悪魔憑きファウスト

焼津ヶ袚八雲

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-1:堕胎告知

アスモデウスは笑わない

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 電子音が規則的に鳴る白い部屋。
 サラは目の前で眠るマリネの無事を祈りながら、未だ全容がつかめぬ凶徒へ復讐心を燃やしていた。
 通話で報告を受けてすぐ病院へ急行したが、医師の話では今も五分五分の状況らしい。
 治癒魔術が使える者を要請もしたが、予想通り申請は却下されそちらは期待出来ない。
そうなるとサラに出来るのは、被害者と共に連れ去られたティファ、そして危篤のマリネが無事であるよう祈る事のみ。
このまま吶喊しないのは、最低限の理性がなんとかこの場に両足を縛り付けているからに過ぎない。容疑者リストが来た瞬間にその鎖も引き千切って鏖殺しかねん殺意が、死を否定せんとするこの部屋に充満していた。
「モーリアック隊長、よろしいですか?」
 赤職員のミネルヴァ・ボーズマンに呼び出され病室を背に立つと、アーノルドは書類を持参して報告を行う。
「こちらが誘拐実行犯の可能性があり、尚且つ我々が介入可能な組織の一覧です」
 報告を聞きながらも端的にまとめられた資料を見る。
「リゼン自治区周辺の組織に絞れば4、活動が確認されている組織を含めると11になります」
「分かった」
 組織の数も、サラにとっては取るに足らない烏合の衆でしかないらしい。候補組織の数を聞いても眉一つ上がらない。
「それと、魔術使用の許可申請なんですが、却下されました」
 分かっていた事だ。恐らく却下されるのは分かっていた。
 だが非常時や身体の危機に際した場合は使用が許されるのだから、別段大きなマイナスではない。
――そもそも守る義理も無い。処罰なんてどうでもいい
「再申請してみますが……本当に、行くのですか」
「何か問題が?」
 ミネルヴァのサラを案じる想いも、彼女には何の価値も見せられなかった。
「くれぐれも、お気をつけて」
 止められないのを察すると、ミネルヴァはただ身の安全を願って待つしか出来ない。
 黒ですらない、実戦に参加する事が許されない故の歯がゆさが、彼女の心に纏わりついて離れない。
「マリネをお願い」
「……はい」
 サラは読み終えた資料を返して、速足で病院を後にした。
 鎖は外れた、首輪は壊れた。
 猟犬は、ただの獣に堕ちた。
 狩人は獣を追い求めるあまり、獣になってしまった。


 まずサラが標的に定めたのは、リゼン自治区に本拠地を置くマフィア、カイゼル・クラン。
 カイゼルの主な商売は人身売買、そして東洋の島国を真似た高利貸しも行っているらしく、リストの中では資金面でトップに立つ。
 根城は海岸の古びた倉庫。開けた場所は監視や狙撃に適しており、逃走経路としてボートで川を進める上、平坦でスペースがある場所というのはヘリの離着陸に適している。
 下見の段階でボートの位置は把握済み、ヘリは見当たらず手配されても到着から離陸まで時間が掛かるだろう。
 問題無い、ただ制圧するだけなら何の障害も存在しない。
 しかし候補の段階とはいえ、向こうには人質がいる可能性を考慮しなければならない。先日のキニ―トのような動きは出来ないだろう。
 こちらの戦力は青の機関員であるサラ・モーリアックただ1人。対して向こうは推定30人は下らない。
「いいや、戦力計算は」
 思考すら面倒臭い。人質に被害が及ばなければ、どれだけ暴れた所で問題無い。
「《悪魔憑きアスモデウス》」
 そして躊躇しない。どれだけの罰が下されるかを考えるのも鬱陶しい。
 サラが魔術を発動させると、虚空から煮えたぎる炎のような《核》が現れ、それを中心に甲冑のような体の骸骨が湧き出てくる。
 その数は4、術師本人と合わせて計5人となった。
「行け」
 主人の号令で骸骨――ポルターガイストは一斉に散開、それぞれが己を誇示するように倉庫の周囲を駆ける。
「なんだ!?」
 見張り役が気付いて銃を向けようとする刹那、ポルターガイストは銃口を握って己の熱で溶かし塞ぐ。
 その光景に呆気にとられた青年共に蹴りを入れ、まず正面入り口の警備を制圧した。
 察しの良い何人かが正面入り口に集合したのを確認すると、裏口から2体と窓から1体が続いて侵入した。
 ポルターガイストに与えた指令は『武器を持った人間と攻撃の意思を示した人間の制圧』。彼等は武装したマフィアの存在を確認した瞬間速度を上げて背後から奇襲する。
 相手の振り向きざまに顔面を殴り、あるいは回し蹴りで次々と数を減らす。
「っ、魔術師だ!」
 頃合いを見計らってサラも正面から突入、彼等がライフルを向けようがその鉄仮面は揺らがない。
「来るな! 近づいたら撃つぞ!」
 恐怖が見え透いた脅しをする青年に、サラは立ち止まってポルターガイストを隣まで飛び退かせる。
「……お前は、人を殺した事があるのか」
「はぁ?」
 恐怖を御しきれない青年は、全身の震えが銃身にまで波及していた。
「ライフルでハチの巣にした事は」
「……っ、く、くるな!」
 再び歩みを進めるサラとポルターガイストに、気圧されたのか引き下がりながらも青年は銃を捨てない。
「敵を生きたまま燃やした事は」
「……やめろ、近づくな……っ!」
「身勝手な大人の道具にされた事は」
「ひっ、ひ……」
「クズの欲望に襲われ、捨てられた事はあるか」
 一歩、また一歩と進む度に、魔力という具象化した殺意が青年の肌を焼く。
 周囲の温度が上がり、まるで砂漠の中心にいるかのように。しかし精神は、天敵を前に震える事しか出来ない哀れな動物のように凍えて死を待っている。
「なぁ、答えろよ。どんな気持ち? 人間をモノにするのは」
「ぁ、ぁ……」
「さぞ気持ちがいいだろうね。相手が泣き叫ぼうが、殺してと懇願しようが、ただ自分の欲望を吐き出す道具にする気分ってのは」
「ひっ、ぃ」
 恐怖でおかしくなったのか、胎児のように丸くなってぶるぶると震えるだけの肉塊と化してしまった。
「半端な覚悟で、人殺しの道具そんなもの持ってんじゃねぇよ」
 殺意か哀れみか、少なくとも蔑みの籠った目で青年を一瞥して倉庫に侵入した。
 倉庫内は既にポルターガイスト達に制圧されており、銃とマフィアがゴミの様に捨てられただけの静寂な空間が広がっていた。
「……」
 そしてその先には、を入れた檻が収納されたコンテナがいくつも並んでいた。
「条約違反の絶滅危惧種、か」
 どうやら人間以外にも、絶滅危惧種に指定されている動物がちらほら見える。しかしどれもロクな管理環境になかったのか、痩せ細って威嚇する気力も湧いていない。
 乱雑に並べられたテーブルから書類を漁り、人間のリストを発見。
 そこには名前と出身地に捕らえた場所、そして身体情報が記された上で最後にアルファベットが記載されていた。
 悪趣味、それすら生温い悪を垣間見た。
 いくつかあったリストを全て調べ尽くしたが、誘拐事件被害者の名前もティファの名前も無
かった。
「……何がっかりしてんだよ」
 ふと思ってしまった、ただ漏れ出たその感情はあまりに不快だった。
――とりあえず事後処理部隊を呼んで次の場
「あれぇ、もうやられちゃったの? 不甲斐ないなぁ」
 聞き覚えのある、しかしあまりに印象の違う声にパッと振り向くと、コンテナの淵に座るマルク・ホ―テンセンの姿があった。
「やぁ、初めまして。あ、この体は知ってるのか」
――気配を感じなかった、それにホ―テンセンと初めて会った時気配は民間人と変わり無かったはず
「……誰だ、お前」
 ポルターガイストを前に出し、戦闘態勢を取って訪ねる。
「俺はダンタリオン。マルクと契約した悪魔だ」
「契約? いつ?」
「君と会った時からそうだったよ。俺は気配を消すのが得意で
 発言を遮って、炎の塊がダンタリオンと名乗った男に向けて飛んだ。
 しかし炎は空を焼いただけで、肝心のダンタリオンはいつの間にか背後に移動していた。
「おいおい、人の話は最後まで聞こうよ」
 ポルターガイストの攻撃も軽く避け、どこまでも飄々とした態度でサラを見る。
「二週間前のギュルヴィ信者誘拐事件、それと昨日、お前が『お嬢さん』と呼んだ祓魔機関隊員を誘拐したのはお前か?」
「そうだ、と言ったら?」
 サラは両手に炎を纏わせ、更に2体ポルターガイストを召喚する。
「焼き殺す」
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