悪魔憑きファウスト

焼津ヶ袚八雲

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-1:堕胎告知

主に歯向かう

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 マルク・ホ―テンセン。ティファから見て彼は、ただの気の良い紳士だった。
 仕事に勤勉だが周囲へは気さくに接し、褒めこそすれ責め立てる事は無い。しかもどうやら愛妻家で、ふとした拍子に惚気話が飛び出してくる。
「何であの人見張れって言ったんだろ、隊長」
 マリネから監視を交代して2時間、マルクに対しての懐疑心どころかサラの方に疑念が向いてしまいそうになる。
 頼まれてすぐに一度聞きはしたが、
『話したら君は突っ走るから』
 などと返されただけで答えはくれなかった。
「じっとしてるの苦手なんだけどなぁ」
 しかし、以前に人員補充を提言した時の事を思い出すと割り切って監視を続ける。
「あ」
 どうやら車で移動するらしい。ティファも一定距離を置いて追跡する。
『ターゲット移動、追跡します』
 最低限のメッセージだけを送信して標的を注視する。
 どうやらマルクの目的地は場末の喫茶店らしい。ティファも一瞬の後に降車して喫茶店に入った。
「いらっしゃい」
 何気ない顔でテーブル席に座り、横目にマルクの様子を観察する。
 マルクはこの店の常連なのか、特に注文もしていないのにコーヒーとサンドイッチがテーブルに置かれた。
『ターゲットは喫茶店に入店、多分お昼です』
 一応連絡を挟んでおいて、メニューを睨むフリをしてターゲットから目を離さない。
――マリネ来てぇ!
 胃がおかしくなってしまいそうになる。腹の探り合いはどうも苦手だ。
「ご注文はお決まりですか?」
 意識外からの声に肩を震わせてしまう。
 マルクに視線がいってマスターが横にいた事に気が付かなかった。
「えっ、と、コーヒー、あと……コーヒーだけで」
「かしこまりました」
 マスターがカウンターへ戻ったのを確認すると、まるで試験を終えた受験生のように緊張の糸がほぐれた。
 その後も一定間隔でマルクに視線を向け、聴覚は常に彼の方へ集中させる。
「最近どうだい?」
「いや、暇なもんだ。良い事なんだけどね。先週やってた仕事も上の判断で取り上げられたし」
「……」
 その呟きに、ティファはどこか心に煙が燻ぶっているような感覚を覚えた。
 理由はいくつか思い当たる。第一に、彼から仕事を奪ったような形になった事。こちら側とて押し付けられた結果が今の状態なのだが、自分はそれとは無関係だと割り切れるほど、ティファの心は研がれて尖れていなかった。
彼女の牙は、実に中途半端だった。
――ホント、ただの良い人じゃん
 第二に、これだけ正義感の強さと善性を見せつけられたマルクに対して容疑者のような扱いをしている自分に対するもの。指令を出したサラは何も言わず、マリネも察しているのかいないのか分からないが多くを語ろうとしない。いっそ疎外感すら感じてしまう。
「どうぞ、コーヒーです」
 数分も経ってないというのに、コーヒーを頼んでいたのを忘れていた。
 飲めもしないのに何故わざわざコーヒーを頼んだのか。つくづく自分は張り込みに向いていないと思う。
「ホント、転職でもしようかな」
「そりゃまた、何故に?」
「いやぁ、この仕事が向いてなi……」
 あまりに自然に割り込んで来た声の主を向くと、いつの間にやらマルクが目の前に立っていた。
「ここ座っても?」
「え、あ……」
 焦燥と驚愕で周囲を意味も無く見渡してしまうと、どうやらカウンター席にいた事を聞きたいのだと勘違いされたらしい。何故かサンドイッチとコーヒーカップを持って来てテーブルに座ってしまった。
「それで、転職とは。祓魔機関というのは案外ブラックなのですかな?」
「いや、ブラックって訳じゃ……はい?」
 今マルクは何と言った? 自己紹介も聞かずにティファが祓魔機関の人間であると見抜いたのか?
「あれ、違いました?」
 どうやら魔術の類ではなく、推理小説の主人公のような洞察力の類のようだ。それでも明確に彼女の職を当てられるのは日々の賜物か。
「仕事柄身なりで大体の事が分かるのです。スーツを着ていて腰にホルスターを付けているから法執行機関か軍である可能性が高い。けど警察ウチに貴女のような方はいないし、軍がわざわざスーツで喫茶店に来るとは思えない。最近は国際警察の類が出てくるような事件も無い。けどつい先週この近辺で起きた誘拐事件、あれは今祓魔機関が請け負っている。しかも朝方、その祓魔機関の方が話を聞きに来ましてね。知らず知らずにたるんでいたと気づかされました」
「は、はぁ」
 マルクという男の頭の回転の速さに、ティファは圧倒を通り越して感動すら覚えていた。
 マルクの話を整理するとつまり、彼は腰のホルスターとスーツという身なり、それに身内の顔という3点のみでティファが祓魔機関だと言い当てたのだ。
 まさに推理小説の主人公のような彼は、推理が的中したのを察すると得意げに笑ってコーヒーを軽く飲んだ。
「いやはや。しかし祓魔機関は優秀ですな」
「いえいえ、私なんてまだひこっよで」
「だとしたら一層恐ろしいですな」
 ティファの謙遜も意に返さず、マルクを立ち上がって言った。

「昨日の今日で、犯人を探し当てるのですからな」

 その言葉と共に、鍛え抜かれた腕が伸び――
「お前を逮捕する」
 隣のテーブルにいた青年の腕を握った。
「はぁ? 爺さんなにボケてん
「その鞄の中見せてみろ」
 つい先程の好好爺のそれとは真逆の、冷酷に獲物を追い詰めるハンターの声を纏って尋問する。
 青年は鞄の中に都合の悪いものでも入っているのだろうか、それともマルクの気配に圧倒されているのか、一瞬の内に顔を青ざめさせて震え出した。
「おいおい、あんさんも逃げようとするんじゃないよ」
 向かい合って座っていた男など睨まれただけで委縮して、『蛇に睨まれたカエル』という構図の手本にもなっているのかと思ってしまう。
「お嬢さん、悪いけどコイツ等見ててくれないかい? 俺は応援を呼ぶから」
「あっ、はい」
 言われるがままホルスターから銃を取り出して男達を睨む。
「気を付けろよ、この嬢ちゃんは怖いぞ」
 そう言ってから背中を見せるマルク。ティファは無性に彼の事を殴りたいという衝動が湧いた。
――アンタで実戦してやりましょうか?
 しかしティファにそんな度胸も無く、任された通りならず者の警戒を続けた。


 どうやらあの男達は、違法薬物の売人と客という関係らしい。取引の品は悪魔の召喚や呪術にも使われるというマンドレイクの粉末。
 後からそれを聞いたティファは、世間は狭いのだなと不思議な気分が湧いた。
 マンドレイクの取引も、確かに祓魔機関の取り締まり範囲内の事案だ。
「すごいですね」
「いや、こういうのは続けてると自然に身に付くからね。君ももう少し仕事を続けてみれば、何か得られるものがあるかもしれんよ」
 そう言い残して、マルクは護送車に男達を放り込んで行ってしまった。
「あ行っちゃ……まいっか。あの人いい人だし」
 けど怒られるかもなぁ、ティファは怒りを纏って笑いかけるサラのイメージを想像してしまう震えた。
「隊長に何て説明し、よ……」
 弁明の言葉を綴りながらバンに戻ると、バンにもたれ掛かって煙草を吹かすサラその人がいた。
「あ、たい、隊長……」
「……あぁ、おかえり」
 いつも通り抑揚のない声でサラは返すと、バンを指し示して開けるように促す。
 ティファも駆け寄りながらバンの鍵を開け、ひとまず運転席に飛び乗ってから、
「スミマセン監視対象から離れてしまいましてでもあの人すごくいい人ですし何か問題をやらかしそうな気配は何も」
「あの男だけどさ」
 早口で弁明を乱打するティファを無視して、サラは灰皿に煙草を放ってから言った。
「多分交錯十字ドッペルクロイツの協力者だと思う」
 突拍子も無い事を告げられ、ティファは弁明のために開けた口が塞がらなかった。
 ティファの驚愕が察せられないのか、正面の建物とほんの少しの空を眺めながら疑惑を向けた理由を語り始めた。
「証言者の老人について、あの男に聞いた後捜査に参加してた他の捜査員にも聞いたんだけど、そんな老人知らない、と口を揃えて言っていたんだ」
 サラの報告にようやく意識を取り戻したティファは、しかし彼女の言っている事が未だに理解出来なかった。
「えっ、証言者がいないって……もしかして洗脳の魔術ですか?」
「いや。そんな痕跡は無かった。多分マルクが報告書にでっち上げたんだろう。私達をかく乱する為に」
 だとすれば住所の虚偽も、関わり合いを防ぐ為ではなく捜査妨害の1つだったと考えられる。どちらかと言えば軍に近しい我々が細かな捜査などしないとでも踏んでいたのだろうか。
「でもそれだけじゃ彼個人を疑うが無いですよ」
「いや、彼は老人の存在について疑問を抱いていなかったし、当然洗脳の痕跡も無し。もし報告書を書き換えた人間がいたとしたら彼だ」
「っ……」
 淡々とマルクの不審な点が語られ、ティファは言葉が湧かずに絶句するしか出来なかった。
 それに対してサラは、一瞬冷淡な目が獲物を目にしたハンターのように熱くなったように見えた。
「あの男は、初対面の私が祓魔機関の隊長だって言い当ててた」
「でもそれなら私もされましたよ! 見ただけで私の事を――」
「百歩譲って祓魔機関の人間なのは分かる。でも私は受付の人間にIDを見せてないし腕章も付けてなかった。なのになんで『隊長』だって気が付いた?」
「あ……」
 階級というのは所属や身分と深く結びつく。しかしそれを示すバッジや腕章が無ければ、それを言い当てるのは不可能に近い。
 間近で彼の洞察力を目にしたティファも、いくらなんでもそれはおかしいとようやく疑念を抱き始めた。
「多分あの時既に、マルクは私の存在を知ってたんだと思う。理由は知らないけどね。でもあの男の中で『サラ・モーリアック=祓魔機関隊長』っていう図式があって、無意識にその答えを出してしまった。そんな図式作るのなんて、交錯十字か魔女狩り連中でもなきゃほぼ無いでしょ」
 ティファはまたも、言の葉に圧倒され視界を埋め尽くされてしまった。
 何も言い返せない。半端に尖っていた牙も引っ込んでしまう。


――主に歯向かう勇気を、ティファは持ち合わせていなかった
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