実を齧ってみる気はないか?一度芳醇なる文明の果実を味わってみれば、君の幼稚な文明拒絶主義に対する盲目的な崇拝を、捨てることが出来るだろう」
と、愛九は悪魔の囁きを送る。
「まあ、一口ぐらいなら」
愛九の悪の囁きに負けた零血は、彼の手から四季タルトを受け取って、齧り付いた。
「どうだ?」
「ああ、これは美味(うま)いかも……でもこいつは爛熟し過ぎじゃないか?」
零血は、秋の区分にある果実の状態を言っているのであろう。確かに、四季タルトの秋の果実は過分に熱せられているので、人から見れば、そう思われるのかもしれない。
「熟れているぐらいが丁度良いんだよ。それに、美味いだけじゃない、四季タルトは最高だ」
「そこまでかは分からないが……まあ、悪くはないかな」
「いいや、四季タルトは最高だ」
愛九はべた褒めであった。
「そうか、わかったぞ、零血。君は何事も悲観的に捉える悪い癖があるようだ。いいか、零血、お菓子と人生は先入観をもって臨んではいけないんだ。そしてこれは深遠なる――」
そこでカフェ内に事件が巻き起こる。
「――んだと!?もっかい言ってみろ!」
突然の罵声に、会話は強制的に中断された。
「なんだ?」
「喧嘩?」
「え?」
騒音の源に、三人は視線と姿勢を移動させる。
すると以前見かけた人物の顔が視界に入ったのだ。
「あれは!」
そうだ。彼は高校生の時にも見たことがあるあのクレーマーだ。理沙と一緒に受験勉強をしている時に、遭遇した迷惑な客だ。
どうやらあれからまだ懲りていないらしい。再び同じ店員に、同じ非行を加えている。忙しそうな女性店員に向けてだ。
「困った客だ。雰囲気が台無しじゃないか」
「全くですわ」
そして当然の如く、一人のクレーマーのせいで、店内の現代的で和気あいあいとした雰囲気は、粉々になって粉砕されていった。
「……」
そんな哀れな状況を観察すると、愛九は早速問題を解決するべく、努力を積み重ね始める。
だが今回は前回のように、男性客を転ばせる事で問題が解決するように思われない。そもそも、もしあの時に事件の根っこが断絶されたのならば、こうやって男性客は繰り返し来店し、迷惑を掛けないだろうから。
一体どうやって問題の根を解決するべきであろう。
愛九はマルチタスクをしながら、状況をさらに追求していく。が、ここで問題があることに気づく。
「今日で決着をつけてやるからな!」
クレーマーは既に激昂寸前であり、時間がないのだ。
「……」
そして先手を打ったのは、やはり愛九であった。彼はクレーマーの身体に憑依した。途端、彼は無言になって、横柄な態度を改めた。
クレーマーの身体と荷物を徹底的に調べる。
クレーマーは四十代の人間である。普通の会社員をしている。既婚者であり、妻もいる。が、数ヶ月前から借金をしているらしく、銀行通帳にはあまり預金が残っていない。
「あ、あれ?俺は今まで、何をしていたんだ?」
憑依が解除されたクレーマーは、まるで生まれたばかりの子猫のように周辺をキョロキョロしながら、そう口走った。
「えっと、その、そうだ!おい、てめぇ!」
だがしかし、クレーマーは激情なる感情を店員に迸らせたのである。
だが今回は前回とは違う。愛九は操作を一度止めると、男性客の反応を窺っていったのである。一体どんな反応をするのか。懲りるのか、それともさらにクレームを続けるのか。
「こいつが、証拠だ」
「……」
男性客は反省するどころか、さらに逆上していくではないか。 鞄からは色々な物を取り出しては、それらを店員に見せつけている。
「早く止めなければ」
愛九はさらなる使命感に燃え滾る。
そこで零血は途中参加してきた。
「きゃ!」
「うわ!」
「か、風ですかね……?」
EQ200カフェで思考の風が吹き荒れた。もちろん、零血の仕業である。
「ち……」
くそ。
またこいつが妨害してきやがったな。
舌打ちとともに愛九は毒を吐きながら、零血の妨害行為をただ目撃することしか許されなかった
零血は店員や客に次々と憑依しながら、店内を自由自在に徘徊していく。その途中で、色々な情報を引き出していくのだ。
「あの人って、いつもこの店に来てるんですか?」
その台詞は、零血が操作している店員から発せられたものであり、同僚に対して訊いた質問であった。
「あ、うん。今月でもう、数回ぐらいかな……って、あんたも居たじゃない」
「……彼女ってどんな人なんですか?」
「さあね……彼女はあんまり自分からは話したがる感じじゃないからさ。正直、同僚の私でも、良くわからないわね」
「へー」
「あれ?私、どうしちゃったんだろ」
有益な情報を訊き終わると、他の人間にも聞き込みを行っていく。憑依を解除してから、一般的な客に乗り移る。
「ああいう人って、本当に嫌よね。あの人って、前にもここに来店していたの?」
主婦に憑依した零血は、彼女の夫に質問を投げた。
「確か、前回来た時も、居たよーな……って、お前も居ただろ」
「……」
「そう言えば、確かあの時、店員の彼女は、だった気がするな」
「なるほど」
零血は問題をあらゆる角度から追求していく。
愛九が曝け出した情報を元に、零血はカフェから思考の風に乗って、外に飛翔していった。そのまま、クレーマーの家にまで到着する。
クレーマーの自宅は一軒家であった。京都という都会で一軒家を持つということは経済的にも裕福であるという事実を意味する。
「金銭的なトラブルではないのか……?」
自宅の中に思考の風として侵入していくと、さらに情報を希求していく。玄関から全ての部屋を探索していく。一階から二階まで。
そしてやがて一つの部屋に辿り着く。
「こ、これは……」
零血は驚嘆した。
自室と思われる部屋の中には、アイドルやら女優やらの写真が沢山貼られていたのである。所謂オタクと呼ばれる人間に属するのだろう。
そしてその写真の中に、女性店員らしき女性の姿があった。
「もしかしたら……」
どうやらクレーマーは女性店員に恋愛でもしているのであろう。
零血は思考をカフェ内に戻す。そして再び、女性店員の身体に憑依した。
「あの女性店員って、ここ以外でも仕事、しているんですか?」
「えっと、確か……近所の地下劇場でアイドルしてるって、風の噂だけど」
「そうですか」
そんな情報を仕入れると、零血は再び移動を開始した。
EQ200カフェから思考の風として退出すると、その地下劇場にまで飛翔していった。距離は僅か数百メートル程度。
地下階段を降りていき、劇場に入っていく。
薄暗い地下劇場であった。今現在は使用されていないらしく、観客やアイドルなどは見ることが出来ない。が、その中に人の姿。
清掃員であった。彼らは数人程度で、薄汚れたステージや観客席を清掃しているのだ。零血は他人の身体に憑依したまま、彼らに訊ねる。
「あの、訊きたいことがあるんですけど」
「ん、どうしたんだね」
話を窺ってみると、クレーマーと女性の関係性が如実に裸にされていくのだ。
女性店員は昼はカフェでバイトをしているらしいのだが、夜はアイドル活動をしているらしい。地下でライブをこなし、活動をしている。
クレーマーは一年ほど前からずっとこの地下劇場に入り浸っており、あのアイドル兼女性店員に入れ込んでいる。でも女性の方はそんな彼に対して迷惑そうにしているとのこと。
清掃員の話を聞いて、全貌が明らかになったのだ。
二人は異なる結論に達した。
愛九はクレーマーが怒る理由を、男性客そのものに問題があると決める。
零血はクレームーが怒る理由を、女性店員に対しての男性客の問題であると決めたのだ。
「くそ!どうしてこいつはここまであの」
零血が思考の烈風を飛翔させている間、愛九はただカフェ内であらゆる選択肢を模索していた。だがあまりにも限定的な情報しかなかったので、問題の根本的な解決には至らなかった。
だがその途中で、様々な情報を暴き出したのであった。
零血は女性店員に憑依した。そして彼女を操作して、彼女の嵌めている指輪をさり気なく見せつけたのだ。すると、途端に男性客は態度を一変させた。
「そ、その指輪は……」
「あれ?」
「いきなり静かになったぞ?」
「どうしたんだ?」
そんな迷惑なクレームの態度に、カフェ内にいた人々は目を見張った。
「ど、どういう事なんだ……?」
愛九も一瞬、何が起きたかを理解できなかった。が、それから数秒で、全てを理解したのだ。
「くそ……」
愛九は当然ながら度肝を抜かれたのだ。そして己が心の馬鹿であるという事を悟った。
指輪を強調するという解決方法は、あまりにも間接的であり、あまりにも簡潔であった。
最終的に勝利したように見えたのは、ここでも零血であった。
数日後。
「あれ?」
愛九は通学中に喫茶店に通りかかると、EQ200の店前の窓ガラスに謎の張り紙を見た。そこには震えた文字で、こう書かれていた。
”閉店しました”
原因はその張り紙に書かれていない。
「閉店だって!?」
「愛九、知らないの?殺人事件が起きたんだよ」
「殺人事件!?」
理沙の報告に、愛九は衝撃を受けた。
「怖いよねー、こういう近いところにもそういう人が居るんだもんねー」
「そうだね」
二人は知る由もなかった。
犯人は、あのクレーマーから嫌がらせを受けているウェイトレスであった。彼女は殺人罪と詐欺罪、その他の大量の罪で実刑確定、終身刑までもが視野に入っている。
男性は騙されていたのだ。彼は彼女から巧妙な手口で彼女の手のひらに乗せられて、被害者の一人になっていたのだ。だからそれで復讐にやってきていた。
そして二人のEQ200の天才が横から介入していった為に、彼らの関係性をさらに歪めていったのである。もっとも二人がちょっかいを出さずとも、彼らの関係はいずれ最悪な終焉に向かっていくのだったのだが。
日常が深遠さを覗かせたのである。例えEQ200の天才的な頭脳を持ってしても、人々の表面的な部分で、彼らの人となり、そして関係性などは分かるはずもない。ましてや、横から自分達の能力を使って、彼らの持つ複雑怪奇な問題を解決しうるなどという考えは持つなど、愚か極まりないのだ。
日常に潜む深遠さを知る由もない二人は、それから数分後に大学に到着。
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