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3章. 時を超えた想い
8. 愛されし命 side:リーゲル・エラルド
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「……守、る?」
見覚えのない場所で怪しげな人物の前で目を覚ましてすぐの発言がそれか、と私は驚きに目を見張る。普通は、ここは何処だ、今の日時は、どうしてここに、などそういう疑問があって然るべきだろう。
「貴女は……今の状況がわかってらっしゃるのですか?」
「ええ。でも、お話をする前に、周囲に私達の声が決して漏れないようにする必要があるわね。──おいで、ミリー」
【はあい】
独特な声の反響と共に、“ソレ”は姿を現した。……何だ、これは? 女性の影からずるずると身体を引き摺るように出てきた黒いモノは、やがて歪な人のような形をとった。目は二つ、そして口が一つ。まるで絵の具で真っ黒に塗り潰された人間だ。……これが、王家が恐れたルヴァンシュ一族の影、か。
「驚かせてごめんなさいね、お医者さん。でも、この子の能力は姿を現してもらった方が使いやすいらしいのよ。……ねえ、ミリー。私達の周りに防音壁を張ってくれないかしら?」
【いいわよお。大好きなカリアの頼みですものねえ】
影が虚空に翳した手からぶわ、と透明な球体が広がったかと思うと、私と女性──カリアと歪な人の影──ミリーを覆い切るとその防音壁らしきものは膨張を止めた。目の前で起こった事に、頭がついていかない。ルヴァンシュ一族について王家から齎された情報があるとはいえ、実際に目にするのと人伝に聞くのとは全く違う。開いた口が塞がらないとは、この事だ。……曰く、その一族は“自らの影と会話でき、その影と共に戦える。そして、人だけでなくその影も能力を持っている”、と。つまり、ルヴァンシュ一族は人と影で二つの能力を有しているのだと。
「ありがとう、ミリー」
【ちょっとお腹は空いたけれど、いいのよお】
まるで家族のように触れ合う人と影に、ずっと驚きに固まって伸ばしたままだった手を、漸く引っ込める。影の、恐らく人間で言う所の頬であろう場所を、カリアは優しく手で触れていた。それをミリーは拒否するどころか嬉しそうに受け入れている。この短時間で、カリアとミリーの固く切れない絆を、信頼関係を……、私は視せつけられたようだった。
【……でも、覚悟を決めてしまったのねえ、カリア】
「……ええ、ごめんなさい。どうやら私はここで終わる運命みたい」
【……嫌、本当は嫌よ】
終わる? それは一体、どういうことだ。動揺しているのか、人の形を保っていた影が石を投げ入れられた水面のように揺れる。
【生まれた時から26年間、ずっと一緒だった貴女を亡くすなんて!】
「私だってミリー、貴女と離れるのはとっても悲しいわ。……でもね、私がいなくなっても影である貴女は討伐されない限り生きられるわ。影に寿命はないもの。どうか、私の代わりにこの子を遠くから見守ってあげて頂戴。そして、夫の影であるセスアだって、ルヴァンシュ一族の影達だって、きっと生きているわ。だから貴女に、未来を……託したいのよ」
影が泣ける筈がないのに、私にはその影が泣いているように視えた。人を喰う化け物だと蔑みながらも、その圧倒的な力に恐怖し忌避していた王家が言っていたモノとは、どうにも違うように思える。……やはり私がこの母子を助けようとしていたのは、間違いではなかったのだ。しかし、母親であるカリアは、まるでもう自身が死んでしまうような雰囲気を醸し出している。
「ま、待って欲しい。私の能力で貴女の──カリアさんの寿命を視ることができるが、貴女の寿命はまだ25年ある。私は王家が派遣した医者で、せめて唯一の生き残りである貴女達母子は助けたいと──」
「知っているわ」
「……え?」
ふわり、と目の前の女性は、それはそれは美しく笑んだ。死が迫って尚煌めく黄金の瞳は、彼女が視る全ての運命を受け入れているように視える。
「私の夫──そして、この子の父がね、“指定した人物の人生で転機となるであろう未来の分岐を、合計で三回だけ視ることができる”という能力の持ち主だったの。だから知っているのよ、貴方がこの子を引き取ってくれるっていう、未来を。そして私がここで命を落とす事も。彼はその二つの未来を私に告げた後、別の一族の人だったのに……私達ルヴァンシュ一族のために戦って、……亡くなって、しまったわ。きっと知っていたんだと思うの、残りの一回の未来は、彼自身に使って……戦って死ぬのが最善だと、思ったのでしょうね」
──そして私は、彼女から全てを聞いた。ルヴァンシュ一族の能力、影について。どうして一族が滅んでしまったのか、王家に目の敵にされたのは何故なのか。簡潔に、それでいて丁寧に。それを聞いて私は──。
「約束しよう。貴女達のように迫害される一族がこれ以上出ないよう力を尽くすと。……まずは論文を纏める。私が書いたものなら王家も無碍には出来まい。そして、……貴女の覚悟も無駄にはしない。私がその子を、責任を持って預かって、育てていこう」
「……ええ、ありがとう。ねえ、私の名前はもう教えたけれど、お医者さん……貴方のお名前は?」
「リーゲル・エラルドだ。……それではカリアさん、貴女のお子さんの名前は?」
「リーゲルさん、と言うのね。覚えておくわ。本当に、ありがとう。……この子は、私がカリアで、夫がエレルだから──」
苗字を継がせてあげられない分、そして私と夫が何もあげられなかった分、名前くらいは持たせてあげたいの。そう言って彼女は、自身のお腹にそっと触れて、能力を発動させた。彼女の能力は──“自身の寿命を代償として対象の時を止め、あらゆる物理攻撃から対象を守る”ことができる。
「──カレル。どうか、どうか健やかに、生きて……ずっと、愛しているわ」
眩しい輝きが彼女から迸ったかと思うと、その輝きは全てお腹へと……彼女が遺した命へと収束されていく。ぱたり、と力なく倒れかけた彼女を支えたのは、ミリーと呼ばれた影だった。その影は愛おしそうに彼女の頬を撫でてからお腹へと手を伸ばし、小さく呟く。
【カリア。そしてカリアとカリアが愛した人から生まれた愛しい子……とても、とおっても、愛しているのよ。私は、私は、いつか必ず──】
カリアを優しく手術台に横たえた後、しゅわり、と。まるで地面に溶けるかのようにその影は、姿を消した。きっと一族の影が集まる場所へと向かったのだろう。
──悩んでいる暇はなかった。もう随分時間が経ってしまっている。早産となってしまうが、彼女の身体から小さい命を取り出して、弟子に協力してもらってすぐに隠さねば。彼女の寿命である25年分全てを使っても、時を止めるだけではなく全ての物理攻撃から守るという効果もあるためか、この能力は保って1年らしい。若いというのに彼女の寿命がもう25年しか残されていなかったのは、能力を使って、私が来るであろう日を待って十数日間時を止めて身を守っていたからのようだ。……さて、1年、何としてでもこの子の存在を隠し通さなければならない。
私は医者だ。信頼して命を預けられて、緊張こそすれ嫌な訳がない。それに私は早くに妻を亡くし、望んでいたが子供もいない。故にこんなに愛されている命を、私はこれからそばで見守っていけるのかと思うと酷く高揚した。そして同時に、一族の生き残りがいてはこの子に害が及ぶだろうと、普通の子として育てて欲しいと言って全ての寿命を使い切ったこの子の母親のような人が、もうこれ以上現れないようにしなければならないと……私は勝手に使命感を抱いたのだった。
──ああ、カレル。お前はこんなに愛されているよ。私は彼女から授かった輝かしいけれど弱くて儚い小さな命を、優しくこの手で抱き締めた。これから約50名ものルヴァンシュ一族を解剖しなければならないとしても……今まで王族と貴族を優先して救ってきたが故に沢山の見殺しにした命があったにしても、それでも。たった一つでも救われた命が今この手にあるのだという事実に、私はこれ以上ないくらい、救われたのだ。
“そしてカレル。お前が優しく素直に育ってくれたから。私は義務感や罪悪感だけではなく、本当に、心から、お前を我が子のように愛してしまったんだよ”
~*~
見覚えのない場所で怪しげな人物の前で目を覚ましてすぐの発言がそれか、と私は驚きに目を見張る。普通は、ここは何処だ、今の日時は、どうしてここに、などそういう疑問があって然るべきだろう。
「貴女は……今の状況がわかってらっしゃるのですか?」
「ええ。でも、お話をする前に、周囲に私達の声が決して漏れないようにする必要があるわね。──おいで、ミリー」
【はあい】
独特な声の反響と共に、“ソレ”は姿を現した。……何だ、これは? 女性の影からずるずると身体を引き摺るように出てきた黒いモノは、やがて歪な人のような形をとった。目は二つ、そして口が一つ。まるで絵の具で真っ黒に塗り潰された人間だ。……これが、王家が恐れたルヴァンシュ一族の影、か。
「驚かせてごめんなさいね、お医者さん。でも、この子の能力は姿を現してもらった方が使いやすいらしいのよ。……ねえ、ミリー。私達の周りに防音壁を張ってくれないかしら?」
【いいわよお。大好きなカリアの頼みですものねえ】
影が虚空に翳した手からぶわ、と透明な球体が広がったかと思うと、私と女性──カリアと歪な人の影──ミリーを覆い切るとその防音壁らしきものは膨張を止めた。目の前で起こった事に、頭がついていかない。ルヴァンシュ一族について王家から齎された情報があるとはいえ、実際に目にするのと人伝に聞くのとは全く違う。開いた口が塞がらないとは、この事だ。……曰く、その一族は“自らの影と会話でき、その影と共に戦える。そして、人だけでなくその影も能力を持っている”、と。つまり、ルヴァンシュ一族は人と影で二つの能力を有しているのだと。
「ありがとう、ミリー」
【ちょっとお腹は空いたけれど、いいのよお】
まるで家族のように触れ合う人と影に、ずっと驚きに固まって伸ばしたままだった手を、漸く引っ込める。影の、恐らく人間で言う所の頬であろう場所を、カリアは優しく手で触れていた。それをミリーは拒否するどころか嬉しそうに受け入れている。この短時間で、カリアとミリーの固く切れない絆を、信頼関係を……、私は視せつけられたようだった。
【……でも、覚悟を決めてしまったのねえ、カリア】
「……ええ、ごめんなさい。どうやら私はここで終わる運命みたい」
【……嫌、本当は嫌よ】
終わる? それは一体、どういうことだ。動揺しているのか、人の形を保っていた影が石を投げ入れられた水面のように揺れる。
【生まれた時から26年間、ずっと一緒だった貴女を亡くすなんて!】
「私だってミリー、貴女と離れるのはとっても悲しいわ。……でもね、私がいなくなっても影である貴女は討伐されない限り生きられるわ。影に寿命はないもの。どうか、私の代わりにこの子を遠くから見守ってあげて頂戴。そして、夫の影であるセスアだって、ルヴァンシュ一族の影達だって、きっと生きているわ。だから貴女に、未来を……託したいのよ」
影が泣ける筈がないのに、私にはその影が泣いているように視えた。人を喰う化け物だと蔑みながらも、その圧倒的な力に恐怖し忌避していた王家が言っていたモノとは、どうにも違うように思える。……やはり私がこの母子を助けようとしていたのは、間違いではなかったのだ。しかし、母親であるカリアは、まるでもう自身が死んでしまうような雰囲気を醸し出している。
「ま、待って欲しい。私の能力で貴女の──カリアさんの寿命を視ることができるが、貴女の寿命はまだ25年ある。私は王家が派遣した医者で、せめて唯一の生き残りである貴女達母子は助けたいと──」
「知っているわ」
「……え?」
ふわり、と目の前の女性は、それはそれは美しく笑んだ。死が迫って尚煌めく黄金の瞳は、彼女が視る全ての運命を受け入れているように視える。
「私の夫──そして、この子の父がね、“指定した人物の人生で転機となるであろう未来の分岐を、合計で三回だけ視ることができる”という能力の持ち主だったの。だから知っているのよ、貴方がこの子を引き取ってくれるっていう、未来を。そして私がここで命を落とす事も。彼はその二つの未来を私に告げた後、別の一族の人だったのに……私達ルヴァンシュ一族のために戦って、……亡くなって、しまったわ。きっと知っていたんだと思うの、残りの一回の未来は、彼自身に使って……戦って死ぬのが最善だと、思ったのでしょうね」
──そして私は、彼女から全てを聞いた。ルヴァンシュ一族の能力、影について。どうして一族が滅んでしまったのか、王家に目の敵にされたのは何故なのか。簡潔に、それでいて丁寧に。それを聞いて私は──。
「約束しよう。貴女達のように迫害される一族がこれ以上出ないよう力を尽くすと。……まずは論文を纏める。私が書いたものなら王家も無碍には出来まい。そして、……貴女の覚悟も無駄にはしない。私がその子を、責任を持って預かって、育てていこう」
「……ええ、ありがとう。ねえ、私の名前はもう教えたけれど、お医者さん……貴方のお名前は?」
「リーゲル・エラルドだ。……それではカリアさん、貴女のお子さんの名前は?」
「リーゲルさん、と言うのね。覚えておくわ。本当に、ありがとう。……この子は、私がカリアで、夫がエレルだから──」
苗字を継がせてあげられない分、そして私と夫が何もあげられなかった分、名前くらいは持たせてあげたいの。そう言って彼女は、自身のお腹にそっと触れて、能力を発動させた。彼女の能力は──“自身の寿命を代償として対象の時を止め、あらゆる物理攻撃から対象を守る”ことができる。
「──カレル。どうか、どうか健やかに、生きて……ずっと、愛しているわ」
眩しい輝きが彼女から迸ったかと思うと、その輝きは全てお腹へと……彼女が遺した命へと収束されていく。ぱたり、と力なく倒れかけた彼女を支えたのは、ミリーと呼ばれた影だった。その影は愛おしそうに彼女の頬を撫でてからお腹へと手を伸ばし、小さく呟く。
【カリア。そしてカリアとカリアが愛した人から生まれた愛しい子……とても、とおっても、愛しているのよ。私は、私は、いつか必ず──】
カリアを優しく手術台に横たえた後、しゅわり、と。まるで地面に溶けるかのようにその影は、姿を消した。きっと一族の影が集まる場所へと向かったのだろう。
──悩んでいる暇はなかった。もう随分時間が経ってしまっている。早産となってしまうが、彼女の身体から小さい命を取り出して、弟子に協力してもらってすぐに隠さねば。彼女の寿命である25年分全てを使っても、時を止めるだけではなく全ての物理攻撃から守るという効果もあるためか、この能力は保って1年らしい。若いというのに彼女の寿命がもう25年しか残されていなかったのは、能力を使って、私が来るであろう日を待って十数日間時を止めて身を守っていたからのようだ。……さて、1年、何としてでもこの子の存在を隠し通さなければならない。
私は医者だ。信頼して命を預けられて、緊張こそすれ嫌な訳がない。それに私は早くに妻を亡くし、望んでいたが子供もいない。故にこんなに愛されている命を、私はこれからそばで見守っていけるのかと思うと酷く高揚した。そして同時に、一族の生き残りがいてはこの子に害が及ぶだろうと、普通の子として育てて欲しいと言って全ての寿命を使い切ったこの子の母親のような人が、もうこれ以上現れないようにしなければならないと……私は勝手に使命感を抱いたのだった。
──ああ、カレル。お前はこんなに愛されているよ。私は彼女から授かった輝かしいけれど弱くて儚い小さな命を、優しくこの手で抱き締めた。これから約50名ものルヴァンシュ一族を解剖しなければならないとしても……今まで王族と貴族を優先して救ってきたが故に沢山の見殺しにした命があったにしても、それでも。たった一つでも救われた命が今この手にあるのだという事実に、私はこれ以上ないくらい、救われたのだ。
“そしてカレル。お前が優しく素直に育ってくれたから。私は義務感や罪悪感だけではなく、本当に、心から、お前を我が子のように愛してしまったんだよ”
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