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阿吽
しおりを挟む夜が更けてきて、二人で温かいお茶を飲んでいる時だった。横にいる愛しい人が、無意識にか身体を寄せてきて、ああ、と察する。――恐らく、今の彼はSubだ。何処かそわそわとした様子を見るに、彼自身も気づいたのかもしれない。
そんな調子の彼を、ゆっくりとお茶を飲みながら眺めていたら、ばちり、と目が合った。その瞬間、俺は、俺自身が完全にDomに切り替わったことを感じ取る。
「ぁ……」
じい、とただ彼の金色の綺麗な瞳を見つめていただけなのに、それだけで従わなければと思うのか、彼は俺の指示を待つようにして此方の様子を窺っていた。彼の口から、短い息と共に小さく声が漏れる。
――そう、俺達は世間でも珍しいと言われるSwitch同士のパートナーだ。どちらか片方ならともかく、どちらも切り替わることができるSwitch同士のパートナーなど、普通ならば成立しない。互いにDomになってしまったり、互いにSubになってしまったりすると、互いの欲求が満たされないからだ。しかし、俺達はそれで問題になったことがなかった。
「そのまま、俺を見て。“Kneel(お座り)”」
ぺたん、と。ベッド脇で横に座っていた彼が、まるで侍るように俺の足の近くで座り込んだのを見て、口角が上がる。ああ、褒めてあげなければ。
「よくできました。“Good boy(良い子)”」
なで、なで。俺が手入れしたから今はさらさらになっている髪を、優しく梳かすように撫でる。すると、彼は酷く嬉し気に膝に擦り寄ってきた。かわいい。
「Safe wordは、きちんと言える?」
「あ、う……」
「“Say(言って)”」
「ん……“剣と、盾”」
「そう。“Good boy”」
指示を受け入れる側のSubが嫌なことをされたら拒否ができるように設定するのが、Safe word。だからそれは、ヒートアップしてしまったDom側が冷静になれるものでなければならない。故に、俺がDomで彼がSubの時のSafe wordは、“剣と盾”、なのだ。これならば、騎士であることを誇りに思っている俺はどれだけ理性が飛びそうになっていてもPlayをやめられる。絶対に、彼が嫌がることはしたくないのだ。
今度は髪ではなく頬を撫でて、安心させるように微笑んだ。そうすると、彼はまたしても嬉しそうにへにゃり、と笑って俺の手に擦り寄ってくる。……可愛すぎるから、理性が飛ばないように気を付けなければ。
「“Up(上を向いて)”」
「う、」
頬に当てていた手を顎にするりと移動させて、上を向くように要求する。Commandに素直に従う彼は、俺の意識下に入っているのか心地が良さそうだ。そのままの状態で“ Good boy”、と告げてから彼の口にキスを贈る。そして、少し意地悪をしようと考えてにこりと微笑んだ。Domの俺が優しいけれど意地悪なことは、彼も知っている。そして、そんなDomの俺を見て、酷く満たされたような表情になるSubの彼も、俺は知っている。
「貴方からも俺に。“Kiss(キスして)”」
「え、あ」
「できますよね……?」
「……あ、う……」
頬だけではなく耳まで真っ赤にしながら、キスする場所は指定していないというのに、彼は俺の口にキスをしてくれた。それが嬉しくて、口づけられた瞬間に舌を割り込ませて深いキスへと誘導する。……彼の口内を犯すことに夢中になっていたのか、終わる頃には、彼の息が少し上がっていた。
「上手にできて、すごくえらいですよ。“ Good boy”。……でもまだ、落ち着かないみたいですね。もう少ししましょうか」
「は、い……」
Switchである俺達は、定期的にDom側としてもSub側としても、その欲を発散しなければ体調を崩してしまう。その前兆を身体が感じ取ったのか、Sub側として足りないと思ったのか、今日は彼が先にSubに切り替わったのだった。少し欲求不満なくらいだと、このくらいCommandを出せば満足することが多いのだが、彼はまだ落ち着いていないようだった。……ちなみに、俺は彼からキスをされた時点で独占欲と支配欲が満たされ、Domとしての欲は落ち着いている。彼が今日はとても素直で、すんなりと全てのCommandが通ったおかげだろう。それに、最近精神的に不安定になるような出来事もなかったし。
「“Look(見て)”」
「ん……」
「そのまま、“Stay(待て)”」
目を合わせたままでいるように指示すると、彼は最初は言う通りに従ってくれた。しかし、俺が中々褒めないので、させようとしていることを理解したらしい。うろ、と目線が彷徨って、真っ赤な顔のまま俯いてしまった。――Commandに従えなかったのだから、お仕置き、しないとな。くすり、と小さく笑うと、彼の耳に口を近づけて呟いた。
「わるいこ」
「ひっ、」
かく、と力が抜けたように俺の膝に身体を預けた彼を左手で支えながら、目の前に右手を差し出す。
「お仕置き。“Lick(舐めて)”」
「う、う~~……」
「俺のこと、気持ち良くできたらたくさん褒めてあげます」
Safe wordを全く言い出そうとしないし、嫌がっている素振りもない為このまま続けても大丈夫だろう、と判断した俺は、彼の口元まで指を持っていった。少し迷いながらも、彼は赤い舌を俺の指に這わせていく。
「はあ、……ぁ、」
お仕置きされているというのに、どうやら彼の方が気持ち良くなっているらしい。少し意地悪な俺の事も、結構好きだよな、この人。
「もっと」
ぐり、と舌に押し付けるようにして指を口の中に差し入れると、彼はくぐもった声を出しつつも舐めるのはやめずに従ってくれた。それが愛しくて、支配欲が満たされて、つい舌を挟み込むようにして愛撫してしまう。
「ぁ、あ、……ふ、う」
「うん、気持ち良い。お仕置き終わり、です。“Good boy”、俺の愛しいSub」
愛しい人、と言おうか迷ったが、こういう時の彼はSubとしてちゃんとできたかどうか不安がるので敢えて愛しいSub、と言った。肩で息をする彼は、どうやら自分にとって恥ずかしい指示にも従うことができて、俺に褒められたことから軽くSub spaceに入りかけているらしい。……そのまま幸せな世界に引き込んでしまおうか。
ベッドに乗り上げて、“Come(おいで)”、と誘導しようと思ったのに、彼の中で何があったのか、ばちり、という感覚と共に彼が急に‟切り替わった”。その瞬間、俺の中でぐわり、とDomとしての思考が揺らぐ。やば、い。俺は、相手に合わせてしまうSwitchだから、このままだと、……。
「“Switch(切り替えて)”」
「あ、……っぐ、」
――ばちり。
頭の中で、何かが弾ける。ああ、だめだ。もう、……。目の前の彼に従いたい。支配してほしい。独占してほしい。そんな欲が湧いて出てきて、目が潤んだ。
「でき、ました、……ほめて、」
先程と完全に、体勢が入れ替わる。彼はベッドの上に腰掛けて、俺はかくり、と力が抜けたように彼の膝元に侍った。見上げると、そこには何を思っているかわからない、それでいて意思の強い瞳がある。戦闘中の時の彼の冷たい金色の瞳を思い出して、ぞくり、と背筋に何かが走り抜けていった。
「“Good(いいですね)”、えらい、えらい」
「ふ、ぅ……」
髪を撫でられるのが、心地良い。……不満はないけれど、それでもどうして急に彼は切り替わったんだろうか。
「どうして、急に」
「貴方が、そうして欲しそうに、見えたので」
Subの時と違って、Domの時の彼はそこそこ雄弁だ。区切りながらも、しっかりと放たれた言葉を耳がきちんと拾ってくらくらする。低音で、落ち着いていて、それでいて優しげな声。でも、独占欲が隠し切れていない声に、俺は熱い息を漏らした。
「そん、な、こと……」
「そうなんですか?」
「……。俺は、貴方を甘やかそうと、」
「本当のことを言ってください。“Speak(話して)”」
「う、あ、」
愛しいDomからの指示。胸の奥がじくりとして、ああ、これに従ったらさぞ気持ちが良いだろうな、と理解する。……俺は天邪鬼だから、よくこうやってCommandで素直に話すように言われることが多い。
「あまやかし、たかった、けど。でも、俺も、同じくらいあまやかして、ほしかった、です」
「ふふ。……よかった、間違ってなかったんですね。“Good”、よく言えました」
「ん、……は、ぁ」
褒められて、首筋に手を寄せられて、息が上がる。どうしよう、すごくきもちいい。まだCommandを2個しかもらっていないのに。
「Safe wordも確認しましょうか。“Say”」
「ぅ、……“銃と、剣”、です」
「そうですね」
“Good”、と褒められて、力が抜ける。なるほど、確かに自覚していなかっただけで、俺はSubとしての欲求を溜め込んでいたらしい。俺自身でもわからないような変化に気づいてもらえたのが嬉しくて、彼の膝の間に割り込むと、そのまま体温を求めるように彼のお腹に擦り寄った。
「わ、ちょ、そこは……」
「ん、ぅ……?」
「……ベッドに、“Come”、そして“Roll(仰向けになって)”、です……」
「ふ、あ」
Commandの重ね掛け。彼の意識下に入ってしまった俺は、躊躇することなくベッドに乗り上げて、仰向けになった。彼も添い寝するような形で、俺の横にいる。
「“Good boy”、よく、できました。……そのまま、眠りましょうか」
「ん、や、ぁ……もっと、」
もっと欲しい。多幸感でふわふわとした頭で、もっともっとと彼に強請った。そんな蕩けた俺の青色の瞳と、まるで獲物を狙うような金色の瞳が交わって、腰がひくん、と跳ねる。
「ううん、……“Stay”、おれが止まれなくなりそうなので、……ね、お願いします」
「んぅ」
ちゅ、と額にキスをされて、小さく身じろいだ。ちゃんと、待て、しなきゃ……。うと、うと、と段々と隣の体温に負けて意識が落ちていく。
「いいこ、いいこ……」
きもち、いい……。蜂蜜を垂らしたぬるま湯のような甘い甘い空間に、とろりと沈んでいく気が、した。
今日は良い夢が、見られる気がする。
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