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テンゴクジゴク
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……ハジメまして。スマホから送る、この動画メッセージをあなたが見てるとき、あたしはもう警察に捕まってるかもしれない。けど、後悔なんてしてないよ。あたしは決めたんだ。この世界に反逆の種をまいてやるってね。
ちょっと順序が逆になっちゃったけど、自己紹介させてもらいます。髪が乱れてメチャクチャなうえに顔も汗とか涙で汚れててハズかしいんですけど、ま、しょーがない……あたしは坂川きるか、××在住の高校三年生。高校三年なんて言うと、こんなことをやったのは受験のストレスが原因とかって考える人がいるかもしれないけど、そんなのは全ッ然カンケーないです。あたしのことを分かってもらうために少し自分語りしますけど、あたし現代文と評論と、歴史が少し分かるくらいで、後はゼンメツだったから、別にリッパな大学に行って勝ち組な就職しようとか考えてなかったし、そもそも一生無職だろうと何不自由ない生活が保障されてる社会だから、落ちこぼれたってどーってことないしね。そんなこともあって、学校に行ってたとき、あたしはずーっと机に突っ伏して寝てました。正直、あの頃は生きてるのさえダルかったし、友達なんて1人もいなかったから。
そんなあたしに、教師やクラスメイトはダクダクあふれまくりの愛情を押し付けてきた。あなたにも同じような経験があるかもだけど、あたしの場合、授業中なら教師が数分ごとに背中をイヤらしくさすりながら甘い声でいたわり、休み時間になったら担任を先頭に、病欠している以外のクラスメイト全員、そして他のクラスの生徒――ときには下級生たちまでがあたしの机を取り囲み、体調を気遣って看病しようとしたり、授業内容をバカなあたし用に幼稚園児でも順を追って読んでいけば理解できそうなレベルにまとめて渡そうとしたり、グループで応援のメッセージやコーラスを披露する連中もいれば、良かったらハイヤーを呼んで家まで送ってあげるとか、気晴らしにって小遣いを何万もくれて、ついでに色々なお勧めスポットの情報まで提供し、自分が案内してあげると申し出るウットーしい人もいましたっけ。
こんな話を聞くと、愛されてるじゃーんとか思われるかもだけど、自分たちの善意とやらを押し売りするのはハッキリ言って、ただの暴力。あたしが必要ない、ほっといてといくら叫んでも聞く耳さえ持たずにワーワーガーガー一方的にわめき立てる……結局、あの人たちは異分子のあたしが怖かったのよ。だから、同じカラーに染めようと必死になったワケ……たまりかねて学校を飛び出しても、道で出くわす人たちがあたしの険しい顔を見つけて、まるで肉に食いつくピラニアみたいに「どうしたの~?」「大丈夫~?」とか言っておせっかいを焼く……ホンっとにタマんない……!
なぜ、こんな世の中になったのか……きっかけは〈世界横断大震災〉なんだよね。まだ歴史を詳しく知らない子のために少し説明しておくけど、あたしが生まれるよりも半世紀くらい前に起きた大災厄――大西洋沖で発生した大地震を皮切りに、まるで世界を横断するように連鎖的に起きた大地震とそれに続く大津波、そして火災などの二次災害によって全世界で数百万もの人間が死んじゃって、政治や経済が混乱して略奪が各地で起き、貧しい第三世界では僅かな水や食料を巡って紛争や虐殺も起きたんだよね。この国の人心も荒廃して、殺人や強盗といった事件が頻発したんだ。それは、とってもヒドいことだと思う。あたしがそう感じたように、やがて復興の道を歩み始めた人々も自分たちの過ちを振り返って深く反省し、生き残った者同士が手を取り合って共に愛し合い、いたわり合って生きていこうと決心した。きっと、そこまでは良かったんだ。そこまでは。
だけど、未曾有の大災厄を経て自分の中にある闇を見た人たちは、その反動で極端なシフトをしてしまった……復興のスローガンとして掲げられた愛と優しさは、いつしかそれを唱えた者たち自身を洗脳して操り始めた。基準も妥当性もろくに検証されず、しかも誰がそれを決めたのかあいまいなまま、共生の概念は歪みをエスカレートさせて誰も傷付かないユートピアを目指し、それに反する思想や文化、果ては一個人の言動さえ、野蛮、卑猥、暴力的で他人を害する危険があると思われれば、ことごとく抹殺するようになっていったんだ……
初めのうちはそれに反発した学者や文化人もいたらしいけど、そうした反社会的思想家は大衆の非難を浴び、片っぱしから逮捕されて政府主導で創設された〈矯正院〉に送られ、再教育が施されることになった。あたしも昔、テレビで一度だけ見たことがある。手錠をはめられ、両脇を笑顔の警察官に挟まれた男――犯した罪状は分からないけど、目をつり上げてわめきながら警察車両に押し込まれたその男が、1カ月後にはまったく別人の穏やかな表情でマスコミの前に現れて、自分の過去の言動を懺悔して許しを請う映像を……誰が中心になったのかって言えば、表面的には政治家やマスコミのように思えるけど、そうした権力を動かしていたのは一般の大衆、何十億もの市民だったワケで、そうして今日、あたしたちが生きている恐ろしい世界が作り上げられたんだよね。
もっとも、あたしも小さい頃はこんな世の中が当り前なんだと思ってた。テレビをつければ家族愛や友情をこれでもかってくらいにたたえ、銃撃や殴り合いはおろか、暴言やエロいセリフの欠片も無い極めて無害な映画やドラマ、ドキュメンタリーが流れ、CMも温もりだとか絆だとかを声高に叫ぶものばっかり。親たちは何不自由のない環境で子供を甘やかして育て、幼稚園や学校では勉強も運動も何も強制されず、ツライこともキビシイことも無い。ただ、ユートピアの秩序のために愛だの優しさだのを交わし合うように洗脳だけはしっかりされる。他人を不快にさせる言動は封殺され、バカだのアホだのって言葉は道徳の授業で使用禁止用語として叩き込まれる。もし他人に悪口を言ったり、軽く叩いたりでもしようもんなら、たちまち満面スマイルの指導教師が飛んできて何時間も穏やかにみっちりと説教され、社会の常識とやらでがんじがらめに縛り上げられる……いつも笑顔を絶やさずに、人に優しくあれ……他人が不快になる、下品で野蛮な言動は絶対に慎むこと……愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛…………………………………
幼稚園でも小学校でも、何度となく教育的指導を受け、密かに要観察対象児童のレッテルを張られてきたあたしはずっと自分を殺してきたけど、中学を経て高校に上がり、思春期も後半に差し掛かると、自分の心に芽生えて成長してきた違和感――ハッキリ言っちゃえば、反感ってのを押し殺すことが難しくなったんだ。いつもいつも、ヘラヘラユルユル生きている周りの人間に怒りを覚え、吐き気をもよおす学校からだんだん足が遠のいて、自宅では異常に道徳的で健全な番組ばかり映すテレビを足蹴にしてたよ。息苦しさにあえいだあたしは声を殺して何度も何度も叫び、あたしの野蛮な衝動に答えてくれるものを求めてネットをさまよったけど、伝説によれば、かつてはエログロナンセンスなアンダーグラウンドが不毛に広がって、匿名性をいいことに見ず知らずの者同士が誹謗中傷し合ったり、あるいは有名人や大企業をよってたかってコキ下ろして気晴らしをしたりっていうダーティさはもはや跡形も無く、純真無垢で清らかで、愛と優しさと思いやりにあふれたリアルの投影があるだけ。そんな現実にあたしは人知れず髪をかきむしって床に倒れ、モダえウナるイモ虫になって右に左にゴロゴロゴロゴロ転げ回った。例え反社会的と言われようとも、あたしは暴力を、破壊を渇望してたんだ。こんな無菌培養されたように潔癖で柔弱な世界だからこそ……!
だけどそのくせ、情けないことにあの頃の臆病なあたしは独りじゃ何もできなかった。偏執的な愛と優しさに包まれている人々の大半はウフフ、オホホと四六時中気持ち悪く微笑んで天国ボケしていたけど、反社会的要素に目を光らせる連中――例えばネットワーク監視者や警察の奴らなんかには油断ができず、とみに取り締まりが厳しくなって厳罰化が進んだ今日じゃ、下手に暴言吐き、乱暴なことをヤラかそうもんなら、未成年のあたしでも通報、逮捕されて矯正院送りになっちゃう。だから、なおさら鬱屈したあたしは愛と優しさを謳い、この世界で生きる人間すべてにその思想を強要しようとする空気が許せなかった。どうにかあたしを同類にしようとたくらむ教師もクラスメイトも、誰も彼もがムカついてたまらなかった。そしてとうとう引きこもったあたしに両親は、ただただ『愛している』『信じている』と猫なで声で呪文のように唱え続けたよ。それを繰り返していれば、あたしが救われるとでも思ってたんでしょ。生みの親にも失望したあたしは、暴れて物を散らかした部屋で悶々とネットをさすらい続け、そして、あれを目にすることになったのよ。
あの日、あたしはいつものように日がすっかり暮れた頃にベッドから這い出し、惰性でパソコンを起動させて、とある動画投稿サイトをぼんやり眺めていたの。そこには、ほのぼのとした家庭のエピソードや爽やかなスポーツの動画といった代物が並んでいた。スポーツと聞けば、世界横断大震災以前は勝敗をかけて真剣勝負が繰り広げられていたらしいけど、今あるのは知っての通り、互いを愛し、いたわる精神の結果として、例えばサッカーはよちよち歩きから少し進歩しただけの幼稚園年少組の試合みたいな、言葉通りの〈玉蹴り〉競技に、バスケものろのろ歩きの〈玉入れ〉ゲームになり果てて、しかもみんなが仲良しでいるためにって点数も付けなければ勝敗も無い、まったくクソっ下らなくて超バカバカしい――っと、こんなヒドい言葉遣いしてると、免疫が無い人にはもしかしたら刺激が強すぎて最後まで見てもらえないかもですね。ま、ところどころの汚い言葉についてはスルーして下さい。
あんまり時間もないから話を続けるけど、ともかく、そのときのあたしは相変わらずのゼツボーな気持ちで新着動画をぼんやりクリックして流し見てたんだ。三世代の家族が肩を組んで『世界中に愛と優しさの花を咲かせましょう!』と笑顔いっぱいで叫ぶホームパーティの動画を見終わり、ディスプレイを叩き割りたい衝動をどうにかこらえたあたしは弱々しく次の動画をクリック。〈心安らぐ自然百景パート②〉――そうタイトルが付けられた動画は、確かに日本各地の山や川、草原、花々といった自然の風景をまとめた、ひどく退屈なものだった。もしキモい笑顔を浮かべた人間がちょっとでも出て来たら、あたしはきっと電源コードを思いっきり引っこ抜いていたと思うけど、その動画はきれいな自然が映し出されていくだけだったから、何となくだらだら見続けてた。そして――再生時間が3分14秒に差しかかったとき、奇跡が……まさに奇跡が起きたんだ! いきなり画面が切り替わったかと思うと、頭に赤いバンダナを巻き、筋肉で張り裂けそうになったランニングシャツとズボン姿の、いかついマッチョ男が昔、博物館で見たことがあるようなマシンガンをけたたましくブッ放し、その銃弾を浴びる軍服の一団が鮮血を飛び散らせて断末魔の叫びを響かせ、派手に吹っ飛ぶ映像がいきなり映ったのよ! 大震災以前の古い映画らしい質感の映像世界で、狂気の笑みを浮かべた男はマシンガンを連射しながら聞いたことのない単語を雄叫んだわ。そのときはFで始まるその言葉が分からなかったけど、後から仲間たちにそれが昔、言葉狩りで抹殺された罵り言葉のキングだと教えられたよ。
突然襲ってきた、スンゴい衝撃――頭が狂いそうなほど求めていたクセに、何の前触れもなく降臨した神を前にして金縛りにあったあたしは目玉をむき、食道がのぞけるほど大口を開け、感電したように全身を震わせたわ。初体験のトンでもない暴力――戦慄と、それ以上の興奮に頭が真っ白になったあたしは、いつの間にか動画が終了して消えた黒い画面を見つめて放心状態になってた。
どうしてあんな……あんな動画があたしの目に触れたのか、正直あのときは分かんなかった。だって、動画投稿サイトはアップロードされたものを一コマ一コマ厳しく検閲にかけ、不道徳な要素や反社会的なシーンが混じっていないか確認してから公開するのが常識だもの。動画自体に細工されてたのか、検閲担当がいい加減な仕事をしていたのか……でも、そんなことはどーでもよかった。こんなものをアップしたら警察に追われる身になるっていうのに、危険を顧みず獰猛な暴力の結晶をあたしに見せてくれた……その痛快さにあたしは生まれて初めて心の底から大笑いしてのけ反った。椅子が後ろに傾いて床にドーンと倒れ、家中に響いた音に驚いて部屋に駆けつけた両親に戸惑った笑顔で見下ろされながら、あたしは床の上で腹を抱えて笑い転げてたっけ。
笑って、笑って、笑って、ひとしきり大笑いして疲れたあたしは、どう接したらいいか判断しかねている両親に面白いコメディ動画があったのよとごまかして、そうか、あら、そうなのと微笑む両親を部屋から押し出した。そうして親を追っ払うと、あたしはすぐさま倒れた椅子を直して座るやリプレイしようとしたけど、さっきまであった〈心安らぐ自然百景パート②〉は跡形も無くなっていた。慌てたあたしはサイトの隅々まで目を皿にして何度も探したけど、どういうわけか影も形も無く、ひょっとして夢でも見たんじゃないかとマジうろたえたよ。
たった一度、ほんの僅かな間だけ姿を見せて消えた神――たった一度だったからこそ、あの凶暴無比な映像は脳裏に焼き付けられ、あたしを激しくモダえさせてくれちゃいました。なんとか頭をクールダウンさせて、おそらくサイト管理会社に発見即削除されたんだと結論付けたあたしは、このサイト以外のどこかにもアップされていないかと考えて、全世界、ネットの隅から隅までくまなく探してやろうと最大手検索サイトを開き、そこの検索バーに〈心安らぐ自然百景パート②〉と打ち込んだの。すると、ウェブ検索結果画面の一番上に表示されたタイトルがピッタリそのまま〈心安らぐ自然百景パート②〉だったジャン! ああ、あの動画サイトだけじゃなく、他でもアップしていたんだ――あのときの興奮は、例えるとゲームのガチャで超々レアキャラを一発ゲットできたときをはるかにしのぐと思うね。狂喜したあたしは両こぶしでほっぺをボコボコ殴り、確かな痛みで夢じゃないことを確認すると、深呼吸を3回繰り返して自分を落ち着かせ、タイトルをクリックしたの。
だけど……そこに現れたのは何の変哲もなさそうな〈アザミンワールド〉って個人ブログ。あ然としたあたしは前の画面に戻って再度タイトルをクリックしたけど、やっぱり〈心安らぐ自然百景パート②〉は〈アザミンワールド〉にしかつながってなかった。あたしはどこかの記事に紛れて〈心安らぐ自然百景パート②〉のことが書かれてるんじゃないかと考え、職場の同僚とどこの店で何を食べたとか、大学時代の友人とどこに出かけて遊んだとか、およそあたしには面白くもナンともない記事をくまなく――といっても、まだほんの2カ月くらい前に開設されたばかりでそれほど記事も多くなかったんだけど、とにかくすべてに目を通したものの、結局、求めているものはどこにも無かった。
落胆したあたしは天井を仰ぎ、魂が抜けるほど大きなため息を吐いて脱力した。それでも心は諦めきれずに激しく焦がれる。そんなに豊かでもない胸をわしづかみしたあたしは、視線を画面に戻すと、もう一度、ブログのトップページに目を凝らし、アザミンというブログ開設者のプロフィールをにらんでひらめいたのよ。この人に直接問い合わせてみようって――そして、すぐさま最新記事のコメント欄に『心安らぐ自然百景パート②希望します』とだけ書き込んだわ。へへ、今にして思えば、テンパった一方的なアクションでハズかしいけどね。そしたらビックリ! コメントをカキコして1分も経たないうちに新しい記事がアップされ、その内容にあたしは正直ビビったわ。
――『コメントをありがとう、選ばれし人よ。私は君のような人を待っていた。一緒に〈心安らぐ自然百景パート②〉について心ゆくまで語り合おう。明日16時、××駅前の〈Honey’s Coffee〉の一番奥のソファ席で待っていてくれ』――
今さらだけど、何だかキザったらしいうえに、どうもウサン臭いよね。いきなりあたしを誘い出そうとするこの怪しげな人物。フツーだったら絶対乗らなかっただろうけど、そのときのあたしは胸躍らせてすぐさまコメント欄に『はい、喜んで!』と即レス。それが、あたしが革命の扉を叩いた瞬間だったよ。
そして翌日――薄曇りのヴェール越しに西に傾いていく陽が差すカフェ、待ち合わせ時刻の2時間前に到着して指定された店内最奥のソファ席に座ったあたしは、ナメクジ並みにのろのろ進む時間にイラつき、鼻にかかった声でご機嫌をチョイチョイうかがってくる店員をテキトーにあしらいながら腕時計の秒針をにらんで早く動け、動けとキョーレツに念じていたわ。2時間が20年にも感じられる時間が過ぎてついに約束の時間になり、あたしはカフェの出入り口ドアを瞬きせずに見つめ続けた。そしたら視界の端に映り込んでいた、斜め前のテーブルに座ってスマホをいじっていた若い男がおもむろに立ち上がってあたしに近寄り、こう声をかけてきたの。
――『初めまして、選ばれし者よ』――
目を見開いたあたしは、20代後半くらいの相手をマジマジと見つめた。少し影がある、どこか詩人を思わせる顔で鋭い意志を秘めたまなざしをぎらっと光らせる男性――それが彼、アザミンこと薊木貴史さんだった……そして、あたしはいつの間にか彼の6畳1間のぼろアパートに上がり、デスクトップパソコンが占拠したローテーブルの横で彼の言葉を正座して聞き入っていたっけ……
――『人類は衰退している』――そう苦しげに吐き出した薊木さんは、こぶしをわなわなと震わせて平均寿命が低下していることを挙げ、その原因が生命力の低下によるものだと説明した。大震災以前と比べて虚弱になり、病気や感染症に対する抵抗力が落ちているのだと。そう言えば、当たり前の光景になり過ぎていて深く考えてなかったけど、確かに幼稚園でも小中高校でもクラスの半分以上はいつも咳、くしゃみをして微熱があり、ひどい皮膚病やアレルギー疾患を患っている子もいたよね。しかもクラスの4分の1はだいたい病欠で、不幸なことにそのうちの何人かは毎年肺炎をこじらせたり、急速に進行したガンが原因であっけなく死んじゃってた。結婚率はほぼ100パーセントなのに出生率はどんどん低下し、人口減少が進んでいることにもあらためて気付かされたし、何よりもハッとしたのは、科学を始めとするあらゆる技術は大震災前のレベルからまったく進歩せず、それどころかシンプル化という言葉にすっかりゴマかされていたけど、なんと次第に退化さえしていたってこと! そうした兆しがいくつもあったのに、人々は――このあたしも問題意識を持っていなかった……恐ろしいことにあたしたちは、いつの間にか考える力さえも失っていきつつあったのよ!
『――考えてみなさい。異常な愛と優しさの下、闘争心を失い、傷付け合って悩み、乗り越える機会を奪われて、ぬくぬくとした環境に浸りきるだけの人間たちにどうして強さが備わると思う? 必要悪をすべて排除し、歪んだ楽園に囚われた人類の未来にあるのは滅びなんだ』
そう言って、薊木さんは怒る目を潤ませた。その黒く燃える瞳を見たとき、あたしは自分が本当に情けなくなったよ。ここ、ここに人類の行く末を心から案じている大人がいる。それに比べてあたしはビジョンも何も無く、ただ感情的に吠えているだけのつまらない子犬に思えたから。
『私は同志を探していたんだ』と、薊木さんはあたしの手を握って語った。この病的な愛と優しさに蝕まれた世界に反逆する素質を持った人間を求めていた、そのために特別なルートで手に入れた反社会的動画を発信元が特定できないようにして投稿し、あたしのような人間がそれを目にして引き寄せられてくるのを待っていたんだと。薊木さんを見つめ返しているうちに、いつの間にかあたしは泣いちゃってた。17年生きてきて初めて出会った尊敬の対象に、言葉にならない感激があふれ出してきたから……
あたしは骨のように細い指をぎゅっと握り返し、何か協力させて欲しいと願い出たんだ。その申し出に薊木さんは目の奥を鈍く光らせて、ありがとう、同志。ぜひ我々の仲間になってくれと言ってあたしを抱き締めた。忘れもしない、あのとき感じた薊木さんの温もりと、うっすら汗ばんだ肌の匂い……
そして薊木さんに付いて町に出たあたしは、やがて駅から少し離れた商店街の端にある、〈となが〉って潰れた定食屋の店先に連れて行かれたの。テナント募集中という張り紙がされ、3分の2ほど下ろされた灰色のシャッターを薊木さんに続いてくぐると、天井の蛍光灯が半分ほどつき、壁に〈ニラ炒め定食 750円〉だの〈オムライス 650円〉だのとマジックで書かれた紙がべたべた貼られてる昭和カルチャー臭プンプンの店内で、数人の若者たちにあたしは注目された。思わず固くなる背中を軽く叩いて薊木さんがあたしの紹介をすると、その中の1人、眉と目が下がり気味な大学生くらいの男の人がテーブル席を立ってあたしに歩み寄り、いきなり『初めまして、おブスちゃん』と微笑しながら言ったんだよ。
『おブスちゃん』――そんな侮辱の言葉を平然と口にした若者に、あたしは目をまん丸くしちゃった。罵り言葉が狩られ、使用禁止にされて久しい今日、そんな言葉を他人から受けたことがなかったウブなあたしは戸惑いで顔を真っ赤にし、どう返せばいいのか分からないまま口を半開きにして突っ立ってたの。すると少しポッチャリした、これも20代前半くらいの女の人がキツネ目を柔らげて、『こんなときは、何よ、このクソろくでなしの極短小インポ野郎って返してあげなさい』と横から優しく声をかけてくれて、それをきっかけに他の人たちがくだけて笑い出したんだ。それが私と同志たちとの出会い。私をおブスちゃんと挨拶代わりに侮辱したのが仲館さん。キツネ目の女性が志摩さん……薊木さんを入れて全部で6人の若い男女。説明されたところだと、仲館さんや志摩さんもあたし同様、薊木さんとネットで出会い、薊木さんの伯父さんが経営している不動産仲介会社が管理する、この潰れた定食屋、店舗兼住宅の2階建て物件にこっそり集っているってことだった。この定食屋の2階住宅部分を隠れ家にした薊木さんたちは互いに遠慮無く、まるでキャッボールを楽しむように乱暴で下品な使用禁止用語を投げ合ったり、一般的には絶滅したと言われている暴力映画を観賞したりしていて、仲間に入れてもらったあたしも一緒になって楽しませてもらったの。
初めての心許せる仲間――かけがえのない友人たち――まるで仲良し同士によるサークル活動みたいな楽しい時間。皆と、薊木さんともアドレスを交換したあたしは、この日以後、周りにバレないように注意して仲館さんや志摩さんと電話でおしゃべりし、薊木さんのブログに開催メッセージの暗号を見つけては、友だちのところに遊びに行くと親をダマして〈となが〉での集会に参加したんだ。たまに悪口言い過ぎてつかみ合いのケンカすることもあったけど、そんなふうに傷付いたり、傷付けたりしながら、あたしたちは反省して絆を深め、そのたびに何て言うか、鍛えられた気がしたよ。ホントにあの頃は幸せだった。みんなと反社会的な楽しみを共有したあの1秒1秒こそ、あたしが初めて感じた心臓の鼓動だった……仲間の数もあたしが足を運ぶ回数を重ねるごとに少しずつ増え、だんだんと2階の部屋からはみ出て、階段に座り込むくらいになっていった。同じ秘密を、性質を持つ人たちとの密やかで刺激に満ちた交流。でも、この背徳的で反社会的なサークルは、決して内向的なもので終わらなかった。
いつも決まって最後には、いびつな愛、優しさ、いたわり、絆といった概念に毒され、滅びの道をゆっくりと歩んで行く人類を嘆き、突き刺すように怒りを口にする仲間たち。それは仲間の増加が頭打ちになり始めた頃からさらに行き詰った響きを強くし、みんなは眉根にしわを深く寄せ、眼光を鋭くし、歯を噛みしめて唇を横一文字に引き締めた、まさに革命家の顔付きになっていった……その危険な空気が渦巻いているとき、あたしは中心に立って熱弁を振るう薊木さんをまぶしく見上げながら、唾を飛ばして語られる理想に興奮と緊張とで胸を震わせていたっけ。そうして彼の憂国の言葉に賛同し、ますます凶暴にうねり、荒れ狂う思想は閉塞した〈となが〉の店舗兼住宅で極限状態へ達して、一つの『計画』へと集束していったんだ……
計画――それは同志が一丸となって武装蜂起し、自分たちの思想を掲げて社会と闘うというもの。腐敗した愛と優しさの世界を否定し、反社会的要素の復活を求める――それは要するに世界横断大震災以前の世界への復古を求める闘争。それでまた人と人とがときに争い、傷付け合うような世界が再来しようとも、その対立を乗り越えながら成長していくモデルをあたしたちは求めたんだ。誰か特定の権力者を暗殺すればいいわけじゃない、インターネットに反社会的映像や主張を潜ませて送り込んでも阻止されるか、またたく間に発見、削除される――もちろん街頭演説で平和的に訴えようとしても、反社会的人物として警察にたちまち逮捕されるって状況では、武装して自分たちを守りながら人々に直接訴えていくしかなかった。それで、あたしたちはデモを行いながら政治の中枢である国会議事堂を目指すことにしたんだ。それはいずれ警察に鎮圧されてしまうんだろうけど、その過程であたしたちの訴えに人々が少しでも耳を貸し、心に僅かでも風穴が開いて社会変革のきっかけになればと思ったの。
そして薊木さんの指示の下、あたしたちは来たるべき日に備えた。何より大変だったのは武器の調達。核兵器は言うに及ばず、銃や警棒、サバイバルナイフなどの凶器がすべて廃絶された世界で武器を調達するのは苦労したけど、工事現場に侵入して鉄パイプを盗んだり、河川敷の小石を拾い集めたりした。そうした秘密の活動に仲間たちと従事するあたしは革命の理想に心を躍らせ、込み上げる破壊衝動に興奮していたんだけど、その一方でXデーが日一日と近付くにつれ、高まる緊張から体調がどんどん悪くなっていったんだ……
そして〈となが〉に集合して武装蜂起をする本日……あたしは集合の時間が迫る頃、笑われるかもしれないけど、自宅トイレの便座に座ってお腹をさすっていたんだ。あたしは……あたしには覚悟が足りなかったんだ。理想に燃えるみんなとの一体感に酔って自分が変わったと錯覚していただけで、実際は破壊や暴力に憧れる臆病な女の子のままだった……集合時刻を過ぎていく腕時計の針をにらみながらお腹の痛みに耐え、汗を噴き出す頭を垂れてあたしは苦悶した。あたしは十分協力した、これ以上自分の身を危険にさらすことはない、デモに参加すれば、間違いなく逮捕されて矯正院に送られ、矯正教育をヤられる……あたしの脳裏には昔見た、矯正された男の姿がまざまざとよみがえった……あんなふうにあたしという人間が【殺されて】しまう恐怖が全身を縛り付けた……だけど……そんなあたしを焚きつけるように皆と共有した時間が、仲館さんや志摩さんの顔が、そして薊木さんの声が生々しく再生されて頭の中に反響し、腐った愛と優しさが支配する世界への反抗がしおれていた頭をぐ、ぐ、ぐ、ともたげさせた……! あそこに、〈となが〉に行かなきゃ、あたしは一生後悔する――立ち上がってパンティとジーンズをぐいっと上げたあたしは、すくんだ足を殴りつけ、吹き飛ばされそうな恐怖の突風に歯を食いしばって抗うと家を飛び出し、きっと鬼のような形相のあたしに道行く人が驚いて飛びのく中、何十回も往復した道をなりふり構わずひた走ったんだ。
だけど――あたしを迎えたのは、商店街の関係者や買い物客らの人垣、白い煙が立ち込める商店街の中をにこにこ眺めながら鼻と口に手やハンカチを当てている光景……まさか――最悪のシナリオがよぎった頭を振って群衆をかき分け、前に出たあたしの耳に笑い声が重なって飛び込み、白い煙が充満する商店街からガスマスクをつけた警察官に両側から拘束された仲館さんが無邪気に笑いながら出て来て、その後から志摩さんや他の仲間もバカ笑いしながら続々現れた……笑いガス――大昔の催涙ガスに代わって現在警察に配備されていて、吸引した者は幸福感に酔いしれ、陽気に笑い続けるという、愛と優しさで配慮された鎮圧用武器……その現実を直視できなかったあたしはその場から逃げ出してここ――この河川敷の陸橋の下まで来たところで陰に倒れ込んだ。どこから漏れたのかは分かんないけど、あたしたちの計画は警察の急襲によって阻止されたんだ。薊木さんも仲館さんも志摩さんも……みんな、間違いなく矯正院に送られて〈善良な人間〉に矯正教育される……
……終わった……何もかも……武装蜂起の失敗、奈落の底のように深い喪失感――倒れ伏して嗚咽し、湿った土の地面をさらに濡らしたあたしは、頭上の陸橋からころんころんと穏やかに響く、電車の行きかう音を何度か耳にしているうちに、そんなところにまでこもる優しさに胸の奥からふつふつと激情のマグマが込み上げてきた。許さない……絶対に許さない……あたしを、仲間たちを認めず、自分たちの価値観を絶対のものとして世界を支配する、すべての善良な人間たち!………………………………
そしてあたしは決心した。残ったあたしがみんなに代わって闘うことを。どうせあたしのことも笑いガスにやられた仲間たちの口からドバドバ漏れているんだろうし、警察に追われて逃げ回るくらいなら、この河川敷に転がってる石を握ってこっちから出て行ってやる。多勢に無勢だろうと構わない。理想を叫びながら反逆して死ぬ道を選んでやる……その前に、あたしはあたしという人間の魂をこのスマホで記録することにしたんだ。ライブストリーミングでやると、ここまでキッチリ語る前に居場所突き止められて捕まるだろうから、こうやって動画で記録してスパムで不特定多数にメールします。そのほとんど――もしかしたら全部が見てもらえないかもしれないけど……でも、誰か1人でもこのメッセージを開いて、あたしという人間の真実を、あたしたちの志を理解してくれることを願って……じゃ、そろそろ終わりにします。見てて下さい、みんな、そして薊木さん。あたしはやります―――――――――――えっ?――何? 着信―――? ―――――――――――薊木さん? ま、まさか? ――も、もしもし、はい、あたしです。はい、はい、え、ええ、無事です。今、××陸橋の下です。薊木さんは? ぶ、無事なんですか? はい……はい……そうですか、良かった………………! どうして、どうしてこんなことになってしまったんですか?……………………………そんな……内通者が……その裏切り者があたしたちを………………………ひどい……一体誰が……! それで、これからどうするんですか、薊木さん? あたしは独りでも計画を実行するつもりだったんですけど……もしもし、聞いてます? 薊木さん?……え? ちょっと、何よ、あんたたち! どうして警察がここに? 何であたしの居場所が?―――――――――まさか……………………まさか……薊木さん、あなたが……? もしもし、答えて下さい! もしもし!…………………………なん……ですって……………? 最初からあたしたちみたいなのを罠にかけるために仕組んだことだったんですか? 反社会的なにおいに引き寄せられて来たあたしたちを集めるだけ集めて、一網打尽にするため…………………………………………………………そ……ん、な……………………………………………………………………………………………………………………ぁはは、はははっははっはははは……ハハハハ……そうか、そうだったんだ……! それにあたしたちみんなまんまとハマったってワケなんだ? あなたはこいつらの手先だったんだ!……へぇ、例え人類が衰退して滅びようとも、傷付け合って成長していく野蛮な世界よりもマシって? あんたらが言う反社会的な要素がみじんもない、純粋無垢な社会こそが理想だって本気で言ってるんだ? ははは、笑えるじゃない? ホントに……! くっ、ぐ……うっ、ウッ、ウウ!………………………………近寄らないでよッッ! そこを動くな、クサレ畜生どもッ! ニコニコニコニコ気持ち悪ィんだよッ! そうなんだ、上等じゃない。薊木さん――本当の名前は違うんでしょうけどね、今も言ったようにあたしは独りでもやるよ。おとなしく投降するつもりなんてないもん。ありがとう、あたしを見出してみんなと出会わせてくれて。おかげで、もしかしたら鬱々とした暗い一生を送るしかなかったかもしれないあたしは、こんなふうに羽化できました。本当にありがとうございました。そして、さようなら――さぁ、やってやろうじゃない、このクソ野郎どもッッ! 行くわよ、ファァァ――――――――――――ッッ――クゥゥッッッ――――――――――――――――――!
ちょっと順序が逆になっちゃったけど、自己紹介させてもらいます。髪が乱れてメチャクチャなうえに顔も汗とか涙で汚れててハズかしいんですけど、ま、しょーがない……あたしは坂川きるか、××在住の高校三年生。高校三年なんて言うと、こんなことをやったのは受験のストレスが原因とかって考える人がいるかもしれないけど、そんなのは全ッ然カンケーないです。あたしのことを分かってもらうために少し自分語りしますけど、あたし現代文と評論と、歴史が少し分かるくらいで、後はゼンメツだったから、別にリッパな大学に行って勝ち組な就職しようとか考えてなかったし、そもそも一生無職だろうと何不自由ない生活が保障されてる社会だから、落ちこぼれたってどーってことないしね。そんなこともあって、学校に行ってたとき、あたしはずーっと机に突っ伏して寝てました。正直、あの頃は生きてるのさえダルかったし、友達なんて1人もいなかったから。
そんなあたしに、教師やクラスメイトはダクダクあふれまくりの愛情を押し付けてきた。あなたにも同じような経験があるかもだけど、あたしの場合、授業中なら教師が数分ごとに背中をイヤらしくさすりながら甘い声でいたわり、休み時間になったら担任を先頭に、病欠している以外のクラスメイト全員、そして他のクラスの生徒――ときには下級生たちまでがあたしの机を取り囲み、体調を気遣って看病しようとしたり、授業内容をバカなあたし用に幼稚園児でも順を追って読んでいけば理解できそうなレベルにまとめて渡そうとしたり、グループで応援のメッセージやコーラスを披露する連中もいれば、良かったらハイヤーを呼んで家まで送ってあげるとか、気晴らしにって小遣いを何万もくれて、ついでに色々なお勧めスポットの情報まで提供し、自分が案内してあげると申し出るウットーしい人もいましたっけ。
こんな話を聞くと、愛されてるじゃーんとか思われるかもだけど、自分たちの善意とやらを押し売りするのはハッキリ言って、ただの暴力。あたしが必要ない、ほっといてといくら叫んでも聞く耳さえ持たずにワーワーガーガー一方的にわめき立てる……結局、あの人たちは異分子のあたしが怖かったのよ。だから、同じカラーに染めようと必死になったワケ……たまりかねて学校を飛び出しても、道で出くわす人たちがあたしの険しい顔を見つけて、まるで肉に食いつくピラニアみたいに「どうしたの~?」「大丈夫~?」とか言っておせっかいを焼く……ホンっとにタマんない……!
なぜ、こんな世の中になったのか……きっかけは〈世界横断大震災〉なんだよね。まだ歴史を詳しく知らない子のために少し説明しておくけど、あたしが生まれるよりも半世紀くらい前に起きた大災厄――大西洋沖で発生した大地震を皮切りに、まるで世界を横断するように連鎖的に起きた大地震とそれに続く大津波、そして火災などの二次災害によって全世界で数百万もの人間が死んじゃって、政治や経済が混乱して略奪が各地で起き、貧しい第三世界では僅かな水や食料を巡って紛争や虐殺も起きたんだよね。この国の人心も荒廃して、殺人や強盗といった事件が頻発したんだ。それは、とってもヒドいことだと思う。あたしがそう感じたように、やがて復興の道を歩み始めた人々も自分たちの過ちを振り返って深く反省し、生き残った者同士が手を取り合って共に愛し合い、いたわり合って生きていこうと決心した。きっと、そこまでは良かったんだ。そこまでは。
だけど、未曾有の大災厄を経て自分の中にある闇を見た人たちは、その反動で極端なシフトをしてしまった……復興のスローガンとして掲げられた愛と優しさは、いつしかそれを唱えた者たち自身を洗脳して操り始めた。基準も妥当性もろくに検証されず、しかも誰がそれを決めたのかあいまいなまま、共生の概念は歪みをエスカレートさせて誰も傷付かないユートピアを目指し、それに反する思想や文化、果ては一個人の言動さえ、野蛮、卑猥、暴力的で他人を害する危険があると思われれば、ことごとく抹殺するようになっていったんだ……
初めのうちはそれに反発した学者や文化人もいたらしいけど、そうした反社会的思想家は大衆の非難を浴び、片っぱしから逮捕されて政府主導で創設された〈矯正院〉に送られ、再教育が施されることになった。あたしも昔、テレビで一度だけ見たことがある。手錠をはめられ、両脇を笑顔の警察官に挟まれた男――犯した罪状は分からないけど、目をつり上げてわめきながら警察車両に押し込まれたその男が、1カ月後にはまったく別人の穏やかな表情でマスコミの前に現れて、自分の過去の言動を懺悔して許しを請う映像を……誰が中心になったのかって言えば、表面的には政治家やマスコミのように思えるけど、そうした権力を動かしていたのは一般の大衆、何十億もの市民だったワケで、そうして今日、あたしたちが生きている恐ろしい世界が作り上げられたんだよね。
もっとも、あたしも小さい頃はこんな世の中が当り前なんだと思ってた。テレビをつければ家族愛や友情をこれでもかってくらいにたたえ、銃撃や殴り合いはおろか、暴言やエロいセリフの欠片も無い極めて無害な映画やドラマ、ドキュメンタリーが流れ、CMも温もりだとか絆だとかを声高に叫ぶものばっかり。親たちは何不自由のない環境で子供を甘やかして育て、幼稚園や学校では勉強も運動も何も強制されず、ツライこともキビシイことも無い。ただ、ユートピアの秩序のために愛だの優しさだのを交わし合うように洗脳だけはしっかりされる。他人を不快にさせる言動は封殺され、バカだのアホだのって言葉は道徳の授業で使用禁止用語として叩き込まれる。もし他人に悪口を言ったり、軽く叩いたりでもしようもんなら、たちまち満面スマイルの指導教師が飛んできて何時間も穏やかにみっちりと説教され、社会の常識とやらでがんじがらめに縛り上げられる……いつも笑顔を絶やさずに、人に優しくあれ……他人が不快になる、下品で野蛮な言動は絶対に慎むこと……愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛…………………………………
幼稚園でも小学校でも、何度となく教育的指導を受け、密かに要観察対象児童のレッテルを張られてきたあたしはずっと自分を殺してきたけど、中学を経て高校に上がり、思春期も後半に差し掛かると、自分の心に芽生えて成長してきた違和感――ハッキリ言っちゃえば、反感ってのを押し殺すことが難しくなったんだ。いつもいつも、ヘラヘラユルユル生きている周りの人間に怒りを覚え、吐き気をもよおす学校からだんだん足が遠のいて、自宅では異常に道徳的で健全な番組ばかり映すテレビを足蹴にしてたよ。息苦しさにあえいだあたしは声を殺して何度も何度も叫び、あたしの野蛮な衝動に答えてくれるものを求めてネットをさまよったけど、伝説によれば、かつてはエログロナンセンスなアンダーグラウンドが不毛に広がって、匿名性をいいことに見ず知らずの者同士が誹謗中傷し合ったり、あるいは有名人や大企業をよってたかってコキ下ろして気晴らしをしたりっていうダーティさはもはや跡形も無く、純真無垢で清らかで、愛と優しさと思いやりにあふれたリアルの投影があるだけ。そんな現実にあたしは人知れず髪をかきむしって床に倒れ、モダえウナるイモ虫になって右に左にゴロゴロゴロゴロ転げ回った。例え反社会的と言われようとも、あたしは暴力を、破壊を渇望してたんだ。こんな無菌培養されたように潔癖で柔弱な世界だからこそ……!
だけどそのくせ、情けないことにあの頃の臆病なあたしは独りじゃ何もできなかった。偏執的な愛と優しさに包まれている人々の大半はウフフ、オホホと四六時中気持ち悪く微笑んで天国ボケしていたけど、反社会的要素に目を光らせる連中――例えばネットワーク監視者や警察の奴らなんかには油断ができず、とみに取り締まりが厳しくなって厳罰化が進んだ今日じゃ、下手に暴言吐き、乱暴なことをヤラかそうもんなら、未成年のあたしでも通報、逮捕されて矯正院送りになっちゃう。だから、なおさら鬱屈したあたしは愛と優しさを謳い、この世界で生きる人間すべてにその思想を強要しようとする空気が許せなかった。どうにかあたしを同類にしようとたくらむ教師もクラスメイトも、誰も彼もがムカついてたまらなかった。そしてとうとう引きこもったあたしに両親は、ただただ『愛している』『信じている』と猫なで声で呪文のように唱え続けたよ。それを繰り返していれば、あたしが救われるとでも思ってたんでしょ。生みの親にも失望したあたしは、暴れて物を散らかした部屋で悶々とネットをさすらい続け、そして、あれを目にすることになったのよ。
あの日、あたしはいつものように日がすっかり暮れた頃にベッドから這い出し、惰性でパソコンを起動させて、とある動画投稿サイトをぼんやり眺めていたの。そこには、ほのぼのとした家庭のエピソードや爽やかなスポーツの動画といった代物が並んでいた。スポーツと聞けば、世界横断大震災以前は勝敗をかけて真剣勝負が繰り広げられていたらしいけど、今あるのは知っての通り、互いを愛し、いたわる精神の結果として、例えばサッカーはよちよち歩きから少し進歩しただけの幼稚園年少組の試合みたいな、言葉通りの〈玉蹴り〉競技に、バスケものろのろ歩きの〈玉入れ〉ゲームになり果てて、しかもみんなが仲良しでいるためにって点数も付けなければ勝敗も無い、まったくクソっ下らなくて超バカバカしい――っと、こんなヒドい言葉遣いしてると、免疫が無い人にはもしかしたら刺激が強すぎて最後まで見てもらえないかもですね。ま、ところどころの汚い言葉についてはスルーして下さい。
あんまり時間もないから話を続けるけど、ともかく、そのときのあたしは相変わらずのゼツボーな気持ちで新着動画をぼんやりクリックして流し見てたんだ。三世代の家族が肩を組んで『世界中に愛と優しさの花を咲かせましょう!』と笑顔いっぱいで叫ぶホームパーティの動画を見終わり、ディスプレイを叩き割りたい衝動をどうにかこらえたあたしは弱々しく次の動画をクリック。〈心安らぐ自然百景パート②〉――そうタイトルが付けられた動画は、確かに日本各地の山や川、草原、花々といった自然の風景をまとめた、ひどく退屈なものだった。もしキモい笑顔を浮かべた人間がちょっとでも出て来たら、あたしはきっと電源コードを思いっきり引っこ抜いていたと思うけど、その動画はきれいな自然が映し出されていくだけだったから、何となくだらだら見続けてた。そして――再生時間が3分14秒に差しかかったとき、奇跡が……まさに奇跡が起きたんだ! いきなり画面が切り替わったかと思うと、頭に赤いバンダナを巻き、筋肉で張り裂けそうになったランニングシャツとズボン姿の、いかついマッチョ男が昔、博物館で見たことがあるようなマシンガンをけたたましくブッ放し、その銃弾を浴びる軍服の一団が鮮血を飛び散らせて断末魔の叫びを響かせ、派手に吹っ飛ぶ映像がいきなり映ったのよ! 大震災以前の古い映画らしい質感の映像世界で、狂気の笑みを浮かべた男はマシンガンを連射しながら聞いたことのない単語を雄叫んだわ。そのときはFで始まるその言葉が分からなかったけど、後から仲間たちにそれが昔、言葉狩りで抹殺された罵り言葉のキングだと教えられたよ。
突然襲ってきた、スンゴい衝撃――頭が狂いそうなほど求めていたクセに、何の前触れもなく降臨した神を前にして金縛りにあったあたしは目玉をむき、食道がのぞけるほど大口を開け、感電したように全身を震わせたわ。初体験のトンでもない暴力――戦慄と、それ以上の興奮に頭が真っ白になったあたしは、いつの間にか動画が終了して消えた黒い画面を見つめて放心状態になってた。
どうしてあんな……あんな動画があたしの目に触れたのか、正直あのときは分かんなかった。だって、動画投稿サイトはアップロードされたものを一コマ一コマ厳しく検閲にかけ、不道徳な要素や反社会的なシーンが混じっていないか確認してから公開するのが常識だもの。動画自体に細工されてたのか、検閲担当がいい加減な仕事をしていたのか……でも、そんなことはどーでもよかった。こんなものをアップしたら警察に追われる身になるっていうのに、危険を顧みず獰猛な暴力の結晶をあたしに見せてくれた……その痛快さにあたしは生まれて初めて心の底から大笑いしてのけ反った。椅子が後ろに傾いて床にドーンと倒れ、家中に響いた音に驚いて部屋に駆けつけた両親に戸惑った笑顔で見下ろされながら、あたしは床の上で腹を抱えて笑い転げてたっけ。
笑って、笑って、笑って、ひとしきり大笑いして疲れたあたしは、どう接したらいいか判断しかねている両親に面白いコメディ動画があったのよとごまかして、そうか、あら、そうなのと微笑む両親を部屋から押し出した。そうして親を追っ払うと、あたしはすぐさま倒れた椅子を直して座るやリプレイしようとしたけど、さっきまであった〈心安らぐ自然百景パート②〉は跡形も無くなっていた。慌てたあたしはサイトの隅々まで目を皿にして何度も探したけど、どういうわけか影も形も無く、ひょっとして夢でも見たんじゃないかとマジうろたえたよ。
たった一度、ほんの僅かな間だけ姿を見せて消えた神――たった一度だったからこそ、あの凶暴無比な映像は脳裏に焼き付けられ、あたしを激しくモダえさせてくれちゃいました。なんとか頭をクールダウンさせて、おそらくサイト管理会社に発見即削除されたんだと結論付けたあたしは、このサイト以外のどこかにもアップされていないかと考えて、全世界、ネットの隅から隅までくまなく探してやろうと最大手検索サイトを開き、そこの検索バーに〈心安らぐ自然百景パート②〉と打ち込んだの。すると、ウェブ検索結果画面の一番上に表示されたタイトルがピッタリそのまま〈心安らぐ自然百景パート②〉だったジャン! ああ、あの動画サイトだけじゃなく、他でもアップしていたんだ――あのときの興奮は、例えるとゲームのガチャで超々レアキャラを一発ゲットできたときをはるかにしのぐと思うね。狂喜したあたしは両こぶしでほっぺをボコボコ殴り、確かな痛みで夢じゃないことを確認すると、深呼吸を3回繰り返して自分を落ち着かせ、タイトルをクリックしたの。
だけど……そこに現れたのは何の変哲もなさそうな〈アザミンワールド〉って個人ブログ。あ然としたあたしは前の画面に戻って再度タイトルをクリックしたけど、やっぱり〈心安らぐ自然百景パート②〉は〈アザミンワールド〉にしかつながってなかった。あたしはどこかの記事に紛れて〈心安らぐ自然百景パート②〉のことが書かれてるんじゃないかと考え、職場の同僚とどこの店で何を食べたとか、大学時代の友人とどこに出かけて遊んだとか、およそあたしには面白くもナンともない記事をくまなく――といっても、まだほんの2カ月くらい前に開設されたばかりでそれほど記事も多くなかったんだけど、とにかくすべてに目を通したものの、結局、求めているものはどこにも無かった。
落胆したあたしは天井を仰ぎ、魂が抜けるほど大きなため息を吐いて脱力した。それでも心は諦めきれずに激しく焦がれる。そんなに豊かでもない胸をわしづかみしたあたしは、視線を画面に戻すと、もう一度、ブログのトップページに目を凝らし、アザミンというブログ開設者のプロフィールをにらんでひらめいたのよ。この人に直接問い合わせてみようって――そして、すぐさま最新記事のコメント欄に『心安らぐ自然百景パート②希望します』とだけ書き込んだわ。へへ、今にして思えば、テンパった一方的なアクションでハズかしいけどね。そしたらビックリ! コメントをカキコして1分も経たないうちに新しい記事がアップされ、その内容にあたしは正直ビビったわ。
――『コメントをありがとう、選ばれし人よ。私は君のような人を待っていた。一緒に〈心安らぐ自然百景パート②〉について心ゆくまで語り合おう。明日16時、××駅前の〈Honey’s Coffee〉の一番奥のソファ席で待っていてくれ』――
今さらだけど、何だかキザったらしいうえに、どうもウサン臭いよね。いきなりあたしを誘い出そうとするこの怪しげな人物。フツーだったら絶対乗らなかっただろうけど、そのときのあたしは胸躍らせてすぐさまコメント欄に『はい、喜んで!』と即レス。それが、あたしが革命の扉を叩いた瞬間だったよ。
そして翌日――薄曇りのヴェール越しに西に傾いていく陽が差すカフェ、待ち合わせ時刻の2時間前に到着して指定された店内最奥のソファ席に座ったあたしは、ナメクジ並みにのろのろ進む時間にイラつき、鼻にかかった声でご機嫌をチョイチョイうかがってくる店員をテキトーにあしらいながら腕時計の秒針をにらんで早く動け、動けとキョーレツに念じていたわ。2時間が20年にも感じられる時間が過ぎてついに約束の時間になり、あたしはカフェの出入り口ドアを瞬きせずに見つめ続けた。そしたら視界の端に映り込んでいた、斜め前のテーブルに座ってスマホをいじっていた若い男がおもむろに立ち上がってあたしに近寄り、こう声をかけてきたの。
――『初めまして、選ばれし者よ』――
目を見開いたあたしは、20代後半くらいの相手をマジマジと見つめた。少し影がある、どこか詩人を思わせる顔で鋭い意志を秘めたまなざしをぎらっと光らせる男性――それが彼、アザミンこと薊木貴史さんだった……そして、あたしはいつの間にか彼の6畳1間のぼろアパートに上がり、デスクトップパソコンが占拠したローテーブルの横で彼の言葉を正座して聞き入っていたっけ……
――『人類は衰退している』――そう苦しげに吐き出した薊木さんは、こぶしをわなわなと震わせて平均寿命が低下していることを挙げ、その原因が生命力の低下によるものだと説明した。大震災以前と比べて虚弱になり、病気や感染症に対する抵抗力が落ちているのだと。そう言えば、当たり前の光景になり過ぎていて深く考えてなかったけど、確かに幼稚園でも小中高校でもクラスの半分以上はいつも咳、くしゃみをして微熱があり、ひどい皮膚病やアレルギー疾患を患っている子もいたよね。しかもクラスの4分の1はだいたい病欠で、不幸なことにそのうちの何人かは毎年肺炎をこじらせたり、急速に進行したガンが原因であっけなく死んじゃってた。結婚率はほぼ100パーセントなのに出生率はどんどん低下し、人口減少が進んでいることにもあらためて気付かされたし、何よりもハッとしたのは、科学を始めとするあらゆる技術は大震災前のレベルからまったく進歩せず、それどころかシンプル化という言葉にすっかりゴマかされていたけど、なんと次第に退化さえしていたってこと! そうした兆しがいくつもあったのに、人々は――このあたしも問題意識を持っていなかった……恐ろしいことにあたしたちは、いつの間にか考える力さえも失っていきつつあったのよ!
『――考えてみなさい。異常な愛と優しさの下、闘争心を失い、傷付け合って悩み、乗り越える機会を奪われて、ぬくぬくとした環境に浸りきるだけの人間たちにどうして強さが備わると思う? 必要悪をすべて排除し、歪んだ楽園に囚われた人類の未来にあるのは滅びなんだ』
そう言って、薊木さんは怒る目を潤ませた。その黒く燃える瞳を見たとき、あたしは自分が本当に情けなくなったよ。ここ、ここに人類の行く末を心から案じている大人がいる。それに比べてあたしはビジョンも何も無く、ただ感情的に吠えているだけのつまらない子犬に思えたから。
『私は同志を探していたんだ』と、薊木さんはあたしの手を握って語った。この病的な愛と優しさに蝕まれた世界に反逆する素質を持った人間を求めていた、そのために特別なルートで手に入れた反社会的動画を発信元が特定できないようにして投稿し、あたしのような人間がそれを目にして引き寄せられてくるのを待っていたんだと。薊木さんを見つめ返しているうちに、いつの間にかあたしは泣いちゃってた。17年生きてきて初めて出会った尊敬の対象に、言葉にならない感激があふれ出してきたから……
あたしは骨のように細い指をぎゅっと握り返し、何か協力させて欲しいと願い出たんだ。その申し出に薊木さんは目の奥を鈍く光らせて、ありがとう、同志。ぜひ我々の仲間になってくれと言ってあたしを抱き締めた。忘れもしない、あのとき感じた薊木さんの温もりと、うっすら汗ばんだ肌の匂い……
そして薊木さんに付いて町に出たあたしは、やがて駅から少し離れた商店街の端にある、〈となが〉って潰れた定食屋の店先に連れて行かれたの。テナント募集中という張り紙がされ、3分の2ほど下ろされた灰色のシャッターを薊木さんに続いてくぐると、天井の蛍光灯が半分ほどつき、壁に〈ニラ炒め定食 750円〉だの〈オムライス 650円〉だのとマジックで書かれた紙がべたべた貼られてる昭和カルチャー臭プンプンの店内で、数人の若者たちにあたしは注目された。思わず固くなる背中を軽く叩いて薊木さんがあたしの紹介をすると、その中の1人、眉と目が下がり気味な大学生くらいの男の人がテーブル席を立ってあたしに歩み寄り、いきなり『初めまして、おブスちゃん』と微笑しながら言ったんだよ。
『おブスちゃん』――そんな侮辱の言葉を平然と口にした若者に、あたしは目をまん丸くしちゃった。罵り言葉が狩られ、使用禁止にされて久しい今日、そんな言葉を他人から受けたことがなかったウブなあたしは戸惑いで顔を真っ赤にし、どう返せばいいのか分からないまま口を半開きにして突っ立ってたの。すると少しポッチャリした、これも20代前半くらいの女の人がキツネ目を柔らげて、『こんなときは、何よ、このクソろくでなしの極短小インポ野郎って返してあげなさい』と横から優しく声をかけてくれて、それをきっかけに他の人たちがくだけて笑い出したんだ。それが私と同志たちとの出会い。私をおブスちゃんと挨拶代わりに侮辱したのが仲館さん。キツネ目の女性が志摩さん……薊木さんを入れて全部で6人の若い男女。説明されたところだと、仲館さんや志摩さんもあたし同様、薊木さんとネットで出会い、薊木さんの伯父さんが経営している不動産仲介会社が管理する、この潰れた定食屋、店舗兼住宅の2階建て物件にこっそり集っているってことだった。この定食屋の2階住宅部分を隠れ家にした薊木さんたちは互いに遠慮無く、まるでキャッボールを楽しむように乱暴で下品な使用禁止用語を投げ合ったり、一般的には絶滅したと言われている暴力映画を観賞したりしていて、仲間に入れてもらったあたしも一緒になって楽しませてもらったの。
初めての心許せる仲間――かけがえのない友人たち――まるで仲良し同士によるサークル活動みたいな楽しい時間。皆と、薊木さんともアドレスを交換したあたしは、この日以後、周りにバレないように注意して仲館さんや志摩さんと電話でおしゃべりし、薊木さんのブログに開催メッセージの暗号を見つけては、友だちのところに遊びに行くと親をダマして〈となが〉での集会に参加したんだ。たまに悪口言い過ぎてつかみ合いのケンカすることもあったけど、そんなふうに傷付いたり、傷付けたりしながら、あたしたちは反省して絆を深め、そのたびに何て言うか、鍛えられた気がしたよ。ホントにあの頃は幸せだった。みんなと反社会的な楽しみを共有したあの1秒1秒こそ、あたしが初めて感じた心臓の鼓動だった……仲間の数もあたしが足を運ぶ回数を重ねるごとに少しずつ増え、だんだんと2階の部屋からはみ出て、階段に座り込むくらいになっていった。同じ秘密を、性質を持つ人たちとの密やかで刺激に満ちた交流。でも、この背徳的で反社会的なサークルは、決して内向的なもので終わらなかった。
いつも決まって最後には、いびつな愛、優しさ、いたわり、絆といった概念に毒され、滅びの道をゆっくりと歩んで行く人類を嘆き、突き刺すように怒りを口にする仲間たち。それは仲間の増加が頭打ちになり始めた頃からさらに行き詰った響きを強くし、みんなは眉根にしわを深く寄せ、眼光を鋭くし、歯を噛みしめて唇を横一文字に引き締めた、まさに革命家の顔付きになっていった……その危険な空気が渦巻いているとき、あたしは中心に立って熱弁を振るう薊木さんをまぶしく見上げながら、唾を飛ばして語られる理想に興奮と緊張とで胸を震わせていたっけ。そうして彼の憂国の言葉に賛同し、ますます凶暴にうねり、荒れ狂う思想は閉塞した〈となが〉の店舗兼住宅で極限状態へ達して、一つの『計画』へと集束していったんだ……
計画――それは同志が一丸となって武装蜂起し、自分たちの思想を掲げて社会と闘うというもの。腐敗した愛と優しさの世界を否定し、反社会的要素の復活を求める――それは要するに世界横断大震災以前の世界への復古を求める闘争。それでまた人と人とがときに争い、傷付け合うような世界が再来しようとも、その対立を乗り越えながら成長していくモデルをあたしたちは求めたんだ。誰か特定の権力者を暗殺すればいいわけじゃない、インターネットに反社会的映像や主張を潜ませて送り込んでも阻止されるか、またたく間に発見、削除される――もちろん街頭演説で平和的に訴えようとしても、反社会的人物として警察にたちまち逮捕されるって状況では、武装して自分たちを守りながら人々に直接訴えていくしかなかった。それで、あたしたちはデモを行いながら政治の中枢である国会議事堂を目指すことにしたんだ。それはいずれ警察に鎮圧されてしまうんだろうけど、その過程であたしたちの訴えに人々が少しでも耳を貸し、心に僅かでも風穴が開いて社会変革のきっかけになればと思ったの。
そして薊木さんの指示の下、あたしたちは来たるべき日に備えた。何より大変だったのは武器の調達。核兵器は言うに及ばず、銃や警棒、サバイバルナイフなどの凶器がすべて廃絶された世界で武器を調達するのは苦労したけど、工事現場に侵入して鉄パイプを盗んだり、河川敷の小石を拾い集めたりした。そうした秘密の活動に仲間たちと従事するあたしは革命の理想に心を躍らせ、込み上げる破壊衝動に興奮していたんだけど、その一方でXデーが日一日と近付くにつれ、高まる緊張から体調がどんどん悪くなっていったんだ……
そして〈となが〉に集合して武装蜂起をする本日……あたしは集合の時間が迫る頃、笑われるかもしれないけど、自宅トイレの便座に座ってお腹をさすっていたんだ。あたしは……あたしには覚悟が足りなかったんだ。理想に燃えるみんなとの一体感に酔って自分が変わったと錯覚していただけで、実際は破壊や暴力に憧れる臆病な女の子のままだった……集合時刻を過ぎていく腕時計の針をにらみながらお腹の痛みに耐え、汗を噴き出す頭を垂れてあたしは苦悶した。あたしは十分協力した、これ以上自分の身を危険にさらすことはない、デモに参加すれば、間違いなく逮捕されて矯正院に送られ、矯正教育をヤられる……あたしの脳裏には昔見た、矯正された男の姿がまざまざとよみがえった……あんなふうにあたしという人間が【殺されて】しまう恐怖が全身を縛り付けた……だけど……そんなあたしを焚きつけるように皆と共有した時間が、仲館さんや志摩さんの顔が、そして薊木さんの声が生々しく再生されて頭の中に反響し、腐った愛と優しさが支配する世界への反抗がしおれていた頭をぐ、ぐ、ぐ、ともたげさせた……! あそこに、〈となが〉に行かなきゃ、あたしは一生後悔する――立ち上がってパンティとジーンズをぐいっと上げたあたしは、すくんだ足を殴りつけ、吹き飛ばされそうな恐怖の突風に歯を食いしばって抗うと家を飛び出し、きっと鬼のような形相のあたしに道行く人が驚いて飛びのく中、何十回も往復した道をなりふり構わずひた走ったんだ。
だけど――あたしを迎えたのは、商店街の関係者や買い物客らの人垣、白い煙が立ち込める商店街の中をにこにこ眺めながら鼻と口に手やハンカチを当てている光景……まさか――最悪のシナリオがよぎった頭を振って群衆をかき分け、前に出たあたしの耳に笑い声が重なって飛び込み、白い煙が充満する商店街からガスマスクをつけた警察官に両側から拘束された仲館さんが無邪気に笑いながら出て来て、その後から志摩さんや他の仲間もバカ笑いしながら続々現れた……笑いガス――大昔の催涙ガスに代わって現在警察に配備されていて、吸引した者は幸福感に酔いしれ、陽気に笑い続けるという、愛と優しさで配慮された鎮圧用武器……その現実を直視できなかったあたしはその場から逃げ出してここ――この河川敷の陸橋の下まで来たところで陰に倒れ込んだ。どこから漏れたのかは分かんないけど、あたしたちの計画は警察の急襲によって阻止されたんだ。薊木さんも仲館さんも志摩さんも……みんな、間違いなく矯正院に送られて〈善良な人間〉に矯正教育される……
……終わった……何もかも……武装蜂起の失敗、奈落の底のように深い喪失感――倒れ伏して嗚咽し、湿った土の地面をさらに濡らしたあたしは、頭上の陸橋からころんころんと穏やかに響く、電車の行きかう音を何度か耳にしているうちに、そんなところにまでこもる優しさに胸の奥からふつふつと激情のマグマが込み上げてきた。許さない……絶対に許さない……あたしを、仲間たちを認めず、自分たちの価値観を絶対のものとして世界を支配する、すべての善良な人間たち!………………………………
そしてあたしは決心した。残ったあたしがみんなに代わって闘うことを。どうせあたしのことも笑いガスにやられた仲間たちの口からドバドバ漏れているんだろうし、警察に追われて逃げ回るくらいなら、この河川敷に転がってる石を握ってこっちから出て行ってやる。多勢に無勢だろうと構わない。理想を叫びながら反逆して死ぬ道を選んでやる……その前に、あたしはあたしという人間の魂をこのスマホで記録することにしたんだ。ライブストリーミングでやると、ここまでキッチリ語る前に居場所突き止められて捕まるだろうから、こうやって動画で記録してスパムで不特定多数にメールします。そのほとんど――もしかしたら全部が見てもらえないかもしれないけど……でも、誰か1人でもこのメッセージを開いて、あたしという人間の真実を、あたしたちの志を理解してくれることを願って……じゃ、そろそろ終わりにします。見てて下さい、みんな、そして薊木さん。あたしはやります―――――――――――えっ?――何? 着信―――? ―――――――――――薊木さん? ま、まさか? ――も、もしもし、はい、あたしです。はい、はい、え、ええ、無事です。今、××陸橋の下です。薊木さんは? ぶ、無事なんですか? はい……はい……そうですか、良かった………………! どうして、どうしてこんなことになってしまったんですか?……………………………そんな……内通者が……その裏切り者があたしたちを………………………ひどい……一体誰が……! それで、これからどうするんですか、薊木さん? あたしは独りでも計画を実行するつもりだったんですけど……もしもし、聞いてます? 薊木さん?……え? ちょっと、何よ、あんたたち! どうして警察がここに? 何であたしの居場所が?―――――――――まさか……………………まさか……薊木さん、あなたが……? もしもし、答えて下さい! もしもし!…………………………なん……ですって……………? 最初からあたしたちみたいなのを罠にかけるために仕組んだことだったんですか? 反社会的なにおいに引き寄せられて来たあたしたちを集めるだけ集めて、一網打尽にするため…………………………………………………………そ……ん、な……………………………………………………………………………………………………………………ぁはは、はははっははっはははは……ハハハハ……そうか、そうだったんだ……! それにあたしたちみんなまんまとハマったってワケなんだ? あなたはこいつらの手先だったんだ!……へぇ、例え人類が衰退して滅びようとも、傷付け合って成長していく野蛮な世界よりもマシって? あんたらが言う反社会的な要素がみじんもない、純粋無垢な社会こそが理想だって本気で言ってるんだ? ははは、笑えるじゃない? ホントに……! くっ、ぐ……うっ、ウッ、ウウ!………………………………近寄らないでよッッ! そこを動くな、クサレ畜生どもッ! ニコニコニコニコ気持ち悪ィんだよッ! そうなんだ、上等じゃない。薊木さん――本当の名前は違うんでしょうけどね、今も言ったようにあたしは独りでもやるよ。おとなしく投降するつもりなんてないもん。ありがとう、あたしを見出してみんなと出会わせてくれて。おかげで、もしかしたら鬱々とした暗い一生を送るしかなかったかもしれないあたしは、こんなふうに羽化できました。本当にありがとうございました。そして、さようなら――さぁ、やってやろうじゃない、このクソ野郎どもッッ! 行くわよ、ファァァ――――――――――――ッッ――クゥゥッッッ――――――――――――――――――!
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